2013/12/29 - 2014/01/02
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■2013-2014 年末年始の旅 〜大晦日〜
▼山鹿八千代座・国指定重要文化財/熊本県山鹿市山鹿
熊本県北部の山鹿市。熊本県の北部の内陸部、熊本市から北側へ約30km、福岡市から南南東へ約90kmの場所に位置しています。
いで湯と灯籠祭り、装飾古墳などで知られる歴史の街。そこには江戸時代の参勤交代にも利用された豊前街道が通り、その街道沿いに「八千代座」は今も尚歴史を語り続けています。
明治43年当時商工業で栄えた山鹿の旦那衆が八千代座組合を創設、一株参拾円の株を購入し建てた芝居小屋です。こけら落としは同44年1月で、歌舞伎の松嶋屋総勢91人による興業でした。
当時の記録を紐解くと、松井須磨子、岡田嘉子、長谷川一夫、片岡千恵蔵らの名前を見ることが出来ます。
八千代座は大正から昭和初期にかけて、当代一流といわれる芸能人の熱演を多くの人々の心に深く刻み込んできたのです。
国指定の重要文化財である八千代座ですが、昭和40年代に老朽化し朽ち果てる寸前でした。山鹿の老人会が「瓦一枚運動」で募金を行い、5万枚の屋根瓦を修復。現在では若者も活動を始め、平成2年から「坂東玉三郎舞踊公演」が定期的に開催されています。HPより。
▼鞠池城跡/熊本県山鹿市菊鹿町
鞠智城跡は、有明海に注ぐ菊池川の河口から北東に約27km内陸に入った菊池川中流域、鹿本郡菊鹿町米原にある標高160m前後の丘陵地に位置します。
鞠智城は、東アジア情勢が緊迫した7世紀後半(約1300年前)に、大和朝廷(政権)が築いた山城です。
663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷(政権)が日本列島への侵攻に備え西日本各地に築いた城の一つで、九州を統治していた大宰府やそれを守るための大野城・基肄(きい)城に武器・食糧を補給する支援基地でした。
『続日本紀(しょくにほんぎ)』など、国の歴史書にも記載のある全国有数の重要遺跡として、平成16年2月27日に国史跡に指定されました。
周囲の長さ3.5km、面積55haの規模をもつ城で、昭和42年度からの県の発掘調査により、八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡など、当時の姿を物語る貴重な遺構が相次いで発見されています。
こうした発掘調査の成果に基づき、平成6年度から4棟の復元建物(八角形鼓楼、米倉、兵舎・板倉)をはじめ、城の立地や規模、構造などを体験的に学習できる歴史公園として整備を進めています。HPより。
▼大宮神社/熊本県山鹿市山鹿
山鹿灯籠まつり(やまがとうろうまつり)の発祥といわれている景行天皇奉迎伝説の舞台となったのが、濃霧の立ちこめた菊池川(きくちがわ)であり、そしてここ大宮神社です。
≪3日目≫
■成田山久留米分院/福岡県久留米市上津町
■熊本県立装飾古墳館/福岡県久留米市上津町
■八千代座/熊本県山鹿市山鹿
■金剛乗寺石門/熊本県山鹿市山鹿
■鞠智城/熊本県山鹿市菊鹿町
■菊池神社/熊本県菊池市隈府
■菊池渓谷/熊本県菊池市原深葉
■鍋ケ滝/熊本県阿蘇郡小国町黒渕
≪4日目≫へつづく・・・
【手記】
年末年始の旅、大晦日(3日目)の旅日記です。この日は久留米駅前のHを出発、熊本県の山鹿市から菊池渓谷方面へ愛車を走らせました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
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■成田山久留米分院/福岡県久留米市上津町
年末年始の旅、大晦日(3日目)の旅日記です。写真は日本最大級・救世慈母大観音様(高さ62m)です。 -
■成田山久留米分院/福岡県久留米市上津町
この日は久留米駅前のHを出発、熊本県の山鹿市から菊池渓谷方面へ愛車を走らせました。
ここ成田山久留米分院は今年の元旦(2013年元旦)に初詣で訪れたところです。 -
■成田山久留米分院/福岡県久留米市上津町
今日は大晦日、今回は「暮れ詣で」になりました。関係者のみなさまはお正月の準備で忙しそうでした。 -
■成田山久留米分院
・平和大仏塔極楽殿 HPより
インド村・平和大仏塔極楽殿は高さ38m日本唯一のものであり、世界で2基目ブッダガヤ大仏塔と同型のものです。 -
■熊本県立装飾古墳館/福岡県久留米市上津町
つづいて熊本県山鹿市へ向かっていきました。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
熊本県山鹿市は熊本県の北部の内陸部、熊本市から北側へ約30km、福岡市から南南東へ約90kmの場所に位置しています。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
いで湯と灯籠祭り、装飾古墳などで知られる歴史の街。そこには江戸時代の参勤交代にも利用された豊前街道が通り、その街道沿いに「八千代座」は今も尚歴史を語り続けています。
