2013/07/09 - 2013/07/09
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まみさん
トレチャコフ~、トレチャコフ~、るんっ!
どっぷり名画にはまるのは久しぶりです。
13年前の2000年の初ロシアのときは、トレチャコフ美術館の本館と新館のどちらも回ることができましたが、今回は残念ながら本館だけ。
でも、私が好きな移動派絵画や、トルストイやドストエフスキーといったロシア文学の時代背景を描いたような絵画や、世紀末絵画が楽しめる本館です。
本日は予定では、モスクワからちょっとだけ郊外のコローメンスコエに行くつもりでした。
でも、スマフォで天気予報をチェックしたところ、本日は雨予報。
朝起きても、やっぱり雨。
なので、トレチャコフ美術館のためにとっておいた日と交代し、終日、美術館にこもることにしました。
結果的には、午後から外はきれいに晴れたらしく、絵画鑑賞の合間、窓から差し込む日の光に「はっ」と現実に戻り、外に飛び出して行きたくて何度もうずうずしたけれど……。
少なくとも、朝、スロースタートで10時にホテルを出て、トレチャコフ美術館に向かっていたときは、日本の梅雨時のようなけっこうな雨に降られました。
再訪ですし、2000年の初ロシアのときもトレチャコフ美術館は地下鉄駅からわりとスムーズにアクセスできたような記憶があって、簡単にたどり着くと思ったのに、反対方向に行きかけたりして……雨が降っていて、あまり歩き回りたくなかった心理も働いて、自分の方向音痴がイヤになりました。
ビジネスマンらしき通行人に道を尋ねたら、彼らはトレチャコフ美術館がどこにあるか知らなくて、その場でスマフォで地図検索して探してくれました。
ああ、ロシア人、ほんとにスマートになりましたね~などと思いながら、歩いて10分とかからないところを、ずいぶんうろうろ迷ってしまいました。
というわけで、2度ほど道を尋ねて到着したトレチャコフ美術館。
外観もロビーも展示構成も13年前の記憶と全く重ならず、この13年の間に改装でもしたのかしら、と首を傾げつつ、再訪できた感激はおかげでひとしおでした。
13年ぶりなんて初めても同然だったのですが、その間にずっと昔に来日特別展が開催されてそれも見に行ったので、覚えのある絵画もあって、なつかしさに浸りつつ。
アナログカメラ時代の13年前と違って、今回はじっくり見るだけでなく、当然のように、気に入った作品、気になった作品は、好きなだけ写真を撮りまくりました。
というわけで、トレチャコフ美術館編の旅行記は、前中後編の3本に分けました。
トレチャコフ美術館ではできるだけ展示室の番号順、すなわち時代順に回りたかったのですが、閉鎖されていた部屋や扉があったおかげで、時代順に回れなかったところもあります。
旅行記では、撮った作品の写真を時代順に編集しなおすことなく、撮った順、すなわち回った順に構成しました。
前編のこの旅行記には、いかにも18世紀のアカデミー好みの作品から始まりますが、ロシア美術の中でも日本でも人気で私も大好きなシーシキンの詩的な風景画や、アイヴァゾフスキーの雄大な海洋画、それからどこかで見たことがあると思う人がきっと多い、ペローフによる著名なロシア文学者の肖像画やクラムスコイの「見知らぬ女性」、13年ぶりにぜひ原画にまたお目にかかりたかった、プキレフの「不づりあいな結婚」やニコライ・ゲーの「荒野のキリスト」、あらためていいなと思ったクインジの雄大かつ叙情的な風景画も含まれています。
<2013年ロシア旅行:簡易旅程>
7/06土 出国&モスクワ到着
7/07日 モスクワ1日目(国立歴史博物館と民芸品博物館)
7/08月 モスクワ2日目(クレムリン)
7/09火 モスクワ3日目(トレチャコフ美術館)★
7/10水 ズズダリ
7/11木 ウラジーミル
7/12金 モスクワ4日目(コローメンスコエ)
7/13土 ペトロザヴオーツク経由でキジ島へ
7/14日 ソロヴェツキー島1日目
7/15月 ソロヴェツキー島2日目(ザヤツキー島エクスカーション)
7/16火 サンクトペテルブルグ1日目(ロシア民族学博物館ほか)
7/17水 サンクトペテルブルグ2日目(エルミタージュ美術館)
7/18木 パヴロフスク宮殿&庭園
7/19金 ノヴゴロド1日目
7/20土 ノヴゴロド2日目
7/21日 サンクトペテルブルグ3日目(宗教博物館・ユスポフ宮殿ほか)
7/22月 サンクトペテルブルグ4日目(ロシア美術館)&出国
7/23火 成田空港着
※この旅行記の対象の日に★印をつけました。
詳細旅程はこちら。
「2013年ロシア旅行~13年ぶりの再訪を3年前にあきらめた旅行計画で実現させた旅行【旅程一覧】」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10797557
準備編や帰国後の全体の感想は、ブログ「まみ's Travel Diary」(http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/)に掲載しました。
「ロシア美術の殿堂 トレチャコフ美術館(本館)
・美術館の成り立ち
