2013/11/02 - 2013/11/02
236位(同エリア516件中)
滝山氏照さん
西武鉄道池袋線飯能に向かう途中の元加治(もとかじ)駅に隣接する光明山・円照寺(えんしょうじ、埼玉県入間市野田)は武蔵七党丹党に属する加治氏の菩提寺となっています。
円照寺説明板によれば『当地を支配し鎌倉幕府の御家人に列せられていた加治豊後守家茂(かじ・ぶんごのかみ・いえしげ、生没不詳)は武蔵国二俣川(現横浜市保土ヶ谷区)で畠山重忠(はたけやましげただ、1164~1205)との戦いで戦死した父家季(いえすえ、生誕不詳~1205)の菩提を弔うため、円照上人を開山として建立したとされ、その後は加治氏の菩提寺となって一族の供養のため板碑が6基残されています。
具体的には鎌倉時代末期に加治家貞(かじいえさだ、生誕不詳~1333)が幕府武将として幕府に反旗を翻す新田義貞(にった・よしさだ、1301~1338)を迎え撃ちますが入間川・久米川両合戦で勝機なく戦死、ついに得宗家北条高時(ほじょう・たかとき、1304~1333)他一族は鎌倉葛西ケ谷の東勝寺で自害、源頼朝創設以来の鎌倉幕府は元弘3年(1333)ここに幕を閉じます。』
鎌倉幕府滅亡時に加治氏がいかように関わったかを円照寺に残っている板碑の内1基について説明文では以下のように記載されています。
『元弘3年(1333)5月22日道峯禅門(どうほうぜんもん)在銘の板碑は、高さ1377Cm、幅38Cm、厚さ5Cmの緑泥片岩製で、上部に胎蔵界大日如来(アーンク)の種子が蓮花座に乗り、脇侍にウーンとキリークが刻まれている。また、紀年銘の左右に無学祖元(むがくそげん)の臨剣頌(りんけんしょう)といわれる七言絶句の偈が刻まれている」
上述の道峯禅門は別典の記録から加治左衛門家貞(かじさえもんいえさだ、生誕不詳~1933)の法名で元弘3年22日は鎌倉幕府滅亡の日にあたり、家定は鎌倉幕府方の武将として新田義貞軍を迎え撃つも敗れ北条氏一族と運命を共にしたものと思われます。
そしてこの板碑は後の子孫が家貞の菩提を弔うため奉納したのではないかと推定されます。』
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
-
西武鉄道池袋線 元加治駅
駅名は武蔵七党の丹党の庶流である加治氏の名前を採用しています。 -
元加治駅ホーム
各駅停のみの停車です。円照寺はホームのすぐ南隣にあります。 -
円照寺・山門
入間川左岸上に位置します。訪問した時は閉ざされた山門の右手から入場しました。 -
円照寺・寺標
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入間市景観50選掲示板
円照寺は景観50選に指定されており、板碑は国指定重要文化財となっています。 -
円照寺・案内図
国重要文化財の板碑がどこに所蔵されているのか明示されていません。 -
円照寺・境内
広い池が造作されて心和む雰囲気が感じられます。 -
イチオシ
円照寺・不動堂
説明によると一重の三間四面堂で正面が北向きのため「北向き不動堂」ともいわれるそうです。 -
円照寺・不動堂説明板
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円照寺・弁天堂と橋
橋から池の右半分を捉えます。 -
円照寺・弁天堂と橋
橋から池の左半分を捉えます。 -
円照寺・弁天堂
池の中央に弁天堂が配置され、弁天堂へつながる橋で渡ります。 -
イチオシ
円照寺・本堂
山号は光名山、宗派は真言宗智山派で円照上人開山によります。 -
円照寺・境内
本堂から池方向を捉えます。 -
円照寺・境内
本堂から鐘楼堂方向を捉えます。 -
円照寺・客殿
本堂と繋がる客殿を捉えます。 -
円照寺・境内
弁天堂の隣の池方向を捉えます。 -
円照寺・鐘楼堂
-
円照寺・新築記念碑
弁天堂と鐘楼堂新築を記念しての石碑になります。 -
円照寺・境内
鐘楼堂と池を挟んで本堂を中央に捉えます。 -
円照寺・弘法大師堂
建物名は判りませんが、寺の案内図では弘法大師堂となっています。
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