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須磨寺駅から500mほど坂道を登っていくと「花と水と歴史のオアシス」を標榜する神戸市立須磨離宮公園があります。<br />ここは、千年以上の歴史を持つ由緒ある「月見」の名所として知られています。源氏物語の光源氏のモデルとされる平安貴族 在原行平が、配流されたこの地の月に、都で見た名月をだぶらせて都を偲んだとされる場所が須磨離宮公園内の「月見台」。「月見山」の地名や駅名のルーツになっています。<br />須磨離宮公園は、須磨離宮跡に造られた広大な都市庭園です。広い敷地に溢れる緑と花。約300種、8万株の草花や花木が植えられ、一年を通して花が咲いています。庭園のランドマークの噴水広場は、水をモチーフにした美しい欧風庭園です。宮殿を模したレストハウスから湧き出た水は、メインフォールとなってカスケードを下り、最後は美しい弧を描く大噴水となって吹き上がります。その周りにはバラ園が幾何学的に配置され、近代的ながら欧風庭園の伝統様式を備えています。ヨーロッパの宮殿を彷彿とさせる前庭、噴水越しに見下ろす瀬戸内海の穏やかな海、そこをゆっくりと滑り行く船影、そして水脈。かつての離宮の面影を一部に遺し、賛沢な空間が広がっています。<br /><br />

青嵐薫風 須磨紀行③須磨離宮公園<前編>

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2014/04/26 - 2014/04/26

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

須磨寺駅から500mほど坂道を登っていくと「花と水と歴史のオアシス」を標榜する神戸市立須磨離宮公園があります。
ここは、千年以上の歴史を持つ由緒ある「月見」の名所として知られています。源氏物語の光源氏のモデルとされる平安貴族 在原行平が、配流されたこの地の月に、都で見た名月をだぶらせて都を偲んだとされる場所が須磨離宮公園内の「月見台」。「月見山」の地名や駅名のルーツになっています。
須磨離宮公園は、須磨離宮跡に造られた広大な都市庭園です。広い敷地に溢れる緑と花。約300種、8万株の草花や花木が植えられ、一年を通して花が咲いています。庭園のランドマークの噴水広場は、水をモチーフにした美しい欧風庭園です。宮殿を模したレストハウスから湧き出た水は、メインフォールとなってカスケードを下り、最後は美しい弧を描く大噴水となって吹き上がります。その周りにはバラ園が幾何学的に配置され、近代的ながら欧風庭園の伝統様式を備えています。ヨーロッパの宮殿を彷彿とさせる前庭、噴水越しに見下ろす瀬戸内海の穏やかな海、そこをゆっくりと滑り行く船影、そして水脈。かつての離宮の面影を一部に遺し、賛沢な空間が広がっています。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
私鉄

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  • 正門<br />須磨離宮公園前交差点の陸橋から写した正門です。<br />門扉は創建当時のものではありませんが、御影石製の門柱や正亀甲石積み塀は当初からのものです。周囲の石垣はどっしりとその歴史を伝えています。<br /><br />「離宮」とは、皇居や王宮以外の地に定められた、一定規模の建造物と敷地を有する宮殿の総称です。「御用邸」も同じような意味合いで使われるのですが、一般的には「御用邸」は避寒、避暑の目的で使用され、比較的規模の小さいものを指します。<br />因みに、現存する離宮は、京都の桂離宮と修学院離宮だけです。下賜されたものには、赤坂離宮(迎賓館)、霞ヶ関離宮(現国会前庭南地区)、芝離宮(現旧芝離宮恩賜庭園)、名古屋離宮(名古屋城)、二条離宮(二条城)、浜離宮(現浜離宮恩賜庭園)があり、この須磨(武庫)離宮も含まれます。

    正門
    須磨離宮公園前交差点の陸橋から写した正門です。
    門扉は創建当時のものではありませんが、御影石製の門柱や正亀甲石積み塀は当初からのものです。周囲の石垣はどっしりとその歴史を伝えています。

    「離宮」とは、皇居や王宮以外の地に定められた、一定規模の建造物と敷地を有する宮殿の総称です。「御用邸」も同じような意味合いで使われるのですが、一般的には「御用邸」は避寒、避暑の目的で使用され、比較的規模の小さいものを指します。
    因みに、現存する離宮は、京都の桂離宮と修学院離宮だけです。下賜されたものには、赤坂離宮(迎賓館)、霞ヶ関離宮(現国会前庭南地区)、芝離宮(現旧芝離宮恩賜庭園)、名古屋離宮(名古屋城)、二条離宮(二条城)、浜離宮(現浜離宮恩賜庭園)があり、この須磨(武庫)離宮も含まれます。

  • ヒマラヤ杉<br />正門から中門までの道は馬車道と呼ばれます。正門を入ってすぐの右側の斜面に大きな木があり、これがヒマラヤ杉です。昔は印度杉と呼ばれ、樹高26.1mあり、100年の歴史を見てきた生き証人と言えます。<br />

