2013/10/13 - 2013/10/14
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アリヤンさん
ワレワレのGHからワールド・ピース・パゴダ(日本山妙法寺)の上り口まで歩いてどうしても1時間近くかかってしまいます。
上り始めたのはもう8時近くなっていました。
今回は救助せねばならないアルプスの少女も居ないし、2回目なので要領が良い。
比較的スムースに進みました。
山の見え方もダムサイドあたりからチェックもしているので、今日はピース・パゴダからのパノラマが期待されます。
意気洋々とオイボレ・カップルは頼りない歩を進めます。
ハプニング無きトレッキングを願うのみです。
*緊急避難ページ⇒http://www.geocities.jp/dsytc196/2013eightth_102.html
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
上り始めはすでに朝の8時近くなっており、陽が当たれば気温は30℃くらいにはなります。
入り口で長く休憩をしたので、足は軽い。 -
今日は南側が霞んでいる、ということは、北側が澄んでいる?ということか。
ということは、ヒマラヤ山脈、アンナプルナ山群のパノラマが楽しめる?っていうことか。
期待できそうです。 -
空には早くもウルトラ・ライト・プレーンがブーンと飛んでいます。
今日のお客さんはラッキーな方々でしょう。 -
このような荒れた道がワタクシたちのトレッキング・ロードです。
すれ違う人も、追い越してゆく人も見当たりません。
車の通る道は別にあるようで、通るのはオートバイがたまにあるだけです。 -
ポカラの南側の集落と田園がドンドン小さくなってゆきます。
-
読めないほどの文字でストゥーパ(パゴダ=仏舎利塔)への方向標識が木に打ち付けられています。
-
日本山妙法寺に登るのが2回目となる今回は中々良いペースです。
登り始めて1時間くらいで中腹にあるヒンドゥー教3重の塔ホコラに到着です。
まあ、今日まで随分と散歩などをやって足腰を鍛えてきたので、前回ほどのバテバテはありません。 -
祠で一休みします。
東側には紀伊半島根元にもあるような普通の山々が連なっています。
数千メートルの雪山も良いですが、このような普通の山々が重なっている様も良いものです。
ホント、山々に囲まれ、包まれるのは気持ちの良いものです。 -
祠で一服の後、パゴダを目指して再出発です。
ココからは森の中の石段を上ります。 -
自然の石を寄せて積んだ風情のある石段です。
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日本山妙法寺(World Peace Pagoda)が近くに見えてきました。
この分では、今回は2時間ほどでお寺さんに届きそうです。
再度、登頂を挑戦して、良かった。 -
お寺さんそばの茶屋に到達。
茶屋からの眺めも中々なものです。
でもお寺さんからの眺めはもっとスゴイものだと、ワレワレは知っています。 -
お寺さんの石段手前にあるドラゴン・ロッジのオーナーの英国夫人。
彼女はウェールズ出身でワタクシより少しお年寄り。
「ワタシはここに住んでいるの。ここからの眺めはサランコットより良いのよ。なぜなら、サランコットからの眺めは迫力はあるが、近すぎるのでバランスが悪いって昨日行った人たちが言っていたわヨ。ココからの眺めのほうが少し距離があって、全体のバランスが良く、ちょうど良いくらいの感じで見え、素晴らしいと皆さん言ってくれるのヨ」と仰る。
最初ワタクシは、このおばさんがこのロッジのお客さんだと思っていたのだが、その口調でどうもこのロッジのオーナーではないか?と思いはじめた。
後ほど妙法寺の上人とのお話で、やっぱりそうだったことが分かった。
ネパール人と結婚してここにロッジを開業したのだそうだ。
英国の老人と会話すると、ロンドン留学時代が思い出され、英語教師と会話をしている気分になれるので、つい会話が長くなってしまう。
40年以上も前に、フランス人の友達と大ブリテン島をレンタカーで南半分近くドライブした事などが、昨日のように思い出され、この英国婦人と会話が楽しめたのでした。 -
オーナーの許しを得てロッジのベランダに上った。
ちなみにこのロッジの宿泊代は$25~35ドルだそうだ。
毎日のようにヒマラヤのパノラマが楽しめるとのこと。
しかし天候の許す限りという条件が付いている。
また、周辺には他にレストランも無いので毎食ここのレストランで食事をすることになる。
お寺さんの話では、ここの食事はかなり高価で、エベレストより高いらしいので注意が必要だ、ということです。
