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東京メトロ有楽町線氷川台駅から徒歩約12分の地に円満山・広徳寺(こうとくじ、東京都練馬区桜台)は臨済宗大徳寺派の寺院で小田原北条氏の第4代当主である北条氏政(ほうじょう・うじまさ、1538~1590)の三男で岩槻城主であった太田源五郎(おおた・げんごろう、1564~1582)の開基で小田原の早雲寺の子院として創建したことに始まるとされます。<br /><br />永禄10年(1567)、岩槻城主太田氏資(おおた・うじすけ、1542~1567)は小田原北条氏の武将として安房・上総に勢力を有する里見義弘に三船山合戦で討たれて戦死します。<br /><br />後継には男子がおらず、幼い娘がいるのみだったので、父氏政の後見を受ける形で太田氏の婿養子として家督を継承することになり、実名不詳ながら天正8年(1580)に元服して、太田氏の歴代当主名である「源五郎」を襲名することになります。(背景としては氏資の妻は北条氏康の娘(長林院)であり、「太田氏」のような由緒ある家柄を優先する小田原北条氏の基本政策によるものです。)<br /><br />小田原北条氏の滅亡後は江戸入府の徳川家康が天正19年(1591)に江戸の神田にて広徳寺を中興、その後寛永12年(1635)に下谷に移転し、大正12年(1923)の関東大震災にて全域に渡り全焼し、その後区画整理事業のため広徳寺の墓地などが練馬へ移転し現在に至っています。<br /><br />主たる墓石は次の通りです。即ち、加賀前田家(加賀大聖寺藩主前田利昌)、九州筑後柳川立花家(藩主立花宗茂)、織田家(織田信長二男信雄並びに信雄息子高長)、柳生家(将軍家剣術師範で大和柳生藩主柳生宗矩・剣豪柳生三厳(十兵衛)、松代藩主真田信政長男真田信就)、森家(美作藩主森忠政三男忠広)、秋月家(九州日向高鍋藩主秋月種弘)などの錚々たる人名が並んでいます。<br /><br /><br /><br />2022年10月28日追記<br /><br />境内に建てられた説明板には次の通り記載されています。<br /><br />『 円満山 広 徳 寺<br /><br />北条氏政の子、岩槻(埼玉県)城主太田氏房が明そう和尚を小田原に招き、早雲寺の子院として開山したのが創建で、小田原城落城(1590)の際、焼失したと伝えられています。その後、徳川家康が二世希そう和尚を江戸神田に招き再興しました。寛永12年(1635)には下谷に移り、加賀前田家をはじめ諸大名を檀家とする江戸屈指の大寺院となりました。しかし、関東大震災で寺域は焼失し、その後の区画整理のため、大正14年(1925)からこの地に墓地を移し、別院としました。昭和46年には本坊も移し、平成2年の開山明X和尚400遠年諱を記念して、庫裏、位牌堂を建て替え、現在のたたずまいとなりました。<br /><br />墓地には、剣法の指南役として有名な柳生宗矩、三厳(十兵衛)父子の墓や将軍家茶道指南役で庭園築造にも事績のあった小堀遠州の墓(茶人らしい笠付?形の墓石)があります。三厳と遠州は沢庵禅師を通じて禅にも深い理解がありました。<br /><br />その他、文禄・慶長の役で活躍した立花宗茂や、江戸時代の詩人菊池五山、菊池秋峯、大内熊耳など、大名、学者、文人の墓所が数多くあります。<br /><br />ここは禅の修行場でもあります。寺域内では静寂に心がけてください。<br /><br />    平成7年(1995)6月<br />                   練馬区教育委員会  』

武蔵練馬 氏政三男岩槻城主太田源五郎が早雲寺子院として開基、江戸期には柳生宗矩・十兵衛父子、立花宗茂等の有力大名を大檀那とした『広徳寺』散歩

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2014/03/04 - 2014/03/04

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滝山氏照

滝山氏照さん

東京メトロ有楽町線氷川台駅から徒歩約12分の地に円満山・広徳寺(こうとくじ、東京都練馬区桜台)は臨済宗大徳寺派の寺院で小田原北条氏の第4代当主である北条氏政(ほうじょう・うじまさ、1538~1590)の三男で岩槻城主であった太田源五郎(おおた・げんごろう、1564~1582)の開基で小田原の早雲寺の子院として創建したことに始まるとされます。

