下鴨・宝ヶ池・平安神宮旅行記(ブログ) 一覧に戻る
あっという間に過ぎゆく短かった秋を惜しみ、初冬の風情に浸ろうと葵祭で有名な下鴨神社と上賀茂神社を訪ねてみました。両社とも京都で最も古い神社のひとつに数えられ、平安時代には王城鎮護の社とされました。1994年には「古都京都の文化遺産」として世界文化遺産に登録された美しい神社です。<br />前編は、下鴨神社をレポートしたいと思います。<br />例年12月に入ってから紅葉が見頃となり、京都の錦秋のフィナーレを飾るのが下鴨神社の境内に広がる糺の森。今年は見頃となる時期がさらに遅れていましたので満を持しての出陣。糺の森の紅葉は、赤・黄・緑色の葉が入り乱れた幻想的なグラデーションを彩るのが特徴です。そして足元では散り敷く落葉が幾重にも織り重なり、一面をオレンジ色に染め上げます。また、仰ぎ見れば樹齢300年を超えるタカオカエデなどが、繊細で美しい透かし紅葉を青空の中に映し出します。広い敷地は東京ドームの3倍ほどのスペースがあり、心ゆくまで紅葉に酔いしれることができるスポットです。<br />

情緒纏綿 初冬加茂川紀行<前編>下鴨神社編

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2013/12/14 - 2013/12/14

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

あっという間に過ぎゆく短かった秋を惜しみ、初冬の風情に浸ろうと葵祭で有名な下鴨神社と上賀茂神社を訪ねてみました。両社とも京都で最も古い神社のひとつに数えられ、平安時代には王城鎮護の社とされました。1994年には「古都京都の文化遺産」として世界文化遺産に登録された美しい神社です。
前編は、下鴨神社をレポートしたいと思います。
例年12月に入ってから紅葉が見頃となり、京都の錦秋のフィナーレを飾るのが下鴨神社の境内に広がる糺の森。今年は見頃となる時期がさらに遅れていましたので満を持しての出陣。糺の森の紅葉は、赤・黄・緑色の葉が入り乱れた幻想的なグラデーションを彩るのが特徴です。そして足元では散り敷く落葉が幾重にも織り重なり、一面をオレンジ色に染め上げます。また、仰ぎ見れば樹齢300年を超えるタカオカエデなどが、繊細で美しい透かし紅葉を青空の中に映し出します。広い敷地は東京ドームの3倍ほどのスペースがあり、心ゆくまで紅葉に酔いしれることができるスポットです。

旅行の満足度
5.0

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  • 出町柳 河合橋<br />四条河原町から市バス4系統に乗車して15分程で出町柳に到着。市バスを3回以上乗り継ぐ場合は、市バス1日乗車券(¥500)がお得です。市バス車内でも買えますが、阪急電車四条河原町駅の改札を出た所にあるラガールショップ(JRのキヨスクのような売店)で購入されるのをお勧めします。場所によっては、コンビニでも買えるそうです。<br />京都市バスの主要停留所の場所案内です。時刻表へもリンクしています。<br />http://www.city.kyoto.jp/kotsu/busdia/busstop/bus_stop.htm<br /><br />出町柳とはなかなか郷愁を誘う名です。出町とは、頭に黒木や芝を載せて都で売り歩く大原女が、大原の里から若狭街道を下ってきて初めて出くわした町と言うのが由来だそうです。そして、今の叡山電車 出町柳駅前には大正末期まで大きな柳の木が生えており、柳の辻と呼ばれていたそうです。駅前のお寺 長徳寺は「柳の寺」と呼ばれ、駅の前には「柳茶屋」という茶店もあったそうです。<br /><br />

    出町柳 河合橋
    四条河原町から市バス4系統に乗車して15分程で出町柳に到着。市バスを3回以上乗り継ぐ場合は、市バス1日乗車券(¥500)がお得です。市バス車内でも買えますが、阪急電車四条河原町駅の改札を出た所にあるラガールショップ(JRのキヨスクのような売店)で購入されるのをお勧めします。場所によっては、コンビニでも買えるそうです。
    京都市バスの主要停留所の場所案内です。時刻表へもリンクしています。
    http://www.city.kyoto.jp/kotsu/busdia/busstop/bus_stop.htm

    出町柳とはなかなか郷愁を誘う名です。出町とは、頭に黒木や芝を載せて都で売り歩く大原女が、大原の里から若狭街道を下ってきて初めて出くわした町と言うのが由来だそうです。そして、今の叡山電車 出町柳駅前には大正末期まで大きな柳の木が生えており、柳の辻と呼ばれていたそうです。駅前のお寺 長徳寺は「柳の寺」と呼ばれ、駅の前には「柳茶屋」という茶店もあったそうです。

  • 下鴨神社 一の鳥居<br />高野川に架かる河合橋を渡り、右折して暫くすると一の鳥居が見えてきます。ここを潜って程なく、目指す糺の森が目の前に迫ります。<br /><br />京都市街の中央を北から南へ流れるのが鴨川。その上流、賀茂川と高野川が合流する三角洲は只洲(ただす)河原と呼ばれ、その北には古来森林地帯であったことを今に残す「糺の森」が広がっています。三角洲から北は、元は神武天皇が紀州の熊野から大和へ入られる時、八咫烏として先導した賀茂建角身命を祖とする賀茂一族が暮らしていました。また、糺の森には賀茂氏が農耕神を祀った下鴨神社・上賀茂神社の前身となる「賀茂社」があったそうです。<br />

    下鴨神社 一の鳥居
    高野川に架かる河合橋を渡り、右折して暫くすると一の鳥居が見えてきます。ここを潜って程なく、目指す糺の森が目の前に迫ります。

    京都市街の中央を北から南へ流れるのが鴨川。その上流、賀茂川と高野川が合流する三角洲は只洲(ただす)河原と呼ばれ、その北には古来森林地帯であったことを今に残す「糺の森」が広がっています。三角洲から北は、元は神武天皇が紀州の熊野から大和へ入られる時、八咫烏として先導した賀茂建角身命を祖とする賀茂一族が暮らしていました。また、糺の森には賀茂氏が農耕神を祀った下鴨神社・上賀茂神社の前身となる「賀茂社」があったそうです。

  • 下鴨神社 糺の森 南入口<br />下鴨神社の境内南側にある神域「糺の森」への導入口です。参道の左には世界文化遺産の石碑が佇みます。糺の森を含め、下鴨神社は平安時代以来の古いしきたりを現在によく伝えるとし、1994年に世界文化遺産に登録されています。<br />糺の森は今でも12.4万平方mあり、東京ドームの3倍ほどの面積を誇りますが、平安京の時代には495万平方mもの敷地があったそうです。しかし、応仁の乱などの戦火でほとんど焼失したそうです。また、明治維新後には新政府に多くの土地を接収され、かなり縮小されたのだそうです。不思議なことに西洋でも教会の内陣を神聖なる森の象徴としています。教会を支える列柱は、太古より茂る巨木に例えられます。こうして見ると、洋の東西を問わず、神と森は切り離せない関係にあるように思います。<br />糺の森では、夏季には納涼古本市が開かれるなど、市民にとっては緑に溢れた憩いの場になっています。森の中を流れる小川のせせらぎが静寂感を醸し、心癒されます。神社に参拝する前にマイナスイオンで身も心も浄化してくれているような気がします。<br /><br />

    下鴨神社 糺の森 南入口
    下鴨神社の境内南側にある神域「糺の森」への導入口です。参道の左には世界文化遺産の石碑が佇みます。糺の森を含め、下鴨神社は平安時代以来の古いしきたりを現在によく伝えるとし、1994年に世界文化遺産に登録されています。
    糺の森は今でも12.4万平方mあり、東京ドームの3倍ほどの面積を誇りますが、平安京の時代には495万平方mもの敷地があったそうです。しかし、応仁の乱などの戦火でほとんど焼失したそうです。また、明治維新後には新政府に多くの土地を接収され、かなり縮小されたのだそうです。不思議なことに西洋でも教会の内陣を神聖なる森の象徴としています。教会を支える列柱は、太古より茂る巨木に例えられます。こうして見ると、洋の東西を問わず、神と森は切り離せない関係にあるように思います。
    糺の森では、夏季には納涼古本市が開かれるなど、市民にとっては緑に溢れた憩いの場になっています。森の中を流れる小川のせせらぎが静寂感を醸し、心癒されます。神社に参拝する前にマイナスイオンで身も心も浄化してくれているような気がします。

  • 下鴨神社<br />下鴨神社のHPにある境内マップに「鴨の七不思議」などの要所を一部追加したものです。Googleマップには弱くても、こうした絵地図なら理解しやすいと思います。ただし、距離はアバウトになっていますので留意してください。<br /><br />下鴨神社のHPにあるオリジナルのマップです。<br />http://www.shimogamo-jinja.or.jp/pg52.html<br /><br />

    下鴨神社
    下鴨神社のHPにある境内マップに「鴨の七不思議」などの要所を一部追加したものです。Googleマップには弱くても、こうした絵地図なら理解しやすいと思います。ただし、距離はアバウトになっていますので留意してください。

    下鴨神社のHPにあるオリジナルのマップです。
    http://www.shimogamo-jinja.or.jp/pg52.html

  • 下鴨神社 糺の森 南入口<br />糺の森を抜ける参道の両脇に立つ紅葉の古木は、天から覆い被さるように参拝者へ迫ってきます。順光撮影ゆえに太陽光の反射で白っぽく写っていますが、実際は真紅の紅葉です。プロのカメラマンは偏光フィルタを用いて真紅を忠実に表現されるそうですが、当方には「猫に小判」になりかねません。<br />この樹木のトンネルは、夏には涼しげな風が通る青葉の道となり、晩秋〜初冬にかけてはこうした燃えたぎる回廊に姿を変えて参拝者を迎え入れます。森に入ってすぐ左手に河合神社が佇み、その手前の瀬見の小川に架けられた紅葉橋の周辺が、文字通り平安時代から連綿と受け継がれた紅葉の佳景が見られる最初のスポットです。足元には絨毯を敷き詰めたようなオレンジロードが下鴨神社までのプロローグを演出します。<br />

    下鴨神社 糺の森 南入口
    糺の森を抜ける参道の両脇に立つ紅葉の古木は、天から覆い被さるように参拝者へ迫ってきます。順光撮影ゆえに太陽光の反射で白っぽく写っていますが、実際は真紅の紅葉です。プロのカメラマンは偏光フィルタを用いて真紅を忠実に表現されるそうですが、当方には「猫に小判」になりかねません。
    この樹木のトンネルは、夏には涼しげな風が通る青葉の道となり、晩秋〜初冬にかけてはこうした燃えたぎる回廊に姿を変えて参拝者を迎え入れます。森に入ってすぐ左手に河合神社が佇み、その手前の瀬見の小川に架けられた紅葉橋の周辺が、文字通り平安時代から連綿と受け継がれた紅葉の佳景が見られる最初のスポットです。足元には絨毯を敷き詰めたようなオレンジロードが下鴨神社までのプロローグを演出します。

