2013/05/27 - 2013/05/27
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KawakamiKenさん
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ブダ王宮に行ってきました。
現在の「ブダ王宮」は「19世紀半」に修復されたものです。
「衛兵」による「衛兵交代式」を見ることができました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
-
バスで到着。
「スィーンハーズ通り」 を歩きます。 -
「Nemzeti・Tancszinhaz」 と書かれてます。
「グーグル」 で訳すと 「国立ダンス」 となりました。
もしかしたら 「王宮劇場」 かもしれません。 -
その隣には 「サンダーパレス」 の 「側面?」 です。
「ハンガリー」 の 「大統領官邸」 の模様。 -
「サンダーパレス(大統領官邸)」 には 「衛兵」 が立ってます。
-
「ハンガリー国防軍」 は 「海軍」 がないようです。
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「国防省」 は 「文民統制」 により維持されています(ウィキ)。
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こちらも 「正面?」 の 「サンダーパレス(大統領官邸)」 です。
-
「衛兵」 が立ってます。
-
「ハンガリー国防軍」 の 「主力戦車」 は 「T-72」 です。
「T-72」 は 「1971年」 に 「ソ連」 が開発した戦車です。
現在は 「T-95(開発断念?)」 まで発表されています。 -
「ブタペスト」 の街を一望できます。
-
手前が 「ケーブルカー」 、
橋が 「セーチェーニ鎖橋」 、
その奥が 「イシュトハーン大聖堂」
です。
登った所に、
「サンダーパレス(大統領官邸)」
がありました。 -
「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」 として 「世界遺産」 に登録されてます。
-
何か始まりました。
恐らく 「交代式」 でしょうか。
ツアー参加なので時間に合わせてくれてます。 -
「ハンガリー」 は 「NATO(北大西洋条約機構)」 の加盟しています。
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設立当初の 「NATO」 は、
「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む」
(=反共主義と封じ込め)
が目的でした。 -
「冷戦終結後」 は、
「脅威対象」 として 「周辺地域における紛争」 と
「域外地域における紛争予防及び危機管理」
となりました。 -
「サンダーパレス」 の 「側面?」 でも始まりました。
-
「NATO」 が 「介入した紛争」 は、
「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年)」、
「コソボ紛争(1996年)」、
「アフガニスタン紛争 (2001年)」、
「リビア内戦(2011年)」
だそうです。 -
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「クラッシクカ―」 の展示に関する 「宣伝」 だったような・・・
-
その 「宣伝チラシ」 をくれました。
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「ブダ王宮」 です。
「ドナウ川」 の 「ペスト地区(東岸)」 から写しました。
手前は 「セーチェーニ鎖橋」 です。 -
「王宮の丘」 に建っています。
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午後の 「自由時間(フリータイム)」 に 「再訪問」 しました。
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「セーチェーニ鎖橋」 を渡った 「ブダ側」 の 「クラーク・アーダーム広場」 です。
「偶然」 に 「キロポスト(距離標)」 が写っていました。
正面の 「白い石碑」 で 「0の形」 をしています。 -
「キロポスト(距離標)」 は、
「道路の起点からの距離」 を表した標識です。
ここが 「0km」 の地点となります。
「ブダペスト」 から 「何km」 というやつです。 -
「ブダ・キャッスル・トンネル」 の出入口です。
-
「ブダ王宮」 の 「城壁」 です。
-
「1880年」 と書かれてます。
「1880年」 に何が起こったかわかりません。
「城壁」 が 「修復時」 を意味しているんでしょうか? -
「ケーブル」 の入口です。
-
全長 「95m」 の 「レール」 です。
-
「乗車チケット」 が 「片道」 で 「1000フォリント(460円)」 。
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記念にと思い乗ったけど、「460円」 は高い!!