トレチャコフ美術館の創設者は、モスクワの豪商だったパーヴェル・トレチャコフ(1832~1898年)。ロシア美術の黄金時代であった19世紀後半において、トレチャコフは弟のセルゲイ(1934~1992年)とともにロシア美術を専門に収集した名コレクターであった。最初から公共美術館の設立を企図していたトレチャコフは、1893年にコレクションをモスクワ市に寄贈したうえ、「モスクワ市立パーヴェル・セルゲイ、トレチャコフ美術ギャラリー」を入場無料で開館し、自ら館長に就任した。これがトレチャコフ美術館の生い立ちである。
開館当時の収蔵点数は1800点ほど。しかしトレチャコフの死後も収集は続けられ、革命後は国立美術館となって拡充が図られた。今ではイコン画から現代絵画にいたるまで、10万点を超えるロシア美術の巨大コレクションを誇っている。現在、本館では20世紀初頭までの作品を、1998年に開館した新館では革命以後の作品を展示している。」
(「地球の歩き方 ロシア(2012~2013年版)」より)
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- その他
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雨の中、到着したトレチャコフ美術館
トレチャコフと思える人物の彫刻とバラ園がある、ステキな建物でした。
13年前の初ロシアのときも訪れたのですが、私の記憶の中にこの建物は全然残っていません。
こんなにステキなのに、印象に残らなかったのかしら。
(むしろ倉庫のようだった新館の方をよく覚えています。苦笑。)
Loney Planetによると、この小さなお城のような建物は、ヴィクトール・ヴァツネツォフによって1900〜1905年に建てられました。
彼の絵画コレクションもこの美術館にあります。ハイライトの画家の一人です。 -
シャンデリアがステキな2階の展示室前のホール
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写真代を払った証しのシールを胸に貼って
入場料は400ルーブル、写真代は200ルーブルでした。
(2013年7月現在、1ルーブル=約3.5円で換算)
見学時間は、2階が11:10〜13:50(2時間40分)、1階が15:15〜16:55(1時間40分)です。 -
鑑賞コースは2階から
この階段は2階を回っている途中、このように見下ろせるアングルがあったので、そのときに撮りました。
「カッサ(チケット売り場)やミュージーアムショップ、カフェ、トイレなどはすべて地階にある。そこから2階まで上がり、2階から1階の順に見学する。18世紀〜20世紀初頭のロシア美術を時代順に概観したあと、イコン画を観るという流れになっている。人気があるのは、やはり2階の後半、19室のアイヴァゾフスキーから33室のヴルーベリまで。いわゆる“ロシア美術”として有名な作品の大半が、このエリアに集中している。
(中略)またイコン『ウラジーミルの聖母』は、展示室ではなく付属の教会に飾られている。教会へは地階南側の連絡通路を通って行くことができる。」
(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)
実は、ラストの見どころのイコン「ウラジーミルの聖母」は、時間切れで見損ねてしまいました(涙)。
付属教会の開館時間は12時から16時までなのです。 -
最初は、どこかイギリス絵画を思わせる、いかにも美術アカデミーっぽい絵画から
鑑賞開始記念(?)としてこの写真を撮ったっきり、この部屋を含め、最初の数部屋はほとんど素通りしました。
だって、とてつもなく展示数が多いことを知っているんですもの、ある程度、メリハリをつけて鑑賞しなくては時間も気力も足らなくなってしまいます。
「18〜19世紀前半の美術
トレチャコフ美術館の展示は、近代絵画の習作時代から始まる。ピョートル大帝による欧米化政策以降、イコン画中心だったロシア絵画も急速に西洋化し、萌芽期ながら名画も数多く生まれた。(後略)」
(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より) -
「少女の肖像」
1781年
クリストネック(1732〜1792か1794年)画
フランス絵画風ですが、可愛らしいのでパチリ。
画家は知らないです。 -
「ウルスラ・ミニツェックの肖像」
レヴィツキー(1735〜1822)画
レヴィツキーの名に覚えがあったのと、私は借りなかったのですがガイドホンで説明があるマークがついていたので。
思いっきりルイ15世から16世くらいのフランスの宮廷夫人の肖像画のようです。 -
「正義の女神の聖堂の立法者エカテリーナ2世の肖像」
レヴィツキー画
エカテリーナ2世の肖像画であることは一目で分かりました。
画家レビィツキーは彼女の肖像を描いたということで覚えがあったのかも。 -
「エカテリーナ2世の肖像」
ロコトフ(1735?〜1808)画
肖像画というより、描かれた美しい宝飾品に目が引き寄せられたかも。 -
「アンナ・イワノヴァ女帝の肖像」
1730年
カラヴァック(1684〜1754年)画
あの王冠、クレムリンの武器庫に展示されていました!