  • 下鴨神社 糺の森 紅葉橋(鴨の七不思議:①泉川の石)<br />瀬見の小川に架かる紅葉橋があります。昔、この橋のたもとに雨乞いを祈る「こがらし社」があり、願いが叶うと泉川の小石が飛び跳ねたと伝わります。江戸時期は『林泉都名所図会』で「泉川の納涼」と紹介されているように、庶民の夕涼みの名所だったそうです。泉川の名は、『山城名跡巡行志』に「古老の曰く、古へこの辺りに和泉式部の住居があったことに因む」とあります。<br />

    下鴨神社 糺の森 紅葉橋(鴨の七不思議:①泉川の石)
    瀬見の小川に架かる紅葉橋があります。昔、この橋のたもとに雨乞いを祈る「こがらし社」があり、願いが叶うと泉川の小石が飛び跳ねたと伝わります。江戸時期は『林泉都名所図会』で「泉川の納涼」と紹介されているように、庶民の夕涼みの名所だったそうです。泉川の名は、『山城名跡巡行志』に「古老の曰く、古へこの辺りに和泉式部の住居があったことに因む」とあります。

  • 下鴨神社 糺の森 紅葉橋<br />糺の森に入ると、そこはかとない幽玄の世界に足を踏み入れたような錯覚に陥ります。ここは下鴨神社の社叢とも言える存在で、森の中央を真っ直ぐに延びる参道を挟むように、左に瀬見の小川、右に泉川がさらさらと穏やかな流れをつくり、『源氏物語』にも登場するスポットです。<br />紅葉は色付いた樹木を愛でることも趣があるのですが、下鴨神社の場合は社殿と糺の森が織りなす調和が息を呑む美しさで迫り、思わず溜め息が洩れる光景に時間を忘れるほどです。瀬見の小川沿いの朱に染まった紅葉は特に見事です。日本古来から受け継いがれた美の極致、京都の美しい佇まいを心行くまで堪能できるスポットです。

    下鴨神社 糺の森 紅葉橋
    糺の森に入ると、そこはかとない幽玄の世界に足を踏み入れたような錯覚に陥ります。ここは下鴨神社の社叢とも言える存在で、森の中央を真っ直ぐに延びる参道を挟むように、左に瀬見の小川、右に泉川がさらさらと穏やかな流れをつくり、『源氏物語』にも登場するスポットです。
    紅葉は色付いた樹木を愛でることも趣があるのですが、下鴨神社の場合は社殿と糺の森が織りなす調和が息を呑む美しさで迫り、思わず溜め息が洩れる光景に時間を忘れるほどです。瀬見の小川沿いの朱に染まった紅葉は特に見事です。日本古来から受け継いがれた美の極致、京都の美しい佇まいを心行くまで堪能できるスポットです。

  • 下鴨神社 糺の森 紅葉橋<br />京都の紅葉の美しさは、北山杉など常緑樹の緑葉や社寺を背景に、小さく上品な葉がチラチラと配され、借景となる緑の中に赤のコントラストが引き立つ対照美にあるように思います。寺院では、紅葉は必ず苔の庭に植えられ、緑の中に映える鮮やかな深紅や散紅葉を愛でます。これは、お茶室などに一輪挿しを生ける繊細な美意識にも通じるものではないでしょうか?京の紅葉を描いた日本画は、たいてい葉が一枚ずつ細かく描写されています。そんな細やかな感性を時間をかけてじっくり見ていくのが、京都紅葉の本質ではないかと思います。<br />

    下鴨神社 糺の森 紅葉橋
    京都の紅葉の美しさは、北山杉など常緑樹の緑葉や社寺を背景に、小さく上品な葉がチラチラと配され、借景となる緑の中に赤のコントラストが引き立つ対照美にあるように思います。寺院では、紅葉は必ず苔の庭に植えられ、緑の中に映える鮮やかな深紅や散紅葉を愛でます。これは、お茶室などに一輪挿しを生ける繊細な美意識にも通じるものではないでしょうか?京の紅葉を描いた日本画は、たいてい葉が一枚ずつ細かく描写されています。そんな細やかな感性を時間をかけてじっくり見ていくのが、京都紅葉の本質ではないかと思います。

  • 下鴨神社 糺の森 紅葉橋<br />紅葉橋の周辺は朱色に色付いた紅葉が、取り巻く木立の緑葉を背景に見事な幽玄の世界を繰り広げています。真紅に染まった艶やかな紅葉も趣きがあるのですが、朱色や黄色の紅葉は控えめな感じがし、どこか儚さを秘め、移りゆく季節の情緒をくすぐるものがあります。

    下鴨神社 糺の森 紅葉橋
    紅葉橋の周辺は朱色に色付いた紅葉が、取り巻く木立の緑葉を背景に見事な幽玄の世界を繰り広げています。真紅に染まった艶やかな紅葉も趣きがあるのですが、朱色や黄色の紅葉は控えめな感じがし、どこか儚さを秘め、移りゆく季節の情緒をくすぐるものがあります。

  • 下鴨神社 河合神社 東の鳥居<br />河合神社の聖域への結界 鳥居の前にある銀杏の大木は、すっかり黄葉を落とし、辺り一面を黄色の絨毯に塗り替えています。落葉が風に舞う音は、どこか郷愁を募らせます。<br /><br />「糺の森」の糺は糾すと同義で、古代この地が不正を糾す裁判の場であったという説もありますが、糾合という言葉があるように「統一する」や「寄せ集める」という意味もあります。そのため、賀茂川と高野川の合流地点にある森を象徴するとする説もあり、個人的にはこちらの方が合点がいく気がします。その説を援護するのが、川の合流地点に近い場所に立つ縁結びで有名な河合神社の存在です。現在、下鴨神社の第一摂社となっていますが、独立した神社並のスケールに驚かされます。<br />この古社から森の北端の下鴨神社まで、小川の流れに沿って延々とオレンジロードが続きます。 <br />

    下鴨神社 河合神社 東の鳥居
    河合神社の聖域への結界 鳥居の前にある銀杏の大木は、すっかり黄葉を落とし、辺り一面を黄色の絨毯に塗り替えています。落葉が風に舞う音は、どこか郷愁を募らせます。

    「糺の森」の糺は糾すと同義で、古代この地が不正を糾す裁判の場であったという説もありますが、糾合という言葉があるように「統一する」や「寄せ集める」という意味もあります。そのため、賀茂川と高野川の合流地点にある森を象徴するとする説もあり、個人的にはこちらの方が合点がいく気がします。その説を援護するのが、川の合流地点に近い場所に立つ縁結びで有名な河合神社の存在です。現在、下鴨神社の第一摂社となっていますが、独立した神社並のスケールに驚かされます。
    この古社から森の北端の下鴨神社まで、小川の流れに沿って延々とオレンジロードが続きます。

  • 下鴨神社 河合神社<br />屋根瓦のくぼみに降り積もった銀杏の黄葉が哀愁を漂わせます。<br />やがて木枯らしが吹きすさぶ季節が到来すれば、風と共に一瞬にして舞ってしまうことでしょう。落葉にとっては、そんな束の間の憩いのひと時なのでしょう。ゆっくりしていって欲しいですね!<br /><br />銀杏で思い出しましたが、以前TVで下鴨神社社家の方の珍名を紹介していました。「鴨脚」と書いて「いちょう」と読むのだそうです。そう言われてみると、確かに鴨の脚の形は銀杏の葉にそっくりです。由来は次のようです。大和朝廷の時代、景行天皇が熊襲を討つ親征の旅の途上で鴨氏の家に立ち寄りました。庭に茂る立派な銀杏の樹を褒め、銀杏の葉を鴨の脚になぞらえ、鴨家が永く栄える歌を詠み贈られました。その後、明治時代に入って郵便制度が始まった時、下鴨神社一帯に鴨氏を名乗る社家が多く、配達が混乱しました。それを改めるべく、それぞれが新しい姓を付けることになり、景行天皇から賜った歌から「鴨脚」と命名されたそうです。京都の珍名さんには、なんとも雅な生い立ちがあるのだと知りました。

    下鴨神社 河合神社
    屋根瓦のくぼみに降り積もった銀杏の黄葉が哀愁を漂わせます。
    やがて木枯らしが吹きすさぶ季節が到来すれば、風と共に一瞬にして舞ってしまうことでしょう。落葉にとっては、そんな束の間の憩いのひと時なのでしょう。ゆっくりしていって欲しいですね!

    銀杏で思い出しましたが、以前TVで下鴨神社社家の方の珍名を紹介していました。「鴨脚」と書いて「いちょう」と読むのだそうです。そう言われてみると、確かに鴨の脚の形は銀杏の葉にそっくりです。由来は次のようです。大和朝廷の時代、景行天皇が熊襲を討つ親征の旅の途上で鴨氏の家に立ち寄りました。庭に茂る立派な銀杏の樹を褒め、銀杏の葉を鴨の脚になぞらえ、鴨家が永く栄える歌を詠み贈られました。その後、明治時代に入って郵便制度が始まった時、下鴨神社一帯に鴨氏を名乗る社家が多く、配達が混乱しました。それを改めるべく、それぞれが新しい姓を付けることになり、景行天皇から賜った歌から「鴨脚」と命名されたそうです。京都の珍名さんには、なんとも雅な生い立ちがあるのだと知りました。

  • 下鴨神社 河合神社 表門<br />お寺の山門を偲ばせる苔生した古風な表門と朝日にまばゆく輝く銀杏の黄葉の対比が圧巻です。まだ日が低いため、樹木が落した長い影も初冬の雰囲気を醸します。<br />表門の屋根は日本古来から伝わる伝統的な桧皮葺で、これは元々下鴨神社の社殿に使われていたもののリサイクルだそうです。透塀は、経年劣化に加え風雨で屋根の一部や板壁が欠落し、倒壊の恐れ等から修理されたばかりのようです。 <br />河合神社は鴨長明ゆかりの神社ということで名を馳せているのですが、正式名は鴨河合坐小社宅(かものかわいにいますおこそべ)神社といい、元は賀茂社の社家に祀られていた屋敷神だったそうです。「鴨河合」とは「賀茂川」と「高野川」が合流する地を表し、「小社宅」とは日本書紀に「社戸」と記されている本宮(下鴨神社)のご祭神と同系統の神を指します。<br /><br />