    ヒマラヤ杉
    正門から中門までの道は馬車道と呼ばれます。正門を入ってすぐの右側の斜面に大きな木があり、これがヒマラヤ杉です。昔は印度杉と呼ばれ、樹高26.1mあり、100年の歴史を見てきた生き証人と言えます。

  • 装石<br />中門広場へ続く馬車道沿いの斜面には装石という石組みがあります。複数の石の表面を露出させて組合わせ、まるで一つの巨大な岩盤のように錯覚させる技法で、珍しいものだそうです。須磨離宮建造時のものですが、つなぎのモルタルを肉盛りして彫刻風に造る西洋の美意識を導入したものと考えられています。フランスでは、ロカイユと呼ばれます。

    装石
    中門広場へ続く馬車道沿いの斜面には装石という石組みがあります。複数の石の表面を露出させて組合わせ、まるで一つの巨大な岩盤のように錯覚させる技法で、珍しいものだそうです。須磨離宮建造時のものですが、つなぎのモルタルを肉盛りして彫刻風に造る西洋の美意識を導入したものと考えられています。フランスでは、ロカイユと呼ばれます。

  • 装石<br />ヒマラヤ杉の奥にも立派な装石が見られます。丁度、潮見台の直下に当たる場所です。

    装石
    ヒマラヤ杉の奥にも立派な装石が見られます。丁度、潮見台の直下に当たる場所です。

  • 連理のクスノキ<br />馬車道をUターンすると正面に中門広場が見えてきます。その手前には、クスノキの大木があり、その枝は途中で繋がって連理になっている珍しい木です。

    連理のクスノキ
    馬車道をUターンすると正面に中門広場が見えてきます。その手前には、クスノキの大木があり、その枝は途中で繋がって連理になっている珍しい木です。

  • 中門<br />かつては御殿に通じる玄関口の「車寄せ」が配置され、正面から馬車道を経てこの広場に到着した御者の車返しの場所でした。ここで馬車を降り、歩いて門を潜られたそうです。<br />睨みを利かせている狛犬は、日本式「阿吽」の狛犬ではないので中国から渡来したものと思われます。戦禍を免れ、満身創痍ながらも往時の雄姿の片鱗を見せています。 <br />

    中門
    かつては御殿に通じる玄関口の「車寄せ」が配置され、正面から馬車道を経てこの広場に到着した御者の車返しの場所でした。ここで馬車を降り、歩いて門を潜られたそうです。
    睨みを利かせている狛犬は、日本式「阿吽」の狛犬ではないので中国から渡来したものと思われます。戦禍を免れ、満身創痍ながらも往時の雄姿の片鱗を見せています。

  • 狛犬<br />どことなく哀愁を帯びた寂しそうな背中…。

    狛犬
    どことなく哀愁を帯びた寂しそうな背中…。

  • 中門と白壁<br />須磨離宮創建時に造られたもので、白漆喰の壁や瓦葺が格調高く美しい塀です。<br /><br />明治天皇の神戸沖観艦式等の宿泊地として離宮を造営する計画が持ち上がり、往時須磨にあった西本願寺大谷光瑞伯の別荘「月見山海荘」と隣接地に建つ別荘を1907年に宮内庁が買い取り、1912年に福羽逸人の庭園設計、迎賓館赤坂離宮を手掛けた片山東熊の宮殿設計によって建造が始まりました。福羽は、赤坂離宮や新宿御苑にも携わった人物で、西洋の宮廷庭園を見聞してその技法を精力的に取り入れました。回顧録の中で、「各所に離宮・御用邸ありといえども、武庫の如き風景佳絶なるは無し」と絶賛しています。また、大谷光瑞は、シルクロードなど中央アジアの探検家であり、膨大な資料を整理、保管するためにこの別邸を利用していたようです。<br />往時の離宮は武庫離宮と言い、この名称は『日本書紀』に「孝徳天皇が有馬温泉からお帰りになる途中に武庫の行宮にお泊りになった」と記されていたことが由来です。敷地面積約6万3700坪、建物は36棟からなる1544坪の総檜造り、白木の御殿だったそうです。明治天皇は、万葉集にも詠まれた須磨への行幸を楽しみにしておられたそうですが、完成を待たずに崩御。竣工したのは1914年(大正3年)のことでした。 <br />

    中門と白壁
    須磨離宮創建時に造られたもので、白漆喰の壁や瓦葺が格調高く美しい塀です。

    明治天皇の神戸沖観艦式等の宿泊地として離宮を造営する計画が持ち上がり、往時須磨にあった西本願寺大谷光瑞伯の別荘「月見山海荘」と隣接地に建つ別荘を1907年に宮内庁が買い取り、1912年に福羽逸人の庭園設計、迎賓館赤坂離宮を手掛けた片山東熊の宮殿設計によって建造が始まりました。福羽は、赤坂離宮や新宿御苑にも携わった人物で、西洋の宮廷庭園を見聞してその技法を精力的に取り入れました。回顧録の中で、「各所に離宮・御用邸ありといえども、武庫の如き風景佳絶なるは無し」と絶賛しています。また、大谷光瑞は、シルクロードなど中央アジアの探検家であり、膨大な資料を整理、保管するためにこの別邸を利用していたようです。
    往時の離宮は武庫離宮と言い、この名称は『日本書紀』に「孝徳天皇が有馬温泉からお帰りになる途中に武庫の行宮にお泊りになった」と記されていたことが由来です。敷地面積約6万3700坪、建物は36棟からなる1544坪の総檜造り、白木の御殿だったそうです。明治天皇は、万葉集にも詠まれた須磨への行幸を楽しみにしておられたそうですが、完成を待たずに崩御。竣工したのは1914年(大正3年)のことでした。