ということでパチリ。
失礼ながら、アンナ女帝は、ピョートル大帝からエカテリーナ2世までの間のつなぎの傀儡で、これといった功績のない女帝として残りにくかったです。
ロシア歴史本で、ピョートル大帝後の女帝たち───後妻のエカテリーナ1世やアンナ女帝の肖像画を初めて見たとき、女帝なのになんて美しくない肖像画なんだろうとびっくりした覚えがあります(苦笑)。
いまこうしてみると、顔つきは上品に描かれているように思いました。
でも、そのように思えるのは、見慣れたせいもあるかもしれません。
体型はこれでも少しは細めに描かれたのかな。あるいは食糧難で庶民はがりがりだった時代、ふくよかなのは権力の象徴として肖像画ではかえって歓迎されたのかしら。
「ロマノフ朝第4代のロシア皇帝(在位1730年−1740年)。ピョートル1世の兄で共同統治者であったイヴァン5世とその妃プラスコヴィヤ・サルトゥイコヴァの四女。(中略)
1730年にピョートル2世(ピョートル1世と1人目の妻との間の子供で在位たった3年、14才で亡くなった幼帝)が崩御すると、実権を握る最高枢密院の保守派大貴族がピョートル1世の直系を忌避した結果、ピョートル1世の姪にあたる彼女が後継者に選定された。ヴァシーリー・ルキーチ・ドルゴルーコフ公爵を始めとする枢密院のメンバーは、彼女を傀儡とすべく、即位に際して君主権を大幅に制約する「条件」をのませようとした。しかしアンナはモスクワに到着すると、一般貴族の支持を受けて「条件」に同意するための誓約書を破棄し、最高枢密院を即座に廃止に追い込んで、皇帝による専制政治を5年ぶりに復活させた。政体をイギリス的な立憲君主制・貴族寡頭制に移行させようという試みは、これにより消え去った。(引用つづく)」
(ウィキペディアフリー百科事典「アンナ(ロシア女帝)」より引用) -
アンナ・イヴァノヴァの肖像の一部
王冠はもとより、ドレスの胸元の飾りもとても美しいこと!
ローズカットのダイヤが使われているようです。
テンの毛皮を使ったガウンの肩のところにをかざっているのは、ガーネットかしら。
「(引用つづき)当時のロシア貴族女性の多くがそうだったように、アンナは教育を受けていなかった。そのためか国政に関心を示さず、エルンスト・ビロンやアンドレイ・オステルマン、ミュンニヒ元帥に政治を任せた。(中略)
外交ではピョートル大帝以来の親オーストリア、反スウェーデン政策を継承し、ポーランド継承戦争でもアウグスト3世を支援した。(中略)内政では、1732年サンクトペテルブルクに再遷都し、首都やモスクワを中心として消防隊や郵便網の設置が開始された。また貴族についても、国家への厳しい義務規定を緩めたり、陸軍幼年学校を創設して貴族の子弟に教育を受ける機会を与えたりした。しかし治世中は凶作や疫病が相次ぎ、税収の確保のため厳しい取り立てが各地で行われた。このため19世紀の歴史家カラムジンやクリュチェフスキーはアンナの治世を酷評し、「ロシア史の暗黒の10ページ」などと呼ばれるようになった。
アンナは治世中、軍隊の支持を受けるピョートル大帝の娘エリザヴェータに、帝位を奪われるのではと脅威を抱いていた。1740年8月に姪のアンナ・レオポルドヴナが長男イヴァンを出産すると、ただちに後継者に選び、エリザヴェータにもこの新生児に忠誠を誓わせた。同年10月、アンナは腎臓に出来た潰瘍のため死去した。後継ぎのイヴァン6世は結局エリザヴェータにより廃位され、父イヴァン5世の直系に帝位を伝えるというアンナの夢は、もろくも崩れ去った。
永くドイツ語圏に暮らしたアンナは西欧文化の摂取に積極的で、イタリアから劇団や音楽家などを招聘したが、女帝は彼ら芸術家を道化のように扱った。アンナはギャンブルや狩猟を趣味とし、宮廷は未だ洗練されたものとは言い難かった。建築家ラストレッリを庇護し、建築事業には熱心だったが、クールラントに築いたものを除いては殆ど現存しない。(後略)」
(ウィキペディアフリー百科事典「アンナ(ロシア女帝)」より引用) -
大理石のキューピットの彫刻
最初のうちはこういう作品もあったよ、という記録写真。 -
「ダイダロス、イカロスに羽根をつける」
1777年
ソコロフ(1753〜1791年)画
この絵のようにギリシャ神話ネタの絵もありました。 -
「タンクレッドとクロリンダ」
1761年
ラクセレーヌ父(1725〜1805)画
知らないギリシャ神話ネタもある、と思って調べてみたら、タンクレッドは第一回十字軍の重要人物の1人で、彼を題材にした叙事詩からモンテヴェルディがこのタイトルのオペラを制作しているとのこと。
ギリシャ神話には関係ありませんでした。
でもロシアにもあんまり関係なさそう(苦笑)。
まだこの時代は西欧の物まね。
「タンクレードは、16世紀の詩人トルクァート・タッソの作品、『解放されたエルサレム』に登場している。タンクレディ(タンクレード)は叙事詩的な英雄として描かれ、二人の架空の人物、異教徒の女性戦士クロリンダとアンタキア(アンティオキア)の王女エルミニアに愛されることになる。『解放されたエルサレム』は後に多くの楽曲や絵画の題材になったが、クラウディオ・モンテヴェルディは1624年に、この叙事詩の一部を使い『タンクレディとクロリンダの闘い』を作曲した。」
(ウィキペディアフリー百科事典「タンクレード(ガリラヤ公)」より引用) -
「エカテリーナ女帝の寓話・トルコとタタールに対する勝利」
1772年
トレリリ(1712〜1780年)画
ローマ遺跡を背景に神話的な寓話画を描いた時代が西洋絵画にあったなぁと思いつつ。 -
いきなり第25室、ハイライトの画家の1人のシーシキン・ルームに突入!