    下鴨神社 河合神社 表門
    お寺の山門を偲ばせる苔生した古風な表門と朝日にまばゆく輝く銀杏の黄葉の対比が圧巻です。まだ日が低いため、樹木が落した長い影も初冬の雰囲気を醸します。
    表門の屋根は日本古来から伝わる伝統的な桧皮葺で、これは元々下鴨神社の社殿に使われていたもののリサイクルだそうです。透塀は、経年劣化に加え風雨で屋根の一部や板壁が欠落し、倒壊の恐れ等から修理されたばかりのようです。
    河合神社は鴨長明ゆかりの神社ということで名を馳せているのですが、正式名は鴨河合坐小社宅(かものかわいにいますおこそべ)神社といい、元は賀茂社の社家に祀られていた屋敷神だったそうです。「鴨河合」とは「賀茂川」と「高野川」が合流する地を表し、「小社宅」とは日本書紀に「社戸」と記されている本宮(下鴨神社)のご祭神と同系統の神を指します。

  • 下鴨神社 河合神社 舞殿<br />表門を入って正面に鎮座するのが舞殿。その奥に拝殿と本殿が控えます。<br />吊燈籠がずらりと並んだ豪華絢爛な舞殿です。その吊燈籠には下鴨神社の紋章の双葉葵や彫刻が付されています。

    下鴨神社 河合神社 舞殿
    表門を入って正面に鎮座するのが舞殿。その奥に拝殿と本殿が控えます。
    吊燈籠がずらりと並んだ豪華絢爛な舞殿です。その吊燈籠には下鴨神社の紋章の双葉葵や彫刻が付されています。

  • 下鴨神社 河合神社 拝殿 <br />河合神社は下鴨神社の第一摂社です。<br />縁結びや安産の守護神として信仰され、ご祭神は玉依媛命(初代天皇=神武天皇の御母神)。下鴨神社のご祭神「賀茂玉依媛命」とは同名神ですが異なります。「玉依媛命」という名は様々な神話に登場し、「神を宿す母」の象徴とも言える存在ですので勘違いしてしまうことが多いです。<br />

    下鴨神社 河合神社 拝殿 
    河合神社は下鴨神社の第一摂社です。
    縁結びや安産の守護神として信仰され、ご祭神は玉依媛命(初代天皇=神武天皇の御母神)。下鴨神社のご祭神「賀茂玉依媛命」とは同名神ですが異なります。「玉依媛命」という名は様々な神話に登場し、「神を宿す母」の象徴とも言える存在ですので勘違いしてしまうことが多いです。

  • 下鴨神社 河合神社 本殿<br />拝殿の隙間から本殿を覗き込んでみます。赤く塗られた狛犬がしっかりと警護しています。<br />

    下鴨神社 河合神社 本殿
    拝殿の隙間から本殿を覗き込んでみます。赤く塗られた狛犬がしっかりと警護しています。

  • 下鴨神社 河合神社 任部社(とべしゃ)<br />境内には末社 任部社と呼ばれる八咫烏(ヤタガラス)を祀る神社があります。ご祭神の八咫烏は、日本国土を開拓した神の象徴として、また蹴鞠の祖神とされることから、日本サッカー協会のシンボルマークともなっています。<br />八咫烏とは熊野の大神 素盞嗚尊(スサノオノミコト)のお仕えで、「八咫」は大きく広いという意味。神武天皇が御東征の時、八咫烏が天皇を道案内したと伝えられており、熊野の神々の使いとされています。 <br />八咫烏は太陽の化身で三本の足があり、天・地・人を表します。天は天神地祇、地は大地のことで自然環境を指します。つまり太陽の下に、神と自然と人が血を分けた兄弟であるということを象徴しています。

    下鴨神社 河合神社 任部社(とべしゃ)
    境内には末社 任部社と呼ばれる八咫烏(ヤタガラス)を祀る神社があります。ご祭神の八咫烏は、日本国土を開拓した神の象徴として、また蹴鞠の祖神とされることから、日本サッカー協会のシンボルマークともなっています。
    八咫烏とは熊野の大神 素盞嗚尊(スサノオノミコト)のお仕えで、「八咫」は大きく広いという意味。神武天皇が御東征の時、八咫烏が天皇を道案内したと伝えられており、熊野の神々の使いとされています。
    八咫烏は太陽の化身で三本の足があり、天・地・人を表します。天は天神地祇、地は大地のことで自然環境を指します。つまり太陽の下に、神と自然と人が血を分けた兄弟であるということを象徴しています。

  • 下鴨神社 河合神社 鴨長明の方丈<br />鴨長明ゆかりの河合神社境内には、日野外山で結んだ「方丈の庵」が復元されています。長明は方々で暮らしたそうですが、庵としたのが間口、奥行きとも3mの「方丈」で、移動に便利なように組立式になっています。<br />長明は、河合神社の神官の次男として生まれながら、父の死後下鴨神社の反対により跡を継ぐことが叶わず、失意のうちに50歳で出家。出家後の随筆「方丈記」は、徒然草や枕草子と合わせて「日本三大随筆」と称されます。 方丈記が書かれた時代は平安時代末期に当たり、律令制貴族社会から封建制武家社会への過渡期で、源平合戦、平家滅亡、鎌倉幕府成立など動乱の時代でした。それに加え、地震や大火、飢餓など様々な天変地異に人々は苦しめられました。実際に目で見、耳で確認しなければ気の済まないジャーナリスト気質の長明は、約8600字、原稿用紙22枚の短いエッセイである方丈記に活き活きとその時代と人を活写しています。良家の出身ながら、挫折し、迷い、苦しみながら激動の時代を体感した者ならではの文学・自論が詰め込まれた作品が「方丈記」なのだそうです。<br />

    下鴨神社 河合神社 鴨長明の方丈
    鴨長明ゆかりの河合神社境内には、日野外山で結んだ「方丈の庵」が復元されています。長明は方々で暮らしたそうですが、庵としたのが間口、奥行きとも3mの「方丈」で、移動に便利なように組立式になっています。
    長明は、河合神社の神官の次男として生まれながら、父の死後下鴨神社の反対により跡を継ぐことが叶わず、失意のうちに50歳で出家。出家後の随筆「方丈記」は、徒然草や枕草子と合わせて「日本三大随筆」と称されます。 方丈記が書かれた時代は平安時代末期に当たり、律令制貴族社会から封建制武家社会への過渡期で、源平合戦、平家滅亡、鎌倉幕府成立など動乱の時代でした。それに加え、地震や大火、飢餓など様々な天変地異に人々は苦しめられました。実際に目で見、耳で確認しなければ気の済まないジャーナリスト気質の長明は、約8600字、原稿用紙22枚の短いエッセイである方丈記に活き活きとその時代と人を活写しています。良家の出身ながら、挫折し、迷い、苦しみながら激動の時代を体感した者ならではの文学・自論が詰め込まれた作品が「方丈記」なのだそうです。

  • 下鴨神社 河合神社<br />玉依媛命は日本一の美麗神と讃えられ、女性には美麗祈願の神社としておススメです。人気急上昇中だそうです。美麗の祈願絵馬は珍しい柄鏡の形をした絵馬で、鏡の裏は朱色の地に双葉葵が描かれ、1枚800円也。この値段が高いか安いかは、ご利益次第ですね。普段使いの化粧品でメイクを施して奉納することができます。化粧道具がなくても、置かれているクレヨンなどを使ってお化粧をすることもできます。絵馬を奉納すると「美しい女性であるために」という小さなカードと美人の素となる御供米をいただけます。<br /><br />また、休憩処では美人水のジュースがいただけます。下鴨神社の「葵の庭」に植えられているカリンの木から採れたカリンと、大炊殿に湧く御神水を材料にしたドリンクです。カリンには、綺麗で若々しい肌をつくる効果があるそうです。夏季は冷たくしたものを、冬場はホットでいただけます。350円也。<br />

    下鴨神社 河合神社
    玉依媛命は日本一の美麗神と讃えられ、女性には美麗祈願の神社としておススメです。人気急上昇中だそうです。美麗の祈願絵馬は珍しい柄鏡の形をした絵馬で、鏡の裏は朱色の地に双葉葵が描かれ、1枚800円也。この値段が高いか安いかは、ご利益次第ですね。普段使いの化粧品でメイクを施して奉納することができます。化粧道具がなくても、置かれているクレヨンなどを使ってお化粧をすることもできます。絵馬を奉納すると「美しい女性であるために」という小さなカードと美人の素となる御供米をいただけます。

    また、休憩処では美人水のジュースがいただけます。下鴨神社の「葵の庭」に植えられているカリンの木から採れたカリンと、大炊殿に湧く御神水を材料にしたドリンクです。カリンには、綺麗で若々しい肌をつくる効果があるそうです。夏季は冷たくしたものを、冬場はホットでいただけます。350円也。

  • 下鴨神社 河合神社<br />お化粧室(本来は鴨長明方丈庵という名前)でメイクが施された鏡絵馬が絵馬殿に所狭しと奉納されています。中央にある絵馬を除いて全てファンデーションが施され、白地が見えなくなっています。ここから推察できるのは、お化粧をしない年代の美人祈願は非常に稀だということでしょう。誰しも、外見に囚われない時代があったのではないでしょうか?お化粧を覚えてしまうと外見を繕いたくなるものなのでしょう。<br />どうぞ外見だけでなく、内面も美しくなれるように祈願してくださいね!本来の美麗は内面を磨くことですからね!!外見は後から自然とついてくるものですから…とは敗者の弁???<br />

    下鴨神社 河合神社
    お化粧室(本来は鴨長明方丈庵という名前)でメイクが施された鏡絵馬が絵馬殿に所狭しと奉納されています。中央にある絵馬を除いて全てファンデーションが施され、白地が見えなくなっています。ここから推察できるのは、お化粧をしない年代の美人祈願は非常に稀だということでしょう。誰しも、外見に囚われない時代があったのではないでしょうか?お化粧を覚えてしまうと外見を繕いたくなるものなのでしょう。
    どうぞ外見だけでなく、内面も美しくなれるように祈願してくださいね!本来の美麗は内面を磨くことですからね!!外見は後から自然とついてくるものですから…とは敗者の弁???

