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須磨寺<後編>は、高台に佇む本堂、本坊などにスポットライトを当てていきます。<br />前編でも紹介したように、古刹ながら珍寺と称されるのにはそれなりの理由があります。小池管長は「寺は人が集まってなんぼ」と考えておられ、人が集まる「おもろい寺」にしたいという願いから、歴史を知らない人でも楽しめるような仕掛けを施されています。入山料を取らなかったり、宝物館を無料開放したり、家族連れの子供が飽きないようにと境内の至る所に創意工夫をしたり…。その血と汗と涙の結晶が現在のお寺の姿と言えるものです。<br />「所詮、話題づくり。邪道」と紋切される方もおられるそうですが、ここまで徹底すれば神の領域としか言いようがありません。時代と共に人々の価値観は変わっていきます。古い造形と新しいものが高い次元で融合すれば、より魅力あるお寺になるような気がします。

青嵐薫風 須磨紀行②須磨寺<後編>

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2014/04/26 - 2014/04/26

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

須磨寺<後編>は、高台に佇む本堂、本坊などにスポットライトを当てていきます。
前編でも紹介したように、古刹ながら珍寺と称されるのにはそれなりの理由があります。小池管長は「寺は人が集まってなんぼ」と考えておられ、人が集まる「おもろい寺」にしたいという願いから、歴史を知らない人でも楽しめるような仕掛けを施されています。入山料を取らなかったり、宝物館を無料開放したり、家族連れの子供が飽きないようにと境内の至る所に創意工夫をしたり…。その血と汗と涙の結晶が現在のお寺の姿と言えるものです。
「所詮、話題づくり。邪道」と紋切される方もおられるそうですが、ここまで徹底すれば神の領域としか言いようがありません。時代と共に人々の価値観は変わっていきます。古い造形と新しいものが高い次元で融合すれば、より魅力あるお寺になるような気がします。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
私鉄
  • 唐門<br />階段の途中から仰ぎ見る唐門です。比較的広い境内ですが、各施設がびっしりと建て込んでいるため、距離感を感じさせません。海から近い所にあるお寺ですが、こうして仰ぎ見ると山寺の雰囲気も漂ってきます。<br />明治初期には、本堂、大師堂、仁王門のみを残すほどに荒れ果てていたそうですので、この唐門は明治初期以降の再建となります。<br />巧妙な彫刻が施された唐門ですが、大坂浪花木彫史には大坂商人建立と記されています。

    唐門
    階段の途中から仰ぎ見る唐門です。比較的広い境内ですが、各施設がびっしりと建て込んでいるため、距離感を感じさせません。海から近い所にあるお寺ですが、こうして仰ぎ見ると山寺の雰囲気も漂ってきます。
    明治初期には、本堂、大師堂、仁王門のみを残すほどに荒れ果てていたそうですので、この唐門は明治初期以降の再建となります。
    巧妙な彫刻が施された唐門ですが、大坂浪花木彫史には大坂商人建立と記されています。

  • 唐門<br />木鼻の獏と獅子です。<br />こちらの獅子は口を開いた阿形をしています。<br /><br />ここで開山のエピソードを紹介しておきます。<br />須磨寺開山から遡ること約60年、和田岬の海中に光る物体があったそうです。引き上げると聖観世音菩薩像であったため、北峯寺を建立してその観音像を祀りました。その後、観音像が光孝天皇の夢枕に立ち、「この場所は魚肉の穢れがあるから、もっと西の上野という山に移してくれ」と言われたそうです。そのため、本尊を現在の須磨寺に移し、上野山 福祥寺が建立されたというわけです。<br />

    唐門
    木鼻の獏と獅子です。
    こちらの獅子は口を開いた阿形をしています。

    ここで開山のエピソードを紹介しておきます。
    須磨寺開山から遡ること約60年、和田岬の海中に光る物体があったそうです。引き上げると聖観世音菩薩像であったため、北峯寺を建立してその観音像を祀りました。その後、観音像が光孝天皇の夢枕に立ち、「この場所は魚肉の穢れがあるから、もっと西の上野という山に移してくれ」と言われたそうです。そのため、本尊を現在の須磨寺に移し、上野山 福祥寺が建立されたというわけです。

  • 唐門<br />こちらの獅子は、口を結んだ吽形の構えです。<br /><br />お寺の紹介には「在原行平が参籠して勅勘を許されたと伝えられている」とあります。しかし、「古今和歌集」の詞書によれば、在原行平が須磨に籠ったのは文徳天皇の御世(850年〜858年)と記されています。そうなると須磨寺の創建が886年ですので時間軸が合いません。<br />この時代の記録には年代の曖昧なものが多いそうですので、余計な詮索はしないことにしておきましょう。

    唐門
    こちらの獅子は、口を結んだ吽形の構えです。

    お寺の紹介には「在原行平が参籠して勅勘を許されたと伝えられている」とあります。しかし、「古今和歌集」の詞書によれば、在原行平が須磨に籠ったのは文徳天皇の御世(850年〜858年)と記されています。そうなると須磨寺の創建が886年ですので時間軸が合いません。
    この時代の記録には年代の曖昧なものが多いそうですので、余計な詮索はしないことにしておきましょう。

  • 本堂 <br />開創当事の本堂には『松風村雨物語』で有名な在原行平が参籠し、勅勘を許されたと伝えられますが、現在の本堂の基となっているのは1602年に豊臣秀頼が再建したものです。1972年に文化庁指導で全面解体修理が行われ、600年前の姿が蘇えっています。

    本堂
    開創当事の本堂には『松風村雨物語』で有名な在原行平が参籠し、勅勘を許されたと伝えられますが、現在の本堂の基となっているのは1602年に豊臣秀頼が再建したものです。1972年に文化庁指導で全面解体修理が行われ、600年前の姿が蘇えっています。

  • 本堂<br />蟇股には、多彩な彫刻が施されており、目を楽しませてくれます。<br />これは、山鳥でしょうか?<br /><br />観音様のご開帳は33年に一度ですが、観音様は我々庶民の救済に忙しくされ、毎年色々な姿に化けておられるそうです。ですから、本来の姿に戻るのは33年に1度なわけです。その他の年は別の神様に身を変えておられるため、もし開帳したなら「別神が祀られていた!」なんて大騒ぎになってしまうのだそうです。<br />

    本堂
    蟇股には、多彩な彫刻が施されており、目を楽しませてくれます。
    これは、山鳥でしょうか?

