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現在の加治神社(かじじんじや、埼玉県飯能市中山)は明治40年(1907)中山村の諸社が合祀されてできた神社で、これら神社のうち創建に中山氏が関わったとされる神社がいくつかあります。<br /><br />中山氏に関係する神社としては丹生社、天神社そして旧加治神社と言われています。<br /><br />そもそも中山氏は平安時代後期頃に武蔵国西部に発生した小規模武士集団である武蔵七党のうち丹党(たんとう)と言われ、支配地域は秩父から入間一帯に分布、やがて高麗郡に進出した子孫の一つが中山という台地に居住したことで中山氏と名乗ります。<br /><br />まず丹生社(たんしょうしゃ)については元慶年間(877~885)に丹治武信(たんじ・たけのぶ、生没不明)が関東に下向し加治郷を領した時に、高野山から丹生明神を勧請し智観寺の東側にその社を配置したことに始まります。<br /><br />次に天神社は天文年間(1532~1555)中山家勝(なかやま・いえかつ)が勧請したもので、天文15年(1546)に小田原北条氏との河越夜戦で敗れて帰館する時に家勝が吾妻天神に救われたという話が伝えられています。<br /><br />そして旧加治神社ですが中山村鎮守だった聖天社(しょうてんしゃ)が明治2年に改称さていますが、戦国時代に中山家範(なかやま・いえのり、1548~1590)の遺命によって家臣が歓喜天を祀ったことに始まります。<br /><br />加治神社の現在の本殿は明治40年の智観寺の北にあった丹生社が合祀された時に移築されたものです。<br /><br />同時に移転され参道に並んでいる石燈籠3対(6基)は家範孫で水戸藩付家老中山信正(なかやま・のぶまさ、1594~1677)が中山村繁栄を願って寄進したものです。<br /><br /><br />2022年10月20日追記<br /><br />境内に建てられた説明板には次のように紹介されています。<br /><br />『 中山氏と加治神社<br /><br />伝承によると中山信吉の祖父にあたる中山家勝は上杉氏の家来として、北条氏との河越夜戦に敗れ中山に戻るとき、入間川の洪水に阻まれる。その時?毛の馬を連れた老人に救われ、中山にたどり着く。老人は「吾は吾妻天神なり」と言い残し馬とともに、天神様の前で姿を消したという。<br /><br />加治神社は明治の初め、聖天社が改称された名称だと考えられる。その後、この伝承の残る天神様(天満宮)は、加治神社と合祀される。<br /><br />加治神社の現在の本殿は、明治40年頃智観寺の北にあった丹生神社が合祀されたときに移築されたものである。参道には寛永19年の石灯籠が6基並んでいる。中山信吉のX子中山信正が丹生神社中興にあたり寄進したもので、本殿とともに移転された。信正は丹生神社の祭礼にも力を注ぎ、中山村の隆盛に力を注いだ。<br /><br />家事神社は、中山氏の足跡を残していると同時に一時は中山町と称されていた中山村繁栄の一端を示している。<br />

武蔵飯能 武蔵七党丹党の中山家範系後裔が出身地を離れても地元中山村の繁栄を祈願して前身の丹生社・天神社・旧加治神社を合祀した『加治神社』散歩

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2014/02/21 - 2014/02/21

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滝山氏照

滝山氏照さん

現在の加治神社(かじじんじや、埼玉県飯能市中山)は明治40年(1907)中山村の諸社が合祀されてできた神社で、これら神社のうち創建に中山氏が関わったとされる神社がいくつかあります。

中山氏に関係する神社としては丹生社、天神社そして旧加治神社と言われています。

そもそも中山氏は平安時代後期頃に武蔵国西部に発生した小規模武士集団である武蔵七党のうち丹党(たんとう)と言われ、支配地域は秩父から入間一帯に分布、やがて高麗郡に進出した子孫の一つが中山という台地に居住したことで中山氏と名乗ります。

まず丹生社(たんしょうしゃ)については元慶年間(877~885)に丹治武信(たんじ・たけのぶ、生没不明)が関東に下向し加治郷を領した時に、高野山から丹生明神を勧請し智観寺の東側にその社を配置したことに始まります。

次に天神社は天文年間(1532~1555)中山家勝(なかやま・いえかつ)が勧請したもので、天文15年(1546)に小田原北条氏との河越夜戦で敗れて帰館する時に家勝が吾妻天神に救われたという話が伝えられています。

そして旧加治神社ですが中山村鎮守だった聖天社(しょうてんしゃ)が明治2年に改称さていますが、戦国時代に中山家範(なかやま・いえのり、1548~1590)の遺命によって家臣が歓喜天を祀ったことに始まります。

加治神社の現在の本殿は明治40年の智観寺の北にあった丹生社が合祀された時に移築されたものです。

同時に移転され参道に並んでいる石燈籠3対(6基)は家範孫で水戸藩付家老中山信正(なかやま・のぶまさ、1594~1677)が中山村繁栄を願って寄進したものです。


2022年10月20日追記

境内に建てられた説明板には次のように紹介されています。

『 中山氏と加治神社

伝承によると中山信吉の祖父にあたる中山家勝は上杉氏の家来として、北条氏との河越夜戦に敗れ中山に戻るとき、入間川の洪水に阻まれる。その時?毛の馬を連れた老人に救われ、中山にたどり着く。老人は「吾は吾妻天神なり」と言い残し馬とともに、天神様の前で姿を消したという。