  • 下鴨神社 河合神社<br />絵馬殿には、お化粧した似顔絵が描かれた鏡絵馬が壁一面に整然と並んでいます。これだけお願い事が多いと、ご祭神の玉依媛命も大変でしょうね !?時には手を抜くこともあるのではと、他人事ながら心配になってしまいます。

    下鴨神社 河合神社
    絵馬殿には、お化粧した似顔絵が描かれた鏡絵馬が壁一面に整然と並んでいます。これだけお願い事が多いと、ご祭神の玉依媛命も大変でしょうね !?時には手を抜くこともあるのではと、他人事ながら心配になってしまいます。

  • 下鴨神社 河合神社 拝殿 美麗祈願の鏡<br />美麗祈願した後、本当に美人になったかどうかを確認できる鏡も拝殿に用意されています??? <br />鏡の手前には御白石が置かれ、手で石を触って顔を撫でると美人になると言われています。触れる前後で見比べてみてはいかがでしょうか?(ごめんなさい。写真では丁度柵で隠れてしまっています。)<br /><br />

    下鴨神社 河合神社 拝殿 美麗祈願の鏡
    美麗祈願した後、本当に美人になったかどうかを確認できる鏡も拝殿に用意されています???
    鏡の手前には御白石が置かれ、手で石を触って顔を撫でると美人になると言われています。触れる前後で見比べてみてはいかがでしょうか?(ごめんなさい。写真では丁度柵で隠れてしまっています。)

  • 下鴨神社 糺の森 <br />鬱蒼とした森ですので、木漏れ日を浴びた紅葉は多彩な表情で見る者を楽しませてくれます。

    下鴨神社 糺の森 
    鬱蒼とした森ですので、木漏れ日を浴びた紅葉は多彩な表情で見る者を楽しませてくれます。

  • 下鴨神社 糺の森 <br />森を真っ直ぐに突き抜ける参道。鬱蒼とした原生林の雰囲気は、都会の喧噪をも忘れさせてくれる憩いの森です。<br />樹木には生命力や勢いが宿っているような気がします。

    下鴨神社 糺の森 
    森を真っ直ぐに突き抜ける参道。鬱蒼とした原生林の雰囲気は、都会の喧噪をも忘れさせてくれる憩いの森です。
    樹木には生命力や勢いが宿っているような気がします。

  • 下鴨神社 糺の森 <br />ケヤキ、ムク、エノキなど色とりどりの紅葉がシンフォニーを奏でています。その中で、樹齢600年ほどにもなる大樹は荘厳な雰囲気を醸しています。<br />

    下鴨神社 糺の森 
    ケヤキ、ムク、エノキなど色とりどりの紅葉がシンフォニーを奏でています。その中で、樹齢600年ほどにもなる大樹は荘厳な雰囲気を醸しています。

  • 下鴨神社 糺の森 <br />まだ色付き初めのどこか儚げな雰囲気を漂わせる紅葉です。日本人の琴線に触れるとはこういう情景を指すのでしょうか?<br />これから美しい彩に変身を遂げ、大勢の参拝者に愛でられるといいですね。

    下鴨神社 糺の森 
    まだ色付き初めのどこか儚げな雰囲気を漂わせる紅葉です。日本人の琴線に触れるとはこういう情景を指すのでしょうか?
    これから美しい彩に変身を遂げ、大勢の参拝者に愛でられるといいですね。

  • 下鴨神社 糺の森<br />糺の森は、神域を包む鎮守の森。やわらかな木漏れ日が、何故か今日は目に眩しい。ここだけはまだ紅葉も進化の途上の感があります。風もなく静まりかえった森の古木に抱かれた小径の傍らで、しばし歩を休め、梢を通して青空を仰ぎ見ます。<br />

    下鴨神社 糺の森
    糺の森は、神域を包む鎮守の森。やわらかな木漏れ日が、何故か今日は目に眩しい。ここだけはまだ紅葉も進化の途上の感があります。風もなく静まりかえった森の古木に抱かれた小径の傍らで、しばし歩を休め、梢を通して青空を仰ぎ見ます。

  • 下鴨神社 糺の森 <br />冬支度なのでしょうか、竹を編んで垣根を巡らしています。こうした風景には趣深いものがあります。

    下鴨神社 糺の森 
    冬支度なのでしょうか、竹を編んで垣根を巡らしています。こうした風景には趣深いものがあります。

  • 下鴨神社 糺の森 <br />燃えたぎるような真紅に彩る紅葉は、古都の美しさを際立たせてくれます。樹にあっては紅天蓋、地に散っては緋毛氈と形容されるこの落葉樹は、周りの緑や黄色と相まった絶妙のグラデーションと透かし絵模様とで魅了させてくれます。真紅の紅葉に透けた樹木の影が、屏風絵を見ているような錯覚を覚えます。 <br />このように色々なバリエーションで紅葉を楽しませてくれるのが糺の森です。

    下鴨神社 糺の森 
    燃えたぎるような真紅に彩る紅葉は、古都の美しさを際立たせてくれます。樹にあっては紅天蓋、地に散っては緋毛氈と形容されるこの落葉樹は、周りの緑や黄色と相まった絶妙のグラデーションと透かし絵模様とで魅了させてくれます。真紅の紅葉に透けた樹木の影が、屏風絵を見ているような錯覚を覚えます。
    このように色々なバリエーションで紅葉を楽しませてくれるのが糺の森です。

  • 下鴨神社 糺の森(鴨の七不思議:②芝切)<br />糺の森のおへそ(真ん中)にある古代からの祭場で、現在も葵祭の前儀として5月12日に行なわれる「切芝神事」の斎場となっています。東遊と称する風俗舞を舞うことを切芝神事と呼び、その舞台となります。<br />2001年に行われた発掘調査で検出された祭祀遺構のうち、石敷遺構が復元されています。四角に柵で囲まれた所に小さなプレートが置かれています。 

    下鴨神社 糺の森(鴨の七不思議:②芝切)
    糺の森のおへそ(真ん中)にある古代からの祭場で、現在も葵祭の前儀として5月12日に行なわれる「切芝神事」の斎場となっています。東遊と称する風俗舞を舞うことを切芝神事と呼び、その舞台となります。
    2001年に行われた発掘調査で検出された祭祀遺構のうち、石敷遺構が復元されています。四角に柵で囲まれた所に小さなプレートが置かれています。 

  • 下鴨神社 糺の森 <br />芝切の奥に佇むオレンジ色の紅葉が鬱蒼とした森に映えてとてもきれいです。

    下鴨神社 糺の森 
    芝切の奥に佇むオレンジ色の紅葉が鬱蒼とした森に映えてとてもきれいです。

  • 下鴨神社 糺の森 <br />オレンジ色の紅葉の樹の下からのズームアップ。黄葉の輪郭が朱色に染まっています。これを遠目に眺めると黄〜オレンジ色へと変遷する淡いグラデーションに見えるのですね。

    下鴨神社 糺の森 
    オレンジ色の紅葉の樹の下からのズームアップ。黄葉の輪郭が朱色に染まっています。これを遠目に眺めると黄〜オレンジ色へと変遷する淡いグラデーションに見えるのですね。

  • 下鴨神社 糺の森(鴨の七不思議:③舩ヶ島・奈良社)<br />楼門の東、ならの小川と泉川に囲まれた三角州を舩ヶ島と呼び、ここは社殿を持たない神社「奈良殿」が鎮座していた祭祀遺跡です。日照りや戦乱の折、船ヶ島で流れをかき回すと小石が跳ね、願いが成就したと伝えられます。また奈良社は、正しくは奈良殿神地と言い、御供え物や器などを司る神であり、川の中の「舩」形の島を磐座とし、神殿成立以前の無社殿神地として古代祭祀に使われていました。また、舩島の周囲を流れる川を「ならの小川」と呼ぶのも、難良刀自之神が由来です。2つの川が合流する場所にあるため、祭祀場としては、常に清浄に保たれた理想の場所だそうです。 

    下鴨神社 糺の森(鴨の七不思議:③舩ヶ島・奈良社)
    楼門の東、ならの小川と泉川に囲まれた三角州を舩ヶ島と呼び、ここは社殿を持たない神社「奈良殿」が鎮座していた祭祀遺跡です。日照りや戦乱の折、船ヶ島で流れをかき回すと小石が跳ね、願いが成就したと伝えられます。また奈良社は、正しくは奈良殿神地と言い、御供え物や器などを司る神であり、川の中の「舩」形の島を磐座とし、神殿成立以前の無社殿神地として古代祭祀に使われていました。また、舩島の周囲を流れる川を「ならの小川」と呼ぶのも、難良刀自之神が由来です。2つの川が合流する場所にあるため、祭祀場としては、常に清浄に保たれた理想の場所だそうです。 

  • 下鴨神社 糺の森 烏縄手<br />楼門の前の鳥居の手前から少し東側にあります。神社の駒札によれば、「古くから言い伝えられている一つに烏の縄手というものがある。下鴨神社の御祭神『賀茂建角身命』は、別名を『八咫烏』(太陽の意)と言い、縄手とは細くて長い道という意味で、烏縄手とはヤタカラスの神へ詣でる長い参道を指す。古くは、糺の森の木の間を分けて幾筋もの細い参道があり、この程、その一部を復元した」と記されています。泉川に沿う樹林の中の閑静な小径です。<br />

    下鴨神社 糺の森 烏縄手
    楼門の前の鳥居の手前から少し東側にあります。神社の駒札によれば、「古くから言い伝えられている一つに烏の縄手というものがある。下鴨神社の御祭神『賀茂建角身命』は、別名を『八咫烏』(太陽の意)と言い、縄手とは細くて長い道という意味で、烏縄手とはヤタカラスの神へ詣でる長い参道を指す。古くは、糺の森の木の間を分けて幾筋もの細い参道があり、この程、その一部を復元した」と記されています。泉川に沿う樹林の中の閑静な小径です。

  • 下鴨神社 糺の森<br />参道を歩いて行くと神木が柵の中に祀られ、注連縄が貼られて大切に保護されています。立ち枯れた神木の切り株には銅板の覆いが被せられ、雨水などが入って腐食しないように守られています。<br />かつては、太い枝が枯れて朽ちて幹が空洞になった樹齢数百年の木だったそうです。今はこうして鎮守の森の神様として祀られ、大切にされています。

    下鴨神社 糺の森
    参道を歩いて行くと神木が柵の中に祀られ、注連縄が貼られて大切に保護されています。立ち枯れた神木の切り株には銅板の覆いが被せられ、雨水などが入って腐食しないように守られています。
    かつては、太い枝が枯れて朽ちて幹が空洞になった樹齢数百年の木だったそうです。今はこうして鎮守の森の神様として祀られ、大切にされています。

  • 下鴨神社 糺の森<br />二の鳥居の辺りから参道を振り返るとこんな光景が広がっています。一本の楓の木に緑、黄、オレンジ、赤色の葉が混ざるのをカナダ風メープルリーフと称しますが、この光景はそれに比肩する耽美な世界です。

    下鴨神社 糺の森
    二の鳥居の辺りから参道を振り返るとこんな光景が広がっています。一本の楓の木に緑、黄、オレンジ、赤色の葉が混ざるのをカナダ風メープルリーフと称しますが、この光景はそれに比肩する耽美な世界です。