    観音様のご開帳は33年に一度ですが、観音様は我々庶民の救済に忙しくされ、毎年色々な姿に化けておられるそうです。ですから、本来の姿に戻るのは33年に1度なわけです。その他の年は別の神様に身を変えておられるため、もし開帳したなら「別神が祀られていた!」なんて大騒ぎになってしまうのだそうです。

  • 本堂<br />右側面にあった蟇股には、飛龍と思しき彫刻が施されています。<br />飛龍とは翼を持つ龍で、水を司る霊獣とされています。まるで巨鳥のようであり、尻尾は魚のように尾鰭になっています。<br />日光東照宮 御水舎の極彩色の飛龍はこちらを参照してください。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=26169627<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=26169628

    本堂
    右側面にあった蟇股には、飛龍と思しき彫刻が施されています。
    飛龍とは翼を持つ龍で、水を司る霊獣とされています。まるで巨鳥のようであり、尻尾は魚のように尾鰭になっています。
    日光東照宮 御水舎の極彩色の飛龍はこちらを参照してください。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=26169627
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=26169628

  • 本堂 宮殿<br />内陣の宮殿(仏壇)は、国の重要文化財に指定されています。<br />仏像安置用の小建築模型で、こうした宮殿を象った形式のものを宮殿(くうでん)と呼びます。寺記「当山歴代」によれば、室町時代の1368年に式部法橋長賢が製作したと記されています。<br />仏壇は下層が唐様、上層が和様の二段形式で、折衷様式の中でも異色のものです。壇上に一種の基壇があり、それに宮殿が載っています。宮殿は三間で、組物は唐様三手先です。<br />右から三つ目に祀られている南北朝期の作と伝わる十一面観音立像(国指定重要文化財)は、毎月20、21日にご開帳されるようです。<br /><br />

    本堂 宮殿
    内陣の宮殿(仏壇)は、国の重要文化財に指定されています。
    仏像安置用の小建築模型で、こうした宮殿を象った形式のものを宮殿(くうでん)と呼びます。寺記「当山歴代」によれば、室町時代の1368年に式部法橋長賢が製作したと記されています。
    仏壇は下層が唐様、上層が和様の二段形式で、折衷様式の中でも異色のものです。壇上に一種の基壇があり、それに宮殿が載っています。宮殿は三間で、組物は唐様三手先です。
    右から三つ目に祀られている南北朝期の作と伝わる十一面観音立像(国指定重要文化財)は、毎月20、21日にご開帳されるようです。

  • 本殿 宮殿<br />ご本尊は平安時代初期に漁師が和田岬の沖で引き上げた聖観世音菩薩。脇を固めるのは、不動明王と毘沙門天で不屈の魂が込められた勇ましい脇仏だそうです。<br /><br />

    本殿 宮殿
    ご本尊は平安時代初期に漁師が和田岬の沖で引き上げた聖観世音菩薩。脇を固めるのは、不動明王と毘沙門天で不屈の魂が込められた勇ましい脇仏だそうです。

  • 護摩堂 <br />本堂に向かって右手にある護摩堂。古い堂宇の前に増築され、2012年に落慶したばかりです。<br />「護摩」とはサンスクリット語の「ホーマ(壇などの意)」が由来といい、特殊に加持された「護摩木」を炎に投じ、人々の様々な願いを祈願したり、仏の智慧の火で自身の煩悩を焼き払う儀式です。密教に伝わる修法ですが、この堂宇に祀られているのは、正面に仏界の慈悲深いスパルタ教師の不動明王、左脇に陽炎を神格化した摩利支天、向かって右側には神変大菩薩。他では見られない珍しい布陣です。摩利支天は、この近くの湊川で戦死した楠木正成の兜にも付けられていました。神変大菩薩は、行者のスーパースターとして有名で、修験道の開祖です。<br />

    護摩堂
    本堂に向かって右手にある護摩堂。古い堂宇の前に増築され、2012年に落慶したばかりです。
    「護摩」とはサンスクリット語の「ホーマ(壇などの意)」が由来といい、特殊に加持された「護摩木」を炎に投じ、人々の様々な願いを祈願したり、仏の智慧の火で自身の煩悩を焼き払う儀式です。密教に伝わる修法ですが、この堂宇に祀られているのは、正面に仏界の慈悲深いスパルタ教師の不動明王、左脇に陽炎を神格化した摩利支天、向かって右側には神変大菩薩。他では見られない珍しい布陣です。摩利支天は、この近くの湊川で戦死した楠木正成の兜にも付けられていました。神変大菩薩は、行者のスーパースターとして有名で、修験道の開祖です。

  • 十三重塔<br />護摩堂の右手には県指定重要文化財の十三重塔があります。<br />礎石(軸石)の北面中央に1327年(嘉暦2年)の刻銘があり、鎌倉時代末期の石造多層塔遺構として大変貴重なものです。<br />一般に十三重塔は供養塔として死者の冥福を祈るためのものですが、この塔は誰の冥福を祈ったものか判らないそうです。それもそのはず、元々は奈良県山辺郡の来迎寺の塔でしたが、須磨一の谷の藤田邸に移され、更に1961年に川崎重工業社長 手塚氏が譲り受け、福祥寺に寄進して今の地に移されたものだそうです。<br />

    十三重塔
    護摩堂の右手には県指定重要文化財の十三重塔があります。
    礎石(軸石)の北面中央に1327年(嘉暦2年)の刻銘があり、鎌倉時代末期の石造多層塔遺構として大変貴重なものです。
    一般に十三重塔は供養塔として死者の冥福を祈るためのものですが、この塔は誰の冥福を祈ったものか判らないそうです。それもそのはず、元々は奈良県山辺郡の来迎寺の塔でしたが、須磨一の谷の藤田邸に移され、更に1961年に川崎重工業社長 手塚氏が譲り受け、福祥寺に寄進して今の地に移されたものだそうです。

  • 十三重塔<br />上部は上から宝珠・水煙・九輪・請花となっており、相輪の先の四方に小さな突起が見られる部分(水煙)は石造十三重塔には大変珍しいものだそうです。<br />花崗岩製で、高さ5.25mある威風堂々たる石塔です。<br />

    十三重塔
    上部は上から宝珠・水煙・九輪・請花となっており、相輪の先の四方に小さな突起が見られる部分(水煙)は石造十三重塔には大変珍しいものだそうです。
    花崗岩製で、高さ5.25mある威風堂々たる石塔です。

  • 十三重塔<br />塔身の月輪内には「金剛界四仏」を意味する梵字が彫られており、鎌倉時代の特徴の薬研彫りだそうです。<br />梵字の左はウーン:阿シュク如来。右がアク:宝生如来。

    十三重塔
    塔身の月輪内には「金剛界四仏」を意味する梵字が彫られており、鎌倉時代の特徴の薬研彫りだそうです。
    梵字の左はウーン:阿シュク如来。右がアク:宝生如来。

  • 十三重塔<br />軒反が力強く、軒口に垂直が切られているのも鎌倉時代の特徴です。

    十三重塔
    軒反が力強く、軒口に垂直が切られているのも鎌倉時代の特徴です。

  • 小滝<br />十三重塔の奥には落差2m程の小滝があり、心が落ち着く軽やかな響きを奏でています。

    小滝
    十三重塔の奥には落差2m程の小滝があり、心が落ち着く軽やかな響きを奏でています。

  • 奥の院参道の道標<br />東端の奥の院参道入り口を一風変わった強面の狛犬が守っています。<br />背筋をピンと伸ばした凛々しいお姿です。 <br />先代管長が東南アジアに行かれた際、購入されたものだそうです。<br />どうりでアジアンテイストというかエスニックなお顔立ちをなされています。

    奥の院参道の道標
    東端の奥の院参道入り口を一風変わった強面の狛犬が守っています。
    背筋をピンと伸ばした凛々しいお姿です。
    先代管長が東南アジアに行かれた際、購入されたものだそうです。
    どうりでアジアンテイストというかエスニックなお顔立ちをなされています。

  • 奥の院参道の道標<br />入口にこんな狛犬が置かれていると、入るのを躊躇してしまいませんか?

