2014/02/21 - 2014/02/21
261位(同エリア628件中)
滝山氏照さん
JR八高線飯能駅から徒歩約20分、常寂山・智観寺(ちかんじ、埼玉県飯能市中山)は武蔵七党のうち丹党(たんとう)の流れをくみ、飯能を中心とする入間川左岸を本領とする中山氏の菩提寺です。
戦国時代の中山氏は当初山内上杉氏に属していましたが、河越城合戦で後ろ盾を失い小田原北条氏に主家を変えてその後、八王子に入って武蔵南部を有していた大石氏の所領を継承した北条氏照(ほうじょう・うじてる、1540~1590)の臣下として活躍します。
豊臣秀吉による小田原征伐では八王子城にて秀吉派遣の前田・上杉・真田らの北国軍の攻勢により落城、留守部隊の中山家範(なかやま・いえのり、1548~1590)は妻ともども自害し間もなく小田原城も開城降伏となります。
家範の武勇を伝え聞いた徳川家康は家範の遺児を探すことになり、飯能に隠れていた長男照守(てるもり、1570~1634)と二男信吉(のぶよし、1577~1642)を小姓に召し抱えます。
そして徳川水戸藩の立藩に際し家康は日頃より頼房に仕えており、絶大なる信頼を寄せている信吉を当該藩の付家老に指名し異例の出世を果たします。
以下は智観寺境内の説明板記載内容を下記に引用します。
『 中山信吉と智観寺
智観寺は中山氏の祖、丹治武信が元慶年間(877~885)創建した寺である.(「新編武蔵風土記」)。武信は同時に智観寺の北隣に丹生神社を勧請した。中山氏は智観寺を菩提寺とし、丹生神社を氏神とした。中山氏の館跡は智観寺の北東にあり、堀跡は方形をしている。
中山信吉は中山家範の二男である。家範の父家勝の代に加治氏から中山氏に改称したと言われている。家範は豊臣秀吉の小田原攻めにおいて北条軍の八王子城を守り、奮戦して戦死を遂げ、その武名を残した。信吉は徳川家康に取り立てられ、側近として活躍する。
また水戸家初代藩主頼房の傳育を命じられ、水戸藩の付家老となる。
中山氏は水戸藩の北の要地である多賀郡松岡周辺(現高萩市)、久慈郡太田村周辺(現常陸太田市)に二万五千石程の領地を持ち、代々水戸藩の付家老として活躍した。智観寺には中山信吉のほか、二代、四代を除き幕末まで代々の当主がほぼ夫妻で葬られている。信吉の墓前には信吉の嗣子中山信正によって「御影堂」が建立され、内部には宮殿、信吉寿像、信吉木碑、燭台、位牌が妥置されている。木碑には、林羅山による信吉を顕彰する撰丈が刻まれており、亀趺座(亀の台座)の上に碑が立っている。「御影堂」は三間四面で明治時代に解体され、木碑等は現在収蔵庫に保存されている。
中山信吉は飯能市と高萩市とを結びつける人物である。中山氏は先祖伝来の地を大事にしてきた。信吉と智観寺、その関係者と関係資料は郷土の歴史そして日本の歴史を私たちに教えてくれる。
平成15年3月
飯能市教育委員会 』
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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智観寺・正門
左右の石柱が智観寺独特の門のようです。 -
智観寺正門・寺標
正門左側には武蔵七党の中で丹党後裔、中山信吉木碑が県有形文化財に指定されていると記載されています。 -
智観寺・石標
正門右側には「真言宗豊山派智観寺」と刻された石柱が建立されています。 -
智観寺・案内板
手書き案内板だからこそ眼に留まります。元慶年間(880)創建ですからかなりの古刹となります。 -
智観寺・参道
左右に残雪を見ながら狭い参道を進みます。 -
智観寺・沿革
元慶年間(880)丹治武信による創建と言われています。 -
智観寺・山門
当寺の山号「常寂山」の扁額が掲げられています。 -
飯能戦争記事
慶応4年(1868)上野で官軍に敗れた振武軍の内120名が智観寺に立て籠もります。官軍は大砲を打ち込み寺は焼失しますが仏像・寺宝は村人が保管していたそうです。 -
智観寺・鐘楼堂
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亀趺座石碑
説明板によれば亀の背に碑を乗せる形は中国の5世紀頃孔子の儒教つまり「論語」の孝行・思いやりの思想から起こっているそうです。 -
亀趺座石碑
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智観寺・太師堂
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智観寺・宝物殿
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智観寺・木造薬師如来坐像説明