永禄10年(1567)、岩槻城主太田氏資(おおた・うじすけ、1542~1567)は小田原北条氏の武将として安房・上総に勢力を有する里見義弘に三船山合戦で討たれて戦死します。

後継には男子がおらず、幼い娘がいるのみだったので、父氏政の後見を受ける形で太田氏の婿養子として家督を継承することになり、実名不詳ながら天正8年(1580)に元服して、太田氏の歴代当主名である「源五郎」を襲名することになります。(背景としては氏資の妻は北条氏康の娘(長林院)であり、「太田氏」のような由緒ある家柄を優先する小田原北条氏の基本政策によるものです。)

小田原北条氏の滅亡後は江戸入府の徳川家康が天正19年(1591)に江戸の神田にて広徳寺を中興、その後寛永12年(1635)に下谷に移転し、大正12年(1923)の関東大震災にて全域に渡り全焼し、その後区画整理事業のため広徳寺の墓地などが練馬へ移転し現在に至っています。

主たる墓石は次の通りです。即ち、加賀前田家(加賀大聖寺藩主前田利昌)、九州筑後柳川立花家(藩主立花宗茂)、織田家(織田信長二男信雄並びに信雄息子高長)、柳生家(将軍家剣術師範で大和柳生藩主柳生宗矩・剣豪柳生三厳(十兵衛)、松代藩主真田信政長男真田信就)、森家(美作藩主森忠政三男忠広)、秋月家(九州日向高鍋藩主秋月種弘)などの錚々たる人名が並んでいます。



2022年10月28日追記

境内に建てられた説明板には次の通り記載されています。

『 円満山 広 徳 寺

北条氏政の子、岩槻(埼玉県)城主太田氏房が明そう和尚を小田原に招き、早雲寺の子院として開山したのが創建で、小田原城落城(1590)の際、焼失したと伝えられています。その後、徳川家康が二世希そう和尚を江戸神田に招き再興しました。寛永12年(1635)には下谷に移り、加賀前田家をはじめ諸大名を檀家とする江戸屈指の大寺院となりました。しかし、関東大震災で寺域は焼失し、その後の区画整理のため、大正14年(1925)からこの地に墓地を移し、別院としました。昭和46年には本坊も移し、平成2年の開山明X和尚400遠年諱を記念して、庫裏、位牌堂を建て替え、現在のたたずまいとなりました。

墓地には、剣法の指南役として有名な柳生宗矩、三厳(十兵衛)父子の墓や将軍家茶道指南役で庭園築造にも事績のあった小堀遠州の墓(茶人らしい笠付?形の墓石)があります。三厳と遠州は沢庵禅師を通じて禅にも深い理解がありました。