途中、第8室〜第12室へ続く扉は閉鎖されていたので、この部屋のシーシキン絵画を鑑賞したあと、となりのアイヴァゾフスキーやヴルーベリの第19室、そこから第8室まで部屋番号をさかのぼって回ることになりました。
ここは別棟のようになっていた第25室から第31室、それと第32室から第34室への通り道でもあるせいか、いつも混雑していました。
でも、シーシキンが人気の画家のせいもあると思います。
私も、ロシア絵画の中で1番好きなのはシーシキンだなぁとつくづく思いました。
「19世紀後半の美術
16室から、19世紀後半のロシア美術の展示が始まる。ほぼ全室に著名な画家の作品が展示され、なかでも移動派画家のコレクションは質、量ともにロシア随一。トレチャコフ美術館最大の見どころである。(後略)」
(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より) -
「ヴャツコイ・グベルニヤの松林(帆柱の材木の森)」
1872年
シーシキン(1832〜1898年)画
シーシキンの絵の魅力は原画でなければなかなか味わえず、コンパクトとなったポストカードや写真では分からないのですが……。
「イヴァン・シーシキン(1832〜1898年)
商人の家に生まれ、ペテルブルグの芸術アカデミーで学んだのち、移動展覧会協会の設立に関わる。風景画、特に森を好み、写実的かつ平明に描いた。代表作に『ライ麦畑』(1878年トレチャコフ美術館)、『松林の朝』(1889年トレチャコフ美術館)など。」
(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より) -
シーシキンが描く春の田園風景画が
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農村の人々を描いた風俗画に
こうやって部分的にカットして写真を撮ると、静謐な風景画が違う雰囲気の絵になるのが面白いです。
これぞ自由に写真を撮れる醍醐味。
そして、いかに細部まで丁寧に描き込まれたかが、写真でもよく分かります。
「イヴァン・シーシキン
イヴァン・イヴァノヴィチ・シーシキン(イワン・シシキン1832年1月25日〜1898年3月20日)は、風景画で名高いロシアの画家。移動派にも深く関与した。
シーシキンはヴャトカ県のエラブガの町(現在のタタールスタン共和国内)で生まれ、カザンのギムナジウムを卒業した。モスクワ絵画・彫刻・建築学校で4年間学び、その後サンクトペテルブルクの帝国芸術アカデミーに1856年から1860年の間在籍したが、アカデミー流の授業に飽き足らず、サンクトペテルブルク近郊やヴァラームなどでのスケッチに励んだ。最終年度には首席で卒業して金メダルを得、その褒賞としてヨーロッパでの絵画研究のための奨学金を与えられ、スイスおよびドイツ各地で制作を行っている。5年後ロシアに帰国して芸術アカデミー会員となった。1873年からはアカデミーの絵画の教授となり、死没する1898年までその職にあった。同時にサンクトペテルブルクの高等芸術学校の風景画クラスも担当した。(引用つづく)」
(ウィキペディアフリー百科事典より引用) -
雨の林を描いた絵画が
タイトルを確認しそこねましたが……。 -
これにタイトルをつけなおすとしたら、さしずめ「雨の中の恋人」
ごくごく細部なので筆致が粗く見えますが、それゆえに初期印象派とかバルビゾン派の絵のようです。
「(引用つづき)ヨーロッパからの帰国後、シーシキンは移動派の芸術家サークルの一員となり、同時にロシア水彩画家協会にも入った。ロシアでは芸術アカデミーの官展に参加したほか、1882年モスクワおよび1896年ニジニ・ノヴゴロドでの全ロシア博覧会の美術展、国際博覧会(1867年パリ万博、1878年パリ万博、および1873年ウィーン万博)にも出展している。
ロシアの森林の四季を描いたシーシキンの絵画は、自然に対する分析的研究に基づいた精緻なものであった。詩的で細密な四季の風景、崇高で荒々しい木々や自然、森の中の光や小川、野生の動物や鳥類を描いた彼の風景画は当時から今日に至るまでロシアで非常に人気が高い。シーシキンはサンクトペテルブルクの南にダーチャ(別荘)を構え、風景画を描く拠点としており、代表作のいくつかがここで制作された。また製図家、版画家としても傑出した才能を示した。
1898年、シーシキンはサンクトペテルブルクで絵画の制作中に死去した。」
(ウィキペディアフリー百科事典より引用)
NHKロシア語会話で、ハバロフスクの美術館の館員さんのインタビューで、シーシキンにはスランプだったか個人的な不幸だったかで非常につらい時期があって、それが彼の絵画にも影響を与えた時期があった、と言っていたのと、ドイツの風景画家ダヴィドと混同して孤高の画家と思い込んでいたので(そういう印象の絵画を別の美術館でも見たことがあるため)、少し彼の経歴を調べてみて、意外に思いました。
Wikipediaに書かれた生涯はほんの概要だと思いますが、それでも、アカデミーを主席で卒業し、公費で留学し、教鞭もとり、国を挙げての展覧会や万博でも出展したりなど、後のフランスの印象派の画家などと違ってずっと優等生という印象を受けました。 -
トレチャコフ美術館のシーシキンの絵の中で私の1番のお気に入り
だってクマちゃんたちがとっても可愛いらしいんですもの!
