2014/04/23 - 2014/04/23
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belleduneさん
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早朝、東京から関西へ行き、色んな用事を済ませてから、昔行ったことがある平等院へ久し振りに行きました。混雑している京都から午後3時頃、ちょっとローカルな奈良線で宇治へ。急行でものんびりした走りで、JR宇治駅到着。JRの駅からだと歩いて10分程で平等院に着きます。外国人観光客も多く、修学旅行シーズンも重なって、賑わっていましたが、午後遅くの方がゆっくり見られると思います。まだ完全に修理が終わっていないので、もう少し後の方が良いかもしれません。
遅かったので、鳳凰堂内部へは入れませんでした。人数制限しているため、見たい人はなるべく早く行った方が良いのでしょうね。鳳翔館では、梵鐘、鳳凰一対、雲中供養菩薩26体などが展示されていました。映像展示室や鳳凰堂扉絵(九品来迎図)の復元模写がデジタル撮影を見ることが出来ます。次回は、鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像を拝見したと思います。
この後、宇治川にある塔島へ渡り、宇治神社、宇治上神社へと向かいました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- JALグループ JRローカル 徒歩
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JR宇治駅から参道沿いに並んでいるお茶屋さん。このお店は確かテレビで放映していた一番古い老舗ではなかったかと思います。
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表門手前の藤棚も綺麗に咲き始めています。
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まだ咲き初めなので、5月になれば、もっと綺麗かもしれません。
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表門
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観音堂は、鎌倉初期、中期の特徴を良く表しています。当初は、中央に須弥壇を置く程度だったそうですが、道場的空間に相応しい簡素な建物となっています。
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扇の庭は、扇型をしています。
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鳳凰堂の北翼部
天喜元年(1053)に建立された阿弥陀堂です。平安時代には阿弥陀堂、御堂と呼ばれていました。江戸時代になって鳳凰堂と呼称されたそうです。 -
鳳凰堂中堂と両脇に北・南翼部
阿字池に映る姿も美しい。夕方5時で閉門なので、夕暮れの景色も眺めてみたいですね。 -
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逆光なので、皆苦労して撮っていました。鳳凰堂中堂と南翼部。
鳳凰堂には5万2049枚の瓦が使用されていて、建立当時は木瓦葺きでしたが、半世紀後の康和3年(1101)の大修理で粘土瓦の総瓦葺きに改修されました。粘土瓦は、平等院の荘園の「玉櫛荘」(現在の八尾市)で製造されました。2012年9月に始まった改修作業で、平安期の陶器瓦がまだ1560枚もそのまま残っていることが確認されています。 -
摂政藤原道長の別荘「宇治殿」が、その子頼通が永承7年に寺院に改めたのが、平等院の始まり。創建当時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺ちかくにあり、大日如来を本尊としていましたが、翌年、阿弥陀堂が建立されました。
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鐘楼のこの梵鐘は複製で、鳳翔館に実物が展示してあります。
「姿の平等院」として、日本三銘鐘(音の三井寺、銘の神護寺)の一つだそうです。鐘身に施された装飾が美しいことで有名だとか。昭和47年に復元された二代目なんだそうです。鳳凰堂と同じく11世紀頃の作と言われています。 -
全面に天人、獅子、唐草文様など繊細な浮き彫りを施してあります。
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旧南門は、伏見桃山城から移構されたものだそうです。垂木なども江戸時代以前の特徴の先端が細く、大胆な反りで、天井板を備えた古式武家門の姿を良く残しています。平成22年の古典技法による再塗装工事の際、主要部材の殆どが希少なアカガシの巨木であると判明しました。アカガシは固く、火に強いことから戦国時代の城門などに使用されたと記録が残っていますが、捻れが起き易い樫材による建造物は、今まで日本では他に確認されたことがなく、城造りの才がある秀吉による城門「薬医門」の現存する最古のものとされています。
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養林庵書院は、慶長6年(1601)加傅和尚が伏見城より移築したと言われています。単層入母屋造りで檜皮葺きです。広縁中央には寛永の三筆の一人、松花堂昭乗による「養林庵」の扁額が掛かっています。内部には、狩野山雪工房による襖絵「籬に梅図」、三楽による床壁絵「雪景楼閣山水図」があるという。落ち着いた書院と仏間、茶室という三つの要素があり、桃山様式を随所に見ることが出来、細川三齋(忠興)の作とされる平庭枯山水と見事に調和しているそうですが、見られないのが、とても残念です!
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現在の平等院は、天台宗系の最勝院、浄土宗の浄土院の2つが共同管理しています。
浄土院は、明応年間(1492年〜1501年)の創始で、平等院が浄土、天台両宗の共同管理となったのは、天和元年(1681)、寺社奉行の裁定によるものでした。宗教法人平等院の設立は、昭和28年(1953)です。 -
浄土宗の栄久上人が明応年間の平等院修復の為に開創した寺。木造帝釈天立像(平安時代後期)、木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代後期〜南北朝時代)、和漢朗詠集巻下断簡(平安時代末期)などを管理しています。
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古図によると平等院山内で、最も古い書院される大書院があり、蘭香斎玉賽の獅子図四面や後醍醐天皇が三種の神器を納め、平等院に逗留したと伝えられる御座所などが残されています。
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浄土院羅漢堂は、寛永17年(1640)、京の善衛門(大工)、京の伊兵衛(仏師)によって建てられました。施主は星野浄安道斎(宇治茶師)。建立当時そのままに保存されており、内部の鏡天井に描かれた龍の彩色画の保存状態も良いものでした。見ることは出来ますが、撮影禁止です。和様が主流の平等院にあって、禅宗様を主体とした貴重なものです。
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まだ修理未完成の鳳凰堂尾廊
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鳳凰堂を裏手から見ると、これもまた美しい。
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鳳凰堂中堂大棟の南北両端部に設置されていた金銅製の鳳凰像(複製)は、北・南方像の1対で、北方像は、総高235cm、像高98,8cm、総幅34,5cm、南方像は、総高228,8cm、像高95cm、総幅44,5cmで、同じではないんですね。恐らく、仏師定朝と推定されています。頭部、胴部、翼、脚部は別々に鋳造され、銅板製の風切羽と共に鋲で留め、組み立てられています。円盤状の台座に立つ鳳凰像の頭部には、鶏冠、冠毛、肉垂が表現されていて、太い眉と鋭い嘴があります。首から胴体には、魚鱗紋が表現され、頚部には宝珠の付いた首輪が嵌められているそうです。現在の屋根には複製像を設置し、鳳凰像は鳳翔館に収蔵してあります。
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南方部から見たところです。
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最勝院は、塔頭の一つで、天台宗寺門派護院末。承応3年(1654)京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移り、その住庵をこう呼んだことに始まります。
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南門から宇治川沿いに出て、これから塔島へ
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喜撰橋を渡ると正面に十三重石塔が見えます。
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この橋を渡り、宇治神社へ
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