2013/12/13 - 2013/12/13
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サンフランさん
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東海道の歩き旅もいよいよ佳境に入ってきました。今日は藤川から岡崎を歩きます。
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藤川宿の脇本陣跡
「藤川宿は品川から数えて37番目の宿、1601年の伝間朱印状が発給されて宿場となった。しかし規模は小さく加宿がもとめられて、1648年市場村68戸を藤川宿の東に移転させ藤川宿の体裁が整った。戸数302戸、本陣、脇本陣各1、問屋場、旅籠やは36件と記録がある」(岡崎市教育委員会、藤川宿ご案内) -
藤川宿の脇本陣の門はむかしのものでしょうか?
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藤川宿の脇本陣跡は資料館になっています。当時の高札が保存されているようです。
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脇本陣の裏にあるむらさき麦の栽培地
「300年ほど前、松尾芭蕉は
ここも三河 むらさきの麦の かきつはた
の句を残しました。これは藤川宿一帯でむらさき色に染まる麦が作られていたからで、地元の人々の努力で再び栽培されるようになり、毎年5月の中旬から下旬にかけてその美しい色を鑑賞することができます」(藤川宿まちずくり研究会) -
その横にある石垣は本陣の石垣のようです。
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藤川宿を9時に出発
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西棒鼻跡
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京までまだ46里もあります。
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歌川豊広の歌、「歌川豊広は江戸時代の浮世絵師」
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十王堂
「十王堂は10人の王を祀る堂で、王とは冥土にいて亡者(死んだ人)の罪を裁く10人の判官を言う。藤川宿の十王堂はいつ創建されたかは不明であるが、十王が座る台座の裏に[宝永7年7月](1710)の記年がある」(藤川宿まちずくり研究会)藤川駅 駅
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藤川の一里塚は民家の玄関先です。
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その先には松並木があります。
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二股です。どちらに行くのでしょうか? 左は吉良道、どうやら右が東海道
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踏み切りの先に再び松並木
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松並木がつづきます。
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藤川西の交差点から再び国道1号へ
今日の目的地、知立までは17km -
岡崎は近い?
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この先を右に入って大岡越前陣や跡
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いわずと知れた江戸町奉行!
「1万石の大名となり明治まで西大平藩大岡家の陣屋が置かれたところです。陣屋は明治維新に廃止されたが、藩主を慕う旧藩士や領民から陣屋跡を保存すると同時に、旧藩主に東京から移住を願う声が上がり大岡家別邸として復活しました」(岡崎観光文化百選)
とありますが、建物はないようだ。 -
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代わりに社があります。
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大平の一里塚
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この常夜灯もご立派!
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ラブホ百万石の前の東海道は地下道に!
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地下道をくぐって岡崎の城下も近い?
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これは土台の高い常夜灯!
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なにやら街道に宿の入り口らしきものが! 岡崎の27曲がりの説明ポイント
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27曲がりの碑もあります。
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ここから27曲がり開始?
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根石観音堂
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27曲がりの標柱が!
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この常夜灯は由緒正しき物らしい!
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27曲がりは次の伝間通り一丁目まで660m
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右は江戸、左は信州道、この辺が岡崎宿の中心だったようだ。
岡崎宿 名所・史跡
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朝鮮通信使のモニュメント
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助郷のモニュメント
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つづいて飯盛り女、....
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田中吉政
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三度飛脚
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御馳走屋敷
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再び17曲がりの石碑
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次の六地蔵まで60m、(ほ)ポイント
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西本陣前の石碑
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籠田総門碑まで170m
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再び吉良道と京いせ(?)道の道標
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籠田総門跡碑
どうやらここを曲がるらしい。 -
その裏にある田中吉政の像。こちらは立派!
田中吉政は、「南にあった東海道を岡崎へ引き入れた城主で、27曲がりを造り、堀を築造するなど城下の整備を行った」 -
再び27曲がりの石碑!分からなくなりそうになると現れる。
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どう数えても27はなさそうだ?