絵全体の雰囲気もいいです。
13年前の初ロシア旅行のときも、これがとても気に入った覚えがあります。 -
クマちゃんたちメインに切り取ると
絵の雰囲気が変わります。
母グマと3匹の子グマ。 -
立ち上がった子グマ
おしりのラインがすごくキュート! -
好奇心一杯の無邪気な子グマ2匹
これをシーシキンを知らない人に、彼の絵だよ、と紹介すると、動物の絵を描くのが好きな人かと勘違いするかもしれません。
というわけで(?)、これを旅行記の表紙にしました。 -
いかにも広大なロシアの大地を思わせるシーシキンの風景画
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一部を切り取ってみたら
壮大だけど寂しげだった景色が、常緑樹の印象が強まった、もう少し生き生きした森の絵になりました。 -
木材が切り出されている森の一画
伐採される木の印象が強いですが、木こりさんはどこにいるかしら。 -
いました!
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このように切り取るとキノコの絵に
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狩人のおじいさんがいる深い針葉樹の森
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こうすると絵の主題が狩人のおじいさんに
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「見捨てられた風車小屋」
1890年
クレヴェール(1850〜1924年)
さみしさに胸打たれました。 -
こうすると、寒村を飛びかう鳥の絵に
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そして第19室、海洋画家として日本でも名高いアイヴァゾフスキー・ルームにて
絵のタイトルは「虹」。
制作年は1873年。
これでもアイヴァゾフスキーのオリジナルの絵の雰囲気を変えない程度には、少々切り取って撮影しています。
人間のちっぽけな力では叶わない、圧倒的な自然の脅威を感じさせました。
と思ったら……。
「イヴァン・アイヴァゾフスキー(1817〜1900年)
ウクライナ生まれ。風景画に優れ、なかでも海をモチーフとした絵を得意とした。当時、海外で最も評価の高かったロシア人画家であり、移動派など当時の芸術の潮流とも一線を画し、生涯に6000点もの作品を残した。代表作に『アイヤ岬の嵐』(1875年ロシア美術館)、『黒海』(1881年トレチャコフ美術館)などがある。」
(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より) -
白い鳥に導かれていた、沈没船の船乗りたち
しかもタイトルは「虹」。
もっと希望が持てる絵でした。 -
「黒海で荒れ狂う嵐」
アイヴァゾフスキーらしい海の絵です。
彼はウクライナ生まれですが、当時はロシア領だったクリミア半島生まれです。
「イヴァン・アイヴァゾフスキー
イヴァン・コンスタンチノヴィチ・アイヴァゾフスキー(1817年7月29日〜1900年5月5日)はウクライナ生れのロシアの画家。民族的にはアルメニア人で、作品のいくつかにアルメニア文字で本名ホヴァネス・アイヴァジヤーと記入している。
おびただしい数の風景画を残したが、その大半が海をモチーフにしており、ウィンズロウ・ホーマーと並ぶ海洋画家である。(中略)
カフカス山脈長寿に恵まれたおかげで、当時としてはロシアで最も多作な画家となり、1900年に歿したときには優に6000点を超える作品を残した。芸術家としての成功で得られた資金により、故郷のフェオドシヤに美術学校や美術館を開いている。アイヴァゾフスキー作品は、競売の売上がこれまで総額320万弗に達しており、国際的な評価は伸び続けている。そのためか、ロシアのすべての画家の中でも最も贋作が多いと言われている。」
(ウィキペディアフリー百科事典より引用) -
日没の海に、たたずむ漁師と船の影
タイトルを撮ってくるのを忘れましたが、アイヴァゾフスキーの作品です。 -
哀愁の漁師と、素知らぬ鳥たち
収穫がなくて、明日からの生活を憂いているところでしょうか。
あまりにも切ないので無邪気な鳥たちに注目。 -
「ネヴァ川のそり遊び」
1854年
ボゴリュボフ(1824−1896)画
画家は知りませんが、お〜、氷ったネヴァ川のあるサンクトペテルブルグです!
詳細を見ていきましょう。 -
川沿いの人々とそりを楽しむ人々と川沿いの美しい建物
あれはエルミタージュ美術館です。 -
ペトロパブロフスク要塞が地続き、ならぬ氷続きに!
