2014/03/31 - 2014/04/01
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nakaohidekiさん
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紀伊半島の東南端は熊野と総称されている。
『古事記』によると神武天皇の東征の折、この地に降り立った神武天皇は三本の足の鴉に導かれ大和の橿原に向かう途中大熊に出会ったことが語源とされるが、さらに『日本書紀』によると第十三代成務天皇の御代に国々の境(国境)が決められ、紀伊半島の南部が熊野の国と定められたというのである。現代はこの地域は和歌山県、奈良県、三重県に跨る地域となっている。
『熊野』の意は、”隈の処”ということであり、これは”奥深い処”、”神秘の漂う処”という意味を持っている。つまり熊野は神々の住まわる処という意味なのである。これが後の『熊野信仰』に繋がっていく。
このような日本の信仰の原点ともいえる場所が熊野なのであるが、作家・五木寛之もこのことに関心を寄せていたようである。著書『百寺巡礼・関西編』の中で次のように書いている。
− 紀州和歌山は、私にとってずっと気になってた土地である。(中略)
その和歌山でも、「熊野三山」はかねてから訪れてみたいと思っていた場所だった。(中略)
以前、仕事で熊野の新宮市を訪れたことがあったが、東京から熊野への移動はかなりやっかいだった。大阪方面から特急列車を利用しても三時間半、名古屋からもそれくらいはかかってしまう。空の直行便もない。結局、羽田から南紀白浜まで空路を利用して、そこからはJRに乗るというコースをとることになった。−
五木寛之は東京からの交通の便の悪さを嘆いているが、これは和歌山県に在住する僕なども熊野に赴こうとした場合は五十歩百歩である。
和歌山県は南北に長いため熊野に行くには紀伊半島をぐるっと回って行くか、田辺市から新宮市に向かう山道を通るしかないのであるが、どちらのコースを通っても3時間半から4時間はかかってしまう。こんな辺鄙な熊野であるから古来の都人(みやこびと)の熊野詣はさぞ大変だったろうと推察できる。
そんな古人(いにしえびと)の歩いた道がいまも熊野古道として残っている。これは『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産にも登録されている。
この熊野古道について、五木寛之は先の同著のなかで次のように書いている。
− かつて熊野三山を目指した巡礼者がたどった道が、いまも一部「熊野古道」として残っている。熊野古道とは一本だけではなく、紀伊半島のなかに張り巡らされていて、中辺路(なかへじ)、雲取越(くもとりご)え、大辺路(おおへち)などと名付けられたルートがある。
私も熊野那智大社と青岸渡寺へと通じるルート、「大雲取越え」の入り口に当たる大門坂を歩いてみた。
巨木がそびえる山中に、苔むした石段が延々とつづいている。このあたりはまだ傾斜が緩やかだが、「大雲取越え」はかなり高低差が激しい難路だったという。
朝から気持ちよく晴れた日で、杉木立のあいだをとおして見える空は青い。だが、うっそうと茂った木立の下までは日光が届かず、「昼なお暗き」という感じだった。
日が暮れたころに歩くと、かなり薄気味悪いのではあるまいか。じつは、「雲取越えの怪異」というのは巡礼者のあいだではよく知られた話で、ここを通ると亡くなった父母や友人などとすれ違うのだという。難路をあえぎながら歩いてきた人たちが、ぼんやりした幻覚のなかで死者のすがたを見るのだろうか。
二十一世紀のいま、「秘境」などというと大げさかもしれない。しかし、中世の熊野は間違いなく秘境であり、山霧に包まれた幽暗(ゆうあん)の地だった。そして、人びとはわらじ履きで足に血をにじませながら、この神と仏がおわす聖地をひたすらめざしたのである。
参詣者が蟻のように連なって歩いていた熊野古道の光景を想像すると、おのずとこころがときめく。石段のつづく古道を歩いていると、たしかに熊野にやってきたという実感がわいてきた。−
今回の僕の旅も、神と仏のおわすこの熊野詣をしてみようと思い立って出かけたのである。
熊野三山とは、熊野本宮大社(本宮町)、熊野速玉大社(新宮市)、熊野那智大社(那智勝浦町)の三山をいう。今回は熊野那智大社と隣接する青岸渡寺を訪れることにした。
那智勝浦町の「越の湯」に一泊してから翌朝、熊野那智大社へと向かった。昨夜から降り続いていた雨は昼すぎには止んで午後からは快晴になった。折から桜の花が那智の山々に咲き乱れ、僕の熊野詣に彩りを添えてくれているようである。
国道42号線を東に走り、新宮市に続くバイパスの側道を山に向かって20分ほど走ると那智の滝が見えてきた。この滝は熊野那智大社の別宮飛瀧神社のご神体となっていて役行者の修業の地としても有名である。
滝の高さは133メートルである。これは日光華厳の滝を遥かにしのぐ日本一の大滝である。那智山に向かうつづら折りの道路から見える滝は遠くからでも壮観に見えた。
「補陀落や 岸うつ波は三熊野の 那智のお山にひびく滝つ瀬」こう詠われた那智の滝だが、滝見物は後回しにして、まずは今回の目的である熊野那智大社と青岸渡寺へと向かう。両寺社は同じ境内にあるのである。
縁起によると仁徳天皇の頃(4世紀)、インドの僧、裸行商人がこの地に漂着し、那智の滝で修業を積んでここに草庵を結んだのが青岸渡寺の始まりだという。
