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千住博美術館を満喫した後、レンタカーでタリアセンへ行く筈が、ナビが上手く機能せず、道を間違えて、ちょっと時間をロスしたようですが、何とかタリアセンへ到着しました。ちょうとお昼時になったので、旧軽井沢郵便局舎1階のソネットというレストランで、キノコたっぷりの運動会という美味しいパスタを頂きました。私が入った時は、誰も居なかったのですが、10分後には、ご婦人方やカップルの方が来店されて、賑やかな店内となりました。<br />塩沢湖半がタリアセンの敷地になっていて、中には、今私が居る旧郵便局舎(現・深沢紅子野の花美術館)、睡鳩荘(旧朝吹登水子別荘)、ペイネ美術館(A.レイモンド夏の家)、浄月庵(有島武郎の別荘)、軽井沢文庫、堀辰雄別荘、野上弥生子書斎兼お茶室があります。<br />ゆっくり見て廻ると、かなり時間が掛かりますが、今回は、帰りの時間が決まっているので、かなり焦りながら見ていました。でも、必ず帰りの関越が渋滞するので、その間眠っていられるのは有難いです。<br />この後、時間があったので、旧三笠ホテルへ廻りました。

晩秋の軽井沢・建築巡り 2 - 軽井沢タリアセンへ

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2013/11/13 - 2013/11/13

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belledune

belleduneさん

千住博美術館を満喫した後、レンタカーでタリアセンへ行く筈が、ナビが上手く機能せず、道を間違えて、ちょっと時間をロスしたようですが、何とかタリアセンへ到着しました。ちょうとお昼時になったので、旧軽井沢郵便局舎1階のソネットというレストランで、キノコたっぷりの運動会という美味しいパスタを頂きました。私が入った時は、誰も居なかったのですが、10分後には、ご婦人方やカップルの方が来店されて、賑やかな店内となりました。
塩沢湖半がタリアセンの敷地になっていて、中には、今私が居る旧郵便局舎(現・深沢紅子野の花美術館)、睡鳩荘(旧朝吹登水子別荘)、ペイネ美術館(A.レイモンド夏の家)、浄月庵(有島武郎の別荘)、軽井沢文庫、堀辰雄別荘、野上弥生子書斎兼お茶室があります。
ゆっくり見て廻ると、かなり時間が掛かりますが、今回は、帰りの時間が決まっているので、かなり焦りながら見ていました。でも、必ず帰りの関越が渋滞するので、その間眠っていられるのは有難いです。
この後、時間があったので、旧三笠ホテルへ廻りました。

旅行の満足度
5.0
交通手段
レンタカー
  • 旧軽井沢郵便局舎・明治44年館 建築面積214,13平方メートルで旧軽井沢から移築復元したものです。2階は、深沢紅子野の花美術館として、開館。<br />深沢紅子さんは、昭和39年頃から旧軽井沢の堀辰雄1412番山荘で夏を過ごして、高原の花を描いていました。戦前、戦後を通じて堀辰雄、立原道造、津村信夫らの本の装幀を手掛けていました。平成5年、山中湖山荘にて、享年90歳で永眠されました。

    旧軽井沢郵便局舎・明治44年館 建築面積214,13平方メートルで旧軽井沢から移築復元したものです。2階は、深沢紅子野の花美術館として、開館。
    深沢紅子さんは、昭和39年頃から旧軽井沢の堀辰雄1412番山荘で夏を過ごして、高原の花を描いていました。戦前、戦後を通じて堀辰雄、立原道造、津村信夫らの本の装幀を手掛けていました。平成5年、山中湖山荘にて、享年90歳で永眠されました。

  • 1階のレストラン・ソネットは誰も居なくて、静かでしたが、10分後には何人かの主婦のグループやカップルで少し賑やかになっていました。

    1階のレストラン・ソネットは誰も居なくて、静かでしたが、10分後には何人かの主婦のグループやカップルで少し賑やかになっていました。

  • 有島武郎別荘・浄月庵<br />有島一郎が大正5年から22年まで夏を過ごした三笠にあった別荘。大正12年6月、有島一郎が雑誌記者波多野秋子とここで情死したことは有名です。建物は、父・武が明治末期に建てたものを、譲り受けたものです。平成元年にここへ移築されました。

