2009/04/16 - 2009/04/16
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kenichi291さん
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2009年4月16日小川治兵衛氏作庭の日本庭園がある旧古河庭園に行って来ました。
「武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。この庭園はもと明治の元勲・陸奥宗光の別邸でしたが、次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となりました。尚、この当時の建物は現存していません。現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイアコンドル博士(1852年〜1920年)です。博士は当園以外にも、旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などを設計し、我が国の建築界に多大な貢献をしました。日本庭園の作庭者は、京都の庭師植治こと小川治兵衛(1860年〜1933年)であり、彼は当園以外にも、山県有朋の京都別邸である無鄰菴、平安神宮神苑、円山公園、南禅寺界隈の財界人の別荘庭園などを作庭し、造園界に多大な貢献をしました。
写真はコンドル設計の洋館。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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駒込駅を降りて本郷通りを旧古河庭園に向かうと、坂の途中に古地図がありました。妙義坂と言う坂のようです。かつてこの染井辺りは津の殿様藤堂藩の下屋敷のあった場所だそうです。確か、俳聖芭蕉翁も藤堂家所縁の人でありましたね。藤堂家の墓所が染井霊園の中に在ったと記憶しています。
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子育地蔵尊。
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妙義坂。
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坂を下って行くとなんともクラシックな佇まいの銭湯「亀の湯」さんが。
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大炊介坂(おおいのすけざか) 旧古河庭園の塀沿いの坂。ここはもう北区西ヶ原になります。
旧古河庭園 公園・植物園
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大炊介坂を登りつめた所に庭園入口がありました。
この庭園はもと明治の元勲・陸奥宗光の別邸でしたが、次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となりました。戦後、国へ所有権が移りましたが、地元の要望などを取り入れて、東京都が国から無償で借り受け、一般公開されました。数少ない大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在で、伝統的な手法と近代的な技術の融和により、和洋の見事な調和を実現している秀逸で代表的な事例であり、また、現存する近代の庭園の中でも、極めて良好に保存されている数少ない重要な事例であるとして、平成18年1月26日に文化財保護法により国の名勝指定を受けました。」以上パンフレットの説明「洋館建物内の見学は、往復はがきによる事前の申し込みが原則です」と書いてありますが、当日空きがあれば入館出来るようです。館内見学は一日3回で、1回目、午前の部10時30分 2回目、午後の部13時00分 3回目、午後の部14時30分となっていますが、当日の申し込み受付がこの日は各回30名となっていました。 -
入口を入った右手に洋館が見えます。
「ジョサイア・コンドル最晩年の作で、大正6年5月に竣工しました。躯体は煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われ、屋根は天然ストレート葺き、地上2階・地下1階となっています。大正12年9月1日に発生した関東大震災では約2千人の避難者を収容し、虎之助夫妻が引き払った15年7月以降は貴賓の為の別邸となり、昭和14年頃には後に南京政府を樹立する国民党の汪兆銘が滞在し、戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収され、戦後は英国大使館付き武官の宿舎として利用されました」 -
正面玄関。
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玄関左の面。
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芝生地から見た全景。
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草花の花壇。
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西洋庭園側から見た全景。
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西洋庭園 「ジョサイア・コンドル設計で、左右対称の幾何学模様の刈込のフランス整形式庭園と、石の欄干や石段・水盤など、立体的なイタリア露壇式庭園の技法を合わせバラと洋館と調和した絵画的な景観美となっています。」
展望台から見た西洋庭園の全景。西洋庭園左階段下はつつじ園。 -
テラスから見て右側。
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テラス中央の通路。
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テラスから見て左側。左側の庭園は法面を残して右側とは完全な左右対称になっていません。あくまでもシンメトリを追求するフランス式庭園の中ではちょっと変っているかも。
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洋館テラス ここからの眺めが上の写真です。
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石段を下りて木立に入り、木立を抜ければ日本庭園に出ます。
日本庭園は「小川治兵衛作庭で、心字池を中心に枯滝・大滝・中島を配しています。冬のマツの雪吊とこも巻・ソテツの霜除は風物詩となっています。また夏の大滝の水音と秋の紅葉もおすすめです。」
重森千青氏は日本庭園の美の中で「明治時代の庭園は、江戸中期から起こった自然風景主義的な庭園の集大成の時代でもある。特に京都の小川治兵衛(植治)の創作した庭園は、ここに紹介している対流山荘以外にも、南禅寺界隈に多数ある。たとえば山県有朋の別荘であった無燐庵や野村碧雲荘、細川別邸、など南禅寺界隈のいわゆる高級住宅地に散在している。この植治の作品は独自の世界を築いており、これはこれで非常に技術的にも傑出したものを持っているが、後にこの作風を取り入れたものばかりが日本中にあふれ、そして未だにそこから決別出来ていないのは、日本庭園の創作意欲に対する堕落でもある。」と評しています。 -
黒ボク石積 木立の中にあります。
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奥の院型灯篭 庭内の各所に置かれています。
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木立の中。新緑が素晴らしい。心字池がほとんど見えないような園路となっています。林の中を散策するといった趣き。
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大滝。
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新緑の木立の中に上段の滝が見え隠れしています。
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大滝の横の坂道を昇ればお茶室が二亭あります。
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更に上の西洋庭園の外れにある書庫に出ます。
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崩石積。
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元表門(染井門) 築山の後の門。続く広い道は馬車道。
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築山 枯滝の滝口は築山の中にあります。
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洲浜 雪見灯篭を配した洲浜。
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枯滝 洲浜の奥にあります。
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最上段にある滝口。
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中島 中島へは一枚岩の橋と二枚の岩を繋げた橋で結ばれています。
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渓谷。
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泰平型灯篭。
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昼も大分廻ったので、霜降橋の横町でお食事。食事後染井霊園の二葉亭四迷, 岡倉天心、高村光太郎・智恵子などのお墓にご挨拶。
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巣鴨に抜けて、とげ抜き地蔵さんにお参りして帰途に。
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