    奥の院参道の道標
    入口にこんな狛犬が置かれていると、入るのを躊躇してしまいませんか?

  • 奥の院参道の道標<br />バリ島やタイ、インド辺りのブロンズ像でしょうか?<br />インドやタイのものは狛犬ではなく獅子ですが、インドでは獅子のことを「シン」、タイでは「シンハー」と呼ぶそうです。魔除けの意味があり、参道に置かれて寺院を守っているそうです。

    奥の院参道の道標
    バリ島やタイ、インド辺りのブロンズ像でしょうか?
    インドやタイのものは狛犬ではなく獅子ですが、インドでは獅子のことを「シン」、タイでは「シンハー」と呼ぶそうです。魔除けの意味があり、参道に置かれて寺院を守っているそうです。

  • 奥の院参道の道標<br />相方はどこかと探したところ、西側の経木供養所の先に置かれていました。<br />これだけ距離が離れていても結界を守れるくらいのパワーがあるということでしょう。

    奥の院参道の道標
    相方はどこかと探したところ、西側の経木供養所の先に置かれていました。
    これだけ距離が離れていても結界を守れるくらいのパワーがあるということでしょう。

  • 弁慶の鐘<br />一の谷合戦の際、武蔵坊弁慶が山田庄 安養寺からこの鐘を長刀の先に掛け、前に提灯を吊るして鵯越えを担ぎ廻って陣燈に代用したとの伝説があります。「世俗に釣合はざるを堤燈に釣鐘といふは是より始まると言ふ」、提灯と釣り鐘の起源だそうです。戦時中日本軍は金属の供出を迫りましたが、この伝説のおかげで供出を免れたそうです。<br />現在掛かっているものは、合戦後800年に合わせて複製されたものです。<br />

    弁慶の鐘
    一の谷合戦の際、武蔵坊弁慶が山田庄 安養寺からこの鐘を長刀の先に掛け、前に提灯を吊るして鵯越えを担ぎ廻って陣燈に代用したとの伝説があります。「世俗に釣合はざるを堤燈に釣鐘といふは是より始まると言ふ」、提灯と釣り鐘の起源だそうです。戦時中日本軍は金属の供出を迫りましたが、この伝説のおかげで供出を免れたそうです。
    現在掛かっているものは、合戦後800年に合わせて複製されたものです。

  • 福禄寿尊<br />頭が異様に長く、長い白髭をたくわえた姿が印象的な福の神。<br />「福(子孫繁栄)、禄(財産)、寿(健康長寿)」を備える仏様です。南極老人星(竜骨座カノープス星)の化身とされる北宋の仙人です。年齢は千歳とか、千万歳とか言われています。長寿と幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れ、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖を持ち、招徳人望の神様として信仰されています。<br />この福禄寿尊の頭を笑いながら撫でるとボケ封じになると言われています。どうりで脳天がピカピカ照かっています。 <br />

    福禄寿尊
    頭が異様に長く、長い白髭をたくわえた姿が印象的な福の神。
    「福(子孫繁栄)、禄(財産)、寿(健康長寿)」を備える仏様です。南極老人星(竜骨座カノープス星)の化身とされる北宋の仙人です。年齢は千歳とか、千万歳とか言われています。長寿と幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れ、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖を持ち、招徳人望の神様として信仰されています。
    この福禄寿尊の頭を笑いながら撫でるとボケ封じになると言われています。どうりで脳天がピカピカ照かっています。

  • 文殊菩薩写経輪堂<br />一度回せばありがたいお経を唱えたことになる摩尼車。智慧の仏として有名な文殊菩薩が祀られている写経輪堂です。<br />チベットの僧侶が、手のひらサイズの摩尼車を回すのをTVで見たことがありますが、これほど巨大な摩尼車は日本では珍しいのではないでしょうか?<br />足にはキャスターが取り付けられており、御覧のように華奢な(?)当方ひとりでも簡単に回転させることができます。<br />

    文殊菩薩写経輪堂
    一度回せばありがたいお経を唱えたことになる摩尼車。智慧の仏として有名な文殊菩薩が祀られている写経輪堂です。
    チベットの僧侶が、手のひらサイズの摩尼車を回すのをTVで見たことがありますが、これほど巨大な摩尼車は日本では珍しいのではないでしょうか?
    足にはキャスターが取り付けられており、御覧のように華奢な(?)当方ひとりでも簡単に回転させることができます。

  • 孫悟空のおみくじ掛け<br />社務所の前には、一風変わった「おみくじ掛け」が置かれています。<br />きん斗雲に乗った孫悟空の下に干支が描かれています。自身の干支の所におみくじを括り付ける趣向のようです。 <br /><br />何が潜んでいるのか予測がつかない、謎に満ちたお寺です。<br />

    孫悟空のおみくじ掛け
    社務所の前には、一風変わった「おみくじ掛け」が置かれています。
    きん斗雲に乗った孫悟空の下に干支が描かれています。自身の干支の所におみくじを括り付ける趣向のようです。

    何が潜んでいるのか予測がつかない、謎に満ちたお寺です。

  • 鬼瓦<br />社務所の前の庭には、鬼瓦が無造作に置かれています。修理の際に取り換えたられた鬼瓦なのでしょう。誰でも立ち入れる庭ですので、誤って割られるようなことがないか気がかりです。

    鬼瓦
    社務所の前の庭には、鬼瓦が無造作に置かれています。修理の際に取り換えたられた鬼瓦なのでしょう。誰でも立ち入れる庭ですので、誤って割られるようなことがないか気がかりです。

  • 鬼瓦<br />異なる意匠の鬼瓦です。

    鬼瓦
    異なる意匠の鬼瓦です。

  • 大師堂<br />創建後、120年程だそうです。2007年に修復され、美しい姿を蘇らせています。須磨寺は真言宗十八本山のひとつですので、弘法大師を含めた真言八祖を祀っています。真言八祖には、2つの意味があるようです。<br />①真言宗の教えが伝えた神様のことを言うようで、密教の真言宗は大日如来を祀っているのですが、曼荼羅の理・宇宙そのものである、大日如来から始まり、それを最終的に民衆に伝えた弘法大師までの8人。<br />②宇宙的存在の神様は除外し、大日如来の弟子から直接密教経典を授かった龍猛菩薩から始まり、日本へ伝えた弘法大師までの8人。 <br />須磨寺の解釈は、後者を採用しています。<br />因みに、「須磨のお大師さん」と親しまれているそうです。本堂境内の脇の参道より、裏の山の奥の院にも宗祖 弘法大師がお祀りされているそうです。

