2014/04/20 - 2014/04/21
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morino296さん
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桜と温泉を楽しみに、一泊二日で信州・上田と小諸へで出掛けました。
今回の旅は、先輩二人と1ヶ月以上も前から日程調整をして決めたのですが、直前まで桜の開花状況と空模様に気をもむこととなり、改めてお花見の旅の難しさを実感しました。
(4)小諸 懐古園の桜まつりと街歩き
小諸城址・懐古園の桜は、ちょうど見頃。お天気は花曇りでしたが、満開の桜を楽しむことが出来ました。
また、北国街道を散策し、小諸商人の心意気を感じることが出来ました。
(コメントは、懐古園のパンフレット、NPO法人小諸街並み研究会の案内マップを参照)
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旅行記は次の4部構成となります。
4月20日
(1)上田城 千本桜まつり
(2)別所温泉散策
4月21日
(3)塩田平 歴史探訪
(4)小諸 懐古園の桜まつりと街歩き
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しなの鉄道 上田駅 12:24発の電車で小諸へ向かいます。
しなの鉄道は、平成8年5月に設立された第3セクターの鉄道会社。
元のJR信越本線の篠ノ井〜軽井沢を営業区間(65.1Km、19駅)としています。
長野新幹線が開通してから、このエリアの在来線は不便になりました。 -
しなの鉄道 小諸駅 12:50頃
駅を降りると、随分、寒く感じました。 -
小諸駅前の蕎麦屋 ひしや
寒いので、駅前にあるこの店に入りました。
店内にはストーブもついていました。
内緒の話ですが、
蕎麦の味は、前日の上田の方が美味しかったです。
また、家族経営なのでしょうか、フロアー係の女性(娘?)が厨房の人に文句ばかり言っていて感じが悪かったです。
次回、小諸に行った時は、別の店に入ります。 -
小諸 懐古園 三の門と桜
小諸城址「懐古園」は、小諸駅の直ぐ西側にあり、駅の改札口からは自由通路または地下道で行くことが出来ます。
「三の門」や苔むした野面石積の石垣、樹齢500年といわれる欅の大樹などがあり、四季折々の風情が楽しめる公園です。 -
小諸 懐古園 桜まつりのパンフレット
日本さくら名所100選に選ばれている懐古園。
桜まつりは、4月12日〜29日。
園内を埋める、数百本の老桜が咲き乱れ、老桜の枝を渡る風も、過ぎし往古をしのばせます。
小諸固有の桜、「小諸八重紅枝垂桜」が美しい花を咲かせて、皆様をお待ちしています。
このポスターを見る限りでは、老桜ばかりのようですが・・・。 -
小諸 懐古園 三の門(国重文)
小諸のシンボルとされる建物で、元和元年(1615)創建された二の丸の城門。
寛保2年(1742)の大洪水で流失し、明和2年(1765)に再建。
両塀に矢狭間・鉄砲狭間が付けられた戦闘式な建物です。
「懐古園」の扁額は、徳川宗家16代当主の徳川家達(いえさと)の筆によるもの。 -
小諸 懐古園 徴古館と桜
徴古館には、小諸城ゆかりの武具や古文書が陳列されています。 -
小諸 懐古園 二の丸跡の石垣
小諸城は、武田信玄のころ山本勘助らにより現在の縄張りとし、豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久により完成された城です。
城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は全国でも珍しいもので、日本百名城のひとつとなっています。 -
小諸 懐古園 三の門料金所から入った所
正面が南丸跡、右手が二の丸跡の石垣。 -
小諸 懐古園 木村熊二のレリーフ
三の門の料金所から入った正面(南丸跡)の石垣にある小諸義塾の塾長・木村熊二のレリーフがあります。
レリーフには、「われらの父木村熊二先生と旧小諸義塾の記念に、門弟並有志、島崎藤村書 昭和10年」と刻まれています。 -
小諸 懐古園 南丸跡の石垣と桜
二の丸から本丸に向かう道の左側が「南丸」。
高さ約3mの野面積みの石垣はほぼ垂直に築かれており、関ヶ原合戦前後の緊張感のある時期に築かれていることを物語っているそうです。 -
小諸 懐古園 二の丸跡の桜
