2013/10/22 - 2013/10/22
93位(同エリア1804件中)
クッキーさん
バルーンツアーの後、ツアーの皆さんと合流してカイマクルの地下都市、ウチヒサール、ギョレメ野外博物館などカッパドキア観光をしていきました。
アナトリア地方を形成した、地層の堆積やかつての造山活動、その後に続く
浸食作用によってできた奇岩群のみならず、そこに刻まれた人間の情念を垣間見ることができました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
-
8:44
ホテル街の道は石畳でくねくねしています。 -
市街地を抜け、
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郊外へ向かいます。
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カイマクルのミナレット。
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広い駐車場でバスから降り、周りの建物をすり抜けるように進むと、お土産物屋さんがびっしりと並んでいます。
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「ナザルボンジュ」と呼ばれる、魔除けになるものだそうで、色合いが素敵です。
20個で千円、30個で千円と声をかけてきます。
これらはプラスチック製で安いのですが、伝統的な工法でガラスから作られたものは高価です。
30個を買って二人で分けた方が、数を数えてみたら27個だったのはご愛嬌。 -
9:13
お土産物屋が立ち並ぶ階段を上がりきった所に入場ゲートがあり、階段を少し下りると地下都市への入口が見えてきました。
中は迷路のように複雑に入り組んでおり、ガイドさんからは、なるべく離れないようにと言われました。
もし迷った時には、青い矢印に沿って進むようにと教えられました。
いえいえ、決して列からはみ出したりしませんよ。 -
カッパドキアには地下都市が無数にあるそうです。
その代表的な地下都市がこのカイマクル地下都市。
地下8層からなるその内部は合計面積2.5平方kmもあり数千人以上もの人々が生活できたと推測されているのだとか。現在は地下4階まで公開されています。
各階層は階段や傾斜した通路でつながれています。
カッパドキアで最大規模とされる、隣にあるデリンクユ地下都市(こちらは12階層とも16階層とも言われる)の間は、約9kmにも及ぶ地下通路で繋がっているということが確認されているそうです。 -
これまでの調査で判明した近隣の地下都市だけで7〜8万人の人が暮らしていた事になり、さらにカッパドキアには現地住民の話では無数の地下都市がまだまだ他にも存在し、それらを含めると地下都市には数十万人の人が暮らしていたとも推定されるのだとか。
それほどの巨大地下都市であるにもかかわらず、カイマクルの地下都市は1960年代に、井戸にサッカーのボールが落ちたことから偶然発見されたそうで、全体の構造はまだ把握されていません。 -
何故そんなに長期間気が付かなかったのかと不思議に思いましたが、日本でも、道路が陥没して初めて、周辺がかつての採石場跡地で、地下が空洞になっていたことがわかった、なんてニュースを聞いたことがあります。
地上に家を建てて、基礎の部分に空洞があることが分かったとしても、疑問を抱いた考古学者でもない限り、全体像を把握することができなかったのでしょう。
お墓です。 -
地下都市は、地下1階では家畜が飼育されていました。これは動物を階下に誘導するのが困難であったためです。
地下2階は教会、地下3階は食料の貯蔵庫と食堂、地下4階はワイン製造所、・・など普通に生活できるような設備が整っています。また、換気にも気を配り、地上から地下に真っ直ぐのびた排気口もつくられています。 -
いくつもの部屋がアリの巣のように繋がっています。歩いていると、今何階のどこにいるのか解らなくなってくる。
見学コースが決められていて、赤い矢印は進む方向を、青い矢印は戻る方向を示しています。 -
食料倉庫のプレート。
もちろん各部の役割については、付いていた跡からの想像が大部分だそうです。 -
ここが倉庫だったかしら。
実を言えば、どれも皆同じような空洞に見えてしまいます。 -
ローマ帝国の迫害を逃れてこの地に辿り着いた初期キリスト教徒たちが隠れ住み、何世紀もかかって掘り進められて拡張されてきた、と聞いていました。
普段は地上で生活している人たちが、敵が襲ってきたときにこの中に避難して、隠れ住んだとも言われています。 -
敵の侵入に備えて通路をふさぐための巨大な石の扉。
