2013/11/24 - 2013/11/24
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サンフランさん
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小田原の城下を目指して歩きます。
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- JRローカル 徒歩
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茅ヶ崎の一里塚を出発
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これが一里塚です。
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国道1号をあるき、道路が右に曲がったところに鶴峰八幡宮の鳥居があります。
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そのあたりが東海道でも左側に富士山が見えるポイント、左富士の名所です。左富士の石碑!
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快晴、見事な左富士!
しばらく眺めていたいのですが、先を急ぐ -
旧相模川橋脚がコンクリートで固められて置かれている。
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日蓮宗上国寺
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こちらも日蓮宗の寺ですが、寺名は消えている。
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茅ヶ崎市のマンホール
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平塚市に入る。
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橋を渡ってすぐにある江戸時代とは全く関係のないホテル
ヨーロッパの教会を移築して、結婚式場にしている。ホテル サンライフガーデン 宿・ホテル
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見付町にやってきました。平塚駅方面に商店街が移動して、旧宿場は静かなものです。江戸側の入り口が江戸見附、地名はそれを踏襲しているようだ。
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平塚宿の街並みは、約1.5km、200軒ほどの宿だったようだ。
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江戸見附の石垣が復元されています。
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その先にある平塚の歌の歌碑
聞いたことがない。 -
平塚小学校蹟
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この大木がそれらしい。
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こちら建物はその小学校ではないらしい。
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平塚は囲碁の木谷實の道場のあったところだそうです。
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平塚宿脇本陣あと
平塚宿 名所・史跡
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平塚宿高札場あと
平塚宿 名所・史跡
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平塚宿本陣跡
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平塚宿問屋場あと
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平塚の塚は右、少し寄り道します。
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平塚の塚にやってきました。「江戸時代の天保11年、桓武天皇の三代孫、高見王の娘、政子が、旅の途中にこの地でなくなられた。棺はここに埋葬されて、墓として塚が築かれた。その塚の上が平だったため平塚と呼んだ。これが平塚の地名の起こりとなりました。」(平塚市)
平塚の塚 名所・史跡
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要法寺
お寺の縁起には、「当山は日蓮に帰依した北条泰知の屋敷あとで、泰知は平塚姓で呼ばれ、塚は平真砂子のもの」とあります。要法寺 寺・神社・教会
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平塚宿ののぼりが!
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京方見附あと
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平塚のマンホール
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浮世絵のも描かれた花水橋からの光景です。今日は高麗山がきれいに見えます。花水川を渡ると大磯です。
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東京、日本橋より66km
右側に藁葺屋根の家 -
高来神社の前を通過
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高麗寺領境内見取り図
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虚空地蔵
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早速の大磯の松並木
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化粧井戸
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化粧坂の一里塚あと
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東海道線の下をトンネルでくぐる。
旧東海道松並木 名所・史跡
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江戸見附―江戸側の宿の入り口
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曽我兄弟の遺跡、ゆかりの延台寺です。
延台寺 寺・神社・教会
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虎御石が収められています。
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虎御石は、「曽我十郎の険難を救った身代わり石」
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大磯宿北問屋場あと
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小島本陣跡
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尾上本陣あとは信用金庫の片隅
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大内館は大内本陣のあと
汐彩のお宿 大内館 宿・ホテル
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その前にある和菓子屋さん
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大正5年に建てられた大磯海水浴場の標柱
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南組問屋場あと
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同志社大学を建てた新島襄はこの地でなくなっている。
新島襄終焉の地 名所・史跡
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このような碑が建てられています。
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大磯は湘南発祥の地」だそうで、....
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鴫立庵(しぎたつあん)
「京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場の一つとされる」(WIKIPEDIA)鴫立庵 名所・史跡
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レトロな郵便箱
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上方見附あと。ここで大磯宿は終わる。
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ところがここからが松並木
小田原までまだ18KMもある! -
大磯の松並木が続く
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江戸時代当時の松はこうなるものもある。
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松並木が切れる頃右手に宇賀神社
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社まで立ち並ぶ鳥居
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伊藤公倉浪閣
後ろの建物は休業中 -
城山(じょうざん)公園へやってきました。以前来たときは曇っていましたが、今日は晴れています。肉眼では富士がすばらしく、...
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眼下の二宮町です。
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水平線も
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旧吉田邸
以前来たときにはしまっていたので、見学することにした。 -
お屋敷は火災でもうありませんが、これはご立派なお庭です。
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吉田茂像
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海を眺めておられたのであろうか? 松林越しに相模湾が見える。
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富士も遠くにみえる
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焼失したお屋敷
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吉田邸を出て、先を急ぐ。
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吉田邸を出て、松並木をたどったらホテルの中に入ってしまった。仕方がなく、国道へ戻る。
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六所神社
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二宮町に入り、わずかに残る松並木
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一里塚あとがわずかに東海道の昔をしのばせる。
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旧道へ入り、松や本陣あとは民家の勝手口の前
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二宮町のマンホール
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二宮町から小田原へ入る。もう日も暮れてきた。昨日から痛み出した左足の裏がひどく痛む。履きなれた靴は靴底が減っていて、靴擦れはないが裏の皮が腫れてきた。
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国道1号の車坂を下る。右手になにやら塚のようなものが? 車坂の史跡?
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どうやら歌碑があるみたいだ。大田道灌などの詠まれた歌が掲示されている。
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浄土宗光明山大見寺
市街地だとここが東海道か? 心配で、このようなお寺さんが見えると一筋の光明が、…. -
もう周囲は闇の中、酒匂川を渡る。
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旧道は見つからず。国道1号を行くことに、
歩道の脇に小田原宿、山王口の標柱 -
つづいて江戸口見附あと
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ようやく小田原城下へ
もう5時を廻っています。茅ヶ崎出発は9時前でした。今日は昼食もろくに取らず8時間のあるきでした。
左足が痛みます。
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