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▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
明治43年当時商工業で栄えた山鹿の旦那衆が八千代座組合を創設、一株参拾円の株を購入し建てた芝居小屋です。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
こけら落としは同44年1月で、歌舞伎の松嶋屋総勢91人による興業でした。
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▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
当時の記録を紐解くと、松井須磨子、岡田嘉子、長谷川一夫、片岡千恵蔵らの名前を見ることが出来ます。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
八千代座は大正から昭和初期にかけて、当代一流といわれる芸能人の熱演を多くの人々の心に深く刻み込んできたのです。
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▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
国指定の重要文化財である八千代座ですが、昭和40年代に老朽化し朽ち果てる寸前でした。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
山鹿の老人会が「瓦一枚運動」で募金を行い、5万枚の屋根瓦を修復。現在では若者も活動を始め、平成2年から「坂東玉三郎舞踊公演」が定期的に開催されています。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
国指定の重要文化財である八千代座、この日は年末なのでお休み、残念〜。 -
▼山鹿八千代座・国指定重要文化財/熊本県山鹿市
八千代座は、明治43年に建築の江戸時代の伝統的な芝居小屋の様式を今に伝える芝居小屋です。 -
▼山鹿八千代座・国指定重要文化財/熊本県山鹿市
山鹿の商工会が劇場組合を作り、1株30円の株を募って建てたものです。八千代座を設計し、工事監督をしたのは、回船問屋の主人で灯籠師でもあった木村亀太郎です。 -
▼山鹿八千代座・国指定重要文化財/熊本県山鹿市
建築には素人でしたが、研究熱心で東京の歌舞伎座や各地を見学、さらには上海に渡り洋式工法の長所も取り入れました。 -
▼山鹿八千代座・国指定重要文化財/熊本県山鹿市
昭和40年代になると庶民の娯楽が多様化し、八千代座は時の流れの中に取り残されていきます。 -
▼山鹿八千代座・国指定重要文化財/熊本県山鹿市
閉鎖状態が続き老朽化が進む芝居小屋。朽ちかけていく八千代座に一番心を痛めたのは、華やかだった頃を知るお年寄りでした。 -
▼山鹿八千代座・国指定重要文化財/熊本県山鹿市
老人会は、「瓦一枚運動」で募金を募り、屋根瓦を修復。この運動に刺激を受けた若者も、復興へ向けての様々な活動を始めました。 -
▼山鹿八千代座・国指定重要文化財/熊本県山鹿市
その後、昭和63年国重要文化財に指定されました。 -
▼山鹿八千代座・国指定重要文化財/熊本県山鹿市
平成2年から市民の手づくりで行われた「坂東玉三郎舞踊公演」では、明治の芝居小屋:八千代座が創り出す空間のなかで、華麗に舞う玉三郎丈の舞台のすばらしさに観客は魅せられ、この公演が復興への大きな追い風となり、八千代座の名前を全国に広めることになりました。 -
▼山鹿八千代座・国指定重要文化財/熊本県山鹿市
平成8年より平成の大修復・復原が始まり平成13年完了。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
さすが熊本 くまモングッズがいっぱい! -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
くまモンシール 山鹿灯篭くまモン団扇 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
くまもとの米 こんなものにもくまモン^^が・・・ -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
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▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・月輪門
文化元年(1804)に石工・甚吉によって造られたもので、凝灰岩の切石を使った円形の門である。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・月輪門
この石門は、昭和50年2月に山鹿市の 「 特別文化財工芸品 」 に指定され、異国を思わせるようなデザインは町の人々に親しまれている。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・月輪門