  • 潮見台<br />離宮建造時に露台(物見台)として築造されました。腰掛と積石手すりは欧州の城壁を彷彿とさせるデザインで、往時のまま遺されています。半楕円形の腰掛と手すりは小豆島産花崗岩製で、石柱を立ててその間に割乗石の乱積みを施しています。太いモルタル目地も西洋風です。<br />

    潮見台
    離宮建造時に露台(物見台)として築造されました。腰掛と積石手すりは欧州の城壁を彷彿とさせるデザインで、往時のまま遺されています。半楕円形の腰掛と手すりは小豆島産花崗岩製で、石柱を立ててその間に割乗石の乱積みを施しています。太いモルタル目地も西洋風です。

  • 潮見台<br />「遠く紀淡海峡及び紀泉半島を眺め、西南は鉢伏山脈より淡路島を望み、眼下に須磨海浜一円を俯瞰し、眺望佳絶」と案内板には記されています。 <br />かつてはこのような景観だったのでしょうが、近年周辺の樹木が生い茂り、眺望は損なわれているように思います。<br />

    潮見台
    「遠く紀淡海峡及び紀泉半島を眺め、西南は鉢伏山脈より淡路島を望み、眼下に須磨海浜一円を俯瞰し、眺望佳絶」と案内板には記されています。
    かつてはこのような景観だったのでしょうが、近年周辺の樹木が生い茂り、眺望は損なわれているように思います。

  • 燈籠と手水鉢<br />趣きのある手水鉢と手元を照らすための燈籠が佇んでいます。<br /><br />1945年3月の神戸大空襲で焼失するまでの約30年間に、大正・昭和天皇やラストエンペラーとして知られる満州国 溥儀皇帝等が駐泊されました。終戦後、神戸市に下賜され、翌年アメリカ進駐軍に射撃演習場として接収されます。返還後、1958年、今上天皇(当時皇太子殿下)のご成婚記念事業として須磨離宮公園が計画され、1967年に完成しました。<br />その後、1973年に隣接する岡崎邸を市が買取、市改90周年記念事業として整備し、観賞温室が併設されました。正門、中門に向かう苑路、亀甲積み、斜面上の白壁塀、石造りの狛犬に守られた中門等に旧離宮の面影を遺しています。1990年には、「日本の都市公園100選」に選定されています。

    燈籠と手水鉢
    趣きのある手水鉢と手元を照らすための燈籠が佇んでいます。

    1945年3月の神戸大空襲で焼失するまでの約30年間に、大正・昭和天皇やラストエンペラーとして知られる満州国 溥儀皇帝等が駐泊されました。終戦後、神戸市に下賜され、翌年アメリカ進駐軍に射撃演習場として接収されます。返還後、1958年、今上天皇(当時皇太子殿下)のご成婚記念事業として須磨離宮公園が計画され、1967年に完成しました。
    その後、1973年に隣接する岡崎邸を市が買取、市改90周年記念事業として整備し、観賞温室が併設されました。正門、中門に向かう苑路、亀甲積み、斜面上の白壁塀、石造りの狛犬に守られた中門等に旧離宮の面影を遺しています。1990年には、「日本の都市公園100選」に選定されています。

  • 大噴水<br />大噴水の周りをミニトレインが滑走し、子供たちの笑い声が絶えません。<br />石炭の匂いが周囲に漂い、懐かしさが込み上げてきます。<br />

