2013/12/14 - 2013/12/15
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サンフランさん
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東海道をさらに西へ。とても寒いです。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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8時30分、知立を出発
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本町の山車蔵を発見! 見事な山車があるようです。
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知立古城跡
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了運寺
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総持寺跡の大銀杏の立て札を見て、大銀杏を見る。時期が悪く全て葉が落ちた老木が! 回りはなにやら工事中で
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だいたい総持寺なるものはここに移転している。
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知立市のマンホール
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すぐ刈谷市に入る。
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国道から東海道は旧道に入る。
洞隣寺
「曹洞宗の寺で、1580年の開山といわれ、開基は刈谷城主の水野忠重とされる。本堂の隣に地蔵堂・行者堂・秋葉堂が並んでいる。寺の入り口の常夜灯は、1796年の年号が刻まれている」(刈谷市教育委員会) -
洞隣寺の本堂
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いもかわうどんの碑
「江戸時代の東海道の紀行文にいもわうどんが出てくる。この名物うどんは平うどんでこれが東に伝わって、ひもかわうどんとして現代に残る。今でも東京ではうどんのことをひもかわと呼ぶ」(刈谷市教育委員会)
聞いたことがないですが、....東京で「ひもかわひとつ」とといってみてください。 -
今川市民館?
目を引く連子格子の建物 -
乗蓮寺よりも道端のお地蔵さんが、….
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立派な長屋門のお宅、立て札はない。
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東海道は国道の下を
水が溜まると通行不能です。 -
阿野の一里塚
阿野一里塚 名所・史跡
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一里塚の前に歌碑がある。「春風や坂を上りに馬の鈴」(市雪)
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「たちならぶ はなにしきと家ごとに かけ渡したる くくり深かな」離屋鈴木眼(?)
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左に街道らしいお堂が!説明板などはなし。常夜灯かもしれません。
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豊明市のマンホール
いつの間にか刈谷から豊明に!有松の手前、中京競馬場あたりまでが豊明市 -
競馬場を過ぎて、名古屋市緑区、有松に入ると、有松絞りの町家の旧家が並ぶ
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連子格子の街並みが始まる
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有松山車会館
有松のお祭りも山車が出るのでしょうか?有松山車会館 美術館・博物館
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井桁や(服部家)
「有松で代表的な建物、主家は塗篭造(ぬりごめづくり)でうだつを設け、蔵は土蔵造りで腰になまこ壁を用いて防火対策を行っている」(名古屋市教育委員会)有松古い町並み 名所・史跡
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これがその蔵です。
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服部家住宅の前には有松絞り会館。その中の立て札
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有松の浮世絵絵図には今も変わらない有松絞りの商店の風景が、....
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有松絞りの販売店、仲濱
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一番右の角に、馬つなぎ環
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こちらにも山車。
有松町並み保存地区 名所・史跡
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中舛竹田家
中舛竹田家は、旧東海道の歴史的な街並みを伝える貴重な建物で、有松絞りの開祖である竹田庄九郎ゆかりの江戸時代の建物であった。老朽化の中で保存が検討されて、所有者の竹田家、名古屋市の協力で募金を活用して外観は江戸期の様式を再現した。平成22年竣工」(前の立て看板) -
竹田家住宅
「当住宅は江戸期と思われる主屋を中心に、明治から大正期にかけて整備されたと見られる。建物は、紋問屋の伝統的形態を踏襲している。特に、主屋は塗篭造、書院、茶席とも建設的大変優れている。竹田家は屋号を笹加という」 -
こちらまで続いている。
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有松の街道筋の景観
背景に近代的な構造物があるのが残念ですね。 -
岡家住宅
2階の格子が美しいとされていいる。 -
小塚家住宅
当住宅は重厚壮大な有松の絞り問屋の形態を良くとどめている。主屋の一階は格子窓、二階は塗篭(ぬりいごめ)壁、隣家との境にうだつがあり、塗篭造の最も古いものの一つとされています。小塚家は屋号を山形屋として明治期まで絞り問屋を営んでいた。(名古屋市教育委員会) -
梅屋鶴寿の歌碑
「ありまつの 柳しぼりの 見せにこそ しばしと人の 立ち止まりけり」 -
有松の一里塚
東海道で最も新しい一里塚? これも100年たつとそれらしくなる? -
平部町の常夜灯
鳴海宿の東の入り口。鳴海宿は品川より40番目の宿鳴海宿 名所・史跡
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瑞泉寺
龍ばん山と号する曹洞宗の寺院で、鳴海根古谷城主、安原宗範が1396年の創建、大徹禅師を開山とする。その後、兵火にり焼失、1501年現在地の移った。鳴海の豪族、下郷弥兵衛1755年に堂宇を完成した。山門は黄檗宗万福寺総門を模した中国流の形式の門である。(名古屋市教育委員会)瑞泉寺 寺・神社・教会
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来迎山誓願寺
松尾芭蕉の供養塔があるところですが、先を急ぐ。
「芭蕉が没した翌月の忌日、当地の芭蕉門下が追悼句会を開いた折、他の寺にたてられたものだが、芭蕉門人、下里知足の菩提寺の当時に移された。最古の芭蕉供養塔である」 (名古屋市教育委員会) -
丹下町の常夜灯
1792年篤志家の寄進による」と書かれている。結局、何も宿場らしいものは見ずに鳴海は通り過ぎてしまった。 -
東海道分間延絵図なるものが、路上に
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熱田宿の位置が書かれている。桑名まで海上七里、名古屋まで1里半
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現在地から熱田は近い?
