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 スロヴァキアは中欧の目立たない小国かもしれない。チェコスロヴァキアから、工業化され経済的に豊かな西半分が独立して、農業地帯だったスロヴァキアが残されたという噂もある。そのためだろうか、かえって古き良きヨーロッパの雰囲気が残り、人々は穏やかで、自然は変化に富み、そして奥深い歴史がある。2001年についでのように訪れたこの国だが、気に入って2004年に再訪した。その記憶を3回に分けて綴る。まず首都のブラチスラヴァと、お世話になったセメロヴォ村について。<br />〈写真 セメロヴォ村の人々〉

スロヴァキアのまごころ1 ブラチスラヴァとセメロヴォ

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2004/08/01 - 2004/08/10

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kazim

kazimさん

 スロヴァキアは中欧の目立たない小国かもしれない。チェコスロヴァキアから、工業化され経済的に豊かな西半分が独立して、農業地帯だったスロヴァキアが残されたという噂もある。そのためだろうか、かえって古き良きヨーロッパの雰囲気が残り、人々は穏やかで、自然は変化に富み、そして奥深い歴史がある。2001年についでのように訪れたこの国だが、気に入って2004年に再訪した。その記憶を3回に分けて綴る。まず首都のブラチスラヴァと、お世話になったセメロヴォ村について。
〈写真 セメロヴォ村の人々〉

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス
航空会社
LOTポーランド航空 オーストリア航空
旅行の手配内容
個別手配
  •  2001年の旅行のメインはベラルーシだった。それについては「ニーナが教えてくれたベラルーシ」をご覧いただきたいが、日本からの乗り継ぎにウイーンを選んだため、もう1カ国、ウイーンから近いスロヴァキアにも足を伸ばした。なぜオーストリアを見ないのかと問われそうだが、旅行の楽な西欧は齢をとってから行けばよいと考えていた。<br />〈写真 ブラチスラヴァ市街−丘の上にブラチスラヴァ城〉

     2001年の旅行のメインはベラルーシだった。それについては「ニーナが教えてくれたベラルーシ」をご覧いただきたいが、日本からの乗り継ぎにウイーンを選んだため、もう1カ国、ウイーンから近いスロヴァキアにも足を伸ばした。なぜオーストリアを見ないのかと問われそうだが、旅行の楽な西欧は齢をとってから行けばよいと考えていた。
    〈写真 ブラチスラヴァ市街−丘の上にブラチスラヴァ城〉

  •  ウイーンの空港からブラチスラヴァへはバスで1時間ほどで着いてしまう。結局、オーストリア航空でベラルーシに飛んで10日間、列車でワルシャワに出て2泊、そしてポーランド航空でウイーンに戻りスロバキアに入ってさらに1週間を過ごした。<br />〈写真 ブラチスラヴァの街並み−バスターミナルの前〉

     ウイーンの空港からブラチスラヴァへはバスで1時間ほどで着いてしまう。結局、オーストリア航空でベラルーシに飛んで10日間、列車でワルシャワに出て2泊、そしてポーランド航空でウイーンに戻りスロバキアに入ってさらに1週間を過ごした。
    〈写真 ブラチスラヴァの街並み−バスターミナルの前〉

  •  ベルリンの壁の崩壊が1989年、チェコスロヴァキアが解体しスロヴァキアとして独立したのが1993年だ。さらに、この国がEUに加盟したのは2004年であり、ユーロ導入は2009年のこと。2001年の最初の訪問は、その間の時期であり、まだピサが必要で、通貨は「コルナ」という聞き慣れないものだった。<br />〈写真 大統領官邸〉

     ベルリンの壁の崩壊が1989年、チェコスロヴァキアが解体しスロヴァキアとして独立したのが1993年だ。さらに、この国がEUに加盟したのは2004年であり、ユーロ導入は2009年のこと。2001年の最初の訪問は、その間の時期であり、まだピサが必要で、通貨は「コルナ」という聞き慣れないものだった。
    〈写真 大統領官邸〉

  •  それでもビザさえあれば、バスでの入国は簡単だ。ここが西と東を分かつ厳しい国境の1つであったことを思えば、感慨深いものがある。そして、2004年にはすでにこの国がEUに入っていたために、ビザが不要になったばかりか、人々がほとんど自由に移動していたことが印象に残る。<br />〈写真 ブラチスラヴァの街並み−新市街〉