二の丸には、乙女城(別名、白鶴城)があり、徳川秀忠が上田の真田親子に阻まれてここに逗留したため、関ヶ原の合戦に間に合わず、家康から大目玉をくらったことは有名です。
ここは、北東方向に浅間山の山並み一帯、北西方向には視界開け遠くアルプス山脈が見渡せる眺望のよい高台でもあり、大切な客人を迎える場所となっていました。 -
小諸 懐古園 南丸跡の石垣の桜
パンフレットには老桜が多いように書かれていましたが、それ程、年を取っているようには見えません。 -
小諸 懐古園の桜
満開です。 -
小諸 懐古園の桜
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小諸 懐古園の桜
南丸の石垣の上から -
小諸 懐古園 南丸跡の桜
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小諸 懐古園の桜
枝垂れ桜も綺麗です。 -
小諸 懐古園の桜
桜曇りで、少し暗いですが。 -
小諸 懐古園 懐古神社
明治13年(1881)に小諸城跡を懐古園として整備した際、旧小諸藩の士族らにより、同藩を治めた牧野氏の歴代藩主の霊を藩政時代から城内の鎮守神として祀られていた天満宮・火魂社と合祀して建立。
現在の社殿は昭和62年(1987)改築。 -
小諸 懐古園 山本勘助が愛用したといわれる鏡石
懐古神社の横に置かれている黒光りしている石。
この鏡石を使って、山本勘助が身支度をしていたのでしょうか。 -
小諸 懐古園の桜
懐古神社の裏にある馬場へ向かいます。 -
小諸 懐古園 天守台の桜
天守台へ上る石段から。 -
小諸 懐古園 天守台の桜
桜曇りが残念ですが見事な桜です。 -
小諸 懐古園 天守台の桜
晴れた日にはもっと綺麗に見えることでしょうね。 -
小諸 懐古園 馬場の桜
往復するだけの鉄砲馬場といわれ、桜の名所となっています。
ここは老桜が多いようです。 -
小諸 懐古園 馬場の桜
石垣の上から眺める桜。 -
小諸 懐古園 馬場の桜
懐古園の桜まつりは4月末まで。
夜はライトアップもされるそうですが、夜桜見物は寒いことでしょうね。 -
小諸 懐古園 馬場の桜
見事な桜ですね。 -
小諸 懐古園の桜
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小諸 懐古園 馬場の桜
こちらは小諸八重紅枝垂桜で、ソメイヨシノより1週間ほど遅く見頃となります。
これこそ老木のようで、地元の人の話では、花付きが悪くなってきたそうです。 -
小諸 懐古園 馬場の桜
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小諸 懐古園 馬場の桜
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小諸 懐古園の 馬場の桜
ちょっと違った桜でしたが、名前は? -
小諸 懐古園 馬場の桜
前の写真の桜をアップで。
花びらの間が空いています。 -
小諸 懐古園 馬場の桜
ちょっと小雨がぱらつき始めましたが、傘を差すほどではなく、助かりました。
ここで桜を楽しんでいたのは、日本人よりも外国人の人の方が多かった気がします。
兎に角、大きな声で喋りまくって・・・(うるさい!)。
なんとかならないものでしょうか。 -
小諸 懐古園 馬場の桜
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小諸 懐古園 馬場の桜
こちらも小諸八重紅枝垂桜です。 -
小諸 懐古園 馬場の桜
小諸八重紅枝垂桜 -
小諸 懐古園 馬場の桜
小諸八重紅枝垂桜をアップで。 -
小諸 懐古園 馬場の桜
この右の木が「開花状況観測の木」だそうです。
この日は、当然「満開」ですね。 -
小諸 懐古園 本丸 天守台の石垣
馬場から見上げる本丸城郭の石垣、ひときわ大きく迫り出した天守台。
本丸は約6mの石垣の天守台に、三層の天守閣が建造されていたと伝わりますが、寛永3年(1626)落雷により焼失。
その後は幕府の許しが得られず再建されることはなかったそうです。 -
小諸 懐古園 水の手展望台から望む千曲川
懐古園の一番奥の方にある展望台から。 -
小諸 懐古園 島崎藤村の胸像
島崎藤村は、明治32年(1899)、かつての恩師・木村熊二に招かれて、小諸義塾の英語・国語の教師として赴任。
小諸で過ごした7年間に「雲」「千曲川スケッチ」などが生まれ、大作「破壊」が起稿されました。
この横には「藤村記念館」があり、小諸時代の作品・資料・遺品を展示してあります。
