2013/05/09 - 2013/05/09
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frau.himmelさん
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今日はブランデンブルク・ベルリンチケットを使ってポーランドのシュチェチンに行きます。
ところが都合のいい列車はお昼過ぎのしかありません。
そこで午前中はまったりとベルリン観光をすることにしました。
まず200番バスの車窓からベルリンの街を観光して、アレキサンダー広場付近をのんびり散策、そして森鴎外の「舞姫」の舞台となったマリエン教会の内部をじっくり鑑賞・・、
のつもりでした。
でもせっかくここまで来たのならと、ベルリン歴史探求のムシが騒ぎます。
結局、昨年も訪れたローゼン通り事件の場所にやってきました。
★ローゼン通り事件とは、
逮捕されたユダヤ系の夫や子供たちの釈放を求めて、非ユダヤ系の女性たちが抗議の声を上げて集結した事件です。
相手はナチス宣伝相ゲッペルス、そしてゲシュタポ。
こういう抵抗運動には武力をもって屈服させるのが彼らのやり方でしたが、女性たちは負けなかった。
結局事態の混乱を恐れたゲッペルスは、彼女らの夫や子供を開放したのです。
あの恐怖政治の時代背景を考えれば、まったく異例のことでした。
現在、女性たちが集結した場所には警鐘碑が設置されています。
-
観光に出発する前に、私たちが5日間滞在したアパートを紹介します。
ここは旧西ベルリンにあたるシェーネベルク地区。
Uバーンのバイエリッシャープラッツ駅から徒歩5分くらい、とても歴史ある閑静な一画でした。
この黄色い建物の2階が私たちが借りた部屋です。
ベルリン市のホームページから予約しました。
鍵の受け取りは事前に連絡して、到着時間に管理人が待っていてくれました。 -
管理人から一通り、部屋や台所の使い方などを説明してもらい、そこで5日分の代金を支払います。
これで出発日に、部屋の鍵を郵便受けに返しておけば、それですべてOKです。
日本式2LDKっていうんでしょうか、78?くらいの部屋で、二人ではもったいないくらいです。
この部屋はリビングルーム。
寛げるゆったりとしたソファー、大型の薄型テレビも備え付けてあります。 -
台所。
3口のコンロと中型冷蔵庫、それに洗濯機もあります。
室内洗濯物干しも設置してあります。 -
流しの反対側には、電子レンジ、コーヒー沸かし、湯沸しポット、トースターなど。
食器も十分に揃っています。 -
お鍋類もこの通り、ピカピカに磨いて収納してあります。
ドイツ人の几帳面さが目にみえるよう。 -
洗面所は浴槽付き。
棚の中にはタオルなどの替えもちゃんと入っていました。
ただトイレットペーパーのストックがなくて、管理人さん(別の場所に住んでいる)に電話したら、観光から帰ってみたらちゃんと補充してありました。 -
寝室A。
赤を基調とした豪華な装飾の部屋。 -
白いクローゼットもおしゃれ!