    大噴水
    大噴水の周りをミニトレインが滑走し、子供たちの笑い声が絶えません。
    石炭の匂いが周囲に漂い、懐かしさが込み上げてきます。

  • レストハウス<br />キャナル、メインフォール・カスケードの先にレストハウスが見えます。

    レストハウス
    キャナル、メインフォール・カスケードの先にレストハウスが見えます。

  • 石燈籠<br />野趣あふれる鞍馬産石燈篭です。造営時には2基の石燈篭が設置されたそうですが、そのうちの1基で傘形四阿舎や周囲の樹木、御殿と調和するように配置されています。鞍馬石には丹波産、甲州産、鞍馬産がありますが、これは本鞍馬石だそうです。本鞍馬石は京都を代表する石材で、昔の庭ではこれを使うことを誇りとしていたらしいのですが、今ではほとんど採れないそうです。 <br />「鞍馬石」は、表面が赤茶色に錆び、侘びさびの世界に欠かせないものです。錆びは風化によるもので他の花崗岩でも見られます。しかし、「鞍馬石」の錆びは、ほどよく錆び、完全に中まで錆びが浸透しないことが特徴です。それ故、非常に価値のある石だそうです。<br />「鞍馬石」の学名は花崗閃緑岩と言い、花崗岩の一種です。花崗岩は、主に長石、石英、黒雲母から成ります。花崗岩と花崗閃緑岩の違いは、含まれるカリ長石と斜長石の量によって決まります。カリ長石が斜長石より多いものを花崗岩、少ないものを花崗閃緑岩と呼びます。それに加え、鞍馬石には磁硫鉄鉱という金属を含む鉱物が含まれ、赤茶けた錆はこの磁硫鉄鉱が錆びたものです。<br />さて、「本鞍馬石」は、有名所では鞍馬寺山門の石段に使われています。「鞍馬石」との相違は、本鞍馬石には黒雲母の代わりに角閃石が含まれることです。角閃石も黒色ですが、黒雲母のような光沢がなく、ずっしりとした落ち着きのある暗赤褐色が特徴です。<br /><br /><br />

    石燈籠
    野趣あふれる鞍馬産石燈篭です。造営時には2基の石燈篭が設置されたそうですが、そのうちの1基で傘形四阿舎や周囲の樹木、御殿と調和するように配置されています。鞍馬石には丹波産、甲州産、鞍馬産がありますが、これは本鞍馬石だそうです。本鞍馬石は京都を代表する石材で、昔の庭ではこれを使うことを誇りとしていたらしいのですが、今ではほとんど採れないそうです。
    「鞍馬石」は、表面が赤茶色に錆び、侘びさびの世界に欠かせないものです。錆びは風化によるもので他の花崗岩でも見られます。しかし、「鞍馬石」の錆びは、ほどよく錆び、完全に中まで錆びが浸透しないことが特徴です。それ故、非常に価値のある石だそうです。
    「鞍馬石」の学名は花崗閃緑岩と言い、花崗岩の一種です。花崗岩は、主に長石、石英、黒雲母から成ります。花崗岩と花崗閃緑岩の違いは、含まれるカリ長石と斜長石の量によって決まります。カリ長石が斜長石より多いものを花崗岩、少ないものを花崗閃緑岩と呼びます。それに加え、鞍馬石には磁硫鉄鉱という金属を含む鉱物が含まれ、赤茶けた錆はこの磁硫鉄鉱が錆びたものです。
    さて、「本鞍馬石」は、有名所では鞍馬寺山門の石段に使われています。「鞍馬石」との相違は、本鞍馬石には黒雲母の代わりに角閃石が含まれることです。角閃石も黒色ですが、黒雲母のような光沢がなく、ずっしりとした落ち着きのある暗赤褐色が特徴です。


  • 傘形四阿舎(かさがたあずまや) <br />1914年、須磨の名勝と称えられた在原行平ゆかりの「月見の松」附近に石灯籠や傘形四阿舎が建てられました。御殿から見て月の出る方位に建造されたのが一本柱で六角形屋根のあずまやです。<br />1945年の神戸大空襲で焼け落ち、青銅鋳物の擬木の柱だけが残りましたが、2011年に全国的にも珍しい六角形の竹穂葺屋根が復元されています。広げた傘の柄を地面に突き立てたような外観となっています。竹穂の孟宗竹には園内のものを使用し、離宮公園の東隣にある須磨高校の生徒さんたちが、高校統合に伴う移転の思い出にと参加されたそうです。<br />焼け残った鋳物の柱は、東京美術学校の岡崎雪聲が天然木を模して鋳造したものです。香川県栗林公園のあずまや「香風亭」の支柱と東京赤坂離宮の橋欄が、姉妹的大作とされています。雪聲は、高村光雲等が原型を作った楠木正成像(皇居前広場)や西郷隆盛像(上野)の鋳造も行った、鋳金界の巨匠です。<br />

    傘形四阿舎(かさがたあずまや)
    1914年、須磨の名勝と称えられた在原行平ゆかりの「月見の松」附近に石灯籠や傘形四阿舎が建てられました。御殿から見て月の出る方位に建造されたのが一本柱で六角形屋根のあずまやです。
    1945年の神戸大空襲で焼け落ち、青銅鋳物の擬木の柱だけが残りましたが、2011年に全国的にも珍しい六角形の竹穂葺屋根が復元されています。広げた傘の柄を地面に突き立てたような外観となっています。竹穂の孟宗竹には園内のものを使用し、離宮公園の東隣にある須磨高校の生徒さんたちが、高校統合に伴う移転の思い出にと参加されたそうです。
    焼け残った鋳物の柱は、東京美術学校の岡崎雪聲が天然木を模して鋳造したものです。香川県栗林公園のあずまや「香風亭」の支柱と東京赤坂離宮の橋欄が、姉妹的大作とされています。雪聲は、高村光雲等が原型を作った楠木正成像(皇居前広場)や西郷隆盛像(上野)の鋳造も行った、鋳金界の巨匠です。