    有島武郎別荘・浄月庵
    有島一郎が大正5年から22年まで夏を過ごした三笠にあった別荘。大正12年6月、有島一郎が雑誌記者波多野秋子とここで情死したことは有名です。建物は、父・武が明治末期に建てたものを、譲り受けたものです。平成元年にここへ移築されました。

  • 1階はカフェ・一房の葡萄  私が訪ねた時は、誰もいなかったので、次回はゆっくり珈琲を飲んでみたいと思います。

    1階はカフェ・一房の葡萄  私が訪ねた時は、誰もいなかったので、次回はゆっくり珈琲を飲んでみたいと思います。

  • 2階へ

    2階へ

  • 通りの向こうに野上弥生子さんの書斎兼お茶室が見えます。

    通りの向こうに野上弥生子さんの書斎兼お茶室が見えます。

  • 睡鳩荘・旧朝吹登水子山荘は、昭和6年W.M.ヴォーリーズの設計で建てられました。仏文学者・朝吹登水子さんが別荘として使用されていました。1階の居間は、軽井沢別荘建築の中でも最上質なものとなっているそうです。

    睡鳩荘・旧朝吹登水子山荘は、昭和6年W.M.ヴォーリーズの設計で建てられました。仏文学者・朝吹登水子さんが別荘として使用されていました。1階の居間は、軽井沢別荘建築の中でも最上質なものとなっているそうです。

  • 1階の今ですが、壁には、狩りの成果として、多くの動物の頭が並んでいました。

    1階の今ですが、壁には、狩りの成果として、多くの動物の頭が並んでいました。

  • 2階の間取りです。

    2階の間取りです。

  • 2階への階段途中に、実業家の父・朝吹常吉氏の肖像画が掛っていました。<br />帝国生命保険会社社長や王子製紙重役を兼任され、また日本庭球協会を創設されました。