ワタクシたちが訪問した時は、どこにもお客さんらしい姿はなかった。
でも儲かっているようで、増築中だった。 -
ドラゴン・ロッジからのアンナプルナ山群、パノラマ西半分。
今日は左端にダウラギリまで見える。 -
東半分とフェワ湖。
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東方遠くにはマナスル(8163m)とヒマルチュリ(7893m)までが見えています。
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なんと言っても、ポカラで一番映えて見えるのは中央に君臨するマチャプチャレ(6993m)です。
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イチオシ
西方遠くのダウラギリ(8167m)が朝日に映えて輝いています。
ダウラギリがこれだけハッキリ大きく見えるのは、ポカラでは珍しいことです。 -
イチオシ
ワタクシたちはついに日本山妙法寺(World Peace Pagoda)に到達。
今日のパゴダはヒマラヤの山々を従えて堂々と世界に平和を訴えています。
2500年前にお釈迦様が仰った言葉を日蓮上人がつなぎ、藤井日達上人が現代に実践している、と言える。
世界平和を訴える ワールド・ピース・パゴダ。
「2500年後に世に広めよ、世界平和を 」
本当の話なのかどうかはワタクシなどが分かる 由もありませんが、心打たれる世界平和実現のための実践だと思います。
このワールド・ピース・パゴダが世界中にドンドン広がれば良いと思います。 -
ヒマラヤ山脈:アンナプルナ山群の大パノラマ、西半分。
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東半分です。
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イチオシ
ワールド・ピース・パゴダからの大パノラマをワタクシの拙い写真で再現して見ました。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9910n/SANY02423.JPG -
世界の屋根=ヒマラヤ山脈をバックに「世界平和」を訴える、とはなんてステキなことな んでしょう!
感動します。 -
このパゴダには世界中から観光客がやって来ます。
ネパール人も多くやって来ています。
こうした無償の平和活動は日本の誇りだと思います。
このような平和活動に恥じないような生き方をしようと思うワタクシたちでした。 -
元南極観測隊隊長だった人の石碑が立っていました。
アンナプルナ登頂が彼の人生の原点であったことが分かります。 -
アンナプルナ山群をバックにドーンとおわします、大仏舎利塔=ワールド・ピース・パゴダ=日本山妙法寺の正面には、お釈迦様の坐像が静かに平和を祈っています。
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お釈迦様が生まれた時の様子。
生まれてすぐに、何歩か歩み出でて、天と地を指差し
「天上天下唯我独尊!」
と仰ったとか。 -
イチオシ
仏舎利塔の周りは白亜の手すりで囲まれており、まわり360度見回せます。
つまり、あらゆる角度からヒマラヤ山脈を鑑賞できるのです。 -
フィッシュ・テイル(マチャプチャレ)とフェワ湖。
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お釈迦様の涅槃像。
ピッパラの木の下で悟りを開き、あの大変な気候の中、インドで説法の旅を続け、多くの人々を救った偉大な天才だったと思います。
カースト制度に縛られ自由を知らされなかった人々に自由とヒトの道を教えた偉大な天才だったと思います。
2500年経ってもその教えは人類にとってまだまだ新鮮なものだと思います。
輪廻転生の考えをカースト制度で固めた世の中は自由のない、まさに餓鬼道の世の中でしょう。
輪廻転生は「ワレワレ人間の遺伝子DNAの中にあり、子どもに伝わり、マゴに伝わり、人間が存在する限り、子々孫々と先祖の一連の流れのなかに自分が存在するのだ」と思っています。
自分もその橋渡しの一翼を担っているのだと実感できれば、それで良いと思うのです。
人間は必ず死にます。
形あるもの全て、何時かは滅びます。
しかしDNAの中のホンの一部の自分は、先祖の中に生きてきたし、今も生きているし、子々孫々にわたり、未来も生き続けることだろう。