  • 戦災者供養塔<br />傘形四阿舎の南側には「戦災者供養塔」が建てられています。未来永劫、戦争の悲惨さを忘れないようにして欲しいと思います。

    戦災者供養塔
    傘形四阿舎の南側には「戦災者供養塔」が建てられています。未来永劫、戦争の悲惨さを忘れないようにして欲しいと思います。

  • 月見台休憩所<br />ここが千年前の平安貴族 在原行平が月見をしたと伝えられている月見の名所。展望が素晴らしく、大阪湾が一望でき、遠く和歌山の友ヶ島や四国まで見ることができるそうです。<br />

    月見台休憩所
    ここが千年前の平安貴族 在原行平が月見をしたと伝えられている月見の名所。展望が素晴らしく、大阪湾が一望でき、遠く和歌山の友ヶ島や四国まで見ることができるそうです。

  • 月見台休憩所<br />西方面の須磨浦海岸線の景色。

    月見台休憩所
    西方面の須磨浦海岸線の景色。

  • 月見台休憩所<br />ほぼ正面の景色。<br />右端、茶色のライオンズマンションの先の松林の中に六角形の「赤灯台」が見えます。<br />和田岬灯台は1871年に八角形の木造灯台として建てられましたが、1885年に鉄製灯台として建て替えられました。しかし、和田岬浜が埋め立てられ、陸の灯台となってしまったために1963年に廃灯になり、その後須磨海浜公園に移設されました。現存する鉄骨製の灯台としては日本最古の灯台だそうです。<br />この灯台の設計者は、「日本の灯台の父」と称されるスコットランド出身の鉄道技師リチャード・ヘンリー・ブラントンです。<br />須磨離宮公園から約1km南にあります。

    月見台休憩所
    ほぼ正面の景色。
    右端、茶色のライオンズマンションの先の松林の中に六角形の「赤灯台」が見えます。
    和田岬灯台は1871年に八角形の木造灯台として建てられましたが、1885年に鉄製灯台として建て替えられました。しかし、和田岬浜が埋め立てられ、陸の灯台となってしまったために1963年に廃灯になり、その後須磨海浜公園に移設されました。現存する鉄骨製の灯台としては日本最古の灯台だそうです。
    この灯台の設計者は、「日本の灯台の父」と称されるスコットランド出身の鉄道技師リチャード・ヘンリー・ブラントンです。
    須磨離宮公園から約1km南にあります。

  • 月見台休憩所<br />正面をズームアップしてみます。<br />残念なことに遠くは霞んでいるようです。

    月見台休憩所
    正面をズームアップしてみます。
    残念なことに遠くは霞んでいるようです。

  • シロカピタンフジ<br />マメ科フジ属。白花美短藤(白加比丹)はヤマフジ系で、純白な花が美しい白色です。開花時期は比較的早目です。花房は15〜20cmで、花は大きく花房全体が一度に開花するのが特徴です。<br />日本では古くから、フジを女性に、マツを男性に例え、これらを住居の近くに植える習慣があったそうです。外国の方々にも和の風情を強く感じさせるというフジの花。たおやかに垂れる花姿は、振袖姿の清楚な女性を思わせます。<br />花言葉は、「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」。

    シロカピタンフジ
    マメ科フジ属。白花美短藤(白加比丹)はヤマフジ系で、純白な花が美しい白色です。開花時期は比較的早目です。花房は15〜20cmで、花は大きく花房全体が一度に開花するのが特徴です。
    日本では古くから、フジを女性に、マツを男性に例え、これらを住居の近くに植える習慣があったそうです。外国の方々にも和の風情を強く感じさせるというフジの花。たおやかに垂れる花姿は、振袖姿の清楚な女性を思わせます。
    花言葉は、「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」。

  • 松の中のオブジェ<br />枯れた松なのかと思いきや、実はオブジェでした。<br />景観と同化しているので気にも留めずに素通りしてしまいそうですが、オブジェと分かった時のアハ体験は極上です。<br />須磨区の木が「松」だからということでもないような…。

    松の中のオブジェ
    枯れた松なのかと思いきや、実はオブジェでした。
    景観と同化しているので気にも留めずに素通りしてしまいそうですが、オブジェと分かった時のアハ体験は極上です。
    須磨区の木が「松」だからということでもないような…。

  • 隧道<br />噴水公園の東側にはこうした煉瓦と花崗岩の切石でできた幅2.5m、長さ20mの隧道があり、ここを通り抜けて植物園エリアとの行き来ができます。<br />説明書きには、「須磨離宮建設当時から残るトンネル。一説には有事の避難路として建造されたと言われています。これに似た形のトンネルが天井川を1km程上流に上った場所にあります。離宮の水源地として作られた、通称「天皇の池」という堰き止め池の脇に現存しています。増水時に貯水池内に土砂が流入するのを防ぐ為に造られました」と記されています。