    大師堂
    創建後、120年程だそうです。2007年に修復され、美しい姿を蘇らせています。須磨寺は真言宗十八本山のひとつですので、弘法大師を含めた真言八祖を祀っています。真言八祖には、2つの意味があるようです。
    ①真言宗の教えが伝えた神様のことを言うようで、密教の真言宗は大日如来を祀っているのですが、曼荼羅の理・宇宙そのものである、大日如来から始まり、それを最終的に民衆に伝えた弘法大師までの8人。
    ②宇宙的存在の神様は除外し、大日如来の弟子から直接密教経典を授かった龍猛菩薩から始まり、日本へ伝えた弘法大師までの8人。
    須磨寺の解釈は、後者を採用しています。
    因みに、「須磨のお大師さん」と親しまれているそうです。本堂境内の脇の参道より、裏の山の奥の院にも宗祖 弘法大師がお祀りされているそうです。

  • 大師堂<br />線香台を持ち上げている子供たちの像は、阿吽の形相をなし、表情がとても豊かです。<br />かわいがられている証拠に頭が照かっています。<br />その先に顔を覗かせているのは、弘法大師です。

    大師堂
    線香台を持ち上げている子供たちの像は、阿吽の形相をなし、表情がとても豊かです。
    かわいがられている証拠に頭が照かっています。
    その先に顔を覗かせているのは、弘法大師です。

  • 大師堂<br />欄間には荒々しい表情の龍が彫られています。<br />髭を象った針金のようのものも見受けられます。<br />須磨寺には龍の彫り物が沢山ありますが、それぞれ彫刻師が異なるため、様々な表情やデザインが織り込まれた個性的な龍が見られるのが特徴です。 <br />

    大師堂
    欄間には荒々しい表情の龍が彫られています。
    髭を象った針金のようのものも見受けられます。
    須磨寺には龍の彫り物が沢山ありますが、それぞれ彫刻師が異なるため、様々な表情やデザインが織り込まれた個性的な龍が見られるのが特徴です。

  • 敦盛の首洗い池 <br />一の谷合戦の後、熊谷次郎直実が源義経に平清盛の甥 敦盛の首を見せるために首を洗ったとされる池です。 <br />池右側の大師堂石段脇に見える碑は、大正時代の一時期、堂守をしていた尾崎放哉の句碑です。井泉水筆で「こんな良い 月をひとり 見て寝る」と書かれています。<br />いくばくかの静謐の生活を得た放哉でしたが、ここも安住の地とはならず、寺の僧侶たちの紛争に巻き込まれ、またもや寺を追われる身となるのでした。 <br />左上の碑が、槇屋 西月の句碑で 「ふる雨も 清水になるや 花のおく」。<br /><br />

    敦盛の首洗い池
    一の谷合戦の後、熊谷次郎直実が源義経に平清盛の甥 敦盛の首を見せるために首を洗ったとされる池です。
    池右側の大師堂石段脇に見える碑は、大正時代の一時期、堂守をしていた尾崎放哉の句碑です。井泉水筆で「こんな良い 月をひとり 見て寝る」と書かれています。
    いくばくかの静謐の生活を得た放哉でしたが、ここも安住の地とはならず、寺の僧侶たちの紛争に巻き込まれ、またもや寺を追われる身となるのでした。
    左上の碑が、槇屋 西月の句碑で 「ふる雨も 清水になるや 花のおく」。

  • 義経腰掛の松 <br />敦盛の首洗い池の上には、義経が敦盛であるかどうか首と笛を実検した時に腰掛けた松「義経腰掛の松」があります。松にしては巨木ですが、かの義経が座ったことでプレミアムが付き、益々大きく貴重な松になったのでしょう。

    義経腰掛の松
    敦盛の首洗い池の上には、義経が敦盛であるかどうか首と笛を実検した時に腰掛けた松「義経腰掛の松」があります。松にしては巨木ですが、かの義経が座ったことでプレミアムが付き、益々大きく貴重な松になったのでしょう。

  • 義経腰掛の松<br />こうして見るとこの松の巨大さが実感できます。

    義経腰掛の松
    こうして見るとこの松の巨大さが実感できます。

  • 藤の鉢<br />池の右側には藤の鉢があり、歴史感溢れる遺跡の連続に緊張した心身をやさしくほぐしてくれる癒しのスポットです。<br />境内に散在する摩訶不思議な世界もこんな効果を狙った、気配りなのかもしれません。

    藤の鉢
    池の右側には藤の鉢があり、歴史感溢れる遺跡の連続に緊張した心身をやさしくほぐしてくれる癒しのスポットです。
    境内に散在する摩訶不思議な世界もこんな効果を狙った、気配りなのかもしれません。

  • 藤の鉢<br />藤の花のズームアップです。

    藤の鉢
    藤の花のズームアップです。

  • 神功皇后釣竿竹<br />経木供養所の西側に竹が密生した場所があり、「神功皇后釣竿竹」と呼ばれています。仲哀天皇の皇后であった神功皇后が、三韓征伐の勝敗の占いをするため、佐賀県松浦川で鮎釣りをしたと『日本書紀』に記されています。三韓征伐の帰途にその折の釣竿をここに差していかれたところ、その後に竹が芽生えたと伝えられています。<br />

    神功皇后釣竿竹
    経木供養所の西側に竹が密生した場所があり、「神功皇后釣竿竹」と呼ばれています。仲哀天皇の皇后であった神功皇后が、三韓征伐の勝敗の占いをするため、佐賀県松浦川で鮎釣りをしたと『日本書紀』に記されています。三韓征伐の帰途にその折の釣竿をここに差していかれたところ、その後に竹が芽生えたと伝えられています。

  • 五猿<br />左から見ザル、言わザル、聞かザル、怒らザル、見てごザル。<br />5体共に頭を撫でると手が動くからくり仕掛けです。<br />見ているだけで癒される気がします。 <br />

    五猿
    左から見ザル、言わザル、聞かザル、怒らザル、見てごザル。
    5体共に頭を撫でると手が動くからくり仕掛けです。
    見ているだけで癒される気がします。

  • 土塀と瓦<br />三重塔に向かう参道の左側には雰囲気のある土塀が続いています。

    土塀と瓦
    三重塔に向かう参道の左側には雰囲気のある土塀が続いています。

  • 三重塔<br />なんと三重塔と出世稲荷は修理中でした。<br />修理を担うのは、かの金剛組です。

    三重塔
    なんと三重塔と出世稲荷は修理中でした。
    修理を担うのは、かの金剛組です。

  • 金浦敦童子(きんぽとんどうじ)<br />金(金太郎のように健康で)、浦(浦島太郎のように夢を持って)、敦(敦盛のように心優しく音楽を愛してほしい)、との願いを込めて子供を守ってくれるそうです。<br />そんな子供ばかりなら、世の中の親御さんは子育てに悩むことはないのですが…。 <br />