     それでもビザさえあれば、バスでの入国は簡単だ。ここが西と東を分かつ厳しい国境の1つであったことを思えば、感慨深いものがある。そして、2004年にはすでにこの国がEUに入っていたために、ビザが不要になったばかりか、人々がほとんど自由に移動していたことが印象に残る。
    〈写真 ブラチスラヴァの街並み−新市街〉

  •  また、ブラチスラヴァの街も、2001年には雑然とした雰囲気で激動のなごりを感じさせ、ホテルの数も少なかったが、2004年には落ち着きを取り戻すとともに、西欧資本の豪華なホテルが目立つようになっていた。おそらく今ではこの国の首都として、インフラも十分に備わっているのだろう。<br />〈写真 ブラチスラヴァ旧市街の広場〉

     また、ブラチスラヴァの街も、2001年には雑然とした雰囲気で激動のなごりを感じさせ、ホテルの数も少なかったが、2004年には落ち着きを取り戻すとともに、西欧資本の豪華なホテルが目立つようになっていた。おそらく今ではこの国の首都として、インフラも十分に備わっているのだろう。
    〈写真 ブラチスラヴァ旧市街の広場〉

  •  この街の見所といえば、旧市街とブラチスラヴァ城、そして街の横を流れるドナウ川だろう。城を除けば旧市街はせいぜい500m四方の狭さだから、ゆったり歩き回るのにちょうど良い。入り組んだ路地には中世の趣が色濃く残っていた。<br />〈写真 旧市街ミハエル門〉

    イチオシ

     この街の見所といえば、旧市街とブラチスラヴァ城、そして街の横を流れるドナウ川だろう。城を除けば旧市街はせいぜい500m四方の狭さだから、ゆったり歩き回るのにちょうど良い。入り組んだ路地には中世の趣が色濃く残っていた。
    〈写真 旧市街ミハエル門〉

  •  2004年のこと、旧市街を歩いていると、中世的な衣装をまとった楽団の一行に出会った。観光的なアトラクションなのだろうが、彼らに付いていくと、旧市街をひととおり回り、要所で寸劇もして、観光客の喝采を浴びていた。<br />〈写真 旧市街で出会った楽団〉

     2004年のこと、旧市街を歩いていると、中世的な衣装をまとった楽団の一行に出会った。観光的なアトラクションなのだろうが、彼らに付いていくと、旧市街をひととおり回り、要所で寸劇もして、観光客の喝采を浴びていた。
    〈写真 旧市街で出会った楽団〉

  •  楽団の演目には歴史的な背景があるのだろう。18世紀から19世紀の民族復興運動を模しているのかもしれない。その頃、この地域はハンガリーが支配しており、さらにそのハンガリーをオーストリアのハプスブルグがおさえていたという。<br />〈写真 寸劇を行う楽団〉<br />

     楽団の演目には歴史的な背景があるのだろう。18世紀から19世紀の民族復興運動を模しているのかもしれない。その頃、この地域はハンガリーが支配しており、さらにそのハンガリーをオーストリアのハプスブルグがおさえていたという。
    〈写真 寸劇を行う楽団〉

  •  旧市街の西側の丘の上にブラチスラヴァ城がある。中心のどこからも見える街のシンボルであり、逆にこの城から見下ろした街やドナウ川の景色が記憶に残る。なお、現在の写真を見ると壁が白く塗られているようだが、当時はベージュ色であり、ここ数年の間に修復されたのかもしれない。<br />〈写真 ドナウ河畔からブラチスラヴァ城を見上げる〉

     旧市街の西側の丘の上にブラチスラヴァ城がある。中心のどこからも見える街のシンボルであり、逆にこの城から見下ろした街やドナウ川の景色が記憶に残る。なお、現在の写真を見ると壁が白く塗られているようだが、当時はベージュ色であり、ここ数年の間に修復されたのかもしれない。
    〈写真 ドナウ河畔からブラチスラヴァ城を見上げる〉

  •  出かけるにあたり、日本にいるスロヴァキア人に、泊めてくれる家か案内してくれる人を問い合わせところ、その人の実家であるセメロヴァ村を紹介された。「○○ Semerovo, Nove Zamky」と書いた紙切れをもらい、「家族には伝えてあるから、この住所に行きない」と言われた。とにかくノヴェ・ザームキ(Nove Zamky)までたどり着き、そこからはタクシーを使え、とのことだった。<br />〈写真 セメロヴォの人々〉