この岩は円形で、厚さ55-60cm、高さ170-175cm、重さ200-500kgで、中央には穴が開いていました。この岩を転がして、通路を塞ぎ、外敵の侵入を防ぎました。
トルコの発掘調査によると、この輪状の石は内部の石で作られたのではなく、外で作られて竪穴の通気孔からおろされた物であったのだそうです。 -
敵が去った後に穴に棒を入れてドアを開けたり、穴から外の様子を覗いたりしたそうです。
下に部屋が見えます。 -
内部からは家具類がいっさい見つかっていません。
そのため、ここで暮らしていた人々は、地上が安全になって隠れ住む必要がなくなったときに引っ越したのではないかと言われています。
しかし、家具類だけでなく、食器の欠片、ゴミなどの人か生活した痕跡さえ出土していないというのは不思議です。他には、埋葬の跡が見られるもののそこを掘ってもなにも出てこないのだそうです。 -
トンネル。
今でこそ電気の明かりに照らされていますが、人々が隠れ住んだ当時の暗さはどれほどのものだったのか・・・
いくら数千人の人が生活できるとは言っても、このトンネルの狭さを見る限り、居住性が良かったとは思えません。 -
地下4階にあるワイナリーの外観。
正餐式に欠かせないぶどう酒を造るためのワイナリーだそうです。 -
ワイナリーの内部。
ぶどうを足で踏みつけて絞り、絞り汁が下の方へ流れ出るように設計されているということです。 -
ここは台所だったかな。
天井を含め、部屋全体が黒く煤けています。 -
たこ焼き器を思わせるこの石は調理器具だそうです。石の下部が黒く煤けています。
火を使うときの煙を逃がす穴や、換気口まであります。
換気システムは地下4階にいても全く問題がないのだとか。 -
紀元前5世紀にギリシャの歴史家が、アナトリアに11万人が住む地下都市があると書き残しており、実際はそれ以前からあったのではないかと考えられているそうです。
そうだとすると、迫害を逃れてこの地に辿り着いたキリスト教徒たち(1万人にも満たなかったらしい)は、ただ、この地に、恰好の安住地を見つけて住み着いたのかもしれません。
今では、紀元前1800年頃にトルコ・アナトリアに現れたヒッタイト人が地下都市建造を開始したという説が主流だそうですが・・・
ヒッタイトといえば、初めて鉄を使いこなした民族として知られています。たいへんに優れた技術力をもった民族であり、その技術力から考えると、巨大な地下都市の建造も可能だったのかもしれません。
最初に地下都市を造り始めた人々にしても、全く何もない荒野の中で、「さあ、ここに穴を掘って住居にしよう」と掘り始めたとは思えません。
石灰岩質の土地だから、雨水によって穿たれた洞窟を見つけて、そこを拡張していったんじゃないかなあ。
この地下都市の上で繰り広げられた東西世界の交流、覇権争いをやり過ごすためのシェルターとして、さまざまな弱小民族に利用されたのかも・・・
古代の歴史に思いを馳せ、悠久のロマンを感じることができました。
ただし、帰国後の学習の後ですが・・ -
10:40
再びバスに乗り込み、起伏に富んだ道を進むと、 -
10:42
トルコ絨毯のお店に案内されました。
かつて利用した、もっとリーズナブルな旅行会社だけじゃあないんだ。
添乗員さんに訊ねると、こういったお店に行かないと、旅行代金はもっと高くなるんだそうです。 -
中に入るなり立派な絨毯が目に入ります。
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絨毯を織っている織子さんたち。
こういった手仕事に携わる人たちがどんどん少なくなってきているので、織子さんの養成もしているのだそうです。 -
支配人?が見事な日本語で説明を始めます。
いかに日本人が大切な顧客であるかがわかります。
それにしても、英語すら満足に話せない日本の政治家に見習わせたい位の学習能力です。 -
一心不乱に手を動かす女性たち。
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蚕の繭から糸をとる行程。
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いよいよ絨毯の展示場です。
チャイを振舞われました。
見るだけならいいのですが、誰かが買うまでは重苦しい雰囲気・・・かと思いきや添乗員さんやガイドさんはゆったりとチャイを飲みながら寛いでいる様子。 -
次から次へと絨毯を紹介する支配人さんの説明、パフォーマンスには、すっかり引き込まれてしまいました。
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こちらの絨毯は見る方向によって色合いが異なり、素晴らしい一品でした。