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笠寺の一里塚!
これはかなり一里塚らしい。笠寺一里塚 名所・史跡
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笠寺観音の前を左に折れる。参道を行く。
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笠寺の商店街を抜けます。
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塩付街道と交差、最近立てたような東海道の道標が次々と、...
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宮部神社の入り口にも東海道の真新しい石碑が、...
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鎌倉街道と交差する。愛知県で鎌倉街道とは! 幕府はここまでも
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山崎の坂の途中にも東海道の石碑
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国道の側道を行き、東海道線の踏切を渡り、
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橋を渡って
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名鉄の鉄橋をくぐり
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宮に到着。
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伝間の商店街は道路に阻まれます。
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名古屋道の道標は、離れたところに、国道の脇です。
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日も暮れかかり、ようやく
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7里の渡しに到着。
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現在の渡し?
今日はここまでで17.5kmのあるきでした。 -
桑名のマンホール
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12月15日、江戸日本橋を出てから21日目です。
桑名の焼き蛤はない」とガイドブックにはあったのですが、旗が立っています。 -
海蔵寺(薩摩義士墓所)
薩摩義士とは、当地方にたびたび水害をもたらした木曾・甲斐・長良の治水工事による薩摩藩85名の犠牲者を言います。工事は宝暦3年、江戸幕府より命ぜられ、藩士950名と30万両で始められ1年半で完成したが、この間に犠牲者と多大な工事費用を費やしました。当時には、工事終了後大幅な予算超過と多数の藩士を失った責任を負い切腹した工事奉行平田鞠負の墓碑を中心に24義士の墓がある」 -
貝のお店?貝新
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桑名別院本統寺
松尾芭蕉が滞在したとかで、「冬牡丹 千鳥の雪の ほととぎす」 -
桑名の7里の渡しです。
七里の渡跡 名所・史跡
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伊勢湾台風の被害でこの辺は大変だったようで、江戸時代の残っているものはすくない。
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9時45分、桑名の7里の渡しを出発
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蛤漁でしょうか? 漁船が出ています。
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春日神社の銅鳥居
「1667年、寛文年間に、桑名城主松平定重によって建てられた」(桑名市教育委員会) -
しるべいし
迷子石とも呼ばれ、子供が迷子になると左側の「たづぬるかた」に子供の特徴や服装などを書いた紙を貼って、心当たりのある人が右側の「おしゆるかた」に子供のいた場所などを書いて貼ります。(桑名市教育委員会)
しるべいしは崩落を予防してアングルフレームで固められている。 -
桑名城城壁
「正面の堀川東岸(3の丸地区)の城壁は桑名城城壁の一部で、川口町揖斐川にい面する川口費門から南大手橋にいたる延長約500米が現存」 -
京町毘沙門天
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吉津屋掘・寺町掘
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東海道は他の城下と同じくジグザグに進む。さながらこの店の前を通ってくれという感じで、右に曲がって、貝増本店の前をとおり、その先で左折する。
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泡洲崎八幡社
江戸時代以前、このあたりは町屋川の洲で当社は鎮守であった。慶長年間の町割のとき、旧地、今の一色町より光徳寺門内に鎮守され、明治の合祀礼にょり桑名宗社に合祀されていたが、昭和25年新町産土神として現在地に分祀遷御された。境内に「右きょういせみち」「左ふなばみち」の導石がある。(門前の由来立て札)
小さな社でもずいぶんと変遷があるみたいだ。 -
火の見櫓で東海道見学ツアー一行に出会う。あちらはガイドが付いている。宿のポイントは歩いて、宿間はバス観光バスの移動らしい。
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鐘つき堂が立派な了順寺
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高々とそびえる常夜灯
遠くからでも見やすかったであろう? -
東海道入り口の立て札が! こちらからは出口?
