2013/11/13 - 2013/11/13
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belleduneさん
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晩秋の軽井沢は、平日だったこともあり、道も混雑することもなく、予定通り美術館や教会、タリアセンを見て廻ることが出来ました。最後に旧三笠ホテルを見学してきました。
軽井沢は、昔、「かるいさわ」と呼ばれていましたが、明治以降、避暑地として広まり、発音がし易い「かるいざわ」へと変化して行ったそうです。「軽井沢」という地名は、軽石や火山灰土など火山堆積物に由来する地形に付けられたと言われています。避暑地としてのスタートは、明治19年(1886)、カナダ生まれの宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーが当地を訪れて、美しい自然と気候に感嘆して、家族、友人に推奨し、夏の避暑を過ごしたのが始まりだそうです。明治26年には初めての日本人所有の別荘が建てられました。明治30年頃には、貸別荘やホテルが営業を始め、大正初期には、大手資本によって土地分譲が始まりました。避暑地軽井沢は、外国人先駆者たちが作り上げて来た質素で、高潔な避暑地から、日本人的な華やかな別荘地へと変わり、各種の商店が立ち並ぶこととなりました。この頃には、ゴルフ場、テニスコート、乗馬などのスポーツ施設も相次いで新設されて、現在の避暑地としての機能は出来上がっていた。
- 旅行の満足度
- 4.5
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三笠ホテルは、日本郵船や明治製菓の重役を務めた実業家の山本直良(1870〜1945)が創業しました。明治37年にホテルの工事に着工し、翌38年、竣工しました。設計は、岡田時太郎氏で、全て日本人によって建てられました。
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ホテルの営業は、明治39年5月に開始されました。電灯に寄るシャンデリア照明、英国製タイルを張った水洗トイレ、英国製のカーペットを取り入れるなど当時の最先端で、最高級の設備が採用されました。
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最初の宿泊客は、外国人がおおかったのですが、次第に近衛文麿、澁澤栄一、大隈重信など日本を代表する政財界人が多く滞在するようになっていきました。
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その後、戦後は、進駐軍に接収されたり、「別館」が焼失したり、様々なことがあり、昭和45年に廃業となり、64年間の幕を閉じることになりました。その後、昭和47年に買収した日本長期信用銀行から昭和55年3月、軽井沢町に贈与されました。木造純西洋式ホテルとしては、札幌にある豊平館(明治13年築)に次ぐ古い建物だそうです。
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昭和58年から一般公開が始まりました。ハ角の塔屋を造り、非対称形によ荘厳さを表すと共に手の込んだ装飾が随所に見られます。軒を支える湾曲した腕木、鶴と松を組み合わせた浮き彫りのカーテンボックス、太い縁の窓枠と幾何学模様のガラス窓には当初からのガラスが残されているそうです。
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自然保護にも努めている軽井沢は、面積の半分ほどが国立・国定公園内にあり、雄大な浅間山の麓に、コブシ、唐松、樅などの樹木が広がり、四季折々に軽井沢独特の美しさが見られます。昭和47年に「自然保護対策要綱」が制定されて、自然保護、ゴミ処理、水資源保護などの環境保全対策や文化財保護対策の基準を示しています。
また、町の社会資本充実の一環として、堀辰雄文学記念館、図書館、追分郷土館、病院、中央区公民館、老人福祉センター、社会体育館、風越公園グランド、植物園、公園施設、レクの森、野鳥の森、自然歩道、サイクリングロードや道路網の公共施設が整備充実し、「国際親善文化観光都市」として洗練されていきました。 -
昭和50年頃には、軽井沢内のテニスコートは千面以上に増え、テニス、サイクリングブームとなり、スポーツを楽しむ人達が増え続けました。平成10年長野冬期オリンピックでは、カーリング競技会が軽井沢で開催され、昭和39年の東京オリンピック総合馬術競技開催に続いて、夏・冬2回のオリンピック会場となりました。
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「上越自動車道」、「長野、北陸新幹線」等の交通整備などにより、首都圏とのアクセスが便利になった現在、軽井沢を居住地とする人達や週末を軽井沢で静養する別荘客も増えつつあり、それらの人達を受け入れるホテル、旅館、民宿、ペンションなどの宿泊施設も増えています。来町客の通年化も進んでいますが、夏期には、人口約1,9万人の町が十倍にもなります。年間入れ込み客数は800万人にも上るということです。「軽井沢町民憲章」を町是として「国際親善文化観光都市」に相応しく、緑豊かな町を守っていくよう努力しているそうです。
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正面玄関2階に、竣工当時はポーチがありましたが、現在はありません。外観は随所に精緻な職人技を見せつけられて、感嘆ものです。