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空飛ぶ絨毯のパフォーマンスも拝見。
夫が、きっと誰かが買うから、と言っていた通り、購入者が一人現れたので、他の人は安心して絨毯の美しさを堪能しておりました。
でも、財布が許せば欲しいと思える絨毯がいくつもあります。 -
トルキッシュ・ブルーといわれる、『藍』の青が、とても素敵で、この色合いには、夫もとても心惹かれましたが、極々小さな壁掛け程度の大きさでさえ15万円くらい。庶民が買えるレベルではありません。
もう一回り小さな絨毯があれば、夫はタペストリー用にと買う気になったかも・・
カメラに収めるだけにしておきます。 -
11:48
ツアーのノルマを果たした後、鳩の谷へ。
バルーンから見た風景が再び目の前に。
遠くに見える岩には無数の穴が開いています。ここはかつて、鳩の住処だったそうです。鳩の糞はブドウ畑の肥料になったそうです。 -
周りには、レース編みを扱うお土産物屋さんがたくさん並び、こちらはいたって庶民価格なので、ツアーの心理で、一人が買うと皆一斉に買い始めました。
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12:12
ちょうど頃合もよく、鳩の谷を見渡せるレストランで昼食をいただきます。
だから先に絨毯の工房を訪れたんですね。 -
アップするほどではない、いつもの野菜サラダ。
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魚の塩焼き。
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甘ーいデザート。
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13:00
レストランのテラスでしばしの寛ぎタイム。
エルジェス山がぽっかりと浮かんでいるようです。 -
鳩の谷の向こうにはローズバレー。
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ローズバレーもきれいに見えています。
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固い玄武岩質黒っぽい層は硬い玄武岩質、赤みを帯びた層は鉄分が多い層、灰白色の層は柔らかい火山灰質。
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13:18
バスに乗り、昨夜夕食を食べたレストランの前も通って、ウチヒサール地区に戻ってきました。
ウチヒサール(尖った城塞)とは、この岩山を中心にして大小さまざまな大きさの岩山から構成される砦のこと。 なので、ここ一帯の総称がウチヒサールなのです。 「3つの城塞」を意味しているという説も。
ビューポイントからのウチヒサールの城塞です。 -
気球から見えた、一段と高くなっていた場所のようですが、気球から見たイメージとはちょっと異なります。
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トルコにおける数々の争いの歴史の中で、この岩は城塞の役目を果たしてきました。自然が造り出した砦です。
岩山の裾野には小さな集落が形成されています。岩肌に空いている無数の穴は鳩の巣。
この砦の頂上へは入場料を払うと登ることができるそうです。そこからはカッパドキアの大パノラマが見えるそうですが、ツアーの身ですから、記念撮影をしておしまいとなりました。 -
歩いている観光客が見えます。
近くには観光客向けのラクダが一頭待機していました。
自由時間もわずかで、この景色の中を好き勝手に歩けるほどの時間もありませんでした。 -
近くまで歩いていく時間がないので、超ズームアップで。
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14:00
ギョレメ博物館。
入場ゲートを通って、まずは1つ目の「リンゴの教会」と呼ばれている岩窟教会の前で説明を受けます。
11世紀中ごろから12世紀にかけてつくられたものと言われます。かつて、入口の側にリンゴの木があったことが名前の由来だそうですが、他にもいろいろな説があるそうです。
次は「蛇の教会」、「聖ゲオルギウス教会」についての解説。
やっと自由時間が与えられたので、まずは坂道を上がって「暗闇の教会」に向かいました。 -
4世紀、ローマ帝国の迫害を受けたキリスト教徒、修道士たちが,この地域に移り住み,柔らかい岩をくり抜き,そこを住居や教会にしたのです。