生をつなぎ続けることで、自分は人間が生きつづける限り、生き続けることが出来るのだと思うこのごろです。
だからいま、マゴたちは自分のようにカワイイのです。
大事にしたいのです。
日本の、あるアホウ、の「超独自輪廻転生論」でした。 -
パゴダのすぐ下の建物と超ライト・プレーンとポカラの街。
-
フェワ湖とポカラとヒマラヤ。
-
イチオシ
さっきからパゴダの周りをウロウロしていた日本人らしきお坊さん。
パートナーが声を掛けると気さくに応じてくれました。
サカイさんという京都の人で日本山妙法寺本部?から4年前にやって来たお坊さんです。
数日前に下界で修行僧姿のお坊さんが子ども達に太鼓を叩かせたりしては頭をなぜて祝福を授けていたのを目撃しました。
その時ワタクシたちは「アレは日本人の僧侶に違いない!しかも日蓮宗のお坊さんだ」と言い合っていました。
「アレはサカイさん、アナタでしたか?」と問えば
「それは100%ワタシだったでしょう」と答えてくれました。
ネパール語がペラペラで現地のお坊さんらしき人とネパール語で話をしていました。
つまらない日本のオイボレ・カップルにも、気さくに色々お話をして頂き、ありがとうございました。
特にワレワレが行こうとしているベニのシンハ温泉のことも詳しく教えて頂き、宿の紹介もしてもらった。
まだ30歳台で、お若く将来有望なお坊さんとお見受け致しました。
記念にヒマラヤをバックにそのご尊顔を一枚撮らせて頂きました。
斯様な人のお陰で、ネパールでの日本人の評判はとても良く保たれているのだと、感謝します。
大変気さくな方です。
ポカラの日本山妙法寺に山を見に行くことがあり、この仏舎利塔付近で見かけたら気軽に声を掛ければ良いと思います。
本当に良いお話が聞けると思います。 -
11月9日に法要が大々的にここで行われ、世界中から偉いお坊さん達と信者さんたちが集まるそうです。
ワタクシたちもどうですか?と誘われましたが、スケジュールに縛られるのがキライなわがままなワレワレは、その日はポカラに居るかどうか分からないのを理由にお断りいたしました。
そうそう、この日本山妙法寺には宿泊できる宿坊があるのです。
だれでも自由に宿泊できるのですが、基本的にはサカイ上人と同じように朝は暗いうちから起きだし、朝の勤行を一緒にして、上人と同じように生活をすることになっているそうです。
ご希望者さんは日本山妙法寺のホームページでチェックください。
なお、食事は京都のお寺さんで出る美味しそうな精進料理ではなく、ネパールのダル・バートのようなお食事だそうです。
基本、ベジタリアンです。
日本の京都のお寺さんの精進料理のような、おいしそうな食事を勝手に想像したのはワタクシでした。
でも、自前の野菜と漬物とチャツネが添えられたここのお寺さんのダル・バートは市中で食べるものよりずっと美味しいものだと想像されますので、ご遠慮なく世界平和の活動にご参加しては如何でしょうか? -
仏舎利塔から下を見下ろした光景です。
上には靴を脱いで上がるのが基本です。
寄付は上がり口の真ん中に箱がありますので、幾らでも上限なしで受け入れています。
よろしくお願い申し上げます。 -
再度アンナプルナ山群を見ます。
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日本山妙法寺がたっているこの土地は、この方(ネパール人)がポンと寄付したそうです。
説明文を読むと、ネパール政府の要職をされた地元の有力者だったようです。
仏教徒ではなかったが、チベット仏教の前身だったボン教教徒だったとのことでした。 -
日本山妙法寺は1,100m近い山の上にあるのですが、バナナの花が見事に開花していました。
-
ワタクシたちはお寺で日本人のお坊様にもお会いでき、お話も出来たし、その上ヒマラヤ山脈のアンナプルナ山群の大パノラマも良く見えたので、しごく気分よく山を降りました。
この道はローカルの人々が利用しているジャングルの道ですが、3年位前までよく山賊強盗が出たそうです。
サカイ上人の話では山賊たちは悉く逮捕されたので最近は山賊の話は聞かないそうですが、やっぱり女性一人の歩きは辞めといたほうが無難である 、とのご意見でした。 -
下りは速いものです。
トントンと降りていきます。
途中、マウンテン・バイクで登る外人中年夫婦と出 会い言葉を交わした。 自力で登る数少ないひとたちでした。
中には、このように馬に乗って登る人も居ました。
この女性、スペイン人。
ワタクシが驚いて写真を撮ろうとしたら、恥ずかしそうに顔を最初は背けていましたが、観念したようにコチラを向いてくれました。
ワタクシは思わず「コリャア 、グッド・アイデア!」と叫びました。