  • 下鴨神社 手水舎 直澄(ただす)<br />南鳥居の手前にある手水舎。下鴨神社では御手洗(みたらし)と呼ばれ、 直澄(ただす)と名付けられてます。木製の舟形の台座の上には舟形の長い磐座石で彫られた手水鉢が置かれ、舟形の石の先端部の吐水には糺の森の主と言われていた樹齢600年の欅が使われています。そして、磐座石に注がれるのは糺の森の地下湧水です。<br />手水舎の建物は覆屋と呼ばれ、崇神天皇より御世の七年に瑞籬(みずがき:神社の垣根)の造替を下賜された記録に従って再現された透塀造りだそうです。因みに、崇神天皇7年とは紀元前90年頃のことですから吃驚です。<br />手水鉢に生した苔、欅の大きな吐水、透塀造り、雅調のスダレ等、この手水舎は全てにおいて古来の趣きに溢れて心惹かれます。<br />

    下鴨神社 手水舎 直澄(ただす)
    南鳥居の手前にある手水舎。下鴨神社では御手洗(みたらし)と呼ばれ、 直澄(ただす)と名付けられてます。木製の舟形の台座の上には舟形の長い磐座石で彫られた手水鉢が置かれ、舟形の石の先端部の吐水には糺の森の主と言われていた樹齢600年の欅が使われています。そして、磐座石に注がれるのは糺の森の地下湧水です。
    手水舎の建物は覆屋と呼ばれ、崇神天皇より御世の七年に瑞籬(みずがき:神社の垣根)の造替を下賜された記録に従って再現された透塀造りだそうです。因みに、崇神天皇7年とは紀元前90年頃のことですから吃驚です。
    手水鉢に生した苔、欅の大きな吐水、透塀造り、雅調のスダレ等、この手水舎は全てにおいて古来の趣きに溢れて心惹かれます。

  • 下鴨神社 さざれ石<br />二の鳥居を潜ってすぐ左に「さざれ石」がひっそりと祀られています。<br />「さざれ石」とは、小さな石という意味。火山の噴火により石灰岩が分離集積して凝固した岩石で、長野県の天然記念物にもなっています。日本各地に子持ち石とか赤子石など石を神として祀る信仰が存在します。また、「さざれ石」は、年とともに成長し、岩となると信じられている神霊が宿る石と言われています。石灰岩が雨水で溶解して粘着力の強い液体となり、少しずつ小石を凝結し、長い年月をかけて大きな巌になるという理屈だそうです。<br />「古今和歌集」には遠い祖先から信仰してきた生石伝説の「さざれ石」が詠まれ、国歌の原典となっています。下鴨神社の「鴨の七不思議」の中に、「泉川の浮き石」や「御手洗の神石」の伝承が残っており、石に宿る神聖な力を現しています。また、式年遷宮の祭事には「石拾い」という神事もあります。いずれも永遠の生命力と不思議な力を現しています。 <br />このさざれ石にもほんの少しだけ苔が生していました。<br />

    下鴨神社 さざれ石
    二の鳥居を潜ってすぐ左に「さざれ石」がひっそりと祀られています。
    「さざれ石」とは、小さな石という意味。火山の噴火により石灰岩が分離集積して凝固した岩石で、長野県の天然記念物にもなっています。日本各地に子持ち石とか赤子石など石を神として祀る信仰が存在します。また、「さざれ石」は、年とともに成長し、岩となると信じられている神霊が宿る石と言われています。石灰岩が雨水で溶解して粘着力の強い液体となり、少しずつ小石を凝結し、長い年月をかけて大きな巌になるという理屈だそうです。
    「古今和歌集」には遠い祖先から信仰してきた生石伝説の「さざれ石」が詠まれ、国歌の原典となっています。下鴨神社の「鴨の七不思議」の中に、「泉川の浮き石」や「御手洗の神石」の伝承が残っており、石に宿る神聖な力を現しています。また、式年遷宮の祭事には「石拾い」という神事もあります。いずれも永遠の生命力と不思議な力を現しています。 
    このさざれ石にもほんの少しだけ苔が生していました。

  • 下鴨神社 相生社<br />さざれ石のすぐ先、楼門の手前左に佇む末社 相生社は、縁結びの霊験あらたかな社として古来から信仰を集めていました。ご祭神は、『日本書記』には「産霊神(むすひのかみ)」、『古事記』には「造化三神の一柱の神」と記されています。宇宙の生成力を神格化した「産霊神」の「産(ムス)」は「苔むす」のムスと同じく生成の義であり、「霊(ヒ)」は日・火と共通の意味を持ち、霊妙な物を表わす語と考えられています。<br />

    下鴨神社 相生社
    さざれ石のすぐ先、楼門の手前左に佇む末社 相生社は、縁結びの霊験あらたかな社として古来から信仰を集めていました。ご祭神は、『日本書記』には「産霊神(むすひのかみ)」、『古事記』には「造化三神の一柱の神」と記されています。宇宙の生成力を神格化した「産霊神」の「産(ムス)」は「苔むす」のムスと同じく生成の義であり、「霊(ヒ)」は日・火と共通の意味を持ち、霊妙な物を表わす語と考えられています。

  • 下鴨神社 相生社(鴨の七不思議:④連理の賢木(れんりのさかき)<br />相生社の傍ら、朱塗りの玉垣に囲まれた所に生える「連理の賢木」は不思議な木です。連理とは、木の幹や枝が他の木の幹や枝と連なって木理が通じることを言います。賢木とは榊を指し、言い伝えでは、縁結びの神威によって2本の木が1本に結ばれたとのこと。その根元には、子供の木が芽ばえています。縁結びや安産子育、家内安全を祈願すると霊験あらたかです。またこのご神木は、老いて枯れてしまっても、「糺の森」のどこかに自然と跡継ぎの木が生まれ、現在のご神木も4代目にあたるそうです。<br /><br />相生社でのお参りには特別な作法があるそうです。まず絵馬に願い事を書き、次に絵馬を持ち、願い事を心の中で唱えながら相生社と連理の賢木の周りを回ります。男性は時計回り、女性は反時計回りに3周します。そして絵馬を奉納し、相生社でお参りをします。祈願の結果、結ばれたカップルも多く、下鴨神社で結婚式を挙げる方も年々増えているそうです。幸せな人の思いが、幸せを願う人々へと連綿と受け継がれていって欲しいものです。<br />

    下鴨神社 相生社(鴨の七不思議:④連理の賢木(れんりのさかき)
    相生社の傍ら、朱塗りの玉垣に囲まれた所に生える「連理の賢木」は不思議な木です。連理とは、木の幹や枝が他の木の幹や枝と連なって木理が通じることを言います。賢木とは榊を指し、言い伝えでは、縁結びの神威によって2本の木が1本に結ばれたとのこと。その根元には、子供の木が芽ばえています。縁結びや安産子育、家内安全を祈願すると霊験あらたかです。またこのご神木は、老いて枯れてしまっても、「糺の森」のどこかに自然と跡継ぎの木が生まれ、現在のご神木も4代目にあたるそうです。

    相生社でのお参りには特別な作法があるそうです。まず絵馬に願い事を書き、次に絵馬を持ち、願い事を心の中で唱えながら相生社と連理の賢木の周りを回ります。男性は時計回り、女性は反時計回りに3周します。そして絵馬を奉納し、相生社でお参りをします。祈願の結果、結ばれたカップルも多く、下鴨神社で結婚式を挙げる方も年々増えているそうです。幸せな人の思いが、幸せを願う人々へと連綿と受け継がれていって欲しいものです。

  • 下鴨神社 相生社<br />ここの縁結びのご利益は評判が高く、絵馬を奉納する女性の姿が絶えることがありません。隣接するお守り授与所では縁結び関連のお守りやグッズが豊富です。特に人気なのは『源氏物語』に因んだ「縁結びおみくじ」(300円)で、男性・女性用が別々の筒に入れられ、男性用が衣冠束帯、女性用が十二単のデザインでかわいく、しかもよく当たると評判です。<br /><br />

    下鴨神社 相生社
    ここの縁結びのご利益は評判が高く、絵馬を奉納する女性の姿が絶えることがありません。隣接するお守り授与所では縁結び関連のお守りやグッズが豊富です。特に人気なのは『源氏物語』に因んだ「縁結びおみくじ」(300円)で、男性・女性用が別々の筒に入れられ、男性用が衣冠束帯、女性用が十二単のデザインでかわいく、しかもよく当たると評判です。

  • 下鴨神社 楼門 <br />現存の楼門は1628年に再建されたものとされ、重要文化財に指定されています。提灯には十六八重菊紋が付されています。これは天皇陛下と皇族方だけの紋だそうです。多くの神社は最高でも十六単菊紋です。この神紋を使えるのは伊勢神宮と両賀茂神社、八幡宮の一部に限られているそうです。因みに、提灯の菊紋の裏側は双葉葵となっています。<br /><br />賀茂社についての最古の記録は、『続日本紀』にあります。山城国の賀茂の祭りの日に見物人が大勢集まり、武器を持ったり馬上で弓を射たりして祭りに興じているので警備するよう、またそれを朝廷が禁止するように命じたことが記されています。このような民衆の余興に朝廷は脅威を感じ、賀茂社と賀茂県主家とを分断し、下鴨神社が誕生します。その後765年に下鴨神社に神戸二十戸が与えられ、朝廷の「大神社」の地位が授けられます。819年、嵯峨天皇は賀茂の祭りを伊勢神宮の祭祀と同格にし、その後賀茂神社の祭祀は朝廷の最高神として扱われました。国家祭祀の対象として、一貫して下・上両社を一体に扱ったのが特徴です。<br />賀茂社は上賀茂神社が先にありましたが、今は下鴨神社が正式には『賀茂御祖(みおや)神社』と称する通り、親社になっています。そのため、勅使が参拝する際にはまず下鴨神社へ行き、その後上賀茂神社へ向かいます。古来より両社を著す場合、「賀茂下上二社」とし、必ず下上と記述するのが慣例となっているそうです。

    下鴨神社 楼門
    現存の楼門は1628年に再建されたものとされ、重要文化財に指定されています。提灯には十六八重菊紋が付されています。これは天皇陛下と皇族方だけの紋だそうです。多くの神社は最高でも十六単菊紋です。この神紋を使えるのは伊勢神宮と両賀茂神社、八幡宮の一部に限られているそうです。因みに、提灯の菊紋の裏側は双葉葵となっています。