    隧道
    噴水公園の東側にはこうした煉瓦と花崗岩の切石でできた幅2.5m、長さ20mの隧道があり、ここを通り抜けて植物園エリアとの行き来ができます。
    説明書きには、「須磨離宮建設当時から残るトンネル。一説には有事の避難路として建造されたと言われています。これに似た形のトンネルが天井川を1km程上流に上った場所にあります。離宮の水源地として作られた、通称「天皇の池」という堰き止め池の脇に現存しています。増水時に貯水池内に土砂が流入するのを防ぐ為に造られました」と記されています。

  • 「ロシナンテは転倒した」<br />隧道の左の斜面にはブロンズ製の奇妙奇天烈な像があります。<br />第13回現代日本彫刻展(1989年)で須磨離宮賞を受賞した池田宗弘 氏の作品です。<br />ずっこけた痩せ馬のロシナンテに跨るのはドン・キホーテ。

    「ロシナンテは転倒した」
    隧道の左の斜面にはブロンズ製の奇妙奇天烈な像があります。
    第13回現代日本彫刻展(1989年)で須磨離宮賞を受賞した池田宗弘 氏の作品です。
    ずっこけた痩せ馬のロシナンテに跨るのはドン・キホーテ。

  • 隧道<br />隧道の内部です。<br />ヒンヤリした爽やかな風が吹き抜けていきます。

    隧道
    隧道の内部です。
    ヒンヤリした爽やかな風が吹き抜けていきます。

  • ジャンボ滑り台<br />隧道を抜けるとその先には急な階段が待っています。その両脇には子供用のジャンボ滑り台が備えられ、格好の遊び場になっています。フィールドアスレチックもあるのですが…。

    ジャンボ滑り台
    隧道を抜けるとその先には急な階段が待っています。その両脇には子供用のジャンボ滑り台が備えられ、格好の遊び場になっています。フィールドアスレチックもあるのですが…。

  • 椿<br />連絡橋を渡ると植物園エリアです。<br />縞状ツートンカラーの椿がまだ咲いています。

    椿
    連絡橋を渡ると植物園エリアです。
    縞状ツートンカラーの椿がまだ咲いています。

  • みどり滝<br />モミジの若葉が目に眩しいくらいです。<br />石組みを流れ落ちる滝は涼感を誘い、水の音が心地良さを演出してくれます。

    みどり滝
    モミジの若葉が目に眩しいくらいです。
    石組みを流れ落ちる滝は涼感を誘い、水の音が心地良さを演出してくれます。

  • オオデマリ(大手毬)<br />スイカズラ科の植物。別名テマリバナ。原産地は、日本、東アジア。花期は5月頃で、ガクアジサイのように小花が集まった、まるで手毬のような形に花を咲かせます。名の由来はズバリ花の形からです。英名「ジャパニーズ・スノーボール」も花姿が由来です。花の色は、咲き始めは淡い黄色がかった緑色ですが、少しづつ白さを増し、清々しい純白に変わっていきます。<br />花言葉は、「私は誓います」「華やかな恋」「約束を守って」「約束します」「天国」。<br /><br />

    オオデマリ(大手毬)
    スイカズラ科の植物。別名テマリバナ。原産地は、日本、東アジア。花期は5月頃で、ガクアジサイのように小花が集まった、まるで手毬のような形に花を咲かせます。名の由来はズバリ花の形からです。英名「ジャパニーズ・スノーボール」も花姿が由来です。花の色は、咲き始めは淡い黄色がかった緑色ですが、少しづつ白さを増し、清々しい純白に変わっていきます。
    花言葉は、「私は誓います」「華やかな恋」「約束を守って」「約束します」「天国」。

  • キリシマツツジ<br />一際目に鮮やかなキリシマツツジです。<br />九州に自生するヤマツツジ(山躑躅)とミヤマキリシマ(深山霧島)との交配種だと言われています。江戸時代の寛永年間(1624〜1644)に、薩摩で作出されたそうです。<br />花言葉は、「燃え上がる愛」。まさに見た目通りで情熱的です。<br />春に咲く花も見事ですが、秋に紅葉する葉も見どころです。

    キリシマツツジ
    一際目に鮮やかなキリシマツツジです。
    九州に自生するヤマツツジ(山躑躅)とミヤマキリシマ(深山霧島)との交配種だと言われています。江戸時代の寛永年間(1624〜1644)に、薩摩で作出されたそうです。
    花言葉は、「燃え上がる愛」。まさに見た目通りで情熱的です。
    春に咲く花も見事ですが、秋に紅葉する葉も見どころです。

  • ボタン園 聖代<br />陽が良く当たる場所の花は盛りを過ぎていましたので、日陰の花を狙うことにします。<br />聖代は一見カーネーション風ですが、大きさが違いますね!<br />淡い赤紫色でグラデーションが入っています。<br />「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」。<br />昔から美しい女性を表現する際によく用いられる言葉ですが、うまい例えですね! <br />

    ボタン園 聖代
    陽が良く当たる場所の花は盛りを過ぎていましたので、日陰の花を狙うことにします。
    聖代は一見カーネーション風ですが、大きさが違いますね!
    淡い赤紫色でグラデーションが入っています。
    「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」。
    昔から美しい女性を表現する際によく用いられる言葉ですが、うまい例えですね!