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智観寺・宝物殿無料公開案内
毎年10月最終日曜日のみの公開だそうです。興味あるのは中山信吉木造のほか加治氏板石塔婆をぜひ見たいと思います。 -
智観寺・十一面観世音菩薩像紹介
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智観寺・掲示板
中山信吉について次のように書かれています。「家康・秀忠の二将軍を支えた重臣中山信吉公は藤堂高虎、土井利勝、酒井忠勝等大老・老中と肩を並べ徳川初期を支えた譜代側近重臣として十九基の石碑の中にある、まさに郷土の英雄である」 -
宝篋印塔
当山二十一世法印文英安永7年(1778年)等説明されています。 -
丹党後裔菩提寺
丹治氏・加治氏・中山氏の菩提寺として紹介されています。また中山氏初代から十三代の墓があるそうです。 -
智観寺・本堂
格子を付した控えめで素朴な本堂という印象があります。 -
智観寺・本堂扁額
山号の「常寂山」が掲載されています。 -
智観寺・境内
境内には僅かに通れる小路を外れると残雪のため歩行困難状況です。
(当日も西武鉄道秩父線一部運転見合わせ情報がありました) -
中山信吉墓・案内板
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「中山信吉と智観寺」説明
中山信吉墓案内板には説明板があり先祖伝来の地を大事にし、飯能と高萩(信吉とその子孫は水戸藩付家老でその所領は高萩であった)を結びつける人物と評しています。 -
中山氏墓所・見取図
中央丘陵部には初代信吉墓が在ります。また信吉嗣子信正が父信吉の寿像・木碑・燭台等を収めた御影堂跡の位置も確認できます。 -
二代信正霊屋跡
信吉嗣子信正の霊屋(おたま)跡で信正の歯骨を埋めたとされ、現在は6本の石柱、石畳、石柵等が残っているだけです。(信正墓は水戸桂岸寺) -
信正霊跡・説明板
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信正霊屋跡説明
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三代信治(のぶはる)と室円明院の墓
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墓石群
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中山氏歴代墓
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中山氏歴代墓
手前が11代信情(のぶもと)・と室の墓、その奥には13代信守(のぶもり)と室がそれぞれあります。 -
中山氏歴代墓所
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中山氏歴代墓所
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中山氏歴代墓所
8代信昌(のぶまさ)と室の墓が控えています。 -
初代中山信吉墓
中山氏墓所敷地の中央の丘陵部に初代信吉の墓が堂々と建立されています。 -
イチオシ
初代中山信吉墓
立札により登る事禁止となっています。 -
初代中山信吉墓(近景)
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中山信吉墓石碑
石碑の何か書かれているようですが文字が薄くて記載内容が判りません。 -
中山信吉説明
「水戸徳川家附家老 中山信吉公 寛永19年(1642)享年67歳」 -
中山氏歴代・墓敷地
雪原で境界が明確ではありませんが広い敷地に信吉を囲んで歴代が並んでいます。 -
中山氏歴代と室墓
右手は6代信敏(のぶとし)と室、奥は9代政信(のぶまさ)と室の墓となっています。 -
イチオシ
初代中山信吉墓(遠景)
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中山氏歴代と室墓 10代信敬(のぶたか)と室の墓です。
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智観寺・本堂
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智観寺・境内
本堂から山門を捉えます。 -
智観寺・境内
山門側から社務所を捉えます。
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