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(と)次は連尺町角
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次の材木町角まで100m(ち)
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(り)に到着。だんだんわけが分からなくなる。
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きまち通りの歩道石にも
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(ぬ)柿田橋まで350m
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(る)三清橋角まで190m
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民家に「とうゆみづる」の看板、「かつて岡崎は三河木綿の産地で、このあたりには職人や商店が多く存在した。唐弓弦は江戸時代の綿を打つ道具のことで、これを扱っていた店の看板が当家に現存している」
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川沿いに出ました。古い石碑の「材木町より下?町角」
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27曲がりはこの辺で分からなくなる。とりあえず岡崎城へ
岡崎城 名所・史跡
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堀を埋める紅葉!
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天守へ
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徳川家康公産湯の井戸
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城前のこの橋を渡ります。
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27曲がり8帖村の道標、運よくこの道でよかった。でも(れ)
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八丁味噌の里へ
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この辺は花火の産地でもあるらしい。稲垣やさんは鉄筋の現代的3階建て!
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これが8丁蔵通りです。味噌やさんが並んでいます。
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立派な連子格子の町家と
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八丁味噌の蔵
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東海道が分からなくなったら、...
左江戸、右京の道標が、....この先で再び国道へ -
国道脇に和志王山薬王寺
「奈良時代の創建で由緒ある寺で、ご本尊の薬師如来は17年に一度ご開帳の秘仏」(宇頭町) -
これは分かりやすい京―江戸の旧東海道の道標
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岡崎のマンホール
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薄暗くなって安城市に入りました。まだ、2時過ぎですが先を急ぎます。
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国道から旧道は右へ
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鎌倉街道跡と一里塚跡
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東海道のほかに鎌倉街道があった。鎌倉街道は関東にはあちこちにあるけれど、この愛知県で見るとは!
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その熊野神社
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常夜灯は高くて、むかしはかなりの役に立ったのでしょう?
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東海道の道標がない。でもこういった明治天皇のお休み処の石碑は分かりやすい。この石はかなり最近のもので、...
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永安寺の雲竜の松
「永安寺は大浜茶屋の庄屋柴田助太夫の霊を祀る寺で、貧しい村人のために助郷役の免除を願い出て刑死したと伝えられる。この寺を覆い包むように横に枝を広げたこの黒松の巨木は助太夫家の庭にあったものか、樹齢は300年と推定されます。中心の幹が上に伸びずに地を這うようにのびて、その形が雲を得て天に昇ろうとする竜を思わせるので雲竜の松と呼ばれています」(安城市教育委員会) -
確かに地を這うように
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知立は近いのでしょうか? 正面は明治川神社
明治川神社 寺・神社・教会
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知立の松並木が始まります。
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常夜灯は宿近し?
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公園に1本、玉の井の石碑
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御ぐわ神社
この辺の氏神らしい。由緒はもちろん江戸時代。「伊勢より御鍬神を勧請して豊作を祈願してきた。本殿は大正3年の神明造、屋根は切妻の杉皮葺、平入り素木造りなどの神殿で、伊勢神宮外宮の1/2で造営された」(立て札、愛知県神社庁) -
「道標とは、道路を通行する人の便宜のため、方向・距離などを示し、路傍に立てた表示物である。この道は江戸時代の東海道であったことから処々にこのような道標が立てられた」ここまでは分かりきっている。
「従是(これより)4丁半北 八橋 業平作観音有
元禄九丙子年6月吉日施主敬白
と記されており、これは、元禄九年(1696)に。在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべとして立てられたことがわかる」(知立市教育委員会) -
なるほどなるほど!
知立手前、夕闇の中に一里塚 -
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知立の松並木が、...
池鯉鮒宿は近い? -
松並木に、「江戸から84里17町、東海道39番目の宿、池鯉鮒宿」の石碑が、...
池鯉鮒宿 名所・史跡
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小林一茶の句
だいぶ痛んでいる木札で読みづらい。 -
この歌碑の解説のようだ。
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知立の松並木が夕日を浴びて続く
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馬市の句碑
この辺は馬の産地だったらしい。 -
馬市の跡
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池鯉鮒宿本陣跡
われながら良く見つけた。手前のコンクリートの塊の陰で!池鯉鮒宿 名所・史跡
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