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ここから第18室の印象派風の絵からロシアらしい風景画をいくつかピックアップ
「ライ麦」
ヴァシリエフ(1850-1873)画
風車小屋と麦畑のある絵。 -
「雨上がりのクリミア半島にて」
ヴァシリエフ(1850-1873)画
コーカサスのグルジアあたりかと思ったのですが、クリミア半島の方でしたか。
ロシアは平坦な地が多いので、ロシア人にとって山岳風景はとても惹かれる、と聞いたことがあります。
豪華な額縁と一緒に撮ってみました。 -
「羊の群れが家に帰る」
1868年
ヴァシリエフ(1850-1873)画
さすがに景色はこうでなくても、羊の群れが家に帰る後景は、この当時はロシア帝国領内だった東欧の田舎で、それから今回の旅行でも白海沿岸のソロヴェツキー島で見ることが出来ました。 -
「田舎の道」
1873年
サヴラソフ(1830-1897)画
雨上がりの美しい景色の中で……。 -
ぬかるんだ水たまりのあるあたりに注目すると、がらっと違う風景画に
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「ミヤマガラスがやってきた」
1871年
サヴラソフ(1830-1897)画
寂しげだけどロシアらしい村の絵だったので、惹かれました。
たしかにカラスがたくさん、それ自身が巣か葉影のように、裸の木を飾っていました。 -
有名な「ドストエフスキーの肖像」
1872年
ペローフ(1834‐82)画
「ワシリー・ペローフ(1834‐82)
ロシアの画家。〈移動展派〉の主要作家。地主や聖職者をテーマに,社会の実態と下層階級の悲惨さを訴えた。1862‐64年をパリで過ごす。帰国後,進歩思想の弾圧の中で,悲惨な運命を担う人々の姿を,同情的に描いた風俗画や進歩的な思想家たちの肖像画を制作した。」
(世界百科事典より) -
「ニキータ・プストスビャット、信条について論争する」
ペローフ(1834‐82)画
巨大な絵画です。
どのくらい巨大か、これを見ていた女の子と一緒に撮りました。
主役は、中心にいる腰の曲がったおじいさんだと思いますが、歴史画だけあって、細部にわたって歴史上のエピソードや重要人物が描きこまれているように思います。
「ワシリー・ペローフ(1834‐82)は、次世代のアレクセイ・ヴェネチャノフ(1780-1847)やミハイル・シバノフ(1749?1790)のような政治的な風俗画家というほどではないものの、社会に目を向け、ロシア絵画において批判的実在論の新スタイルを打ち立て、後にイリヤ・レーピン(1844-1930)、コンスタンティン・サヴィツキー(1844-1905)、ニコライ・カサツキン(1859-1930)、セルゲイ・イワノフ(1864-1910)といった画家たちに大きな影響を与えました。移動派の創設メンバーであり、数多くの有名な風俗画を描きました。その全てはパーヴェル・トレチャコフによってモスクワのトレチャコフ美術館のために買い取られました。その中には、「田舎の復活祭の行列」(1861年)、「告別」(1865年)、「溺れた少女」(1867年)、「休憩中の狩人」(1871年)があります。しかし、ペローフは風俗画だけを描いていたわけでは決してありません。彼は「市門のそばの最後の宿屋」(1871年トレチャコフ美術館)といった傑出した風景画、ツルゲーネフやドストエフスキーの肖像画、「プガチョフの糾弾」(1879年モスクワ歴史博物館)といった歴史画も制作しました。晩年、モスクワの絵画・彫刻学校で優秀な教師となり、アイザック・レヴィタン(1860-1900)やアブラム・アルキポフ(1862-1930)のような生徒を育てました。」
(Encyclopedia of Visual Artistsより一部引用私訳)
http://www.visual-arts-cork.com/famous-artists/vasily-perov.htm -
信条を訴えていると思われる、ロシア十字架を持った聖職者のおじいさん
主役のおじいさんを中心に、人々がきれいな山を描くように配置され、ポーズしています。
歴史画らしく、構図も計算しつくされているのでしょうね。
たぶん、ロシア正教史上で重大なニコンの改革が関係しているのではないかと思います。
「17世紀になると外来文化の流入がロシア正教をも刺激し、総主教ニコンの原理主義的改革が始まった。改革は、例えば十字を切る手を2本指から3本指に変えるなど教会儀礼にまで及び、古い儀礼を固守しロシア正教会に反旗を翻す分離派「ラスコーリニク」を生み出した。分離派は弾圧され、シベリア奥地や国外に逃亡し、近年まで閉鎖的な集団生活を続けている例もあった。」
(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」−「ロシア正教について」より) -
「ゲッセマネの園のキリスト」
1878年
ペローフ(1834‐82)画
キリストが十字架にかけられる前夜です。
でも、この絵を初めてみたときは、「人が死んでる!」とギョッとしたものです。 -
第17室「『トロイカ』水を運ぶ年季奉公の子供たち」
1866年
ペローフ(1834‐82)画
過酷な労働を強いられた子供たちに目を向けた絵画だと思います。
タイトルには風刺も込められています。
「トロイカ」といわれれば、ふつうは3頭立ての馬ぞりのことをいうのに、ここでは子供たちが馬代わりなのです。 -
子供たちと一緒に走るワンちゃんに注目
-
「村の復活祭の行進」
1861年
ペローフ(1834‐82)画
民衆に目を向けた風俗画です。
行き倒れっほいのが見られるのが気になります。酔っ払いかな。 -
第16室「不づりあいな結婚」
1862年
プキレフ(1832〜1890年)画
画家はよく知らなかったのですが、この絵はとても印象的でした。
13年前の初ロシアのときに見たときも印象に残り、よく覚えていました。
なつかしいです。再会できて、こうして写真が撮れて嬉しいです。
上下に豪華な額縁の一部も入れて、まずは全体の写真を一枚。 -
主役の不づりあいなカップルを中心に
孫ほどに若い花嫁に好色そうな顔を向けている爺さん花婿と、まるで死地に赴くような思いつめた表情の花嫁です。
家同士の政略結婚か、あるいは花嫁は借金の形にでもされたのかもしれません。 -
悲惨な花嫁さんのジュエリーとドレスのレースに注目
リボンには、大粒の真珠がたっぷり縫い込まれています。
見事な真珠のネックレスに、黒真珠のブレスレット!