「為替手数料」 を入れると 「500円」 を超えてるんじゃないかな・・・
今夜、「飲むビール」 が減るじゃないか! -
「約100年前」 にできたと言われています。
現在は、「1986年」 に再建されたものです。 -
「王宮の丘(標高60m)」 まで 「2分程」 で登ります。
「3ボックス」 あります。
恐らく 「8人」 × 「3」 で 「24人乗り」 のケーブルです。 -
「ケーブル」 で登ると 「サンダーパレス(大統領官邸)」 及び 「ブダ王宮の門」 に着くこととなります。
-
ここからは 「ブダ王宮」 です。
建物に入らない限り 「無料」 で観光できます。 -
「ブダ王宮」 は、かつての 「ブダ城」 でした。
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現在は 「国立美術館」、「歴史博物館」、「軍事歴史博物館」 にもなっています。
入りたかったのですが 「ツアー」 のため 「時間」 がありません。 -
「ブダペスト周辺」 の集落は 「ケルト人」 により 「1世紀」 に形成されました。
「ブダペスト」 の歴史の始まりは、「ローマ人」 により占められ 「ローマ帝国」 の 「古代都市アクインクム」 としてです。
「ローマ時代」 には 「ブダペスト」 は 「古代都市アクインクム」 という名で呼ばれていました。
「工事中」 の街では 「ローマ遺跡」 が出てくるようです。 -
「ローマ帝国」 の力が衰えてくると 「ブルガリア」 に占領された時期もありました。
この頃には 「ブダ地区」 と 「ペスト地区」 の2つの河岸には 「要塞」 があったようです(ブダ城かは不明)。 -
「9世紀」 には 「アールパード」 に率いられた 「マジャル人」 が 「ブダペスト周辺(ハンガリー平原)」 に移動し 「定住」 します。
-
「マジャル人」 とは、
「移動前」は 「ウラル山脈の草原」 で 「遊牧」 を営んでいた民族です。
「9世紀」 に 「欧州」 へ移住を開始します。
「マジャル人」 の 「総人口」 は 「約1450万人」 います。
うち、「約950万人」 は 「ハンガリー」 に定住しています。
残りの 「500万人」 は 「トリアノン条約(第一次世界大戦)」 による 「領土分割」 の結果、ハンガリー周辺諸国の 「少数民族」 となっているようです。
(ウィキペディア) -
「1000年頃」 には 「イシュトヴァーン1世」 の即位によって 「ハンガリー王国(アールパード朝)」 が興ります。
「イシュトヴァーン1世」 が 「ローマ教皇」 より 「戴冠」 を受けることによって成立したようです。 -
写真は 「サヴォイ(オイゲン)公像」 です。
「オイゲン・フォン・ザヴォイエン」 は 「オーストリア(ハプスブルク家)」 に仕えた 「軍人」 です。
生まれも育ちも 「フランス」 の 「フランス人」 のようです。
「オスマン帝国」 との 「大トルコ戦争」 で 「ハンガリー戦線」 にて活躍した模様。 -
「12世紀〜13世紀」 にかけて 「最大領域(大ハンガリー)」 となり、「スロバキア、クロアチア、スラヴォニア、ヴォイヴォディナ、トランシルヴァニア」 を領有します。
-
「13世紀中頃」 には 「モンゴル帝国」 の襲来を受けます。
「モヒの戦い」 です。 -
「モヒの戦い」 は、
「1241年4月11日」 に、
「モヒ平原(サヨ川とヘルナッド川の合流地点)」 で、
「モンゴル帝国軍(バトゥ)」 の 「約1万」 と
「ハンガリー軍(ベーラ4世)」 を中心とした 「約1万1千」
との戦いです。
(ウィキペディア) -
「モヒの戦い」 は、
「モンゴル帝国軍」 の 「圧勝」
でした。
「モンゴル軍」 の
「投石機(カタパルト)と弓矢」 と 「騎馬隊」
が戦闘を有利に導きました。 -
「モンゴル帝国軍」 によって 「ハンガリー軍」 は 「壊滅的打撃」 を受けます。
「ベーラ4世」 は、かろうじて逃げ延びました。
写真は彫刻の施された 「噴水」 です。 -
しかし、「翌年1242年」 に
「オゴデイ(モンゴル帝国の君主)」 の死により
「モンゴル帝国軍(バトゥ)」 は 「帰還命令」 を受けることとなり、
「ハンガリー」 は 「放棄」 されます。
「モンゴル帝国軍」 は 「ハンガリー」 から去って(撤退)いきました。 -
この 「ブダ城」 も 「モンゴル軍」 の襲来で大きく破壊されました。
「モンゴル帝国軍」の撤退後、「ベーラ4世」 は
「木造城壁」 だった 「ブダ城」 を 「石造」 で再建しました。
「ベーラ4世」 の 「王宮」 も 「ブダ城」 に構えました。 -