    金浦敦童子(きんぽとんどうじ)
    金(金太郎のように健康で)、浦(浦島太郎のように夢を持って)、敦(敦盛のように心優しく音楽を愛してほしい)、との願いを込めて子供を守ってくれるそうです。
    そんな子供ばかりなら、世の中の親御さんは子育てに悩むことはないのですが…。

  • シベリヤ満蒙戦没者慰霊碑<br />戦争の悲惨さを後世に伝えるため「軍人たると民間人たるとを問わず、太平洋戦争末期から戦後にかけて、満蒙北鮮シベリヤの地に、いわれなき戦火といわれなき虜囚抑留の果てに、非業にたおれしわれらの仲間を弔い奉る。遺骨収集はおろか自由なる墓参も許されず、更には墓標すらなき凍土に埋もれて異国の丘に眠る戦友諸兄諸姉のみたまよ、来たりてここに会し給え」とあります。<br /><br />碑の左には、通称「ミーシャンぐま」が愛嬌を振りまいています。クマ像の頭を撫でると、一絃琴の演奏で「異国の丘」のメロディーが鳴り出します。

    シベリヤ満蒙戦没者慰霊碑
    戦争の悲惨さを後世に伝えるため「軍人たると民間人たるとを問わず、太平洋戦争末期から戦後にかけて、満蒙北鮮シベリヤの地に、いわれなき戦火といわれなき虜囚抑留の果てに、非業にたおれしわれらの仲間を弔い奉る。遺骨収集はおろか自由なる墓参も許されず、更には墓標すらなき凍土に埋もれて異国の丘に眠る戦友諸兄諸姉のみたまよ、来たりてここに会し給え」とあります。

    碑の左には、通称「ミーシャンぐま」が愛嬌を振りまいています。クマ像の頭を撫でると、一絃琴の演奏で「異国の丘」のメロディーが鳴り出します。

  • 敦盛首塚<br />境内の西の奥まった所、青葉殿に直面した質素な祠の中に五輪塔が祀られています。1184年の一の谷合戦で熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の霊を慰めるために造られた首塚です。かつては、この塚に笛を納めて子供の健康を祈る習慣があったそうです。須磨浦公園にある敦盛塚には首の無い胴体だけが埋葬されています。<br />恐ろしい話ですが、往時は討ち取った武将の首を刎ねるのが当たり前だった時代です。特に鎌倉時代はご恩と奉公の時代ですから、手柄の大小で俸禄の加増が変わってくるわけです。<br />謡曲「敦盛」は、戦乱の巷では敵であった者同士が極楽浄土で共に成仏する運命になった事を主題にして作曲された修羅物です。一の谷合戦で16歳の敦盛を討った熊谷直実は、無情を感じ出家して名を蓮生坊と改めて菩提のために戦場を訪ねたところ、敦盛の霊が草刈男の姿で迎えたそうです。蓮生坊はひたすら回向を続け、まどろむと夢の中に華やかな姿で現れた敦盛は、一門の没落の運命の中にも忘れかねる歓楽の日々があったことや、戦の有様を物語り、蓮生坊の回向に感謝し、共に極楽往生のできることを喜びつつ消え去ったそうです。<br />謡曲「敦盛」は、織田信長が桶狭間の戦の出陣直前に謡い舞ったことで知られます。「人間50年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」。 <br />

    敦盛首塚
    境内の西の奥まった所、青葉殿に直面した質素な祠の中に五輪塔が祀られています。1184年の一の谷合戦で熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の霊を慰めるために造られた首塚です。かつては、この塚に笛を納めて子供の健康を祈る習慣があったそうです。須磨浦公園にある敦盛塚には首の無い胴体だけが埋葬されています。
    恐ろしい話ですが、往時は討ち取った武将の首を刎ねるのが当たり前だった時代です。特に鎌倉時代はご恩と奉公の時代ですから、手柄の大小で俸禄の加増が変わってくるわけです。
    謡曲「敦盛」は、戦乱の巷では敵であった者同士が極楽浄土で共に成仏する運命になった事を主題にして作曲された修羅物です。一の谷合戦で16歳の敦盛を討った熊谷直実は、無情を感じ出家して名を蓮生坊と改めて菩提のために戦場を訪ねたところ、敦盛の霊が草刈男の姿で迎えたそうです。蓮生坊はひたすら回向を続け、まどろむと夢の中に華やかな姿で現れた敦盛は、一門の没落の運命の中にも忘れかねる歓楽の日々があったことや、戦の有様を物語り、蓮生坊の回向に感謝し、共に極楽往生のできることを喜びつつ消え去ったそうです。
    謡曲「敦盛」は、織田信長が桶狭間の戦の出陣直前に謡い舞ったことで知られます。「人間50年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」。

  • 青葉の笛碑<br />平敦盛の遺愛の笛「青葉の笛」にまつわる音楽碑です。<br />コの字型の枠に立てられているのが「青葉の笛」のオブジェです。<br />石碑の右横には、この歌のメロディーを奏でるキーボードが設置されています。順番に押していくと曲が流れます。<br />「一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ 暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛」 <br />

    青葉の笛碑
    平敦盛の遺愛の笛「青葉の笛」にまつわる音楽碑です。
    コの字型の枠に立てられているのが「青葉の笛」のオブジェです。
    石碑の右横には、この歌のメロディーを奏でるキーボードが設置されています。順番に押していくと曲が流れます。
    「一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ 暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛」

  • 本坊 書院<br />本堂と共に須磨寺一山の中心で真言宗須磨寺派の宗務所ともなっており、書院は極楽浄土を治められている阿弥陀如来を本尊とする持仏堂でもあります。<br />

    本坊 書院
    本堂と共に須磨寺一山の中心で真言宗須磨寺派の宗務所ともなっており、書院は極楽浄土を治められている阿弥陀如来を本尊とする持仏堂でもあります。

  • 本坊 書院<br />須磨寺周辺は、戦前からの建物が多く、阪神・淡路大震災ではその6割が倒壊しました。倒壊を免れた須磨寺の本坊は、遺体安置所として読経の声に包まれていたそうです。

    本坊 書院
    須磨寺周辺は、戦前からの建物が多く、阪神・淡路大震災ではその6割が倒壊しました。倒壊を免れた須磨寺の本坊は、遺体安置所として読経の声に包まれていたそうです。

  • 本坊 書院<br />拝懸魚には波を象ったような彫刻がなされていました。<br />こちらの彫物は控えめながら味わい深いものがあります。<br />

    本坊 書院
    拝懸魚には波を象ったような彫刻がなされていました。
    こちらの彫物は控えめながら味わい深いものがあります。

  • 本坊 書院<br />珍しい蓮の花の形をした留蓋瓦(とめふたがわら)です。<br />留蓋瓦は屋根の隅巴という部分の端を覆う瓦で、遊び心に富んだ瓦です。本来の目的は雨漏り防止なのですが、魔除けや装飾として用いられています。最もシンプルなものは半球状の瓦です。<br />

    本坊 書院
    珍しい蓮の花の形をした留蓋瓦(とめふたがわら)です。
    留蓋瓦は屋根の隅巴という部分の端を覆う瓦で、遊び心に富んだ瓦です。本来の目的は雨漏り防止なのですが、魔除けや装飾として用いられています。最もシンプルなものは半球状の瓦です。

  • 本坊 庫裏(くり)<br />庫裏とは、仏教寺院における伽藍のひとつ。寺院の僧侶の居住する場所、また寺内の時食を調える、つまり台所も兼ねる場合もあります。現在では僧侶の居住する場所を指すそうです。<br />緑青が眩しい銅葺屋根に風格のある唐破風を構えています。庭には、流水庭、芭蕉句碑、真鍋豊平の歌碑などがあります。 <br />極めつけは、右手の木陰に臥せるライオンです。スフィンクスをなぞらえているのでしょうか?