その他、文禄・慶長の役で活躍した立花宗茂や、江戸時代の詩人菊池五山、菊池秋峯、大内熊耳など、大名、学者、文人の墓所が数多くあります。

ここは禅の修行場でもあります。寺域内では静寂に心がけてください。

    平成7年(1995)6月
                   練馬区教育委員会  』

交通手段
私鉄 徒歩
  • 広徳寺・正門<br /><br />左側に車輛駐車場となっています。

    広徳寺・正門

    左側に車輛駐車場となっています。

  • 広徳寺・寺標<br /><br /><br />左側の広場は参拝者の車輛駐車場となっています。

    広徳寺・寺標


    左側の広場は参拝者の車輛駐車場となっています。

  • 広徳寺・石碑<br /><br />山門左側には「広徳寺」と刻された石碑が建立しています。

    広徳寺・石碑

    山門左側には「広徳寺」と刻された石碑が建立しています。

  • 広徳寺・正門植込み

    広徳寺・正門植込み

  • 広徳寺・説明板<br /><br />

    広徳寺・説明板

  • 広徳寺・案内図

    広徳寺・案内図

  • 伊勢平氏・追悼碑

    伊勢平氏・追悼碑

  • 広徳寺・参道

    広徳寺・参道

  • 広徳寺・山門

    広徳寺・山門

  • 広徳寺・勅使門

    広徳寺・勅使門

  • 広徳寺・本堂

    広徳寺・本堂

  • 広徳寺・鐘楼堂

    広徳寺・鐘楼堂

  • 広徳寺・墓石群

    広徳寺・墓石群

  • 広徳寺・竹林<br /><br />墓地に続く竹林を通ります。

    広徳寺・竹林

    墓地に続く竹林を通ります。

  • 広徳寺・加賀大聖寺藩前田家墓

    広徳寺・加賀大聖寺藩前田家墓

  • 広徳寺・加賀大聖寺藩前田家説明板

    広徳寺・加賀大聖寺藩前田家説明板

  • 広徳寺・小堀家墓石<br /><br />著名な小堀遠州の他実父正次の墓があります。

    広徳寺・小堀家墓石

    著名な小堀遠州の他実父正次の墓があります。

  • 広徳寺・小堀家説明板

    広徳寺・小堀家説明板

  • 宝篋印塔

    宝篋印塔

  • 広徳寺・織田家墓石

    広徳寺・織田家墓石

  • 広徳寺・織田家墓説明板

    広徳寺・織田家墓説明板

  • 宝篋印塔

    宝篋印塔

  • 広徳寺・説明板

    広徳寺・説明板

  • 広徳寺・筑後柳川藩立花家墓石

    広徳寺・筑後柳川藩立花家墓石

  • 広徳寺・筑後柳川藩立花家説明板

    広徳寺・筑後柳川藩立花家説明板

  • 広徳寺・安志(あんじ)藩小笠原家墓石<br /><br />当該藩は播磨国宍粟郡周辺を領有した1万石の譜代大名の藩(1716~1871)で、藩庁として安志(兵庫県姫路市安富町安志)に陣屋が配されていた。<br /><br />藩主は小笠原長興(おがさわら・ながおき)を初代とし、二代目長達(ながみち)、三代目長為(ながため)、四代目長?(ながよし)、五代目長武(ながたけ)、六代目貞幹(さだよし)、七代目定?(さだざね)

    広徳寺・安志(あんじ)藩小笠原家墓石

    当該藩は播磨国宍粟郡周辺を領有した1万石の譜代大名の藩(1716~1871)で、藩庁として安志(兵庫県姫路市安富町安志)に陣屋が配されていた。

    藩主は小笠原長興(おがさわら・ながおき)を初代とし、二代目長達(ながみち)、三代目長為(ながため)、四代目長?(ながよし)、五代目長武(ながたけ)、六代目貞幹(さだよし)、七代目定?(さだざね)

  • 広徳寺・安志(あんじ)藩小笠原家墓説明板

    広徳寺・安志(あんじ)藩小笠原家墓説明板

  • 広徳寺・宝篋印塔

    広徳寺・宝篋印塔

  • 広徳寺・近衛家墓石

    広徳寺・近衛家墓石

  • 広徳寺・近衛家墓所石柱<br />                                              「公爵・子爵 近衛家墓所」と刻されています。・近衛家墓説明板

    広徳寺・近衛家墓所石柱
                                                  「公爵・子爵 近衛家墓所」と刻されています。・近衛家墓説明板

  • 広徳寺・柳生家墓石

    広徳寺・柳生家墓石

  • 広徳寺・柳生家墓所説明板.<br /><br />右寄り下記の如く記載あり。<br />初代 柳生但馬守宗矩、二代 柳生十兵衛三厳、三代 柳生飛騨守宗冬、<br />四代 柳生対馬守宗在、柳生家歴代之墓

    広徳寺・柳生家墓所説明板.

    右寄り下記の如く記載あり。
    初代 柳生但馬守宗矩、二代 柳生十兵衛三厳、三代 柳生飛騨守宗冬、
    四代 柳生対馬守宗在、柳生家歴代之墓

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