     出かけるにあたり、日本にいるスロヴァキア人に、泊めてくれる家か案内してくれる人を問い合わせところ、その人の実家であるセメロヴァ村を紹介された。「○○ Semerovo, Nove Zamky」と書いた紙切れをもらい、「家族には伝えてあるから、この住所に行きない」と言われた。とにかくノヴェ・ザームキ(Nove Zamky)までたどり着き、そこからはタクシーを使え、とのことだった。
    〈写真 セメロヴォの人々〉

  •  ノヴェ・ザームキ(「新しい城」の意だ)は、ブラチスラヴァの南東70キロに位置する街で一帯の県庁所在地だ。ブラチスラヴァに2泊してから、列車で向かう。スロヴァキアの中で観光地が全くない地方であり、列車のわずかな乗客も旅行者らしき人は見かけず、ノヴェ・ザームキで降りた人も数人だった。<br />〈写真 セメロヴォの家の前で〉

     ノヴェ・ザームキ(「新しい城」の意だ)は、ブラチスラヴァの南東70キロに位置する街で一帯の県庁所在地だ。ブラチスラヴァに2泊してから、列車で向かう。スロヴァキアの中で観光地が全くない地方であり、列車のわずかな乗客も旅行者らしき人は見かけず、ノヴェ・ザームキで降りた人も数人だった。
    〈写真 セメロヴォの家の前で〉

  •  閑散とした駅前広場には、それでもタクシーが停まっており、住所を示せば、トウモロコシ畑の中を10キロほど走り1軒の家の前で降ろされた。車が止まると、家の中から数人の家族が微笑みながら顔を見せる。パパ、ママ、兄とその奥さん、そして近所の人たちと紹介される。<br />〈写真 セメロヴォの家で〉

     閑散とした駅前広場には、それでもタクシーが停まっており、住所を示せば、トウモロコシ畑の中を10キロほど走り1軒の家の前で降ろされた。車が止まると、家の中から数人の家族が微笑みながら顔を見せる。パパ、ママ、兄とその奥さん、そして近所の人たちと紹介される。
    〈写真 セメロヴォの家で〉

  •  彼らのすべてが英語はわずかな単語レベルの片言で、パパだけが少しのロシア語を知っており、習い始めたばかりの私とかろうじて意志疎通ができる。それでも、「遠い日本からようこそ」の思いがあふれる笑顔で安心する。勝手にやって来て泊まらせろと言う図々しい私を、よくぞ歓迎してくれたものだ。<br />〈写真 手作りした庭〉

     彼らのすべてが英語はわずかな単語レベルの片言で、パパだけが少しのロシア語を知っており、習い始めたばかりの私とかろうじて意志疎通ができる。それでも、「遠い日本からようこそ」の思いがあふれる笑顔で安心する。勝手にやって来て泊まらせろと言う図々しい私を、よくぞ歓迎してくれたものだ。
    〈写真 手作りした庭〉

  •  一家の仕事は農業で、小さいながら清潔な家の裏には庭が広がり、ブタ・ヤギ・ニワトリなどを飼い、近くに畑も持っている。そうした素朴な生活が彼らの人柄の良さにも現れており、2泊だけの滞在だったが、実はブラチスラヴァより強く印象に残っている。言葉は通じにくくても、私への気配りが「まごころ」として感じられたのだ。<br />〈写真 家畜を飼う庭で〉

    イチオシ

     一家の仕事は農業で、小さいながら清潔な家の裏には庭が広がり、ブタ・ヤギ・ニワトリなどを飼い、近くに畑も持っている。そうした素朴な生活が彼らの人柄の良さにも現れており、2泊だけの滞在だったが、実はブラチスラヴァより強く印象に残っている。言葉は通じにくくても、私への気配りが「まごころ」として感じられたのだ。
    〈写真 家畜を飼う庭で〉

  •  滞在2日目のこと、村の村長という人が訪ねてきた。「あなたはこの村に来た初めての日本人、新聞の取材を受けてほしい」とのことで、村役場に招待された。半信半疑で付いていくと、すでに新聞記者が待っており、日本とスロヴァキアの違いなどいくつかのインタビューを英語で受けた。<br />〈写真 村役場を表敬訪問〉