    本坊 庫裏(くり)
    庫裏とは、仏教寺院における伽藍のひとつ。寺院の僧侶の居住する場所、また寺内の時食を調える、つまり台所も兼ねる場合もあります。現在では僧侶の居住する場所を指すそうです。
    緑青が眩しい銅葺屋根に風格のある唐破風を構えています。庭には、流水庭、芭蕉句碑、真鍋豊平の歌碑などがあります。
    極めつけは、右手の木陰に臥せるライオンです。スフィンクスをなぞらえているのでしょうか?

  • 本坊 庫裏<br />正面には多彩な彫刻が施されているようですので近くに寄ってみます。<br />昭和初期に建造されたもので、大坂浪花木彫史によれば、彫刻師は堤義法とその跡目 開生民とあります。

    本坊 庫裏
    正面には多彩な彫刻が施されているようですので近くに寄ってみます。
    昭和初期に建造されたもので、大坂浪花木彫史によれば、彫刻師は堤義法とその跡目 開生民とあります。

  • 本坊 庫裏<br />破風の拝の下には気品に満ちた「朱雀」の兎の毛通(唐破風懸魚)が施されています。破風のラインを羽に見たてた鳥系の意匠です。一番目立つ位置にある彫刻ですので、彫刻師の腕の見せ所ともなり、凄まじいほどの情熱が感じられます。<br />朱雀は南方を守護する神獣とされ、翼を広げた鳳凰状の鳥形で表されることが多いようです。

    本坊 庫裏
    破風の拝の下には気品に満ちた「朱雀」の兎の毛通(唐破風懸魚)が施されています。破風のラインを羽に見たてた鳥系の意匠です。一番目立つ位置にある彫刻ですので、彫刻師の腕の見せ所ともなり、凄まじいほどの情熱が感じられます。
    朱雀は南方を守護する神獣とされ、翼を広げた鳳凰状の鳥形で表されることが多いようです。

  • 本坊 庫裏<br />その奥の車板に潜むのは、獅噛。<br />歯を噛みしめる時、顔をしかめることから、極端に怒った相貌の鬼神の面の表情などを獅噛と言います。また、龍などと共に霊獣とされる獅子が噛んでいる飾りを獅噛と言い、霊気にあやかり、力強さを表す目的のものです。地車などでは「顔」と呼ばれるものです。<br /><br />

    本坊 庫裏
    その奥の車板に潜むのは、獅噛。
    歯を噛みしめる時、顔をしかめることから、極端に怒った相貌の鬼神の面の表情などを獅噛と言います。また、龍などと共に霊獣とされる獅子が噛んでいる飾りを獅噛と言い、霊気にあやかり、力強さを表す目的のものです。地車などでは「顔」と呼ばれるものです。

  • 本坊 庫裏<br />獅噛をズームアップしてみましょう。<br />目をくりくりさせて愛嬌のある獅子が柱に噛みついています。<br />しがみつくは、「獅噛つく」と書きます。「獅子が噛み付くほどにしっかり」という意味ですが、その獅子とは実は天部の神様たちの意匠として用いられたものだそうです。十二神将のお腹のあたりの腰紐などにしっかりと噛み付いた獣の顔が見られます。これは、ご婦人方が使う狐の毛皮の襟巻きのように、毛皮の本体の動物の顔を残したものです。天部の神様たちは、寒い地方におられたらしく、猛獣を射止めてその毛皮を衣服にしていたと考えられています。そのような考えが実際の像にもデザインされ、獅子の顔のように噛み付いて離れないようなことを「しがみつく」と言うようになったそうです。 <br /><br />どことなく、崇福寺にあった獣環を彷彿とさせます。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=32683021<br /><br /><br />

    本坊 庫裏
    獅噛をズームアップしてみましょう。
    目をくりくりさせて愛嬌のある獅子が柱に噛みついています。
    しがみつくは、「獅噛つく」と書きます。「獅子が噛み付くほどにしっかり」という意味ですが、その獅子とは実は天部の神様たちの意匠として用いられたものだそうです。十二神将のお腹のあたりの腰紐などにしっかりと噛み付いた獣の顔が見られます。これは、ご婦人方が使う狐の毛皮の襟巻きのように、毛皮の本体の動物の顔を残したものです。天部の神様たちは、寒い地方におられたらしく、猛獣を射止めてその毛皮を衣服にしていたと考えられています。そのような考えが実際の像にもデザインされ、獅子の顔のように噛み付いて離れないようなことを「しがみつく」と言うようになったそうです。

    どことなく、崇福寺にあった獣環を彷彿とさせます。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=32683021


  • 本坊 庫裏<br />斜めから見上げると、尻尾の彫刻も目を瞠る美しさで吃驚です。

    本坊 庫裏
    斜めから見上げると、尻尾の彫刻も目を瞠る美しさで吃驚です。

  • 本坊 庫裏<br />正面扉には双子龍。<br />龍の彫刻師は、二代目 松本義廣の一番弟子 堤義法だそうです。<br />

    本坊 庫裏
    正面扉には双子龍。
    龍の彫刻師は、二代目 松本義廣の一番弟子 堤義法だそうです。

  • 本坊 庫裏<br />初代松本義廣を祖とする松本一門は、明治初期より昭和33年迄の間に建立された播州地方の社寺及び新造屋台彫刻の大半を手掛けました。 更に一門は、地元飾磨を初め、近郷よりも多数の弟子を輩出し、この流れは現在も龍野の二代目小河義保師に受け継がれています。 初代松本義廣は15歳で上坂し、花岡龍造義信の下で18年間修行し、帰飾の際には、大阪の天王寺に小さな仏像を奉納したと伝えられています。<br />

    本坊 庫裏
    初代松本義廣を祖とする松本一門は、明治初期より昭和33年迄の間に建立された播州地方の社寺及び新造屋台彫刻の大半を手掛けました。 更に一門は、地元飾磨を初め、近郷よりも多数の弟子を輩出し、この流れは現在も龍野の二代目小河義保師に受け継がれています。 初代松本義廣は15歳で上坂し、花岡龍造義信の下で18年間修行し、帰飾の際には、大阪の天王寺に小さな仏像を奉納したと伝えられています。