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▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・月輪門
門の輪石に刻まれている梵字のアと、バンは、サンスクリット語でそれぞれ胎蔵界と金剛界の大日如来を意味しています。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・月輪門
この門より如来の心中に入ることを示しています。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・金剛乗寺楼門
825年、弘法大師の開山で、後鳥羽上皇の勅願所でもありました。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・金剛乗寺楼門
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▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・山鹿灯篭民芸会館
肥後・熊本(熊本市)を起点として北上し、植木・山鹿から南関を経て豊前・小倉(北九州市)に至る道を熊本では「豊前街道」と呼んでいます。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・山鹿灯篭民芸会館
近世になってこれらの道は参勤交代道として栄え、大名行列の宿場町として栄えるなどその土地固有の産業や文化が育ってきました。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・山鹿灯篭民芸会館
残念ながらここもお休み。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・足湯
昔から湯のまちであった山鹿は宿場町、文化の中心として栄え、重厚な貫禄が町並みに残っています。 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・足湯 -
▼山鹿町並み・豊前街道/熊本県山鹿市
・豊前街道散策絵図 -
▼大宮神社/熊本県山鹿市山鹿
ところかわって大宮神社へやってまいりました。
第12代景行天皇が筑紫(九州)巡幸の際、現社地に行宮(あんぐう、仮の御所)を営んだと伝える。その後、行宮の跡地に天皇を祀ったのが起こりといわれています。 -
▼大宮神社/熊本県山鹿市山鹿
楼門の天井・・・珍しいな。干支の周りにローマ数字が描かれています。 -
▼大宮神社/熊本県山鹿市山鹿
燈籠殿・・・8月16日の例祭燈籠祭の「上がり燈籠」において奉納された山鹿燈籠を全て保存展示しています。 -
▼鞠池城跡/熊本県山鹿市菊鹿町
案内板があったのでちょっと立ち寄ってみた。
鞠智城跡は、有明海に注ぐ菊池川の河口から北東に約27km内陸に入った菊池川中流域、鹿本郡菊鹿町米原にある標高160m前後の丘陵地に位置します。
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▼鞠池城跡/熊本県山鹿市菊鹿町
鞠智城は、東アジア情勢が緊迫した7世紀後半(約1300年前)に、大和朝廷(政権)が築いた山城です。 -
▼鞠池城跡/熊本県山鹿市菊鹿町
663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷(政権)が日本列島への侵攻に備え西日本各地に築いた城の一つで、九州を統治していた大宰府やそれを守るための大野城・基肄(きい)城に武器・食糧を補給する支援基地でした。 -
▼鞠池城跡/熊本県山鹿市菊鹿町
『続日本紀(しょくにほんぎ)』など、国の歴史書にも記載のある全国有数の重要遺跡として、平成16年2月27日に国史跡に指定されました。
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▼鞠池城跡/熊本県山鹿市菊鹿町
周囲の長さ3.5km、面積55haの規模をもつ城で、昭和42年度からの県の発掘調査により、八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡など、当時の姿を物語る貴重な遺構が相次いで発見されています。 -
▼鞠池城跡/熊本県山鹿市菊鹿町
こうした発掘調査の成果に基づき、平成6年度から4棟の復元建物(八角形鼓楼、米倉、兵舎・板倉)をはじめ、城の立地や規模、構造などを体験的に学習できる歴史公園として整備を進めています。HPより。 -
▼鞠池城跡/熊本県山鹿市菊鹿町
大晦日ですからどこもかしこもお休みです。まっ、仕方ないか。 -
▼菊池渓谷/熊本県菊池市原深葉
次の旅日記は「季節外れの‘菊池渓谷’ウォーキング」です。
THE END. つづく・・・
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