キリスト教は、やがてローマ帝国で公認されますが、その後も純粋な信仰に生きる修道士たちはこの地で暮らしました。
この地域一帯だけでも、400〜500ほどの教会があったのだとか。
現在、見学できる洞窟はおもに11世紀ごろにつくられたものです。 -
左の大きなドームが 「暗闇の教会」。
階段を上がり、テラスのような所まで行きました。内部に入るには、別途入場料が要る上、自由時間も限られているので、入らずに下りてきました。
この外観を見ただけで十分です。 -
「暗闇の教会」から下りてきて、坂道を戻りながら、岩の中に造られたいくつかの教会の中に入って見学していきます。
残念ながらほとんどの教会で屋内の撮影は禁止されていました。以前はフラッシュを炊かなければ撮影OKだったそうですが、守らない人が多いために撮影自体が禁止になってしまっとか。
偶像崇拝禁止時代に作られたらしい十字架模様は幾何学模様や単なる市松模様。 -
キリスト教徒が隠れ住んだ場所、というより、修道士のための修行の場所という印象を受けます。
エルサレムで生まれたキリスト教が、その後、野火のように世界に広がったのは、こういう過酷な世界での修行をも厭わない修道士たちの信仰の力によるものなのでしょう。 -
食堂跡です。ここでは40〜50人が座って食事できる石のテーブルがあります。部屋の中にはワインセラーもあります。
天井が黒く煤けているので台所でもあったのかしら。
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居住区みたいです。
-
入口方面を振り返って。
中央が入口ゲートです。
トイレは入口の左側の階段を下りたところ。 -
集合時間が近づいてきました。
そろそろ戻らなくては。 -
リンゴの教会と言われる、岩窟教会の中のフレスコ画は、特に綺麗に残されていましたが、こちらも撮影不可でした。
こういったものを見るにつけ、信仰の力に感嘆してしまいます。
とは言うものの、その信仰心が数多くの戦争を引き起こしてきたことも歴史を見れば明らかです。
教会の近くから見た山肌。 -
聖バジル教会。
自然の造形の上に刻まれた人の情念。 -
とても日差しが強いうえに、他の方たちが買い求めているのを見て、また二人で半分こにしたトルコアイス。
面白いおじさんで、客にアイスを手渡すフリをしては さっと引っ込めたり・・・
しっかり笑わせてもらいました。 -
トルコアイスを回すパフォーマンスを披露してくれました。
けっこう力が必要なようです。 -
世界遺産になっています。
この奇岩地帯では、紀元前3000年頃の土器が見つかっている洞窟があったそうなので今から5000年前には、人々は洞窟を掘って住んでいたことになります。
ここに繰り広げられた人間の歴史。 -
15:14
この日2回目の、ツアー定番のショップ訪問、トルコ石の専門店です。
アヴァノスという町の南の外れにありました。
中に入ると、高級なトルコ石が並び、それらを前にして「本物のトルコ石の特徴」のレクチャーを受け、その後は女性店員のお勧めが始まります。
ここでもツアー客の一人の女性が買う気満々で、他の女性陣も一緒に品定めしていましたが、貴金属に全く興味のない私は・・・ -
ニコチンを補充した夫とともに、辺りをブラブラ。
すぐ隣に陶器のお店を見つけました。
表に掛けられていた、一枚のブルーの絵柄のお皿が素敵で、店内に入ってみました。
入ってすぐのところには、いかにもお土産用といった感じの陶器ばかりでしたが、奥の部屋に飾られているのは美術品かと思えるようなものばかりで、お値段もそれなりです。
トルコ石ほどではないし・・・もう少しじっくり見る時間があれば、買う気になったかも。
結局、目の保養に終わりました。
ここアヴァノスが陶器の町として有名なんだそうです。 -
15:37
カイセリ空港に向かう前に、まだ時間があるというので寄ってくれたこの地域は、たぶんユルギュップです。 -
『1400万年前,アナトリア周辺はほとんど海となっており,南アジアから伸びた細長い地峡のような地形の先端部がアナトリアであった。そこは,大陸移動によりアフリカ大陸とアラビア楯状地がユーラシア大陸に衝突する最前線であった。
この頃,アルプスはまだ形成されておらず,ヨーロッパの南半分は海面下にあり,アナトリアを浮かべた古地中海は大西洋とインド洋とつながっており,カスピ海の辺りまで広がる,大きな海域であった。
「ヒマラヤ・アルプス造山運動」と呼ばれている、オーストラリアプレートに乗ったインド亜大陸とアジア大陸と衝突。』
エフェス遺跡の周辺の大理石は、石灰岩が堆積したあとの造山活動で変成してできたものだったんですね。 -