うら若い青春を爺さんに捧げなくてはなりませんが、贅沢はできそうですね。 -
「モスクワ・クレムリンのウスペンスキー大聖堂前の宗教行進」
1895年
ボドリー(1812〜1894年)画
一目で、きのう6時間半もこもっていたクレムリンの教会広場だと分かりました。
100年以上たった現在と変わっていないところもすばらしいです。
関連の旅行記
「2013年ロシア旅行〜13年ぶりの再訪を3年前にあきらめた旅行計画で実現【第3日目:モスクワ】(1)6時間半も過ごしたクレムリン」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10831149/ -
ウスペンスキー大聖堂と、宗教行進を拝みに集まった人々
大きく変わったのは、むしろ人々の服装。 -
「崩壊」
ソローキン(1821〜1882年)画
絵を見たときは、のみの市かと思ったのですが、タイトルが意味深でした。
(タイトルはロシア語しかなかったので、ちょっと自信がないのですが。) -
第15室「スペインの物乞い娘」
1852年
ソローキン(1821〜1882年)画
シーシキンから時代をさかのぼってきました。
第14室・第13室でつきあたりとなりました。
このあと第19室から第20室、第21室、第22室と時代を下り、そして再び第12室、第10室、第9室、第8室と逆行することになりました。
ほんとは時代順に回りたかったです。
しかし、部屋ごとに、展示された絵のテーマと雰囲気ががらっと違うので、見る順番は逆でも、絵から時代性は感じ取れたので、頭の中で少しは時代順に再構築できました。 -
音声ガイドの解説を聞きながら鑑賞する女性と
クラムスコイの「荒野のキリスト」です。
ぜひ再会したいと思っていた絵です。
サンクトペテルブルグのロシア美術館にあったような、記憶がごっちゃになっていましたが、トレチャコフ美術館の方でした。
しかも、ニコライ・ゲーの絵かと勘違いしていた時期もありました。
「イワン・クラムスコイ(1837〜1887年)
1870年に設立された移動展覧会協会の主要メンバーのひとり。美術アカデミーに抗して、絵画を特権階級のものから広く大衆へと近づける役割を果たし、レーピンらあとに続く画家に多大な影響を与えた。代表作に『荒野のキリスト』(1872年トレチャコフ美術館)、『見知らぬ女』(1883年トレチャコフ美術館)など。」
(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より) -
憂鬱そうな、苦悩をにじませた表情の、とても人間くさいキリスト
ゆえに、とても惹かれるものがありました。 -
タテ構図にすると、「考える人」
荒野の石っころを眺めながら……。 -
ここだけ切り取ると、深い谷間の景色のよう
-
月明かりの下の美女に惹かれる
これもクラムスコイの作品。
制作年は1880年。
絵のタイトルは「月明かりの夜」。
「イワン・クラムスコイ
イワン・ニコラーイェヴィチ・クラムスコイ(1837年5月27日(グレゴリオ暦6月8日)〜1887年3月24日(グレゴリオ暦4月5日))は、ロシアの画家・美術評論家。1860年から約20年にわたって「移動派」の知的・精神的な指導者であり続けた。
ロシア南部オストログスクの貧しい小市民階級の出身。(中略)
帝政ロシアの民主化を求める革命家の理想に感化されたクラムスコイは、芸術家が公共に対して高邁な義務をもつこと、写実主義の原理、倫理的な内容および芸術における民族性についてみずからの意見を具体的に発信していった。クラムスコイは「移動展覧会協会」(もしくは「移動派」)の主要な創設メンバーのひとりとなり、その理想主義に共鳴したリーダーであった。クラムスコイはまた、画家について、その役割を、「預言者」であり「人々の前に鏡を置き、その鏡を見て彼らを不安にさせる使命」をもつという意見をもっていた。
クラムスコイの代表作として名高い作品が「曠野のイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)」(1872年、トレチャコフ美術館蔵)である。クラムスコイは、アレクサンドル・イワーノフの人道主義の伝統を持続させつつ、倫理的・哲学的な考えによって宗教的な趣向を取り扱っている。イエス・キリストの経験を、非常に心理学的かつ決定的に――すなわち英雄的な自己犠牲という観念として――解釈しているのである。
クラムスコイは、イデオロギー的な視覚芸術をいっそう護持しようと願って、人物肖像画と主題性のある絵画作品との境界線上にある美術の創出に尽力した。(中略)
美術における民主的志向や、美に関する鋭い判断、そしてまた、客観的かつ公的な芸術の評価基準についてのクラムスコイの粘り強い探究心は、19世紀後半のロシアにおける民主的芸術や芸術理念の展開に、根本的な影響をあたえたのである。」
(ウィキペディアフリー百科事典より引用) -
うっすらと微笑みを浮かべて夢見る少女
真っ白なドレスに池に浮かんだ白い花、そして背景の月明かりを浴びて白く光る幹……と、白がムードを出しています。 -