  • ボタン園 聖代<br />芍薬も牡丹も同じボタン科なので花自体は似ていますが、芍薬は「草」で牡丹は「木」分類されています。その違いから、牡丹は枝分かれした横向きの枝に花を付けるため、まるで座っているかのように見えます。そのために、牡丹は坐って鑑賞する方がより美しく見えるのだそうです。

    ボタン園 聖代
    芍薬も牡丹も同じボタン科なので花自体は似ていますが、芍薬は「草」で牡丹は「木」分類されています。その違いから、牡丹は枝分かれした横向きの枝に花を付けるため、まるで座っているかのように見えます。そのために、牡丹は坐って鑑賞する方がより美しく見えるのだそうです。

  • ボタン園 連鶴<br />木漏れ日を浴びた初々しい艶姿。木陰で羽を休める鶴を彷彿とさせます。<br />国鳥でもある鶴の名を冠した珍しい牡丹で、名に恥じず純白で凛とした気品に溢れています。重なり合う花弁の様子はいかにも古来から絵に描かれてきた豪華さそのものです。

    ボタン園 連鶴
    木漏れ日を浴びた初々しい艶姿。木陰で羽を休める鶴を彷彿とさせます。
    国鳥でもある鶴の名を冠した珍しい牡丹で、名に恥じず純白で凛とした気品に溢れています。重なり合う花弁の様子はいかにも古来から絵に描かれてきた豪華さそのものです。

  • ボタン園 島錦<br />少し控えめな中輪ですが、絞り系で赤白が入り混じっている可憐な花です。<br />咲はじめの花は、こうしてミツバチが寄ってくるのですぐに見分けられます。ミツバチも花を引き立てるアクセントになりますね!<br />

    ボタン園 島錦
    少し控えめな中輪ですが、絞り系で赤白が入り混じっている可憐な花です。
    咲はじめの花は、こうしてミツバチが寄ってくるのですぐに見分けられます。ミツバチも花を引き立てるアクセントになりますね!

  • ボタン園 雪燈籠<br />名前の通り、雪の中にポッと灯りが射したように中心に行くにつれて淡いピンクが濃くなる清楚な花です。

    ボタン園 雪燈籠
    名前の通り、雪の中にポッと灯りが射したように中心に行くにつれて淡いピンクが濃くなる清楚な花です。

  • ボタン園 鎌田藤<br />花の色が次第に変化する千重咲きです。咲き出しは藤紫色に近く、満開後は徐々に赤味を帯びていくそうです。

    ボタン園 鎌田藤
    花の色が次第に変化する千重咲きです。咲き出しは藤紫色に近く、満開後は徐々に赤味を帯びていくそうです。

  • ボタン園 初烏(黒牡丹)<br />魅惑の黒牡丹です。<br />実際には、濃エンジ色が限りなく黒色に近くなった牡丹で、真っ黒の牡丹は存在しないそうです。樹勢が弱いらしく、直射日光の当る場所には適さないそうです。

    ボタン園 初烏(黒牡丹)
    魅惑の黒牡丹です。
    実際には、濃エンジ色が限りなく黒色に近くなった牡丹で、真っ黒の牡丹は存在しないそうです。樹勢が弱いらしく、直射日光の当る場所には適さないそうです。

  • ボタン園 八重桜(ぼたん桜)<br />桜ではないのですが、八重桜という品種名をもつ牡丹です。<br />桜のような薄桃色で、千重咲きの大輪の花を咲かせます。満開後には全体が桜色に変わります。<br />シフォンのような花弁が幾重にも重なるさまは華麗の一言。<br />

    ボタン園 八重桜(ぼたん桜)
    桜ではないのですが、八重桜という品種名をもつ牡丹です。
    桜のような薄桃色で、千重咲きの大輪の花を咲かせます。満開後には全体が桜色に変わります。
    シフォンのような花弁が幾重にも重なるさまは華麗の一言。

  • ボタン園 日暮<br />咲き始めはわずかに紫を帯びた赤色をしており、花の終わりには紫が濃くなりる八重咲きの中輪です。

    ボタン園 日暮
    咲き始めはわずかに紫を帯びた赤色をしており、花の終わりには紫が濃くなりる八重咲きの中輪です。

  • ボタン園 白王獅子<br />純白色で千重咲きの大輪。連鶴と並ぶ白系牡丹の代表格です。<br />こうした格式の高い名は、江戸時代以来残された古銘だそうです。