  • 本坊 庫裏<br />二代目松本義廣師は、彫師 松本義廣としての確固たる地位を築き、屋台狭間は元より、特に寺社彫刻に数多くの名作を残しています。<br />次のような逸話があります。姫路市栗山に法円寺というお寺があり、その山門を建立する時、寺総代が彫刻の本場大阪に出向き彫刻を依頼したところ、「地元播州に松本義廣あり」と教えられ、すぐさま飛んで帰って二代目を訪ね、山門彫刻の依頼をしたそうです。 <br />

    本坊 庫裏
    二代目松本義廣師は、彫師 松本義廣としての確固たる地位を築き、屋台狭間は元より、特に寺社彫刻に数多くの名作を残しています。
    次のような逸話があります。姫路市栗山に法円寺というお寺があり、その山門を建立する時、寺総代が彫刻の本場大阪に出向き彫刻を依頼したところ、「地元播州に松本義廣あり」と教えられ、すぐさま飛んで帰って二代目を訪ね、山門彫刻の依頼をしたそうです。

  • 本坊 庫裏<br />実によく彫られ、彫刻師の情熱が伝わってくるようです。

    本坊 庫裏
    実によく彫られ、彫刻師の情熱が伝わってくるようです。

  • 本坊 庫裏<br />扉の左には降龍。

    本坊 庫裏
    扉の左には降龍。

  • 本坊 庫裏<br />扉の右には昇龍。

    本坊 庫裏
    扉の右には昇龍。

  • 本坊 庫裏<br />木鼻の素晴しさにも絶句です。獅子も秀逸ですが、牡丹と思しき木鼻は、籠彫りされています。<br />籠彫りとは、彫刻の技法のひとつで、籠のように中心部を空洞に彫り抜いて周囲に植物等の彫刻を立体的に施す高度な業です。

    本坊 庫裏
    木鼻の素晴しさにも絶句です。獅子も秀逸ですが、牡丹と思しき木鼻は、籠彫りされています。
    籠彫りとは、彫刻の技法のひとつで、籠のように中心部を空洞に彫り抜いて周囲に植物等の彫刻を立体的に施す高度な業です。

  • 本坊 庫裏<br />虹梁の間には松と鶴の透かし彫り。<br />今にも羽根を広げて飛んで行きそうです。

    本坊 庫裏
    虹梁の間には松と鶴の透かし彫り。
    今にも羽根を広げて飛んで行きそうです。

  • 本坊 庫裏<br />虹梁の間の松と鶴。

    本坊 庫裏
    虹梁の間の松と鶴。

  • 本坊 庫裏<br />右側の胴羽目には、孔雀が刻まれていました。<br />一枚板の透かし彫りながら、立体感が溢れています。<br />

    本坊 庫裏
    右側の胴羽目には、孔雀が刻まれていました。
    一枚板の透かし彫りながら、立体感が溢れています。

  • 本坊 庫裏<br />飛翔する二羽の鶴と松。

    本坊 庫裏
    飛翔する二羽の鶴と松。

  • 本坊 庫裏<br />左側にはツガイの鶏と菊が刻まれています。<br />

    本坊 庫裏
    左側にはツガイの鶏と菊が刻まれています。

  • 本坊 庫裏<br />二羽の鶴と松。

    本坊 庫裏
    二羽の鶴と松。

  • 本坊 庫裏<br />左側の木鼻です。

    本坊 庫裏
    左側の木鼻です。

  • 本坊 庫裏<br />軒先に目を向けると、文福茶釜の置物がひっそりと佇んでいます。<br />上にも下にも非常に密度の高い仕掛けです。

    本坊 庫裏
    軒先に目を向けると、文福茶釜の置物がひっそりと佇んでいます。
    上にも下にも非常に密度の高い仕掛けです。

  • 本坊 庫裏 芭蕉の句碑<br />「須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇」 <br />(須磨寺の木下闇にとどまっていると、吹いてもいないのに笛の音が聞こえるかのような錯覚に囚われる。) <br />吹かぬ笛というのは、有名な平敦盛の愛品である「青葉の笛」だと言われています。「敦盛」の名残を多く残すこの須磨寺で、芭蕉は敦盛が吹く笛の音を聞いたのかもしれません。

    本坊 庫裏 芭蕉の句碑
    「須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇」
    (須磨寺の木下闇にとどまっていると、吹いてもいないのに笛の音が聞こえるかのような錯覚に囚われる。)
    吹かぬ笛というのは、有名な平敦盛の愛品である「青葉の笛」だと言われています。「敦盛」の名残を多く残すこの須磨寺で、芭蕉は敦盛が吹く笛の音を聞いたのかもしれません。

  • 本坊 庫裏 ケマンソウ(華鬘草)<br />ケシ科コマクサ属の多年草。名の由来は、仏具の華鬘に見立てたものです。 原産地は中国、朝鮮半島。花期は4〜6月で、斜めに伸びた総状花序にコマクサに似たハート型の可憐な花を付けます。花茎一本に花が最大15輪ほど釣り下がって咲き、あたかもピンク色の鯛が釣竿にぶら下がっているように見えるため、そのユーモラスな形から「タイツリソウ」の別名があります。<br />西洋では、花をハートに見立ててイースターの飾りに使います。<br />花言葉は、「あなたに従う」「従順」「恋心」「冷めはじめた恋」「失恋」。<br />

    本坊 庫裏 ケマンソウ(華鬘草)
    ケシ科コマクサ属の多年草。名の由来は、仏具の華鬘に見立てたものです。 原産地は中国、朝鮮半島。花期は4〜6月で、斜めに伸びた総状花序にコマクサに似たハート型の可憐な花を付けます。花茎一本に花が最大15輪ほど釣り下がって咲き、あたかもピンク色の鯛が釣竿にぶら下がっているように見えるため、そのユーモラスな形から「タイツリソウ」の別名があります。
    西洋では、花をハートに見立ててイースターの飾りに使います。
    花言葉は、「あなたに従う」「従順」「恋心」「冷めはじめた恋」「失恋」。

  • 本坊 庫裏 シャガ<br />アヤメ科アヤメ属の多年草。原産地は中国で、かなり古くに日本に入ってきた帰化植物です。花期は4〜5月で、白っぽい紫のアヤメに似た花をつけます。花弁に濃い紫と黄色の模様があるのが特徴です。野山でよく見かける印象がありますが、東京都では準絶滅危惧種に指定されているそうです。<br />名の由来は、漢名の「射干(ヒオウギ)」を日本読みしたもの。シャガの葉がヒオウギに似ているところから間違って名付けられたとも言われています。<br />花言葉は、「反抗」「抵抗」「決心」「私を認めて」「友人が多い」。常緑、日陰を好む、実を作らず地下茎で増えるなど、アヤメ科としては特異な生態をもつ点が花言葉の由来とされています。<br />