邦題「忘れえぬひと」に再会
かつて2009年に東京では渋谷の文化村ザ・ミュージーアムで開催されたトレチャコフ展で目玉の作品の1つです。
13年前より当然もっと最近のそっちの方でなつかしい絵画です。
そのときにつけられた邦題が「忘れえぬひと」。
クラムスコイ画。
1883年。
額縁に書かれた絵のタイトルは「見知らぬ女性」。
たまたま見かけた、誰か分からない女性、って意味にすぎないかもしれませんし、分かっているのに敢えて名を伏せたのかもしれません。 -
意味深の厳しい表情を浮かべた美女
-
「ヴァーラーン島にて」
1873年
クインジ(1842?〜1910年)画
この絵画を見る限りでは、とても寒々しく閑散としているようですが、サンクトペテルブルグより北のカレリア地方にある景勝地です。
修道院のある景色が美しくて、叶うなら行きたいなぁと、今回のロシア旅行立案中にちらっと考えたものです。 -
「朝のドニエプル川」
1881年
クインジ(1842?〜1910年)画
広大かつ雄大な自然が描かれた風景画で、原画の前では引き込まれそうでした。 -
こうして切り取ると、アザミの咲く野の絵に
それだけ細部まできっちり描きこまれているおかげです。 -
「風車小屋のあるウクライナの景色」
1883年
オロスキー(1842〜1914年)画
クインジの絵かと思ったら違う画家の絵でしたが、これも気に入りました。 -
丘でスケッチをしているとおぼしき男性に注目すると
春らしく、野原には花があふれているところや、川沿いの景色が細かく描き込まれていることがよくわかります。
かたわらに寝そべっているのはきっと愛犬。 -
「雨の後」
1879年
クインジ(1842?〜1910年)画
クインジの絵にはほんとに惹かれました。
シーシキンの絵以上に、コンパクトな写真ではその魅力は分かりません。 -
こうして一部撮ると、また違う雰囲気の風景画に
-
「北」
1879年
クインジ(1842?〜1910年)画
もっと横長の作品でしたが、絵の雰囲気を変えない程度に周辺を切り取って撮りました。
俯瞰的な視点が彼の風景画の特徴でもあるようです。 -
思いっきりタテの絵にすると
神の存在さえ実感できそうな高い荘厳な空も入って、風景画の形をとった宗教画のようになりました。 -
「画家のスタジオで」
1881年
マヤコフスキー(1839〜1915)画
いたずらっこなこの子供に惹かれて。
テーブルのものは静物画を描くために使っているので、食べちゃっちゃダメでしょうねぇ。
でも、それを逆手にこうして絵にする画家の方が一枚上手。 -
見られてないかな、と探る目と、ぷくぷくの手が可愛い@
右手でリンゴを手にしながら、すでに左手にはブドウがあります。 -
惹かれる美女
絵の題名は先ほどと同じ「画家のアトリエで」。
1881年
マヤコフスキー(1839〜1915)画 -
知り合いに似た人がいる〜
と思いながら眺めていました。
トレチャコフ美術館編、つづく。
このあともイリヤ・レーピンやニコライ・ゲー、それからロシアの象徴主義のさきがけともいうべきヴールベリなど大型画家たちの作品が続きます
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ykさん 2014/01/21 20:48:19
- シーシキン、クインジ
- シーシキン、クインジどちらも知らない画家ですが、いいえですねえ。それと 絵をこうして切り取ってみるのって、 面白い試みですね。 (もしかしたら描いた人は怒ってたりして、)でもこういう手法私もやってみたいです。
- まみさん からの返信 2014/01/24 08:05:51
- RE: シーシキン、クインジ
- ykさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
シーシキンもクインジも、その絵画に触れたら、きっとykさんも好きになると思いますよ。
ダヴィドの絵に通じるものがあると思います。
そして原画はもっと引き込まれると思いますヨ。
絵を切り取ってみる試みは面白いです。
国内の常設展は撮影がOKなところもあるので、たとえば東京近代博物館などでもやったことがあります。
名画紹介の番組などでも、一部にズームしたりしません?
その応用編のつもり。なんちゃって。
もとの絵とがらっと違うものにする目的もあるので、描いた人は意図しない見方をされて、すみずみまで計算し尽くして描いた人は怒っちゃうかもしれないかな〜と思うけれど、いろんな可能性を追求したと思うアーティストなら、面白いと思ってくるんじゃないかな〜なんて@@
> シーシキン、クインジどちらも知らない画家ですが、いいえですねえ。それと 絵をこうして切り取ってみるのって、 面白い試みですね。 (もしかしたら描いた人は怒ってたりして、)でもこういう手法私もやってみたいです。
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