     滞在2日目のこと、村の村長という人が訪ねてきた。「あなたはこの村に来た初めての日本人、新聞の取材を受けてほしい」とのことで、村役場に招待された。半信半疑で付いていくと、すでに新聞記者が待っており、日本とスロヴァキアの違いなどいくつかのインタビューを英語で受けた。
    〈写真 村役場を表敬訪問〉

  •  そしてその数日後に、インタビューが新聞に掲載された。何を話したのか覚えていないし、何が書いてあるのかも定かでないが、いっぱしの名士になった気分だ。なお、この新聞は週に1回発行の地方紙で、よほど記事になることがなかったのだろう。<br />〈写真 私が掲載された新聞〉

     そしてその数日後に、インタビューが新聞に掲載された。何を話したのか覚えていないし、何が書いてあるのかも定かでないが、いっぱしの名士になった気分だ。なお、この新聞は週に1回発行の地方紙で、よほど記事になることがなかったのだろう。
    〈写真 私が掲載された新聞〉

  •  2004年の2度目の訪問の時にも村役場におじゃまをした。前回、村についての本や記念の壺をいただいたので、日本的なお土産をお返しし、相変わらず巨漢の村長と、スロヴァキアの変化について話した。いま調べると、セメロヴォ村の人口は1250とあり、それほど小さい村なら、本当に私が初めての日本人だったこともあり得ると思う。<br />〈写真 再度村長に会う〉

     2004年の2度目の訪問の時にも村役場におじゃまをした。前回、村についての本や記念の壺をいただいたので、日本的なお土産をお返しし、相変わらず巨漢の村長と、スロヴァキアの変化について話した。いま調べると、セメロヴォ村の人口は1250とあり、それほど小さい村なら、本当に私が初めての日本人だったこともあり得ると思う。
    〈写真 再度村長に会う〉

  •  2度目の訪問のとき、パパが「ハンガリーに行くぞ」と誘った。着いた翌日だったことを思えば、はじめから計画していたのだろう。地図を見れば、ハンガリー国境まで40キロほどで、セロメヴォはブラチスラヴァにもブタペストにも、ほぼ等距離にある。1時間ほど車に乗り、シュトゥロヴォという街に着いた。ここで国境を越えられるという。<br />〈写真 ドナウ川をはさんで対岸はハンガリー〉

     2度目の訪問のとき、パパが「ハンガリーに行くぞ」と誘った。着いた翌日だったことを思えば、はじめから計画していたのだろう。地図を見れば、ハンガリー国境まで40キロほどで、セロメヴォはブラチスラヴァにもブタペストにも、ほぼ等距離にある。1時間ほど車に乗り、シュトゥロヴォという街に着いた。ここで国境を越えられるという。
    〈写真 ドナウ川をはさんで対岸はハンガリー〉

  •  ドナウ川を渡る橋が国境だが、この時すでにハンガリーもEUに加盟しており、出国と入国はいとも簡単だった。2001年の時点では、そうはいかなかったどころか、橋そのものが2001年に作られたらしい。それでも橋を渡っただけで、スラヴ系のスロヴァキア語から全く別系統のハンガリー語にがらりと変わるのが不思議である。<br />〈写真 ドナウ川をはさんで右がスロヴァキア、左がハンガリー〉

     ドナウ川を渡る橋が国境だが、この時すでにハンガリーもEUに加盟しており、出国と入国はいとも簡単だった。2001年の時点では、そうはいかなかったどころか、橋そのものが2001年に作られたらしい。それでも橋を渡っただけで、スラヴ系のスロヴァキア語から全く別系統のハンガリー語にがらりと変わるのが不思議である。
    〈写真 ドナウ川をはさんで右がスロヴァキア、左がハンガリー〉

  •  そして、セメロヴォの家族はみんなハンガリー語を流暢に話すのであった。英語も不自由な田舎の人と思っていたが、立派に国際的な人たちである。もしかしたらハンガリー系スロヴァキア人かとも思うし、そもそもこのあたりは言語も文化も人も入り交じっているのだろう。<br />〈写真 対岸はハンガリーのエステルゴム〉

     そして、セメロヴォの家族はみんなハンガリー語を流暢に話すのであった。英語も不自由な田舎の人と思っていたが、立派に国際的な人たちである。もしかしたらハンガリー系スロヴァキア人かとも思うし、そもそもこのあたりは言語も文化も人も入り交じっているのだろう。
    〈写真 対岸はハンガリーのエステルゴム〉