    本坊 庫裏 シャガ
    アヤメ科アヤメ属の多年草。原産地は中国で、かなり古くに日本に入ってきた帰化植物です。花期は4〜5月で、白っぽい紫のアヤメに似た花をつけます。花弁に濃い紫と黄色の模様があるのが特徴です。野山でよく見かける印象がありますが、東京都では準絶滅危惧種に指定されているそうです。
    名の由来は、漢名の「射干(ヒオウギ)」を日本読みしたもの。シャガの葉がヒオウギに似ているところから間違って名付けられたとも言われています。
    花言葉は、「反抗」「抵抗」「決心」「私を認めて」「友人が多い」。常緑、日陰を好む、実を作らず地下茎で増えるなど、アヤメ科としては特異な生態をもつ点が花言葉の由来とされています。

  • 本坊 庫裏 シャクナゲ<br />ツツジ科ツツジ属 無鱗片シャクナゲ亜属、無鱗片シャクナゲ節の総称。原産地は、ヒマラヤ、中国、ヨーロッパ、日本。花期は4〜7月。元々は高山性の植物で、日本にも数種が自生しています。古くは神に捧げる木、忌み木とされ、庭木や植栽にする類の花木ではなかったそうです。その後、ヨーロッパで改良が進み、明治の末に「西洋シャクナゲ」が渡来し、一般的になったそうです。<br />花言葉は、「威厳」「警戒」「危険」「荘厳」。<br />

    本坊 庫裏 シャクナゲ
    ツツジ科ツツジ属 無鱗片シャクナゲ亜属、無鱗片シャクナゲ節の総称。原産地は、ヒマラヤ、中国、ヨーロッパ、日本。花期は4〜7月。元々は高山性の植物で、日本にも数種が自生しています。古くは神に捧げる木、忌み木とされ、庭木や植栽にする類の花木ではなかったそうです。その後、ヨーロッパで改良が進み、明治の末に「西洋シャクナゲ」が渡来し、一般的になったそうです。
    花言葉は、「威厳」「警戒」「危険」「荘厳」。

  • 本坊 庫裏 牡丹<br />玄関脇には鉢植えの大輪の牡丹が並べられ、目を楽しませてくれます。<br />ボタン科ボタン属の落葉小低木。原産地は中国西北部。花期は4〜5月。元々は薬用として中国から奈良時代に渡来したとされます。弘法大師が持ち帰ったという説もあります。<br />花言葉は、「王者の風格」「富貴」「恥じらい」「高貴」「壮麗」「高貴」。<br />

    本坊 庫裏 牡丹
    玄関脇には鉢植えの大輪の牡丹が並べられ、目を楽しませてくれます。
    ボタン科ボタン属の落葉小低木。原産地は中国西北部。花期は4〜5月。元々は薬用として中国から奈良時代に渡来したとされます。弘法大師が持ち帰ったという説もあります。
    花言葉は、「王者の風格」「富貴」「恥じらい」「高貴」「壮麗」「高貴」。

  • 本坊 庫裏 牡丹<br />ピンクの牡丹も可憐です。

    本坊 庫裏 牡丹
    ピンクの牡丹も可憐です。

  • 本坊 庫裏<br />高貴な色合いの牡丹です。<br />牡丹は、中国では「花の王」と呼ばれるそうです。楊貴妃の美しさを牡丹になぞらえたとも言われています。

    本坊 庫裏
    高貴な色合いの牡丹です。
    牡丹は、中国では「花の王」と呼ばれるそうです。楊貴妃の美しさを牡丹になぞらえたとも言われています。

  • 仁王門を出た所にある飲料水の自動販売機です。<br />お寺風にアレンジされていて、思わず頬が緩んでしまいます。

    仁王門を出た所にある飲料水の自動販売機です。
    お寺風にアレンジされていて、思わず頬が緩んでしまいます。

  • 後ろ髪を引かれる思いで、もう一度仁王門を振り返ります。

    後ろ髪を引かれる思いで、もう一度仁王門を振り返ります。

  • 志らはま鮨<br />ランチは、須磨寺駅付近まで戻り、創業80年の歴史を持つ「志らはま鮨」でいただきました。「智慧の道」から路地を少し入った所にお店を構えておられます。<br />営業時間が短いので注意なさってください。<br />持ち帰りは、10:00〜18:00、食事処は、11:30〜15:00。<br />持ち帰りのものはお土産パックで、お弁当としても重宝します。<br />

    志らはま鮨
    ランチは、須磨寺駅付近まで戻り、創業80年の歴史を持つ「志らはま鮨」でいただきました。「智慧の道」から路地を少し入った所にお店を構えておられます。
    営業時間が短いので注意なさってください。
    持ち帰りは、10:00〜18:00、食事処は、11:30〜15:00。
    持ち帰りのものはお土産パックで、お弁当としても重宝します。

  • 志らはま鮨<br />店内の雰囲気はしっとりと落ち着いていて寛げます。

    志らはま鮨
    店内の雰囲気はしっとりと落ち着いていて寛げます。

  • 志らはま鮨<br />にぎり寿司が盛合さった「須磨の浦」を美味しくいただきました。<br />地元の方はもちろん、観光客にも愛されるこの店の名物の「花巻寿司」という太巻が存在感を顕にしています。しっとりした厚焼き玉子が、椎茸、海老、三つ葉などの具材をギッシリと巻き込み、丁寧にふっくらと焼き上げた穴子との相性が絶品です。素材の食感がひとつになり、口の中でほどけていきます。<br />箱寿司タイプの「焼穴子手押しずし」は、柔らかくも適度な噛み応えがある穴子が魅力です。ウナギかと間違えてしまうほどの食感とボリュームです。<br />赤出汁には香ばしく焼かれた穴子が入っており、いい仕事をしています。デザートは、抹茶ゼリーです。<br /><br />腹ごしらえを終え、次の目的地へ向かいます。<br />ここから徒歩10分強の所にある、須磨離宮公園です。<br />次回は③須磨離宮公園<前編>をお届けいたします。

    志らはま鮨
    にぎり寿司が盛合さった「須磨の浦」を美味しくいただきました。
    地元の方はもちろん、観光客にも愛されるこの店の名物の「花巻寿司」という太巻が存在感を顕にしています。しっとりした厚焼き玉子が、椎茸、海老、三つ葉などの具材をギッシリと巻き込み、丁寧にふっくらと焼き上げた穴子との相性が絶品です。素材の食感がひとつになり、口の中でほどけていきます。
    箱寿司タイプの「焼穴子手押しずし」は、柔らかくも適度な噛み応えがある穴子が魅力です。ウナギかと間違えてしまうほどの食感とボリュームです。
    赤出汁には香ばしく焼かれた穴子が入っており、いい仕事をしています。デザートは、抹茶ゼリーです。

    腹ごしらえを終え、次の目的地へ向かいます。
    ここから徒歩10分強の所にある、須磨離宮公園です。
    次回は③須磨離宮公園<前編>をお届けいたします。

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