また、昭和2年には、有島生馬の発案により、藤村の友人や門下生によって懐古園内に「千曲川旅情のうた」の詩碑が建てられました。 -
小諸 懐古園 黒門橋
そろばん橋といい、空堀である紅葉谷に架けられています。
この横に、一の門が建っていた黒門跡があります、 -
小諸 懐古園 三の門の内側(徴古館の前)の桜
桜曇りで残念でしたが、徴古館の桜は、丁度、満開の見頃でした。
桜名所百選に選ばれているのが納得できました。
1時間ほどお花見を楽しみ、懐古園を後にしました。14:25頃 -
小諸 本陣主屋
しなの鉄道の線路を挟んで、懐古園とは反対側にあります。
本陣主屋は、小諸宿を通る参勤交代の大名などが休泊した建物で、旧部材を可能なかぎり使用し、間取り、寸法なども当時に忠実に移築再現されています。
建物の公開と同時に歴史資料館として開館。 -
小諸 大手門(国重文)
慶長17年(1612)藩主仙石秀久が築いた小諸城の正門。
五間幅の二層入母屋造の櫓門で、華美な装飾を省いた質実剛健な建築で東日本を代表するもの。
平成の大修理を終え創建当時の姿に甦りました。
この後、北国街道を歩いて小諸の街を散策します。 -
小諸 北国街道 本町エリア 「麺賊無我夢中」
大塚酒造の小売部門として、大正時代に建てられた建物。
建物の奥には大きな蔵があり「角の大塚」と呼ばれ親しまれたそうです。 -
小諸 北国街道 本町エリア
車が通っていない時を狙って写真を撮っていますが、交通量はさほど多くないようです。 -
小諸 北国街道 本町エリア 「書状集箱」
郵便ポストのことでしょうか。 -
小諸 北国街道 本町エリア 「ほんまち町屋館」
昭和40年代まで味噌・醤油の醸造業を営んでいた旧清水屋を商家の造りをそのままに活かし、会議や展示、イベントなどの多目的施設として整備。
浅間山などの眺望を活かした小公園に休憩施設、公衆トイレを併設し、本町の情緒あふれるたたずまいに調和した施設として、平成13年7月にオープン。 -
小諸 北国街道 本町エリア 「大塚本店」
江戸時代の建物をよく留めた造り酒屋。
大商家の特徴である二列に並んだ居室の間取りだそうです。
居住専用であった建物を、昭和3年頃に店舗に改装、その時に付けたショウウインドー、腰壁は当時としてはハイカラなものだったそうです。
裏の通りを挟み、酒蔵が並び、「浅間獄」「献寿」などの有名な銘柄を持つそうです。 -
小諸 北国街道 本町エリア 「塩川五右衛門」
江戸時代の門街庄屋屋敷。
江戸時代中期の大洪水で流出し、再建以降に庄屋と問屋を務める家。
建物は、天井の低い厨子二階、中央が吹き抜けで天窓が付いているそうです。 -
小諸 北国街道 本町エリア 「そば七」
江戸後期の建物。
壊されそうな建物をそば七の主人が借り受け、多くの人の手で蘇った。
脇本陣代として建てられた立派な屋根を持ち、町興しの拠点の一つとなっているそうです。
お店では、石臼曳きの手打ちそばが食べられるそうです。
お昼は、ここで食べれば良かったですね。 -
小諸 北国街道 本町エリア 「大和屋紙店」
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小諸 北国街道 本町エリア
この建物で分かるように、兎に角、奥まで長い立派な建物となっています。 -
小諸 北国街道 本町エリア 「大塚味噌醤油店」の母屋(江戸時代後期)
店の創業は明治20年。 -
小諸 北国街道 本町エリア 「大塚味噌醤油店」の蔵(大正時代)
主屋と並んで袖蔵があるのが特徴で、母屋と蔵が二階で繋がっているそうです。
蔵に掲げられているのは、黒漆喰のコテ細工の看板。 -
小諸 北国街道 本町エリア 旅籠「つるや」
天和2年創業だそうです。 -
小諸 光岳寺 惣門
小諸宿を貫く北国街道が東西から南北に折れる角(本町から荒町へ曲がる角)に位置しています。
惣門は、正面両側の柱に小さな屋根を持つ高麗門。
明和2年に小諸城内の足柄門として造られたものを、明治の初めに移築。 -
小諸 光岳寺 楼門から望む境内の桜
楼門は江戸時代中期のものといわれます。 -
小諸 光岳寺 本堂と桜
阿弥陀如来をまつる浄土宗の古刹。
徳川家康の母「お大の方」を弔うため、ひ孫にあたる小諸城主・松平憲良が1624年に建立。本堂には、お大の方の位牌が祀られています。
その後の城主・牧野家も、明治になりここに菩提を移したため、本堂の屋根には、徳川・松平・牧野の三つの家紋が掲げられています(写真には写っていません)。 -
小諸 北国街道 荒町エリアの街並み
本町から右折したところ。
ちょっと閑散としているかも。 -