車を那智の滝の駐車場に停めると歩いて青岸渡寺の参道を登ることにした。しかしこれはとんでもない選択であった。じつは車でも登れるのであるが、ここからは有料道路となっていてこの通行料が800円も掛かってしまう。これを惜しんだばかりに大変な苦行の山登りとなってしまったのである。なにせ青岸渡寺も熊野那智大社も那智の滝の上にあるゆえおよそ三百段の階段を登らなければならなかったのである。途中、歩きながら何度悔やんだことか、汗を拭き拭き、足をガタガタ振るわせながら、自らのケチンボを恨んだのである。しかし、そうはいっても、もう後の祭り、登るしかないのである。息も絶え絶えに、やっと登り切った青岸渡寺は、那智の山々に燦然と立つ寺院であった。堂宇は意外と小さいのだが、豊臣秀吉の発願により建てられたという桃山様式の本堂は威厳にあふれていた。
ここは西国観音霊場の第一番札所でもあり、観音信仰の霊場となっている。拝観できるのは開山の裸形上人像と阿弥陀如来像であるが、本尊の如意輪観音像は秘仏のため普段は拝観できない。
お賽銭を上げ参拝すると体の汗も引いてきて、やっと気持ちの落ち着きを取り戻してきた。これもこの霊場の御利益かもしれないと思いながら、寺社参拝はやはり不思議な力を持っているのかもしれないと思うのである。
次に隣接する熊野那智大社へと向かった。
ここは熊野三山のひとつであるから青岸渡寺より以前に創建されている。しかし日本の信仰は神仏習合であるから、もともとは寺社は一体となっていたのである。
熊野三山の神仏習合はというと、
熊野本宮大社の主神は、ケツミコノオオカミで、本地は阿弥陀如来、
熊野速玉大社の主神は、クマノハヤタマノオオカミで、本地は薬師如来、
熊野那智大社の主神は、クマノフスミカミノオオカミで、本地は千手観音となっている。
熊野那智大社の「如意輪堂」に裸形上人が庵を結び、これが青岸渡寺となったのである。境内が同じというのも頷けるのである。
熊野那智大社もけっして大きな社殿という訳ではない。こじんまりとした形を造っている。そんな可愛い本殿にお参りをしたあと、隣にある宝物殿に入ってみた。熊野にまつわるお宝を見るのもいいかなと思ったからである。宝物殿のしおりには宝物の説明が次のように書かれていた。
『当社は、権現信仰のもとに神仏習合を広めた古社であります。熊野信仰に基ずく熊野文化が形となって現れてくるのは、奈良期の頃からであり、上皇・法皇方の「熊野行幸」が催され、その参詣は一般大衆に至るまでおよび世に「蟻の熊野詣」と称された。奈良・平安そして近代に至る、各時代の逸品が数多く残され、当殿に収蔵されています。とりわけ、日本三大経塚の一つといわれる那智経塚からの出土品・国重要文化財「那智大社文書」の数々、曼荼羅等の絵画・工芸品など熊野信仰の貴重な資料が展示されています』。
ここに書かれた宝物を見てまわるうちに、人々の熊野へ寄せる篤き思いが充分に感じられたような気がした。
熊野那智大社の参拝を終え、最後に那智の滝へと向かった。ここからは迂回路を通り那智の滝へ降りてゆくことができる。途中、桜の満開の花の下を通るのはいかにも春を感じられ爽快な気分に浸ることができた。
那智の滝は鬱蒼とした原生林の道を下って行く。
滝壺に立つと、雲取連山から流れ落ちてくる流水が、怒濤のように天から舞い落ちてきていた。滝音で隣にいる人の声も聞こえないくらいである。
三島由紀夫は『三熊野詣』の中で、このことを優美な文体を駆使してこのように書いている。少し長文になるが引用する。
−今や那智の滝は眼前にあった。岩に一本立てられた金の御幣が、遠い飛沫を浴びて燦爛とかがやき、凛々しく滝に立ち向かっているようなその黄金の姿は、おびただしく焚いた薬仙香の煙に隠見している。(中略)
ようやく岩の平らなところに座を占めた常子は、霧のような飛沫を快く感じながら、自分の胸へ落ちかかるほどに近い大滝を振り仰いだ。
それはもはや処女のようではなく、猛々しい巨大な神だった。
磨き上げられた鏡のような岩壁を、滝はたえず白煙を滑り降ろし、滝口の空高く、夏雲がまばゆい額(ひたい)をのぞかせ、一本の枯杉が鋭い針を青空の目へ刺している。その白い水煙は、半ばあたりから岩につきあたって、千々に乱れ、じっと見ているうちに、岩壁が崩れて、こちらへ迫り出してきて、落ちかかってくるような気がする。又、少し顔を傾けて横から見ると、水と岩のぶつかる部分部分が、あたかも泉をいっせいに噴き出しているように思われる。
岩壁と滝とは、下半分でほとんど接していないから、滝の影がその岩の鏡面を、走り動いているのが明瞭に見える。
滝はその周辺に風を呼んでいる。近くの山腹の草木や笹はたえず風をそよぎ、しぶきを浴びている葉は、危険なほど鋭敏に光る。さやめく雑木が、葉叢のまわりに日光の縁取りをして、狂ったようにみえるさまは又なく美しい。『あれは狂女なのだ』と常子は思った。−
三島由紀夫のこの小説を思い出すと、この記述が僕のこころを捉えて離さない。
まさに”那智の滝”は見上げると、
”狂女”に違いないと思って、僕は熊野の山を下りたのである。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 1.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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