  •  橋を渡ったハンガリーの街はエステルゴムだ。この街には有名な大聖堂があり、これを私に見せようと彼らは車を駆ってきたのだ。対岸から見てもひときわ目立つ大建築で、ハンガリー・カトリックの総本山のバシリカだという。<br />〈写真 エステルゴム大聖堂〉

     橋を渡ったハンガリーの街はエステルゴムだ。この街には有名な大聖堂があり、これを私に見せようと彼らは車を駆ってきたのだ。対岸から見てもひときわ目立つ大建築で、ハンガリー・カトリックの総本山のバシリカだという。
    〈写真 エステルゴム大聖堂〉

    エステルゴム大聖堂 寺院・教会

  •  内部も広く天井が高くて、見上げると別世界に引き込まれそうだ。数々の宗教画に囲まれた礼拝堂は荘厳かつ静謐な雰囲気で、思わず頭を垂れたくなる。思いがけず入国したハンガリーで、全く知らなかった華麗な建物が見られ、旅行の醍醐味を味わえた体験だった。<br />〈写真 エステルゴム大聖堂内部〉

    イチオシ

     内部も広く天井が高くて、見上げると別世界に引き込まれそうだ。数々の宗教画に囲まれた礼拝堂は荘厳かつ静謐な雰囲気で、思わず頭を垂れたくなる。思いがけず入国したハンガリーで、全く知らなかった華麗な建物が見られ、旅行の醍醐味を味わえた体験だった。
    〈写真 エステルゴム大聖堂内部〉

  •  なお、エステルゴムへの道は全くの平原で、ほぼ一面トウモロコシ畑だった。後にこの国を回って分かったのだが、スロヴァキアの中で平原が広がるのは、ハンガリーに続くこの南部一帯だけだ。素朴な穀倉地帯なのである。<br />〈写真 エステルゴムへ向かう車窓から〉

     なお、エステルゴムへの道は全くの平原で、ほぼ一面トウモロコシ畑だった。後にこの国を回って分かったのだが、スロヴァキアの中で平原が広がるのは、ハンガリーに続くこの南部一帯だけだ。素朴な穀倉地帯なのである。
    〈写真 エステルゴムへ向かう車窓から〉

  •  1度目の訪問の最終日には、レストランで食事会まで開いてもらった。暗くなってから車に分乗し、かなりの距離を走った記憶がある。草原の中の小さな村にあるレストランだったが、そこに家族や近所の人たちなど、数日間で私が知り合った人が集まった。<br />〈写真 さよならの食事会〉

     1度目の訪問の最終日には、レストランで食事会まで開いてもらった。暗くなってから車に分乗し、かなりの距離を走った記憶がある。草原の中の小さな村にあるレストランだったが、そこに家族や近所の人たちなど、数日間で私が知り合った人が集まった。
    〈写真 さよならの食事会〉

  •  格式のありそうな店で、かなり高いと思うのだが、ワインや「ボロヴィチカ」という地元の酒を私と酌み交わしたパパは気が大きくなって、お金を受け取らない。「せめて割り勘にしましょう」と私は言いたいのだが、言葉が通じず、結局彼がすべて払ってしまった。<br />〈写真 食事後の一服〉

     格式のありそうな店で、かなり高いと思うのだが、ワインや「ボロヴィチカ」という地元の酒を私と酌み交わしたパパは気が大きくなって、お金を受け取らない。「せめて割り勘にしましょう」と私は言いたいのだが、言葉が通じず、結局彼がすべて払ってしまった。
    〈写真 食事後の一服〉

  •  完全にお世話になりっぱなしのまま、彼らの「まごころ」を胸にセメロヴォを後にした。ノヴェ・ザームキ駅まで見送ってくれたパパとママに「また来るから」と約束した通り、3年後に再訪することになる。<br />〈写真 ノヴェ・ザームキ駅で〉

     完全にお世話になりっぱなしのまま、彼らの「まごころ」を胸にセメロヴォを後にした。ノヴェ・ザームキ駅まで見送ってくれたパパとママに「また来るから」と約束した通り、3年後に再訪することになる。
    〈写真 ノヴェ・ザームキ駅で〉

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