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寝室B。
ここはブルー基調の部屋。
この広々とした2LDKで1泊74ユーロ、1人1日37ユーロなのです。
もちろん食事は付きませんが、異国の地での食事作りもまた楽しい! -
朝食。
このアパートは明日引き払うので、残り物を整理しました。
それでもお味噌汁、ヨーグルト、ジュース、フルーツ、ハム・チーズなど、ドイツの朝食の類は一通り揃っています。
買い物は近くにスーパーもあるようでしたが、私たちはベルリン中央駅1階にある「スーパーKaisers」でほとんど調達しました。
1ヶ月近くの長旅になりますとホテル代もバカにならない。
その点、1週間くらいのアパート生活を組み込みますと、ホテル代節約にもなります。 -
バイエリッシャープラッツ駅からUバーンでツオーロギッシャー駅に出て、ブランデンブルク・ベルリンチケットを購入します。
シュシェチン行きは、次は12時33分まで待たなければならないので、200番のバスに乗ってアレキサンダープラッツに出ます。
バスの中ではいろんな国の言葉が飛び交います。
英語・フランス語・イタリア語・ロシア語・・。
ベルリンが観光の中心であることを実感しました。 -
外は雨が激しく降っています。
6月17日通りの戦勝記念碑ジーゲゾイレの前を通って・・ -
バスはウンターデンリンデン通りを走っています。
雨に濡れたベーベル広場。
ヘドヴィッヒ聖堂と工事中のベルリン国立歌劇場。
この広場には、ヒトラーの焚書の碑があります。 -
工事中のベルリン歌劇場と、クラッシックなガス灯。
ベルリンのシンボルとも言うべきガス灯も、経費削減や環境問題の影響で街並みから姿を消しつつあります。
ガス灯が一番似合う街はベルリンだと思っている私は、とても寂しい感じがします。 -
ベルリン歴史博物館
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ベルリン王宮の工事現場と、奥に見えるは東ドイツ国家評議会館。
ここでホーネッカーが執務していました。 -
ベルリン大聖堂
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シュプレー川。
右手には、数年前まで、まさに社会主義の建物といった巨大で無骨な共和国宮殿がありました。
アスベストの問題などで今は取り壊されて、その跡地にかってのプロイセン時代のベルリン王宮の建築が進められています。 -
赤の市庁舎。
赤いレンガ色が鮮やかなベルリン市の市庁舎です。 -
マリエン教会とテレビ塔が見えてきたら、そろそろ終点のアレクサンダー広場です。
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アレクサンダー広場は、ロシア皇帝のアレクサンドル1世 が、1805年10月25日にベルリンを訪れたことを記念して名づけられた広場だそうです。
アレクサンダープラッツ駅はベルリン交通の要所、いつも大勢の人々が集まります。
赤の市庁舎とネプチューンの噴水。 -
ネプチューンの噴水。
ベルリン市から王宮に贈られたこの噴水は、1951年王宮撤去に伴い、ここ赤の市庁舎前に移設されました。
以前、ベルリン王宮を調べているときに、他のホーエンツォレルン家の城と同様、ベルリン王宮にも「白い婦人」(Weisse Frau)の亡霊が出るという伝説があることを知りました。
その正体は?
このネプチューンの噴水は皇帝の寝室のすぐそばにあり、見間違えられたのではないかと言う説があるそうです。
皇后アウグステ・ヴィクトリアはこの噴水がお嫌いなようで、180度向きを変えさせたということです。 -
テレビ塔を真下から撮ります。
ベルリンの重要な広場だったこのアレクサンダー広場は、何度も再開発されました。
DDR時代の1960年代の再開発の際にこのベルリンテレビ塔が建てられました。
西側に誇示するためのものとも言われています。 -
雨にもめげず、レインコートをつけてセグウェイでベルリン市内観光をしている観光客。
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テレビ塔の下で立ち止まり、観光案内人の説明を熱心に聞いているセグウェイツアー観光客。
日本の交通規制ではこのセグウェイは、一般道路は走らせてはいけないそうです。
後ろの建物は東ドイツ時代の大きなアパート群。 -
サクラの花の陰から頭を覗かせるマリエン教会。
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森鴎外の作品「舞姫」の中で、主人公豊太郎が舞姫エリスと出合った場所とされています。
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教会入り口には奇妙な男女。
聖衣の男性はわかりますが、女性は? -
その脇をすり抜けて中に入ります。
厳かな主祭壇と豪華な装飾の説教壇。 -
説教壇の下の天使の像。
いつ見ても可愛い。 -
これも豪華なパイプオルガン。
それもそのはず、この素晴らしいパイプオルガンは、オルガン製作者の巨匠、ゴットフリード・ジルバーマンの弟子、ヨアヒム・ヴァーグナーによって1720年から1722年に作られたものだそう。 -
旧約聖書より、アダムとイヴの物語。