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町屋橋あとで東海道は行き止まりとなる。
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町屋橋の変遷が、...
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国道1号、現代の町屋橋で員弁川を渡り、
国道1号に沿っている東海道をしばらく行く。左手にぽつんと一里塚あとが、.... -
朝日駅近くで近鉄線の踏切を渡る。
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朝日町の東海道の展示?
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街道らしい風景がないので、...
小向神社の標柱と東海道の標識を見て、安心。 -
橘守部誕生地の立て札
江戸時代の国学者だそうだ。 -
迷いそうな2又道
「東海道はこちらでござる」
ありがたい民間の道路標識 -
野中の真ん中に常夜灯が!
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再び市街地に入り、左手に造り酒屋? タカハシ酒造
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ここが東海道か? どうか?心もとない道に
松寺の立場跡 -
冨田の一里塚あと
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八幡神社の力石
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ありがたき道路標識
四日市まで一里 -
小学校の脇に明治天皇の御休息処の碑
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常夜灯が1基
碑表には常夜灯と刻まれた下に氏子中とある。裏には天保十巳亥年(1839)とある。 -
ここにも力石
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ようやく街道らしい民家
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茂福神社
由来が書かれているが、鳥居も神社の建物もない。 -
日が暮れてきて、常夜灯にも灯がともる。なんとLED電球だ。
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東海道の道標を前に置いた地蔵堂
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名残の松が1本
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志氏神社
氏の下に1本棒が書かれている漢字で、….. -
三ツ谷の一里塚跡は児童公園に
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またまた川に行き当たる。海蔵川。たぶん橋の位置は北へずれたのだろう。
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橋のたもとにある文三餅の三瀧や
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三瀧橋をわたる。
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こちらはなが餅の笹井や
蔵のような建物と餅は歴史ある名物らしい。なが餅 笹井屋 本店 グルメ・レストラン
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東海道は四日市の市内へ
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諏訪神社の前を通る
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諏訪神社の前から東海道は商店街に
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商店街を抜ける。
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この辺で道に迷う。似たような道路が平行している。格子のある街道らしい民家は、東海道に、...
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住宅の格子に、「東海道」
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鈴木薬局
「竹の切り口を示す丸二つの組み合わせなどで商標を登録している鈴木薬局
は200年以上製薬業を営む旧家である。当主は第11代を数える。….」
雨がひどくなってきたみたいだ。 -
大宮神明社
「昔は海が近く、その海辺にあった舟付神社が400年前に炎上して当時できつつあった東海道に遷ってきたのがこの社で、例祭には八幡獅子が家々を廻って獅子舞を舞っている。6月30日の輪くぐりには近在近郷から参拝、夜店も並んで賑わう」 -
街道らしい豪邸?
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奥に地蔵堂、由緒あるものらしい。地蔵堂には薬師如来坐像が安置されてるらしい。「檜材の寄木造で肉けい、螺髪を表し、袈裟は左肩を覆って右肩に少しかかる。左足を外に組んで結跏趺坐する。1645年、1713年、1866年の銘を持つ墨書きがあり、3度補修していることが分かる。鎌倉時代中期の制作といわれている」(四日市教育委員会)
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雲祥山西唱(さいしょう)寺
「当山は浄土真宗高田派の寺院である。1559年玄聖(げんしょう)の開創で、昔は浄土宗の寺であったが、江戸時代初期に住持が専修寺の堯秀(ぎょうしゅう)上人に帰依して浄土真宗高田派に転じた。その折、堯秀上人から本尊を賜った。1661年寺号を西唱寺と改めた。当山には寺宝が多数あったが、1945年の空襲でことごとく灰塵に帰した」 -
名残の1本松?
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近鉄、泊駅に近く、この辺では東海道は近鉄に沿っている。
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資料館?開いている様子はない。先を急ぐ
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国道から旧道へ入る。左手の神社に「京・大阪」の標柱が、...
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再び国道を行き、近鉄追分駅のあたりからひっそりとした旧道に入る。
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暗闇の中で東海道の標識
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采女の案内板
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これをみて見て道をまちがえる。右へ行ってしまった。
再び左の国道へ戻る。 -
こんなところで道を間違えるなんて、再び国道へ
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采女の一里塚が国道脇ガソリンスタンドに
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なにやら2又に、右に入る道は石薬師宿?
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どうやら石薬師に到着
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地蔵堂が暗闇の中に
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石薬師宿本陣あとに到着。
日もとっぷりと暮れました。
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