    ボタン園 白王獅子
    純白色で千重咲きの大輪。連鶴と並ぶ白系牡丹の代表格です。
    こうした格式の高い名は、江戸時代以来残された古銘だそうです。

  • ボタン園 紫晃<br />濃紫色の華麗かつ豪華な花です。<br />生け花や茶花によく用いられるそうです。

    ボタン園 紫晃
    濃紫色の華麗かつ豪華な花です。
    生け花や茶花によく用いられるそうです。

  • ボタン園 花王<br />万重咲きの大輪花で、わずかに紫色を帯びた桃花で、咲き終わりには花弁の色が落ちるそうです。

    ボタン園 花王
    万重咲きの大輪花で、わずかに紫色を帯びた桃花で、咲き終わりには花弁の色が落ちるそうです。

  • ボタン園 島大臣<br />濃紫色の艶やかで気品溢れる大輪です。

    ボタン園 島大臣
    濃紫色の艶やかで気品溢れる大輪です。

  • ボタン園 吉野川<br />ごく淡いピンク色で、基部は少し濃くなっています。千重咲きの抱え咲きです。

    ボタン園 吉野川
    ごく淡いピンク色で、基部は少し濃くなっています。千重咲きの抱え咲きです。

  • タンポポの綿毛<br />花言葉は、「別離」「思わせぶり」「神のお告げ」「真実の愛」「愛の神託」。<br />タンポポと言えば、何と言っても花が咲いた後にできる白い綿毛が印象的です。<br />風に乗って飛んでいく小さな落下傘のような種は、見ているだけで心が和みます。「別離」という花言葉は、咲き終わった後、綿毛になって飛んでいく様を例えたもので、インディアンの言い伝えが由来だそうです。<br />ある日、南風のシャワンダゼーが、野原に佇む可憐で美しい少女に恋をしました。<br />その少女は美しい黄色の髪をなびかせていたのですが、やがて美しい黄色い髪は白髪に変わってしまいました。それを見て悲しんだ南風がため息をついたところ、白い髪は吹き飛ばされ、あちこちへ飛散し、少女の姿も消えてしまいました。そして、その少女こそがタンポポだったということです。<br />「別離」そして「思わせぶり」という花言葉は、この言い伝えから生まれたそうです。<br />雨が降ったり風が吹いたりすれば、瞬時に消えてなくなってしまう綿毛。こうした一期一会も何かの縁ということなのでしょう。<br /><br />

    タンポポの綿毛
    花言葉は、「別離」「思わせぶり」「神のお告げ」「真実の愛」「愛の神託」。
    タンポポと言えば、何と言っても花が咲いた後にできる白い綿毛が印象的です。
    風に乗って飛んでいく小さな落下傘のような種は、見ているだけで心が和みます。「別離」という花言葉は、咲き終わった後、綿毛になって飛んでいく様を例えたもので、インディアンの言い伝えが由来だそうです。
    ある日、南風のシャワンダゼーが、野原に佇む可憐で美しい少女に恋をしました。
    その少女は美しい黄色の髪をなびかせていたのですが、やがて美しい黄色い髪は白髪に変わってしまいました。それを見て悲しんだ南風がため息をついたところ、白い髪は吹き飛ばされ、あちこちへ飛散し、少女の姿も消えてしまいました。そして、その少女こそがタンポポだったということです。
    「別離」そして「思わせぶり」という花言葉は、この言い伝えから生まれたそうです。
    雨が降ったり風が吹いたりすれば、瞬時に消えてなくなってしまう綿毛。こうした一期一会も何かの縁ということなのでしょう。

  • みどり滝の前にあるボタン園に分かれうを告げて鑑賞温室へ向かいます。<br />モミジの新緑と朱色のツツジの饗宴です。<br />コントラストの妙にため息が漏れます。

    みどり滝の前にあるボタン園に分かれうを告げて鑑賞温室へ向かいます。
    モミジの新緑と朱色のツツジの饗宴です。
    コントラストの妙にため息が漏れます。

  • 天から降り注ぐ淡い萌黄色のシャワーが目に痛いほどです。

    天から降り注ぐ淡い萌黄色のシャワーが目に痛いほどです。

  • 珪化木<br />「花の広場」に置かれている栗の木の珪化木です。<br />名谷ニュータウン開発時に発見されたもので、3500万年前の新生代第3紀の神戸層群の白川累層から発掘され、2004年頃に移設されたものだそうです。<br />3500万年前には神戸市西部から北部、さらに三田市にかけて古神戸湖と呼ばれる大きな湖があったそうです。この古神戸湖に積層したのが神戸層群です。この附近には古明石湖と呼ばれる350万年前にできた湖もあります。 <br /><br />次回は、エピローグとなる④須磨離宮公園<後編>をお届けいたします。<br />「春の山野草展」の様子を中心にレポいたします。「高嶺の花」のウスユキソウには心癒されました。

    珪化木
    「花の広場」に置かれている栗の木の珪化木です。
    名谷ニュータウン開発時に発見されたもので、3500万年前の新生代第3紀の神戸層群の白川累層から発掘され、2004年頃に移設されたものだそうです。
    3500万年前には神戸市西部から北部、さらに三田市にかけて古神戸湖と呼ばれる大きな湖があったそうです。この古神戸湖に積層したのが神戸層群です。この附近には古明石湖と呼ばれる350万年前にできた湖もあります。

    次回は、エピローグとなる④須磨離宮公園<後編>をお届けいたします。
    「春の山野草展」の様子を中心にレポいたします。「高嶺の花」のウスユキソウには心癒されました。

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