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聖マリエン教会を出て、足は自然とカール・リープクネヒト通りを横断し、昨年訪れた懐かしい場所に向かいます。
ここはホテル・アレキサンダープラザ前。
あそこに目指すものを見つけました。 -
この円柱の広告塔こそ私が探していたもの。
昨年はこの近くまで来ているのに見つけられませんでした。
この広告塔は、ここで1943年2月から3月にかけて起こった『ローゼン通り事件』を説明するための記念碑なのです。
この場所に、強制収容所送りのために逮捕されたユダヤ人の夫や家族を持つ非ユダヤ系の女性たちが、抗議するために集結したのです。
詳しくは昨年の私の旅行記で紹介しています。
よかったらご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/10743472" -
円柱には、写真や資料のパネルを展示して、事件の概要を伝えていました。
逮捕されたユダヤ人たちが収容されていた建物は今はもう存在していませんが、この地図にある「旧ユダヤ会館:Alte Synagoge」の近くにありました。
当時のベルリンでは一般のユダヤ人は既に、強制収容所に贈られたり国外に脱出していて、残っているのは非ユダヤ系の人々と婚姻などで親族関係にあったごく少数のユダヤ人だけでした。 -
ヒトラーにはそれさえも我慢ならないこと。
そこで、宣伝相ゲッペルスは、来る4月20日のヒットラー総統の誕生日に「ユダヤ人のいないベルリン」をプレゼントするために、残っているユダヤ人の逮捕命令を下しました。
写真は、グリューネヴァルト駅。
1941年以降、1万人以上のベルリンのユダヤ人がグリューネヴァルト駅から絶滅収容所に向けて移送されました。
グリューネヴァルト17番ホームについての旅行記はこちら。
http://4travel.jp/travelogue/10741150 -
1943年2月27日、ナチスは早朝より、住宅や職場を急襲し残っているユダヤ人を逮捕して、収容所となっているこの集会所に送ったのでした。
それに抗議して、非ユダヤ系の女性数百人が立ち上がりました。
ナチスは、もちろん武力で押さえつけようとしましたが、女性たちは屈しませんでした。
(写真)ツィンマー通りにあったかってのコンサートハウス【Clou】は、ユダヤ人を絶滅収容所に送るための、ゲシュタポの事務センター(?)として使われていました。 -
抗議の集会が何日も続き、そのうち一般の市民まで合流し始めました。
そして、3月6日、奇跡が起きました。
ゲッペルスは事態の混乱を恐れてユダヤ人を釈放したのです。
◆◆
当時ユダヤ人の集会所があったこの公園に、『ローゼン通り事件』の警鐘のモニュメントが造られています。 -
あの恐ろしいナチス政権、秘密警察ゲシュタポに、非暴力で抗議した勇気ある女性たちが勝利した日でした。
-
ベンチに腰掛けているユダヤ人男性の石像。
ナチス時代は、公共の場所にあるベンチにユダヤ人が腰をおろすことは禁止されていました。
昨年探し当てたこの地に図らずもまた来てしまいました。
ベルリンはこうした秘められた歴史の場所がいくつも存在する奥深い街です。 -
さて、そろそろ中央駅に向かいましょうか。
あらっ何でしょう?
さっきから20分も経っていないのに、通りの向こうのマリエン教会の前には大勢の人・人・ヒト・・ -
一体何がはじまるのでしょう?
手に手に風船を持っています。 -
空に飛ばしました!
飛んで行った風船を目で追っています。 -
ここには馬車に乗った音楽隊。
賑やかな音楽を奏でています。 -
馬車を引っ張っている馬は脚が短いから農耕馬?
-
こちらには、テレビ局のカメラマンとレポーターの女性。
ホントに一体何なのでしょうね。 -
教会の中に吸い込まれるように大勢の人々が入って行きます。
早く来て良かった。
今だったら、マリエン教会の中には入れないところでした。 -
テレビ塔の下の噴水では兄弟がふざけあっています。
水の中に落ちないように気をつけてね。
ところでこんな噴水いつ出来たの? -
このプレートを見ると、2007年8月24日に出来たものだそう。
-
アレクサンダープラッツ駅前にはおなじみのカリーヴルスト(カレーソーセージ)売り。
これからSバーンで中央駅に出て、ポーランドに行きます。
その旅行記はこちら。
http://4travel.jp/travelogue/10863066
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この旅行記へのコメント (4)
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- Bonheurさん 2014/03/22 09:49:33
- こんにちは。
- こんにちは。
himmelさんの旅日記はいつも奥が深くて、様々な点で勉強になります。
以前のhimmelさんの記事にもありましたが、ユダヤ人が公共のベンチに座ることすら許されなかった、というのは本当にショックです。
himmelさんの日記、また色々読み返して勉強させて頂こうと思います。
また、ベルリンで旅行者がアパートを手軽に借りることができることを知りませんでした。日本のウィークリーマンションのようなものですよね。
早速ベルリン市のウェブで見てみました。ドイツ語がほとんどできない自分でも、英語で確認できるのがありがたいです。次回ベルリン訪問の時は、アパートメントにします!