この山の下には馬なんかは見ませんでしたが、フェワ湖湖畔で度々目撃しているので、おそらく湖畔でチャーターしたものと思われます。 -
順調に下りていきます。
-
子供たちが路上賭博をしていたチョータラまでやって来ました。
今回は子ども達はもう居ませんでした。 -
シャクナゲの赤い花。
祠への捧げ物に必ず添えられています。 -
普通にそこいらを飛び回っているきれいな蝶々。
-
帰りは山のキワの小道を歩きます。
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山のキワですから少し位置が高いので田んぼの見晴らしが良い。
-
完全に下山したときはすでにランチ時だったのでお腹が空いていました。
通常ワタクシたちは、旅先では極力日本食堂は利用せずローカル食堂でたべるのですが、 -
お腹が空いてたまらなかったので、通りがかったアニール・モモに飛び込んだ。
飛び込んで中を見ると、なんと昨年ビシケクのさくらGHでで会った人にまた出会った。
彼は確かワタクシより年上で、67才くらいの人です。
2年前は帰国途中の新鑑真号で初めて会った。
これで3年連続、それぞれ違う場所で出会っていることになる。
世界のどこかで3年連続出会うとは、特別に縁があるのでは?と思い、話しかけるが、なぜだか話が面白くなく話題が少ない人間と思われるのです。
全体に生気薄く、話題が少ないのです。
若いころから、この方ずっと日本で働いた経験はなくずっと旅をしてきた、と聞いている。
その割には面白い話は何も出てこないのです。 -
さぞかし色んな所を旅してきたのだから面白い経験でもあるのか聞いてみると「もうどこに行っても面白くなくなった」とのたまう始末。
ワタクシが「旅行は行けば行くほど、奥が深くアソコに行きたい、ドコソコをもっと知りたいと思うでしょう」と誘うが「もう興味がなくなった」としか言わない。
今までの彼の話をつなぐと、アジア中心の旅行で、どこでも日本人の集まる宿に泊っている様子だった。 -
彼と話をしている最中に横の椅子に誰かがドサリと座った。
チラリと目をやって、驚いた。
なんと!85才くらいのオジイさんがヨレヨレな様子で座っていたのです。
ワタクシの興味はそのオジイさんに釘付けになり、パートナーもソッチを向いた。
オジイさんはもうそれはヨレヨレで、今にも折れそうな様子で焼きそばを食べていました 。 -
ヨレヨレの上に歯がないので話が良く聞き取れません。
話を要約すると、初めての海外旅行でやって来た、トレッキングする為に入山許可証を取ったが2000プラス;計4000ルピーも取られた、納得イカン。
タクシーも300と言っていたのに降りるとき500だと言われ「馬鹿にシトル!」と怒っておられる。
アンナプルナトレッキングでも中級者向けのムクティナートまで行きたいが、、、
焼きそばを食べながらフガフガ言うので結局オジイさんの話は良く分からず仕舞いだった。
ワレワレも疲れていたので、話はソコソコにして後ろ髪を引かれるようにアニール・モモを後にしたが、宿に帰った後であのおジイさんのことが気になってきた。
「あのおジイちゃん、大丈夫カナ?今頃どこかでボッタクられているんと違うか?なんとか助けてやらねばアカンでえ、、、」とワタクシたちは言い合って、中々寝付かれなかった。 -
泊っている宿は「ルンビニ」と言っていたので、明日そのルンビニに行って、あのおジイちゃんの話しをゆっくり聞いてやろう。
なにかワタクシたちで出来ること、助けてあげることがあれば力になってあげよう、と考えた。
東京は板橋からやって来た江戸っ子で、お年は79才。
最近脳梗塞をわずらって手術をして治った、とも言っていた。
そのせいか、おジイちゃんは79才よりもっとお年寄りに見えたのだった。
初めての海外で日本語しか分からないお年 寄りなので、何かと不便しているのだろうと思うと、居ても立っても居られなくなるワタクシたちでした。
一旦宿に帰ってシャワーを浴び一服した。
行き付けのナーン・ハウスで野菜ナーンと ガーリック・ナーンの夕食を終えるころ、ダサイン祭りで作られたバンブー・ブランコで子ども達が元気よく遊んでいた。
明日午前中に「ダムサイドにあるルンビニ ・リゾート・ホテルにあのおジイちゃんを 訪ねて行こう。そしてゆっくりおジイちゃ んの話を聞いてあげよう!」 -
イチオシ
次の日、ルンビニ・リゾートホテルで撮った3ショットです。
真ん中が79才のKさん。
左がルンビニのマネジャー、アカル・グルンさん。
ワタクシたちは午前中にルンビニを探してあのおジイさんを訪ねて行きました。
ルンビニの留守番の女性は、あのおジイさんは居ないというではないか!?