『衝突の最前線となったアナトリアは多くの火山活動が起こり,火山性岩石は広くアナトリア全域に分布している。カッパドキアの周辺にもエルジェス山、ハッサン山など複数の火山があり,1100万年前頃から大量の溶岩と火山性降下物を噴出させている。火山活動は現在まで続いており,その間の噴出物により100-200mほどの火山性堆積層が形成された。』
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『関東平野ほどの広がりをもつカッパドキア地域に100mを越える火山性堆積層を形成するためには大小の噴火が,繰り返し発生したにちがいない。』
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『この堆積層は時間とともに凝灰岩という火山性堆積岩に変化するが,その組成は一様ではなかった。固い玄武岩質(黒っぽい)層,鉄分の多い赤っぽい層もあれば,柔らかい火山灰質(灰白色)の層もあった。』
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『そのような地層が風化され,雨水により浸食されると,軟らかい地層と硬い地層では侵食の速度が異なるため,独特の形状が生まれる。』
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『カッパドキア一帯では最上部に固い溶岩層,その下が火山灰質の地層となっている。固い溶岩層は冷える時に亀裂が入り,そこから雨水が浸透し,下部の火山灰質層をより早く侵食する現象が発生する。』
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『一度水の経路ができると,水流はその部分を選択的に削りながら流れ,小さな岩山を形成する。このため,上部に黒い帽子を被せたような灰白色の円錐形あるいはきのこ状の岩が林立する景観が生まれる。
さらに時間が経過すると,帽子の部分が脱落して灰白色の岩だけが残る。もちろん,地層の組成は一様ではないのでこれ以外も多くの特異な岩の造形が生み出されている。』
《亜細亜の街角》より -
その成り立ちが分かっても、奇岩を目にして自然の驚異に心打たれるとともに、その歳月の長さの前に人間のちっぽけさを痛感します。
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50分ほどの滞在でした。
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16:20
エルジェス山を見ながらカイセリに向かいます。 -
標高3916m、トルコで3番目に高い山です。
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富士山より高いんですね。
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16:48
カイセリ市内。 -
17:00
これから飛行機に乗るので、早めの夕食です。 -
時間が早いせいか、店内の客はまばらです。
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メインは肉料理。
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これまでで一番甘かったデザート。
本体そのものが甘いのに、さらにシロップにどっぷりと浸されています。
手もつけずに残している方々もいる中で、私一人完食です。
どうやらトルコの超甘いデザートにハマったみたい。 -
18:40
カイセリ空港。
荷物の保安検査場は大混雑でした。 -
観光バスはここカイセリまで。
ガイドさんはこの後もずっと一緒です。 -
18:55
イスタンブールに向けて出発。 -
20:09
イスタンブール空港。外に出ると黄色いタクシーが目を引きます。 -
20:57
大渋滞の市内を走り抜け、ホテルに到着。
新市街にあるインターコンチネンタル イスタンブール。 -
ロビーも立派。
チェックインは添乗員さんにお任せ。荷物はポーターさんが運んでくれました。
私たちはロビーで一休みです。 -
部屋も広々。
こんなに広くったって、ただ寝るだけなのに、とも思いますが、実際には、この空間はなかなか居心地のよいものでした。 -
バスルーム。
-
洗面台にも高級感が漂います。
敏感肌なので、何処へ行くにも日頃使っている化粧品を持参します。
アメニティをいらないって言ったら、ホテル代金が安くなる、なんてことはないですよね。 -
今までで一番歩かなかった日でした。
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