    賀茂社についての最古の記録は、『続日本紀』にあります。山城国の賀茂の祭りの日に見物人が大勢集まり、武器を持ったり馬上で弓を射たりして祭りに興じているので警備するよう、またそれを朝廷が禁止するように命じたことが記されています。このような民衆の余興に朝廷は脅威を感じ、賀茂社と賀茂県主家とを分断し、下鴨神社が誕生します。その後765年に下鴨神社に神戸二十戸が与えられ、朝廷の「大神社」の地位が授けられます。819年、嵯峨天皇は賀茂の祭りを伊勢神宮の祭祀と同格にし、その後賀茂神社の祭祀は朝廷の最高神として扱われました。国家祭祀の対象として、一貫して下・上両社を一体に扱ったのが特徴です。
    賀茂社は上賀茂神社が先にありましたが、今は下鴨神社が正式には『賀茂御祖(みおや)神社』と称する通り、親社になっています。そのため、勅使が参拝する際にはまず下鴨神社へ行き、その後上賀茂神社へ向かいます。古来より両社を著す場合、「賀茂下上二社」とし、必ず下上と記述するのが慣例となっているそうです。

  • 下鴨神社 楼門<br />丹塗りが目に鮮やかで聳える感じがする印象的な楼門。高さ30mもあり、左右に廻廊が伸びる荘厳な建造物です。西回廊の一間の床張は、葵祭の際に勅使が剣を解く剣の間の長さに設えてあるそうです。<br /><br />賀茂社といえば「賀茂祭」。この祭りのシンボルとして神前や参列者に葵の葉を飾るため「葵祭」の俗称があり、これは江戸時代から使われていました。基本的には五穀豊穣のお祭りなのですが、子孫繁栄を願ったお祭りでもあります。これは葵の葉が女性の下半身を表し、それを身に付けて大切にすることからも推し量れます。<br />

    下鴨神社 楼門
    丹塗りが目に鮮やかで聳える感じがする印象的な楼門。高さ30mもあり、左右に廻廊が伸びる荘厳な建造物です。西回廊の一間の床張は、葵祭の際に勅使が剣を解く剣の間の長さに設えてあるそうです。

    賀茂社といえば「賀茂祭」。この祭りのシンボルとして神前や参列者に葵の葉を飾るため「葵祭」の俗称があり、これは江戸時代から使われていました。基本的には五穀豊穣のお祭りなのですが、子孫繁栄を願ったお祭りでもあります。これは葵の葉が女性の下半身を表し、それを身に付けて大切にすることからも推し量れます。

  • 下鴨神社 本殿 <br />楼門から先には神聖な空間が広がっています。下鴨神社は、太古、この地を占有していた賀茂氏が創祀した日本最古の神社のひとつです。幣殿の奥には、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の母 賀茂玉依媛命を祀る「東本殿」、祖父 賀茂建角身命を祀る「西本殿」が建立されています。賀茂玉依媛命は、瀬見の小川の川上から流れてきた丹塗りの矢を手にして身ごもり、別雷神を生んだと伝えられています。賀茂御祖神社と呼ぶのはこのためだそうです。<br />現在両本殿は2015年の式年遷宮に向けて建て替えが進められています。元々、幣殿の外からは、御簾や柱などに阻まれて本殿の全体を見ることは叶わないそうです。直接本殿を見ることは畏れ多いということかもしれません。現存の両本殿は1863年に建造されたとされ、神社建築の代表的な社殿として国宝に指定されています。<br /><br />

    下鴨神社 本殿
    楼門から先には神聖な空間が広がっています。下鴨神社は、太古、この地を占有していた賀茂氏が創祀した日本最古の神社のひとつです。幣殿の奥には、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の母 賀茂玉依媛命を祀る「東本殿」、祖父 賀茂建角身命を祀る「西本殿」が建立されています。賀茂玉依媛命は、瀬見の小川の川上から流れてきた丹塗りの矢を手にして身ごもり、別雷神を生んだと伝えられています。賀茂御祖神社と呼ぶのはこのためだそうです。
    現在両本殿は2015年の式年遷宮に向けて建て替えが進められています。元々、幣殿の外からは、御簾や柱などに阻まれて本殿の全体を見ることは叶わないそうです。直接本殿を見ることは畏れ多いということかもしれません。現存の両本殿は1863年に建造されたとされ、神社建築の代表的な社殿として国宝に指定されています。

  • 下鴨神社 舞殿 (重要文化財)<br />楼門を潜ると広場があり、その中央に「舞殿」が鎮座しています。特別な殿舎ではないのですが、目立つ場所に建てられているためか妙にその存在が印象に残る建物です。現存の舞殿は1628に再建されたものとされ、重要文化財に指定されています。<br /><br />

    下鴨神社 舞殿 (重要文化財)
    楼門を潜ると広場があり、その中央に「舞殿」が鎮座しています。特別な殿舎ではないのですが、目立つ場所に建てられているためか妙にその存在が印象に残る建物です。現存の舞殿は1628に再建されたものとされ、重要文化財に指定されています。

  • 下鴨神社 舞殿<br />賀茂祭(葵祭)の際、勅使がご祭文を奏上され、舞楽 東游(あずまあそび)が奉納されます。舞殿の天井は、格式高く、格子状になっています。<br />建物の格という点では、この舞殿が橋殿の上位にあるようです。内部には舞殿も橋殿も格子天井が嵌められていますが、舞殿の方が手の込んだ造りになっています。床も舞殿の方が一段高くなっており、舞殿の垂木の先には金属の飾りが設えられています。

    下鴨神社 舞殿
    賀茂祭(葵祭)の際、勅使がご祭文を奏上され、舞楽 東游(あずまあそび)が奉納されます。舞殿の天井は、格式高く、格子状になっています。
    建物の格という点では、この舞殿が橋殿の上位にあるようです。内部には舞殿も橋殿も格子天井が嵌められていますが、舞殿の方が手の込んだ造りになっています。床も舞殿の方が一段高くなっており、舞殿の垂木の先には金属の飾りが設えられています。

  • 下鴨神社 舞殿<br />下鴨神社にあって上賀茂神社にないのが、この舞殿です。他の神社の舞殿に比べて一回り大きく存在感を顕にしています。上社に存在しない理由は、橋殿がその役割を果たすからと言うことですが、下社には橋殿も舞殿も存在しますので本当の所はよく判りません。<br />本殿が拝めない今は、まるで下鴨神社の主のような顔をしています。<br />

    下鴨神社 舞殿
    下鴨神社にあって上賀茂神社にないのが、この舞殿です。他の神社の舞殿に比べて一回り大きく存在感を顕にしています。上社に存在しない理由は、橋殿がその役割を果たすからと言うことですが、下社には橋殿も舞殿も存在しますので本当の所はよく判りません。
    本殿が拝めない今は、まるで下鴨神社の主のような顔をしています。

  • 下鴨神社 出雲井於(いずもいのへ)神社<br />楼門を潜って左手にある出雲井於神社のご祭神は、出雲神 素戔嗚尊(スサノオノミコト)で、本殿よりも先にこの地に鎮座していた下社で最も古い神社です。下社の場所は、大宝律令(700年)以降から出雲郷と呼ばれ、出雲と関係の深い場所だったそうです。井於とは賀茂川のほとりを表し、出雲郷の賀茂川のほとりの神社という意味です。<br /><br />提灯は菊の紋ばかりが目立ちますが、左の提灯には双葉葵の紋が見られます。下社の神紋「双葉葵」は、男女の縁を表すとされ、縁結びにご利益があると言われています。 <br />

    下鴨神社 出雲井於(いずもいのへ)神社
    楼門を潜って左手にある出雲井於神社のご祭神は、出雲神 素戔嗚尊(スサノオノミコト)で、本殿よりも先にこの地に鎮座していた下社で最も古い神社です。下社の場所は、大宝律令(700年)以降から出雲郷と呼ばれ、出雲と関係の深い場所だったそうです。井於とは賀茂川のほとりを表し、出雲郷の賀茂川のほとりの神社という意味です。

    提灯は菊の紋ばかりが目立ちますが、左の提灯には双葉葵の紋が見られます。下社の神紋「双葉葵」は、男女の縁を表すとされ、縁結びにご利益があると言われています。

  • 下鴨神社 出雲井於神社(鴨の七不思議:⑤何でも柊 )<br />出雲井於神社(比良木社)の傍らに植わっている木は、全て葉がギザギザになって柊化すると言われています。故に出雲井於神社は、柊さんや柊宮とも呼ばれます。柊は鬼が嫌う木とされ、『何でも柊』は災いを祓うと信仰されています。江戸期の随筆には、植えた榊が半分柊になりかけたのを抜いて家に持ち帰ったという話もあるそうです。「山城の七不思議」のひとつともされています。<br />写真の樹木は福寿園が奉納された「お茶の木」なのですが、「お茶の木」の葉は元々鋸歯です。この地に植樹されてギザギザになったわけではないのですが…。

    下鴨神社 出雲井於神社(鴨の七不思議:⑤何でも柊 )
    出雲井於神社(比良木社)の傍らに植わっている木は、全て葉がギザギザになって柊化すると言われています。故に出雲井於神社は、柊さんや柊宮とも呼ばれます。柊は鬼が嫌う木とされ、『何でも柊』は災いを祓うと信仰されています。江戸期の随筆には、植えた榊が半分柊になりかけたのを抜いて家に持ち帰ったという話もあるそうです。「山城の七不思議」のひとつともされています。
    写真の樹木は福寿園が奉納された「お茶の木」なのですが、「お茶の木」の葉は元々鋸歯です。この地に植樹されてギザギザになったわけではないのですが…。

  • 下鴨神社 神服殿(重要文化財)<br />夏・冬の御神服を奉製する御殿で、古代祭祀の神殿様式を伝える貴重な社殿。近世期には勅使殿や着到殿となり、古来殿内の一室が行幸の際は玉座ともなったそうです。「明けずの間」とも伝えられています。古来より御所が災害にあわれた際の臨時御座所でもありました。

    下鴨神社 神服殿(重要文化財)
    夏・冬の御神服を奉製する御殿で、古代祭祀の神殿様式を伝える貴重な社殿。近世期には勅使殿や着到殿となり、古来殿内の一室が行幸の際は玉座ともなったそうです。「明けずの間」とも伝えられています。古来より御所が災害にあわれた際の臨時御座所でもありました。

  • 下鴨神社 中門<br />舞殿の奥に中門があります。様々な社殿が立ち並ぶ広い社地と本殿が建つ社地の結界として存在する、一種の鳥居のような機能を果たす建物のような気がします。中門は朱色の楼門とは対照的に落ち着いた黒色を基調とした造りになっており、引き締まった印象を受けます。この中門を潜ると十二支を祀る言社があり、その奥の正面に幣殿が控え、そのまた奥に二つの本殿が鎮座しています。

    下鴨神社 中門
    舞殿の奥に中門があります。様々な社殿が立ち並ぶ広い社地と本殿が建つ社地の結界として存在する、一種の鳥居のような機能を果たす建物のような気がします。中門は朱色の楼門とは対照的に落ち着いた黒色を基調とした造りになっており、引き締まった印象を受けます。この中門を潜ると十二支を祀る言社があり、その奥の正面に幣殿が控え、そのまた奥に二つの本殿が鎮座しています。