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日本家屋の一見質素な外観でも、良く見ると手の込んだ造りが見られる優れた建築物は数多くありますが、西洋式建築を当時の棟梁が作り上げたものも日本全国に多々残っています。どちらも見事です。
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正面玄関
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1階の廊下
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廊下の天井
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1階のホール入り口
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ドアの敷居ですが、躓かないように丸く削ってあり、車いすでも難なく通れるように、段差があまりありません。
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廊下のドアの敷居も同じく丸く削ってあり、段差が殆どありません。
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このホールで、避暑客達が談笑していたのでしょうね。
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暖炉も歴史を物語っています。
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この縦長の窓が特に気に入りました。天井も高いので、バランスがとても素晴らしいですね。
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カーテンボックスには、松と鶴に、三つの笠で、三笠ホテルを表しています。更に、紐でMとHの隠し文字になっています。デザインは、有島一郎の弟、有島生馬です。
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もし当時のホテルに居たら、などと想像していました。
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ソファーは、従来のものを修理、復元してあります。肘掛け、背もたれの膨らみには、馬の毛が入っています。生地はフランス製だそうです。勿論座ることも、触ることも禁止です。
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絨毯は、図柄、色は当ホテルで長く使われていたものを京都西陣で複製したものです。
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チーク材でしょうか?それとも地元のもの?
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シャンデリアは、本体は従来のもので、最初はアセチレンガスを使用していました。火舎にがらすを使用していた時もあったそうです。一部は玄関天井に使用しています。
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片隅に何気なく置いてあるカウチもここに妙齢な貴婦人が横たわっていたのかな?
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2階への階段
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ビューローの蓋にもちゃんと三笠ホテルのマークが入っています。家具も地元の軽井沢彫という日光彫の影響を受けたものらしい。次回は軽井沢彫の店へ行ってみます。
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幾何学模様の窓も各所に設えてあります。
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1階の客間ですが、室内に洗面台があり、隣の部屋にバス・トイレがありました。2階の方が少し上等なお部屋のようでした。
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上部に三笠ホテルのマークの付いた装飾付きタンスです。MとHノ隠し文字になっています。
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2階の階段部分 手摺がとても優雅です。
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階段の踊り場の上部は、アーチになっていて、面白い仕上げです。
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階段を上がったところの照明です。
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2階の廊下
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違い棚 大正から昭和初期に造られました。大阪屋家具 蔵
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つづら W 120cm X D50 X H45 牡丹,竹、梅を橡の木で掘ったものです。
一彫堂工房 -
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モダン椅子 W45 X D47 X H110 桜を橡の木で掘ったものです。