小諸 北国街道 荒町エリア 「柳茂商店」
明治20年の建物で、望楼があり、店内にはてっぺんまで通っている太い大黒柱が見られるそうです。
この建物を建てた初代・柳田茂十郎氏は、近代的な経営で成功した代表的な小諸商人。
元は、深い軒の町家であったが、道路拡幅により、建物の前面が切られ、壁で覆った看板建築となったそうです。 -
小諸 北国街道 荒町エリア 「酢久商店/山吹味噌」
山吹味噌の本社・工場。
江戸時代から酢・味噌醤油を醸造、関東から仕入れた畳表、鰹節、茶、塩などを長野県内に流す問屋業として成功。
小諸藩の御用商人として藩にお金を貸して、武士に近い身分を与えられた旧家。
鉄道開業、製糸工場の建設などに取り組み、小諸の発展に貢献したそうです。
明治初期に、呉服商からこの建物を購入。 -
小諸 北国街道 荒町エリア 「酢久商店/山吹味噌」
「御味噌」と書かれた看板には凝った彫刻が施されています。 -
小諸 北国街道 荒町エリア 「酢久商店/山吹味噌」
看板の下の彫刻。 -
小諸 北国街道 荒町エリア 「酢久商店/山吹味噌」
店舗には、味噌や特産品の他、商家の歴史を伝える展示があるそうです。 -
小諸 海応院 山門と桜
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小諸 海応院
ここ海応院で発見された、「コモロスミレ」(小諸市の)が咲いていました。
5月初旬頃に咲くそうですが、もう咲いていました。 -
小諸 海応院 本堂
戦国時代1544年の開山。
徳川秀忠が関が原へ向かう道を真田昌幸の抵抗にあって小諸に足留めされた折、海応院の住職が間に入り和解が成立。
秀忠は礼として寺に「下馬札」などの品を賜ったことから、参勤交代の大名といえども駕籠や馬から降りて寺の前を通ったそうです。 -
小諸 海応院の境内
樹齢370年を越す「潜竜の松」(市の天然記念物)が見事です。 -
小諸 海応院 「潜竜の松」
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小諸 北国街道 荒町エリア 「嶋田屋」
江戸時代に藩の御用商人であった呉服商の高橋平四郎が建てた屋敷。
建物は明治初期の小諸豪商の屋敷構えを伝え、主屋は低い二階に虫籠窓を持つ切妻、土蔵造りの立派なもの。奥には庭園もあるそうです。
明治14年のデフレで屋敷を手放し、嶋田家の手に移ったもの。
嶋田屋は、下駄荒物の卸商で、鉄道開通後、関東一円を商圏として財をなしたそうです。
この建物も裏に回ってみると凄い大きさに驚きました。
小諸の豪商、凄いですね。 -
しなの鉄道 小諸駅 16:17発の電車に乗車(軽井沢16:41着)
1時間半ほど、小諸の街を散策した後、帰りの電車に乗りました。 -
軽井沢駅からの眺め
まだ雪が残る軽井沢、駅の気温は6℃でした。 -
軽井沢駅構内の立ち食いそば「おぎのや」
峠の釜めしで知られる「おぎのや」の立ち食いそば店に「駅そば発祥の地 軽井沢駅」と書かれた看板がありました。
今では、いろんな駅で立ち食いそばを見かけますが、最初に駅そばを始めたのは軽井沢駅だとのこと。
要約すると、
かつての信越線では、碓氷峠の急勾配を普通の機関車で引き上げることが困難だったため、アプト式を採用し、峠下の横川駅と上の軽井沢駅で必ず専用の機関車を接続・切り離しを行うため、列車は両駅で相当の時間を待たされた。
その待ち時間に目をつけて始められたのが「駅そば」だったそうです。
始った年月の記録はないが、明治30年代に乗客が急増したことを受けて軽井沢駅で始まったとされる。(鈴木弘毅著「駅そば読本」による) -
軽井沢駅 17:20発あさま540号に乗車(東京18:28着)
お土産の「みすゞ飴」を忘れずに買いました。 -
軽井沢駅 17:20発あさま540号に乗車
旧信越本線で碓氷峠の難所を上り下りするために接続した機関車も今は見ることが出来ません。
新幹線の便利さも良いですが、在来線も懐かしいものですね。 -
長野新幹線の車中にて
軽井沢ビール2014年限定バージョン。
「限定」とあると弱いですね(笑)。前日飲み過ぎたので、この日はこれ1本で我慢。
桜と温泉を楽しみむ信州の旅、心配されたお天気も桜の花も何とか持ってくれました。
別所温泉のお湯も、塩田平の歴史探訪も、期待通り楽しめました。
また機会があれば訪ねてみたいです。
最後までお付き合いいただき有難うございました。
(おしまい)
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