  • 下鴨神社 言社 <br />干支の守り神とも言われ、中門の内側、幣殿の前に建てられ、7つの小さい社で構成されています。大国主命は7つの異名を持ち、名前毎に祀られているため、7つの社になっているそうです。それぞれが12支の守り神、また商売繁盛の神として信仰されているようです。<br />また、言社は大國さんと親しく呼ばれています。大國さんとは「大国主命」の略称で7つの社があります。 <br />一言社、大国魂命・顕國魂命 <br />二言社 大国主命・大物主命 <br />三言社 大己貴命・志固男命・八千矛命 <br /><br />写真は、来年(2014年)の干支である午の社です。

    下鴨神社 言社
    干支の守り神とも言われ、中門の内側、幣殿の前に建てられ、7つの小さい社で構成されています。大国主命は7つの異名を持ち、名前毎に祀られているため、7つの社になっているそうです。それぞれが12支の守り神、また商売繁盛の神として信仰されているようです。
    また、言社は大國さんと親しく呼ばれています。大國さんとは「大国主命」の略称で7つの社があります。
    一言社、大国魂命・顕國魂命
    二言社 大国主命・大物主命
    三言社 大己貴命・志固男命・八千矛命

    写真は、来年(2014年)の干支である午の社です。

  • 下鴨神社 大炊殿(おおいどの)<br />大炊殿は賀茂斎院旧跡の中にあります。お供え物を調製する大炊殿の入り口にある仕切りの唐門。いわば神様の台所のお勝手口といった門です。屋根の唐破風の形式からその名があります。この先は世界文化遺産登録を記念して有料公開されている神域となります。<br />唐門の欄間に葡萄の紋様が彫刻されていることから葡萄門とも呼ばれています。葡萄棚の紋様は日本独自の意匠で、門を潜る人をお祓いする意味があるそうです。古くは、エビカズラ(野生の葡萄)といい、伊弉諾尊(イザナギノミコト)が黄泉国から逃げ帰った時、追いかけてきた鬼に髪飾りを投げつけるとエビカズラの実に変わったと伝えられています。<br /> 

    下鴨神社 大炊殿(おおいどの)
    大炊殿は賀茂斎院旧跡の中にあります。お供え物を調製する大炊殿の入り口にある仕切りの唐門。いわば神様の台所のお勝手口といった門です。屋根の唐破風の形式からその名があります。この先は世界文化遺産登録を記念して有料公開されている神域となります。
    唐門の欄間に葡萄の紋様が彫刻されていることから葡萄門とも呼ばれています。葡萄棚の紋様は日本独自の意匠で、門を潜る人をお祓いする意味があるそうです。古くは、エビカズラ(野生の葡萄)といい、伊弉諾尊(イザナギノミコト)が黄泉国から逃げ帰った時、追いかけてきた鬼に髪飾りを投げつけるとエビカズラの実に変わったと伝えられています。
     

  • 下鴨神社 賀茂斎院歴代斎王神霊社<br />歴代斎王の神霊は、元当所の西方にあった賀茂斎院御所に祀られていましたが、文明の乱(1407年)により社殿が焼失。その後、糺の森の鴨社神宮寺境内に遷座していたものを、1921年にここにある白髭社に合祀したそうです。<br />写真の中央に見える舞殿のようなものは「葵生殿」と呼ばれ結婚式場として使用されているようです。<br />正面奥に見えるのが三井神社。(重要文化財)<br />中社:建角身命、東社:伊賀古夜日賣命(建角身命の妻)、西社:玉依媛賣命(建角身命の子)を祀っています。<br />左脇にあるのが、諏訪社(重要文化財)、小杜社(重要文化財)、白髯社(重要文化財)です。<br />

    下鴨神社 賀茂斎院歴代斎王神霊社
    歴代斎王の神霊は、元当所の西方にあった賀茂斎院御所に祀られていましたが、文明の乱(1407年)により社殿が焼失。その後、糺の森の鴨社神宮寺境内に遷座していたものを、1921年にここにある白髭社に合祀したそうです。
    写真の中央に見える舞殿のようなものは「葵生殿」と呼ばれ結婚式場として使用されているようです。
    正面奥に見えるのが三井神社。(重要文化財)
    中社:建角身命、東社:伊賀古夜日賣命(建角身命の妻)、西社:玉依媛賣命(建角身命の子)を祀っています。
    左脇にあるのが、諏訪社(重要文化財)、小杜社(重要文化財)、白髯社(重要文化財)です。

  • 下鴨神社 西の鳥居<br />西の鳥居付近には意外と楓の木が多く、真っ赤に色付いています。朱色の鳥居や黄金色の吊灯籠に良く映えてくれます。 <br />

    下鴨神社 西の鳥居
    西の鳥居付近には意外と楓の木が多く、真っ赤に色付いています。朱色の鳥居や黄金色の吊灯籠に良く映えてくれます。

  • 下鴨神社 輪橋(そりはし)と光琳の梅 <br />御手洗祭りや葵祭の斎王代の禊ぎに使われる御手洗川に架けられている輪橋の傍らには梅の木があり、「光琳の梅」と呼ばれます。この梅は、尾形光琳が「紅白梅図二曲屏風」(国宝:熱海のMOA美術館所蔵)のモデルだそうです。光琳は江戸時代の京都画壇の代表的画家、工芸家で、「紅白梅図二曲屏風」は晩年の作と言われ、二条城の東方にある自宅で描かれたと伝えられます。 <br />

    下鴨神社 輪橋(そりはし)と光琳の梅
    御手洗祭りや葵祭の斎王代の禊ぎに使われる御手洗川に架けられている輪橋の傍らには梅の木があり、「光琳の梅」と呼ばれます。この梅は、尾形光琳が「紅白梅図二曲屏風」(国宝:熱海のMOA美術館所蔵)のモデルだそうです。光琳は江戸時代の京都画壇の代表的画家、工芸家で、「紅白梅図二曲屏風」は晩年の作と言われ、二条城の東方にある自宅で描かれたと伝えられます。

  • 下鴨神社 輪橋と細殿<br />銀杏の黄葉と輪橋の欄干の朱色が見事にマッチして典雅な雰囲気を漂わせています。輪橋の麓にはこのように注連縄が張られ、渡ることは叶いません。<br /><br />輪橋の先にある建物が細殿。ここは歌会や茶会などが行われていた殿舎です。1863年の孝明天皇賀茂行幸の際、徳川家茂の侍所となったなど、歴史的な建物とされています。また、内部の構造は二重合天井、外部は向拝付流造という構造は、建築学的にも貴重な建物だそうです。<br /><br />

    下鴨神社 輪橋と細殿
    銀杏の黄葉と輪橋の欄干の朱色が見事にマッチして典雅な雰囲気を漂わせています。輪橋の麓にはこのように注連縄が張られ、渡ることは叶いません。

    輪橋の先にある建物が細殿。ここは歌会や茶会などが行われていた殿舎です。1863年の孝明天皇賀茂行幸の際、徳川家茂の侍所となったなど、歴史的な建物とされています。また、内部の構造は二重合天井、外部は向拝付流造という構造は、建築学的にも貴重な建物だそうです。

  • 下鴨神社 橋殿(重要文化財)<br />パッと見は舞殿のように見えますが、近くまで寄ると「橋殿」の名前が示すとおり、御手洗川の流れを跨いで建立されています。現在のものは1628年に造替されたものです。<br />御蔭祭の際、御神宝を奉安する御殿です。古くは御戸代会神事、奏楽、里神楽、倭舞が行われていた御殿です。また行幸、御幸の際、公卿、殿上人の控え所と定められていました。<br />現在は、中秋の名月のお月見の頃には名月管絃祭、お正月の神事では神事芸能が奉納されます。

    下鴨神社 橋殿(重要文化財)
    パッと見は舞殿のように見えますが、近くまで寄ると「橋殿」の名前が示すとおり、御手洗川の流れを跨いで建立されています。現在のものは1628年に造替されたものです。
    御蔭祭の際、御神宝を奉安する御殿です。古くは御戸代会神事、奏楽、里神楽、倭舞が行われていた御殿です。また行幸、御幸の際、公卿、殿上人の控え所と定められていました。
    現在は、中秋の名月のお月見の頃には名月管絃祭、お正月の神事では神事芸能が奉納されます。

  • 下鴨神社 御手洗社 <br />井戸の上に建立されていることから「井上社」とも呼ばれ、本殿の東側の奥に佇みます。近くに寄って耳を澄ますと水音がかすかに聞こえ、心が洗われる思いがします。<br />社の前の池は「みたらしの池」と呼ばれ、石の階段は伊勢神宮の五十鈴川を彷彿とさせます。葵祭のヒロイン「斎王代」が池に手を浸して清める「斎王代禊の儀」の場所でもあります。

    下鴨神社 御手洗社
    井戸の上に建立されていることから「井上社」とも呼ばれ、本殿の東側の奥に佇みます。近くに寄って耳を澄ますと水音がかすかに聞こえ、心が洗われる思いがします。
    社の前の池は「みたらしの池」と呼ばれ、石の階段は伊勢神宮の五十鈴川を彷彿とさせます。葵祭のヒロイン「斎王代」が池に手を浸して清める「斎王代禊の儀」の場所でもあります。

  • 下鴨神社 みたらし川(鴨の七不思議:⑥みたらし川の水泡)   <br />みたらし池は、「足つけ神事」などの祓の神事が行なわれ、清水に足をひたし無病息災を祈る古来よりの神泉です。普段、水は流れていませんが、土用になると池底から水が湧き出てくるという不思議な池。その湧き出る水疱を象って団子にしたのが、みたらし団子だと言われています。鎌倉時代、後醍醐天皇が御手洗池の水を掬ったところ、最初にひとつ、少し間があってから4つの泡が浮き上がった故事に因んでみます。名物のみたらし団子は、故事にちなんで先端の団子の次は少し隙間を開けて串に刺されています。<br />立秋の頃、ここで「矢取りの神事」(夏越神事)が行われます。この神事は池の中央に50本の斎串(イグシ)を立てて裸男が奪い合いお祓いの神事です。斎串は一見矢に似ているところからその名があり、安産、商売繁盛のお守りとして信仰されています。<br /><br />

    下鴨神社 みたらし川(鴨の七不思議:⑥みたらし川の水泡)   
    みたらし池は、「足つけ神事」などの祓の神事が行なわれ、清水に足をひたし無病息災を祈る古来よりの神泉です。普段、水は流れていませんが、土用になると池底から水が湧き出てくるという不思議な池。その湧き出る水疱を象って団子にしたのが、みたらし団子だと言われています。鎌倉時代、後醍醐天皇が御手洗池の水を掬ったところ、最初にひとつ、少し間があってから4つの泡が浮き上がった故事に因んでみます。名物のみたらし団子は、故事にちなんで先端の団子の次は少し隙間を開けて串に刺されています。
    立秋の頃、ここで「矢取りの神事」(夏越神事)が行われます。この神事は池の中央に50本の斎串(イグシ)を立てて裸男が奪い合いお祓いの神事です。斎串は一見矢に似ているところからその名があり、安産、商売繁盛のお守りとして信仰されています。