「1396年」 には 「オスマン帝国」 と 「ニコポリスの戦い」 が起こります。
「神聖ローマ皇帝」 でもあった 「ハンガリー王ジギスムント(十字軍)」 が、
「オスマン帝国」 の 「バヤズィト1世」 との戦いです。
「ブダペスト」 で 「ハンガリー王ジギスムント」 と 「十字軍」 が合流。
※ 「ニコポリス(ニコポル)」は「ブルガリア北部」の町です。 -
「ニコポリスの戦い」 は、
「オスマン帝国」 の 「圧勝」
でした。
この大敗によって 「ジギスムント」 の威信は地に堕ち、
「諸侯の離反」 も相次ぐこととなります。
(ウィキペディア) -
「1526年」 には 「オスマン帝国」 と 「モハーチの戦い」 が起こります。
「ハンガリー王国(ラヨシュ2世)軍」 と 「オスマン帝国軍(スレイマン1世)」 との戦いです。
写真は 「ライオンの門」 です。 -
「ハンガリー国王」 の 「ラヨシュ2世」 が戦死するなど、
「オスマン帝国軍(スレイマン1世)」 が勝利します。
「スレイマン1世」 は 「ブダ(ブダペスト)」 に進駐し帰国しました。 -
「ハンガリー王国」 の領土は、大部分を 「オスマン帝国」 に奪われました。
以後 「オスマン帝国領ハンガリー」 として 「140年以上」 にわたり支配を受けました。
写真は 「ライオンの中庭」 です。 -
「オスマン帝国」 の 「進駐」 する中、
「ハンガリー王位」 を巡り、
「ハプスブルク家」 と
「ハンガリー貴族」 の 「サポヤイ・ヤーノシュ」
が争うこととなります。 -
その争いによって 「ハンガリー王冠」 は 「ハプスブルク家」 によって所有されることとなりました。
-
「1699年」 に 「オスマン帝国」 との間で 「カルロヴィッツ条約」 が結ばれます。
この条約により 「オスマン領ハンガリー」 及び 「トランシルヴァニア」 など大半の国土を回復します。 -
ただ、「ハンガリー王国」 といっても、 「オーストリア」 の 「ハプスブルク家」 に支配されてました。
「1864年」 には 「ハンガリー人」 と 「オーストリア人」 との妥協で、「オーストリア=ハンガリー二重帝国」 が成立しました。
「一部の権限(外交等)」 を除いて 「ハンガリー」 は 「政府」 をもてたようです。 -
「オーストリア=ハンガリー二重帝国」 は 「第一次世界大戦」 で敗戦し、
「トリアノン条約」 により 「面積で72%」、「人口で64%」 を失いました。
「1918年」 に 「ハンガリー民主共和国」 が成立します。
ここで一旦、「ハンガリー王国」 は消滅します。 -
翌年の 「1919年」 には 「ハンガリー社会主義連邦評議会共和国」 が成立。
その翌年の 「1920年」 には 「ハンガリー王国」 が 「1946年」 まで成立。
写真は、「ブタ王宮」 から 「西側」 の眺めです。 -
「第二次世界大戦」 では 「枢軸軍(ドイツ軍)」 側に立ち参戦。
「敗戦国」 となり、「1949年」 からは 「ハンガリー人民共和国」 となります。
「1989年」 からは 「ハンガリー第三共和国」 となり 「現在」 に至ってます。 -
現在の 「ブダ王宮」 は、「19世紀半」 に修復されたものです。
-
「マーチャーシュ聖堂」 へ向かいます。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- takayuki132さん 2013/10/31 08:54:00
- ブダペスト素敵ですね
- 川上犬様
takayuki132です。
ブダペストの旅素敵ですね。
鎖橋の写真等拝見した時に、私も再訪したくなりました。
旅行記の中で王宮へ続くケーブルカーのところ
私も高いと思い、トンネル右(北側)の遊歩道みたいな
ところを20分ぐらいかけて歩いた記憶があります
漁夫の砦から見る国会議事堂や街並みは
本当にきれいですよね。
写真も本当に上手に撮影されていて
私も行った時の記憶と整合しながら楽しませて
いただいております。
また、拝見させていただきます
以上
- KawakamiKenさん からの返信 2013/10/31 09:32:53
- おはようございます。
- takayuki132さま。
いつも拝見してい頂いてありがとうございます。
ブダペストがこれほど素敵な都市と思いませんでした。
国会議事堂に入れなかったのが心残りです。
雰囲気もすごく良く私も時間をたっぷりとって再訪しようと思いました。
これからも宜しくお願いします。
川上犬。
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