「そんなハズはない。昨日アニール・モモで話をして、ココに泊っていると言っていた」と食いつくと、マネジャーを呼び出してくれた。
マネジャーのグルン曰く「エッ?アノ人はたしか4日前にムクティナートに行ったのでまだ帰ってきていないハズだ」というではない か。
ワタクシは「この人相の悪いマネジャーはあのおジイさんをどこかに隠しているに違いない」と思い、食いついた。
「そんなハズはない、おジイさんはココに泊っている、と言っていた。それに山なんかには行っていない。彼は昨日アニール・モモで食事をしていて、ワタクシたちと話をした。おジイさんはココに居るはずだ!早く彼を出してくれ!」と迫った。
マネジャーのグルンはオカシイなあという風情でアチコチに電話をしていたが、ワタクシはグルンは何か隠している、と疑っていた。
「ヤツはあの日本語しか分からないおジイさんをカモだと思って隠している、どこかに隠して身ぐるみ剥いでいるのでは?」とまで勝手な想像をしていた。
グルンは首をかしげながらどこかに行った。
しばらくして、彼は帰ってきた。
「見つけました!もうすぐやって来ます。あのおジイさんは裏のホテルに居ました」だって。
ちょっと後からKさんがスキー杖をつきながらやって来た。
昨日と違ってかなりシャキッとしていた。
ゆっくりと話を聞くと、確かにムクティナートまで行ってきた。ベニまで公共バスで行き、ソコから4輪駆動バスに乗って(4輪駆動と聞いていたが実際は2輪駆動だった)ジョムソンまで行き、そこからさらに4輪でない2輪駆動の車でムクティナート入り口まで行き、30分ほど歩いてムクティナート寺院まで行った、とのこと。そして同じ方法で昨日帰ってきて、アニール・モモに食べに行ったとのこと。
脳梗塞病み上がりの79才の老人が、初めての海外旅行でネパールはポカラまでやって来て、ムクティナートまで行って帰ってきた、ということは驚異でなくて何なのだろうか!
Kさんの持っていた古い歩き方の本はボロボロになっていた。よほど以前からムクティナートには行きたかったのだろうことが分かった。
チャキチャキの江戸っ子で長いこと建築士として働き、特に北海道に仕事でよく行って若いころは北海道の山に良く登ったそうだ。
69才の時には四国88箇所巡礼を自転車で回った経験もお持ちであった。
聞いてみると、ヨレヨレではなくスーパーおジイちゃんだった。
裏のホテルに泊っているのはルンビニが高かったから宿を替えたのだそうだ。
ルンビニのグルンさんもKさんが見つかって、元気にしているのを見てホッとした様子だった。 -
グルンさんは夕べ枕元に日本山妙法寺のサカイ上人が現れたので、妙な胸騒ぎを覚えたらしい。
そこにワタクシたちがKさんを探しにやって来た。
夢枕の意味はコレだと思い、本当にKさんのことを心配して探した、とのことだった。
グルンさん、アナタを悪者だと思い込んだワタクシを許してください。
グルンさんは良いヒトだったのでした。
お詫びにグルンさんのルンビニ・リゾートホテルを見せてもらい、2週間以上宿泊条件で500ルピー(約500円)で泊まることにしました。
ツイン・バストイレ付のきれいな部屋だ。
ひょんなことから「安くて、きれいで、快適な宿」が見つかった。
今住んでいるロンリーGHとの契約が11月4日で切れるので、それ以降の宿を確保できたのでした。
図は日本山妙法寺訪問マップです。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9910n/131013map2.jpg -
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9910n/131013map1-1.jpg
青い点が往路、靴印が復路です。
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