- frau.himmelさん からの返信 2014/03/22 21:44:58
- RE: こんにちは。
- Bonheurさん コメントありがとうございます。
私の拙い旅行記がお役に立ったようでうれしいです。
ユダヤ人に対するナチス政権の仕打ちは酷いものがありますね。
知れば知るほど憤りを覚えるというか、恐怖に襲われるというか、
でもそのドイツの「負の遺産」を旅のテーマにするのもドイツが好きだからでしょうね。
私の旅行記はダラダラと長いだけで、自分勝手な解釈をしているところもありますが、もしお読みになって間違っているところなどありましたら教えてください。
ベルリンのアパート、なかなか快適ですよ。
ベルリンは結構長く滞在しますので、今まで4件のアパートを借りました。
そのどれもが交通の便がよく、ホテルに比べるとお安くて気に入っています。
アパートといっても、1泊いくらの契約ですし、毎日掃除はしてくれますし、自炊が出来るホテルのようなものです。
ぜひぜひ、ベルリンっ子になった気分でアパート生活を楽しんでください。
Bonheurさんの旅行記も見せていただきますね。
himmel
-
- yunさん 2014/03/15 21:45:01
- 悲しみの小石
- frau.himmelさん こんばんは
yunと申します。
昨年のベルリン旅行記と併せて拝見いたしました。
ベルリンは訪問した事があるのですが、「ローゼン通り事件」を全く知りませんでした。
皆が萎縮していたであろう当時に、勇気ある行動を実行した人々に感銘。
小さな力の結集は尊く強いと信じられます。
また、グロッセ・ハンブルガー・シュトラッセの慰霊碑の記述で、『ユダヤ人は、お墓にお花ではなく悲しみの小石を供えます』とありました。
この記述が、とても気になっていた「事柄」に結びつきました。
実は今冬、ポーランドのマイダネク強制収容所を訪問しました。
そこに沢山の小石が埋められており、その風景が強く心に残りました。
この習慣を教えていただき「そういう意味だったのね・・・」と頷けました。
「ユダヤ」に纏わる事柄は、過去・現在共に理解が難しい。
過去の歴史を少しずつでも学ぶ事で、見えてくる事もあるかしらと思っています。
frau.himmelさんの旅行記からいくつも学びをいただきました。
どうもありがとうございます。また、お邪魔させてください。
yun
- frau.himmelさん からの返信 2014/03/17 15:29:40
- RE: 悲しみの小石
- yunさん 返信遅くなってごめんなさい。
さっき書いたと思ったら、どこかに飛んでいったみたいで反映されていません(泣)。
さて、この度は私の拙い旅行記に投票とコメントありがとうございます。
重たい旅行記ばかり書いていますので、お目に留めてくださってうれしいです。
「ローゼン通り事件」、実は私も昨年ベルリンに行く前に知ったのです。
アレクサンダー広場駅から近いし、まあまあ土地勘もありますので、ぜひ行って見たいと思っていました。
あの付近はユダヤ人ゲットー街だったらしく、ユダヤ人が多く住んでいた場所なのです。
そのユダヤ人の数だけ、悲しみの歴史が埋もれているのでしょうね。
「悲しみの小石」、私が勝手につけた名前なのです。
本当はもっと違う意味(石は不変不滅なもの)があるらしいのですが、あの悲しそうな表情の像と足元に置かれた無数の小石、胸がつぶれそうになりました。
yunさんの「マイダネク強制収容所」の旅行記拝見しました。
私は昨年はザクセンハウゼン強制収容所を訪れましたが、yunさんと同じ感情を持ちました。
ザクセンハウゼンでも、ユダヤ人の墓碑のそばには多くの小石が供えられていました。
ユダヤ人に生まれたというだけで、残酷な無慈悲な人生を歩まなければならなかった人々・・。
やりきれない感情に教われました。
今後ともよろしくお願いいたします。
himmel
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