    2階への階段途中に、実業家の父・朝吹常吉氏の肖像画が掛っていました。
    帝国生命保険会社社長や王子製紙重役を兼任され、また日本庭球協会を創設されました。

  • この椅子を見ると何かを思い出します。

    この椅子を見ると何かを思い出します。

  • 部屋の中には入れないので、入り口から見たところです。

    部屋の中には入れないので、入り口から見たところです。

  • 素敵なスタンドですね。

    素敵なスタンドですね。

  • 2階廊下にある開放洗面所の戸棚のガラス戸

    2階廊下にある開放洗面所の戸棚のガラス戸

  • 2階のこの広い部屋は入室可能でした。

    2階のこの広い部屋は入室可能でした。

  • 12歳の頃の朝吹登水子さんは、大人びていますね。

    12歳の頃の朝吹登水子さんは、大人びていますね。

  • 兄朝吹英一氏は木琴の研究者で、留学する前に一緒に撮ったもの。

    兄朝吹英一氏は木琴の研究者で、留学する前に一緒に撮ったもの。

  • 父常吉氏がテニス協会の創設者とあって、家族は皆テニス好き。

    父常吉氏がテニス協会の創設者とあって、家族は皆テニス好き。

  • 階下への防音のために、床下に大鋸屑を敷いてあります。

    階下への防音のために、床下に大鋸屑を敷いてあります。

  • 2階の窓は2重になっていて、防犯の架け金も工夫されていますね。

    2階の窓は2重になっていて、防犯の架け金も工夫されていますね。

  • 階段の踊り場の窓も2重で、手前に開く窓と上に跳ね上げる窓の二重構造です。

    階段の踊り場の窓も2重で、手前に開く窓と上に跳ね上げる窓の二重構造です。

  • 今日はお天気が良いので、このテラスに座って、景色を眺めるのはとても気持ち良いです。

    今日はお天気が良いので、このテラスに座って、景色を眺めるのはとても気持ち良いです。

  • 鷲穴用水を引き込んで造られた塩沢湖。

    鷲穴用水を引き込んで造られた塩沢湖。

  • お天気も良く、塩沢湖の眺めも素晴らしいです。

    お天気も良く、塩沢湖の眺めも素晴らしいです。

  • 紅葉も青空に映えて、素晴らしい1日です。

    紅葉も青空に映えて、素晴らしい1日です。

  • 昭和8年に建てられた夏の家 A.レイモンドの別荘兼アトリエで、現在はペイネ美術館になっています。<br />

    昭和8年に建てられた夏の家 A.レイモンドの別荘兼アトリエで、現在はペイネ美術館になっています。

  • 夏の家の前には、恋人たちの像があります。

    夏の家の前には、恋人たちの像があります。

  • 昭和60年8月に開館した軽井沢高原文庫の本館は、浅間石の基壇の上に鉄骨のシェルターユニットを載せて、自然を積極的に内部に取り込んだオープンな空間になっています。2階は、展示室になっています。唐松、アカシア、ハルニレ、コブシ、ウワミズザクラなどが茂っていて、多くの高原の野の花も自生しています。

    昭和60年8月に開館した軽井沢高原文庫の本館は、浅間石の基壇の上に鉄骨のシェルターユニットを載せて、自然を積極的に内部に取り込んだオープンな空間になっています。2階は、展示室になっています。唐松、アカシア、ハルニレ、コブシ、ウワミズザクラなどが茂っていて、多くの高原の野の花も自生しています。

  • 立原道造の詩碑・磯崎新氏の設計

    立原道造の詩碑・磯崎新氏の設計

  • 堀辰雄1412番山荘は、昭和16年にアメリカ人スミス氏から買い求めた旧軽井沢・釜の沢の山荘をここへ昭和60年に移築したものです。4年続けて、初夏から秋に掛けて過ごしたそうです。暖炉や土管を重ねた煙突があり、堀辰雄を慕う若い文学青年達が大勢出入りしていたと言う。

    堀辰雄1412番山荘は、昭和16年にアメリカ人スミス氏から買い求めた旧軽井沢・釜の沢の山荘をここへ昭和60年に移築したものです。4年続けて、初夏から秋に掛けて過ごしたそうです。暖炉や土管を重ねた煙突があり、堀辰雄を慕う若い文学青年達が大勢出入りしていたと言う。

  • 若かりし頃の堀辰雄

    若かりし頃の堀辰雄

  • 晩秋は一層風情が感じられます。

    晩秋は一層風情が感じられます。

  • 私一人でしたので、とても静かでした。こういうことは、この季節でしかあり得ないででょうね。

    私一人でしたので、とても静かでした。こういうことは、この季節でしかあり得ないででょうね。

  • 中村真一郎文学碑は、かの磯崎新氏の設計です。

    中村真一郎文学碑は、かの磯崎新氏の設計です。

  • 近づいて、書いてある文字を読んでいますが、写真には写っていませんね。

    近づいて、書いてある文字を読んでいますが、写真には写っていませんね。

  • 昭和8年に建てられた野上弥生子の書斎兼茶室は、野上弥生子が北軽井沢大学村(旧法政大学村)で1930年から80年代まで夏を過ごした山荘の離れ(鬼女山房)です。茶室を造り、ここで「迷路」「秀吉と利休」など長編小説を多く残し、一生の大半を北軽井沢で過ごしました。平成8年にここに移築されました。

    昭和8年に建てられた野上弥生子の書斎兼茶室は、野上弥生子が北軽井沢大学村(旧法政大学村)で1930年から80年代まで夏を過ごした山荘の離れ(鬼女山房)です。茶室を造り、ここで「迷路」「秀吉と利休」など長編小説を多く残し、一生の大半を北軽井沢で過ごしました。平成8年にここに移築されました。

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