  • 下鴨神社 糺の森<br />参拝を終え、楼門を抜けて再び糺の森に戻ります。<br />ここは相生社の裏手に当ります。緑の樹木に囲まれながら、オレンジ色と紅色の紅葉が競演しています。

    下鴨神社 糺の森
    参拝を終え、楼門を抜けて再び糺の森に戻ります。
    ここは相生社の裏手に当ります。緑の樹木に囲まれながら、オレンジ色と紅色の紅葉が競演しています。

  • 下鴨神社 糺の森<br />紅色の紅葉のズームアップです。<br />いつの間にか、どんよりとした空模様になっています。いつ雨が降り出してもおかしくない感じです。

    下鴨神社 糺の森
    紅色の紅葉のズームアップです。
    いつの間にか、どんよりとした空模様になっています。いつ雨が降り出してもおかしくない感じです。

  • 下鴨神社 糺の森(鴨の七不思議:⑦赤椿 )<br />楼門手前の鳥居の南西側の林には椿の木が多く植えられています。下鴨の神主は位が高く、他から来るお使いは位が低いことが多かったため、装束が目立たないようにするために赤い椿を植えたそうです。近世以前は、「養老衣服令」(718年)などにより、位階毎に衣の色が決められていました。下鴨社の神主の位は二位なので浅紫の衣を着用していましたが、神社に代参する官人の位は浅緋という赤系統の衣を着用した五位以下の者が多く、浅緋が目立たないよう参道に赤椿を植えたそうです。冬になるとヤブツバキの赤さが目につき、さながら糺の森が赤い椿で覆われた感じとなるそうです。

    下鴨神社 糺の森(鴨の七不思議:⑦赤椿 )
    楼門手前の鳥居の南西側の林には椿の木が多く植えられています。下鴨の神主は位が高く、他から来るお使いは位が低いことが多かったため、装束が目立たないようにするために赤い椿を植えたそうです。近世以前は、「養老衣服令」(718年)などにより、位階毎に衣の色が決められていました。下鴨社の神主の位は二位なので浅紫の衣を着用していましたが、神社に代参する官人の位は浅緋という赤系統の衣を着用した五位以下の者が多く、浅緋が目立たないよう参道に赤椿を植えたそうです。冬になるとヤブツバキの赤さが目につき、さながら糺の森が赤い椿で覆われた感じとなるそうです。

  • 下鴨神社 糺の森<br />糺の森では紅色の紅葉は希少価値なので、ついつい被写体に選んでしまいます。落葉の赤と相まって独特の雰囲気があります。

    下鴨神社 糺の森
    糺の森では紅色の紅葉は希少価値なので、ついつい被写体に選んでしまいます。落葉の赤と相まって独特の雰囲気があります。

  • 下鴨神社 糺の森 瀬見の小川<br />約40種類の樹木の中でオレンジ色や黄色に染まる紅葉のグラデーションは、糺の森ならではの素敵な心に染み入る光景です。清らかに流れる瀬見の小川に散り紅葉がたゆたう姿は、情緒を揺さぶります。

    下鴨神社 糺の森 瀬見の小川
    約40種類の樹木の中でオレンジ色や黄色に染まる紅葉のグラデーションは、糺の森ならではの素敵な心に染み入る光景です。清らかに流れる瀬見の小川に散り紅葉がたゆたう姿は、情緒を揺さぶります。

  • 下鴨神社 糺の森 瀬見の小川<br />瀬見の小川付近は、落葉と黄葉紅葉、緑葉のコラボレーションで柔らかな温もりを感じさせる憩いの場所になっています。たっぷりとエネルギーが充電できそうな気がします。癒しの場でもありますね!

    下鴨神社 糺の森 瀬見の小川
    瀬見の小川付近は、落葉と黄葉紅葉、緑葉のコラボレーションで柔らかな温もりを感じさせる憩いの場所になっています。たっぷりとエネルギーが充電できそうな気がします。癒しの場でもありますね!

  • 下鴨神社 糺の森 瀬見の小川<br />オレンジロードの名に恥じない絶景です。<br /><br />葉書のルーツは、この糺の森にあるそうです。実は葉書は、古代、まだ紙が高価で貴重だった頃、木の葉に文字を書いて届けたものがルーツです。その木の葉こそ、糺の森にあった「タラヨウ」の木。この葉には特徴があり、葉の裏に先の尖ったもので傷をつけるとその部分が黒く変色し、長期間傷が残ったそうです。古代では、この葉に経文を書いたり、手習いに使ったそうです。そのため、「タラヨウの木」は、「手習いの木」や「葉書の木」と呼ばれ、葉書の語源となったそうです。東京都中央郵便局のビルの前には「タラヨウ」の大木が植えられており、「郵便局の木」の碑が建てられています。

    下鴨神社 糺の森 瀬見の小川
    オレンジロードの名に恥じない絶景です。

    葉書のルーツは、この糺の森にあるそうです。実は葉書は、古代、まだ紙が高価で貴重だった頃、木の葉に文字を書いて届けたものがルーツです。その木の葉こそ、糺の森にあった「タラヨウ」の木。この葉には特徴があり、葉の裏に先の尖ったもので傷をつけるとその部分が黒く変色し、長期間傷が残ったそうです。古代では、この葉に経文を書いたり、手習いに使ったそうです。そのため、「タラヨウの木」は、「手習いの木」や「葉書の木」と呼ばれ、葉書の語源となったそうです。東京都中央郵便局のビルの前には「タラヨウ」の大木が植えられており、「郵便局の木」の碑が建てられています。

  • 下鴨神社 糺の森 瀬見の小川<br />瀬見の小川の傍らでは、清流にしっとりと濡れた散紅葉が目にも鮮やかです。

    下鴨神社 糺の森 瀬見の小川
    瀬見の小川の傍らでは、清流にしっとりと濡れた散紅葉が目にも鮮やかです。

  • 下鴨神社 糺の森 馬場<br />毎年5月に流鏑馬神事が行われる馬場です。<br />紅葉に先駆けて紅葉した落葉樹は葉を散らし、馬場は辺り一面落葉で埋め尽くされています。落葉を踏みしめると「カサコソ」と心地よい音を響かせ、靴底には葉の柔らかな感触を伝えます。のんびりと散策するにはもってこいの状態になっています。<br /><br />糺の森の紅葉の最大の特徴は、このような広大なオレンジ色に染まった枯淡な異空間にあるのだと思います。<br />因みに、オレンジ色は、人を元気にさせたり、創造力を高めたり、幸福感を与える効果があるそうです。ですから、ストレスが溜まった時や気が滅入った時に気分を爽快にしてくれます。また、ポジティブなイメージを伝えたい時や、親しみをもってもらいたい時に使うと効果的です。と言うことですので、この風景は「恋のささやき」にはもってこいのシチュエーションなのでは?そんなわけで、入口の「河合神社(美麗祈願)」〜「糺の森」〜「相生社(縁結び)」〜「下鴨神社(結婚式)」へとストーリーが盛り上がって行くのですね!?<br />

    下鴨神社 糺の森 馬場
    毎年5月に流鏑馬神事が行われる馬場です。
    紅葉に先駆けて紅葉した落葉樹は葉を散らし、馬場は辺り一面落葉で埋め尽くされています。落葉を踏みしめると「カサコソ」と心地よい音を響かせ、靴底には葉の柔らかな感触を伝えます。のんびりと散策するにはもってこいの状態になっています。

    糺の森の紅葉の最大の特徴は、このような広大なオレンジ色に染まった枯淡な異空間にあるのだと思います。
    因みに、オレンジ色は、人を元気にさせたり、創造力を高めたり、幸福感を与える効果があるそうです。ですから、ストレスが溜まった時や気が滅入った時に気分を爽快にしてくれます。また、ポジティブなイメージを伝えたい時や、親しみをもってもらいたい時に使うと効果的です。と言うことですので、この風景は「恋のささやき」にはもってこいのシチュエーションなのでは?そんなわけで、入口の「河合神社(美麗祈願)」〜「糺の森」〜「相生社(縁結び)」〜「下鴨神社(結婚式)」へとストーリーが盛り上がって行くのですね!?

  • 下鴨神社 糺の森 馬場<br />遙か彼方の紅葉橋の辺りを彩る紅葉をズームアップで狙ってみました。森の息遣いが聞こえてきそうな、余情的な絵になりました。<br />落葉を踏みしめて…。まさに晩秋〜初冬の風情が満喫できます。人が踏み入らない場所には、こんもりと枯葉が幾重にも降り積もっています。この次期は、真新しい赤い落葉がその上に斑に降り注ぎ、馬場を錦絵巻風に演出しています。

    下鴨神社 糺の森 馬場
    遙か彼方の紅葉橋の辺りを彩る紅葉をズームアップで狙ってみました。森の息遣いが聞こえてきそうな、余情的な絵になりました。
    落葉を踏みしめて…。まさに晩秋〜初冬の風情が満喫できます。人が踏み入らない場所には、こんもりと枯葉が幾重にも降り積もっています。この次期は、真新しい赤い落葉がその上に斑に降り注ぎ、馬場を錦絵巻風に演出しています。

  • 下鴨神社 糺の森<br />糺の森バス停に向かう途中で見かけたオレンジ色の紅葉の群落です。

    下鴨神社 糺の森
    糺の森バス停に向かう途中で見かけたオレンジ色の紅葉の群落です。

  • 下鴨神社 糺の森<br />小径を挟んでオレンジ色の紅葉の群落と対峙している紅色の紅葉です。<br />この小径を進めば新たな出会いが待っているような予感もするのですが、バスの時間が迫っているので後ろ髪を引かれる思いで別れを告げます。<br /><br />後編は上賀茂神社編(散紅葉)をお届けします。<br />糺の森バス停から4系統(上賀茂神社行)に乗車し、15分強で上賀茂神社に到着します。空模様が怪しく、お天気が心配です。<br />

    下鴨神社 糺の森
    小径を挟んでオレンジ色の紅葉の群落と対峙している紅色の紅葉です。
    この小径を進めば新たな出会いが待っているような予感もするのですが、バスの時間が迫っているので後ろ髪を引かれる思いで別れを告げます。

    後編は上賀茂神社編(散紅葉)をお届けします。
    糺の森バス停から4系統(上賀茂神社行)に乗車し、15分強で上賀茂神社に到着します。空模様が怪しく、お天気が心配です。

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