2014/03/11 - 2014/03/11
144位(同エリア259件中)
男一人旅さん
2011年3月11日から3年。
震災の記憶の”風化”が言われる中、被災地の現状を見ておきたかった。
気仙沼を選んだのは、毎年、震災寄付をしている自治体の中で、領収書だけを送ってくる自治体が多い中、「海と生きる」と印刷された年賀状を丁寧にも送ってきてくれてた気仙沼市からのスタートとしました。
レンタカーを借りてもいいのですが、グーグルマップで見る限り、ほぼ更地と工事現場の状態で、何が何だかわからないだうと思い、ネットでいい手段がないか探している中、【語り部タクシー】というのを見つけ出し、気仙沼→陸前高田→志津川→女川→石巻→仙台を周ることにしました。
パート8は、いよいよ最後、名取市閖上(ゆりあげ)です。
仙台では、元祖・語り部タクシー 仙台中央タクシーさん(http://www.sendaichuotaxi.co.jp/charter/kataribe.html)を利用しました。
2時間30分のコースで、蒲生→荒浜→名取市閖上に行ってまいりました。
パート1 気仙沼 http://4travel.jp/travelogue/10868035
パート2 陸前高田 http://4travel.jp/travelogue/10868057
パート3 南三陸 http://4travel.jp/travelogue/10868124
パート4 女川 http://4travel.jp/travelogue/10868157
パート5 石巻 http://4travel.jp/travelogue/10868289
パート6 田代島 http://4travel.jp/travelogue/10868720
パート7 仙台市 蒲生・荒浜 http://4travel.jp/travelogue/10868742
パート8 名取市 閖上 http://4travel.jp/travelogue/10868765
- 交通手段
- タクシー
-
【名取市 閖上中学校】
震災前、名取市の人口は5000人強だったそうです。しかし、この閖上地区で、1000人以上の方が亡くなれたそうです。
閖上中学校を訪問した。歩道のガードレールは、倒れたままです。
今日は、午後から追悼式がありますので、マスコミとボランティの方が、ちょうちんを並べられていました。 -
【閖上中学校】
校舎の時計が、14:46で止まっています。
奥の方では、テレビ局が中継のための調整をしていました。
震災当時、卒業式で、学校に残っていた生徒は、みなさん助かったそうです。しかし、学校から帰ってしまった生徒さんは、残念ながら、津浪の犠牲になられたそうです。 -
イチオシ
;;
「死んだら終わりですか?(死んでも終わりじゃない。魂の故郷がある。)
生き残った私達に出来る事を考えます。」 -
イチオシ
「津波は忘れても14人を忘れないでほしい。
いつも一緒だよ。」
これら学校の机に書かれた碑の隣りに、犠牲になった生徒さんの名前が打たれた石碑があります。 -
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校舎の入り口から見たところの壁面に、津波の跡が残っています。
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中は、きれいに整理されているようです。
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閖上中学校前に、残されたお家です。
周りは更地なのですが、今日はマスコミが多いこともあり、目立ちました。 -
【東禅寺】
本堂だけポツンと残りました。
しかし、中は、すべて流されています。 -
閖上の貞山堀です。
欄干もなく、復旧もまだです。 -
【閖上 日和山】
山というか、ほんとちょっただけ小高い丘になっております。
震災当時、ここに避難された方も多かったそうです。せまり来る津波を見たとき、「ここではダメだ」とみなさんが閖上中学校に向かって走られたそうです。しかし、津波の方が人の足より早く、みなさん犠牲になられたそうです。 -
ここにも、かつての街並みの写真が掲示されています。しかし、すべてなくなりました。
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閖上湊神社というのが、あったそうです。この神社は、閖上湊神社の末社にあたるそうで、ここだけ復旧されました。本社のあったところは、更地でした。
木製の鳥居がありますが、もともとは石製の鳥居があったらしく、あたらしい鳥居の手前に、折れた鳥居の基礎が見てとれます。石の鳥居が折れるなんて、津波の強さが推測できます。 -
丘の上も、ほぼ更地になったそうです。
もともとあった祠は、流されたそうですが、地元の宮大工さんが、津波の流木で。あらたに造られたそうです。
また、毎年、この時期に桜の木を1本づつ植えているようで、まだ若い桜の木が2本ありました。 -
丘の上には、「大東亜戦 戦死者氏名」という第二次世界大戦で亡くなられた兵隊さんの墓碑がありました。これだけが、津波に耐えたそうです。
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日和山の慰霊碑です。
3月11日ということもあり、多く方が来られていました。 -
日和山から見た閖上一帯です。
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手前に「閖上さいかい市場」という魚市場が見えます。
奥の黄色い施設は、老人介護施設だとか。この辺り、土地が安いということで、結構、そういった施設があったそうです。
しかし、職員の方や入所者方など、ほとんど方が、避難できなかったそうです。 -
名取川と貞山堀の水門です。
津波は、水門より高いところまで来たようです。 -
陸前高田から、気仙沼、南三陸、石巻、女川、仙台市宮城野・若林、閖上まで来ました。
震災から3年経ち、瓦礫こそありませんでしたが、どこも更地でした。復旧もされていないところもあります。今回は宮城だけでしたが、岩手・福島のことも考えると、復興されるまでどれくらいかかるか、検討もつきません。はたして、ほんとうに復興されるのか?とも思えてきます。
しかし、お会いした方は、みなさん元気です。
タクシードライバーの方々はもちろん、南三陸のお父さん、女川の高政の社員さん、荒浜のお母さんたち・・・
さらに、石巻の「復興するぞ!」のメッセージ。
そして、閖上中学校のメッセージ・・・
「生き残った私達にできる事を考えます。」
みなさんも、この旅行記を見て、できる事を考えていただければ幸いです。
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