加治神社は明治の初め、聖天社が改称された名称だと考えられる。その後、この伝承の残る天神様(天満宮)は、加治神社と合祀される。

加治神社の現在の本殿は、明治40年頃智観寺の北にあった丹生神社が合祀されたときに移築されたものである。参道には寛永19年の石灯籠が6基並んでいる。中山信吉のX子中山信正が丹生神社中興にあたり寄進したもので、本殿とともに移転された。信正は丹生神社の祭礼にも力を注ぎ、中山村の隆盛に力を注いだ。

家事神社は、中山氏の足跡を残していると同時に一時は中山町と称されていた中山村繁栄の一端を示している。

交通手段
私鉄 徒歩
  • 加治神社・第一鳥居<br /><br />第一鳥居から参道が続きます。

    加治神社・第一鳥居

    第一鳥居から参道が続きます。

  • 加治神社・社標<br /><br />

    加治神社・社標

  • 加治神社・第二鳥居

    加治神社・第二鳥居

  • 加治神社・第二鳥居脇<br /><br />第二鳥居左側は車輛乗り入れが可能で、先には広場が確保されています。<br /><br />

    加治神社・第二鳥居脇

    第二鳥居左側は車輛乗り入れが可能で、先には広場が確保されています。

  • 加治神社・「中山氏と加治神社」説明板

    加治神社・「中山氏と加治神社」説明板

  • 加治神社・「御神徳記」説明板<br /><br />御祭神は高御産巣日命、神御産巣日命、菅原道真となっています。

    加治神社・「御神徳記」説明板

    御祭神は高御産巣日命、神御産巣日命、菅原道真となっています。

  • 加治神社・参道<br /><br />左右に配置された古い石燈籠を従えて残雪の参道を進みます。

    加治神社・参道

    左右に配置された古い石燈籠を従えて残雪の参道を進みます。

  • 加治神社・石段<br /><br />平坦な参道が勾配のある石段に変わります。左右に建立された石燈籠は風雪に耐えた姿をしています。

    イチオシ

    加治神社・石段

    平坦な参道が勾配のある石段に変わります。左右に建立された石燈籠は風雪に耐えた姿をしています。

  • 加治神社・「寛永19年石灯籠六基」記念石碑<br /><br />当地出身祖先とする中山信正(水戸藩付家老)による寄進を後世に残すべく石碑を建てています。<br /><br />

    加治神社・「寛永19年石灯籠六基」記念石碑

    当地出身祖先とする中山信正(水戸藩付家老)による寄進を後世に残すべく石碑を建てています。

  • 加治神社・「加治神社寛永19年石燈籠」説明板<br /><br />3対の石燈籠はもと智観寺東の丹生社にありましたが、明治の中頃丹生社が加治神社に合祀され、社殿と共に当地に移されてきました。<br />寄進者中山信正(水戸藩付家老)は智観寺や丹生社を中興し江戸時代初期の中山村の繁栄に深く寄与しています。

    加治神社・「加治神社寛永19年石燈籠」説明板

    3対の石燈籠はもと智観寺東の丹生社にありましたが、明治の中頃丹生社が加治神社に合祀され、社殿と共に当地に移されてきました。
    寄進者中山信正(水戸藩付家老)は智観寺や丹生社を中興し江戸時代初期の中山村の繁栄に深く寄与しています。

  • 加治神社・水取舎

    加治神社・水取舎

  • 加治神社・参道<br /><br />近隣の檀家衆によって除雪された参道を更に進みます。尚左右の狛犬の手前の石灯籠は「寛永19年石燈籠」3対の内拝殿に一番近い1対となっています。

    加治神社・参道

    近隣の檀家衆によって除雪された参道を更に進みます。尚左右の狛犬の手前の石灯籠は「寛永19年石燈籠」3対の内拝殿に一番近い1対となっています。

  • 加治神社・拝殿

    イチオシ

    加治神社・拝殿

  • 加治神社・社額<br /><br />左から「加治神社」と刻された社額が掲示されています。

    加治神社・社額

    左から「加治神社」と刻された社額が掲示されています。

  • 加治神社・境内<br /><br />拝殿から境内を一望します。

    加治神社・境内

    拝殿から境内を一望します。

  • 加治神社・本殿(右側)<br /><br />拝殿に続く本殿が雪よけ板に囲まれて建立されています。

    加治神社・本殿(右側)

    拝殿に続く本殿が雪よけ板に囲まれて建立されています。

  • 加治神社・本殿(左側)<br /><br />同様に拝殿の左側から本殿を捉えます。

    加治神社・本殿(左側)

    同様に拝殿の左側から本殿を捉えます。

  • 筆塚石碑

    筆塚石碑

  • 加治神社・参道<br /><br />参拝を終えて帰路の参道を降りていきます。<br /><br />

    加治神社・参道

    参拝を終えて帰路の参道を降りていきます。

  • 周辺案内板

    周辺案内板

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