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違い棚 W81X D42 X H86 橡の木 昭和中期に造られました。
シバザキ 軽井沢彫 -
桜の透かし彫りが美しい衣桁は、チェリー材にウレタン樹脂塗装したもの。モチーフの橋を狙って、切り抜いていく技術は職人技の仕事。 W50X D58 X H97
平安時代に造られた乱れ箱は、アガチス材にウレタン樹脂塗装で桜のデザインです。
W65,5 X D43,5 X H75 大阪屋家具 蔵 -
六角花台 初期の軽井沢彫家具には、日光彫りの影響と思われる牡丹や菊、雷紋など日光東照宮にもよく見られるもチールが多用されています。
トチ材で、蝋磨き仕上げになっています。W37 X D32 X H43 大阪屋家具 蔵 -
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明治40年に完成した「日本館」も43年に山津波で流失し、大正10年に完成した洋風「別館」も米軍が接収した際の昭和22年に失火により焼失しました。その後、数社の手を経て、最後は長銀から軽井沢町へ贈与されたのですが、全ての保存・修理工事が完了したのが、平成元年でした。これからも当時の姿を残していってほしいものです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ちょんたさん 2013/11/24 01:19:15
- 上流階級の方々のざわめきが聞こえてきそうな…。
- belledune様
ノスタルジックな、いかにも品の良いホテルのたたずまいですね。
こちらで、どんな方々の、どんな会話がされたことか・・。
そんな想像をするだけでも、心がときめいてしまいます。
こういう昔のものを残していくというのは、見えないところでとても大変なことだろうと思います。
でも、だからこそ大事に時を紡いでいってほしいものだという気がしてなりません。
大事なものという点では、こういう過去のものほど貴重でしょうに、こちらは写真には収めても良いのですね。
建築物などを写真に撮ってはいけないというのは、どういうことなのでしょうか?絵にしろ、彫刻にしろ減るものではないし、気に入って自分の思いでのよすがにしたいことがどうしていけないことなのか、よくわかりません。
伊東にある池田20世紀美術館は、どの絵も、個人のアルバムに残るのだったら、構いませんということで、絵の隣に立って感激して撮って帰った友人がいました。
せっかく来た伊東で、大好きな絵と一緒という嬉しい思い出をたくさん持って帰れてよかったと思います。
上野の西洋美術館の常設展では自由なので気に入っています。ではまた。
ちょんた
- belleduneさん からの返信 2013/11/24 09:17:24
- RE: 上流階級の方々のざわめきが聞こえてきそうな…。
- ちょんたさん、おはようございます。
見て頂いて、ありがとうございます。つい、細かいところが気になってしまうので、いつも写真が増えてしまいます。でも、知れば知れほど、「ああ、なるほど」ということが多いですね。
今、板茂さんの設計がとても気になっているですが、個人住宅が多い上に、外国の公共施設が多いので、簡単に見に行けません。
東京だと、大学の図書館がありますが、果たして外部者が入館出来るか分かりません。福島の「楕円虚の家」とか、「カーテンウォールの家」「三日月の家」、神戸にある「紙の教会」なんかが気になります。震災後に、神戸に建てられた「紙の教会」は、訪ねることが出来るので、いつか行ってみたいです。ヨーロッパでも、根強い人気がある坂茂さんなので、出来れば、来年辺りに纏めて見て来ようかな、と考えています。
> ノスタルジックな、いかにも品の良いホテルのたたずまいですね。
> こちらで、どんな方々の、どんな会話がされたことか・・。
> そんな想像をするだけでも、心がときめいてしまいます。
三笠ホテルの中に居ると、本当に色んな想像をしていまいます!
> こういう昔のものを残していくというのは、見えないところでとても大変なことだろうと思います。
> でも、だからこそ大事に時を紡いでいってほしいものだという気がしてなりません。
> 大事なものという点では、こういう過去のものほど貴重でしょうに、こちらは写真には収めても良いのですね。
同感ですね。
> 建築物などを写真に撮ってはいけないというのは、どういうことなのでしょうか?絵にしろ、彫刻にしろ減るものではないし、気に入って自分の思いでのよすがにしたいことがどうしていけないことなのか、よくわかりません。
私が考えるに、著作権の問題でしょうか?
> 伊東にある池田20世紀美術館は、どの絵も、個人のアルバムに残るのだったら、構いませんということで、絵の隣に立って感激して撮って帰った友人がいました。
この「個人のアルバム」というところが問題で、今ネットで流す人が大勢いるため、禁止にしているところが多いのだと思いますが、如何でしょう。
> せっかく来た伊東で、大好きな絵と一緒という嬉しい思い出をたくさん持って帰れてよかったと思います。
>
> 上野の西洋美術館の常設展では自由なので気に入っています。ではまた。
>
> ちょんた
フラッシュなしであれば、写真を撮っても良い、という美術館、博物館は多くなっていますね。私は、好きな絵と一緒に写真を撮るという趣味はないので、その気持ちは分かりませんが、絵は見るもので、心にそっと仕舞っておいた方が良いのかもしれません。
何でも、写真を撮らないということにならないように気を付けたいと思います。
では、またよろしくお願いします。
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