2013/09/21 - 2013/09/21
388位(同エリア760件中)
たーさん
大相撲の九月場所と両国を散策してきました。
旅行記の3は江戸東京博物館です。
★散歩ルート
両国駅→国技館(チケット購入)→蔵前橋→国技館(午前中観戦)→ちゃんこ巴潟(ちゃんこ鍋)→両国国技堂(あんこあられ)→回向院→勝海舟生誕の地→吉良邸跡→とし田(力士もなか)→国技館(午後観戦)→江戸東京博物館(特別展示:オリンピックがやってくる)
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大相撲を見た後は隣にある江戸東京博物館へ行きました。通常17:30までですが、土曜日は19:30までで、夏の間の土曜日は21:00まで延長しています。この日は土曜日だったので21:00まで営業していました。再入場も当日に限り何回でもできるようなのでお昼なども時間があれば見ようと思っていましたが、時間がありませんでした。
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・入館料(常設展のみ) 600円
常設展と特別展がありますが、今回の特別展にはあまり興味がなかったので常設展のみにしました。ビルの1階にあった巨大な熊手。荷物があればコインロッカーもあります。使用時に100円必要ですが、使用後に返却されます。 -
「日本橋」
6Fの入口をはいると巨大な日本橋がかかっています。常設展だけでもかなり広くて2時間位は必要と感じました。 -
「朝野新聞社」
日本橋から下を見ると大きな建物が見えます。銀座にあった新聞社で実寸大の大きさです。現在は和光になっています。人がいないので大きさがわかりづらいですが、ミニチュアではなく見えている人力車に人が乗れる大きさです。 -
橋から見える建物
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「芝居小屋・中村座」
江戸堺町(現・中央区日本橋人形町三丁目)にあった歌舞伎の芝居小屋・中村座の正面部分を、原寸大(間口11間(約20m)・奥行3間(約5.5m))で復元した。中村座は幕府に興行を許可された江戸三座のひとつで、他には市村座および森田座が存在した。
手前に人が写っているので大きさがわかると思います。 -
「芝居小屋・中村座」
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奥に人が見えます。
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日本橋を渡ると江戸ゾーンの「江戸城と町割り」の展示です。時間が遅いせいか人も少なくて見やすかったです。
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「寛永の大名屋敷」
寛永期における松平忠昌邸を1/30模型として復元しています。 -
「寛永の大名屋敷」
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「寛永の大名屋敷」
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「寛永の大名屋敷」
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「寛永の町人地」
江戸初期の日本橋北詰付近の町人地を復元した。縮尺は「寛永の大名屋敷」松平忠昌の上屋敷と同様に1/30とし、同邸とほぼ同じ面積を復元しています。 -
「寛永の町人地」
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「寛永の町人地」
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「寛永の町人地」
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「寛永の町人地」
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「寛永の町人地」
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「大名の駕籠(かご)」
実際に乗れます。 -
「六助の舞台」
エレベーターで5階におりました。5階は江戸ゾーンと東京ゾーンがあり、先に江戸ゾーンを見ました。 -
「芝居小屋の内部」
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「芝居小屋の内部」
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「芝居小屋の内部」
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「両国橋西詰」
両国という地域は、浅草と一、二を争うほどの賑わいをみせた江戸有数の盛り場であった。明暦の大火後、本所深川の開発を目的として両国橋が架けられ、東西の橋詰に火除けの明き地として広小路が整備されると、往来のはげしい場所であることもあって、じきに盛り場として発展していった。
この模型は、天保の改革の取締りの記録をもとにして、改革前の両国橋西詰の盛り場の様子を1,500体の人形を配置して再現したものです。
15分ごとに映像が流れます。 -
「両国橋西詰」
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「両国橋西詰」
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「両国橋西詰」
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「両国橋西詰」
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「三井越後屋江戸本店」
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「三井越後屋江戸本店」
江戸市中には様々な商いをする店が並んでいた。特に、日本橋を挟んだ南北の大通り沿いには大店が軒を連ねており、その様子は錦絵などにも多数描かれ、当時の町並みを教えてくれる。なかでも日本橋の北詰近くにあり、駿河町の道を挟んで向かい合った店舗を有していた呉服店「三井越後屋」は商家の代表格であろう。 -
「三井越後屋江戸本店」
15分に1回ずつ暖簾が地面からせり上がることで、暖簾がかかった状態を見ることができるようになっています。 -
「三井越後屋江戸本店」
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「三井越後屋江戸本店」
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「三井越後屋江戸本店」
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「三井越後屋江戸本店」
暖簾があがった状態 -
「三井越後屋江戸本店」
暖簾がさがった状態 -
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鹿鳴館の模型
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「神田明神山車」
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「神田明神山車」
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5階から見た日本橋
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「朝野新聞社」
1872年(明治5)の「東京日日新聞」を皮切りに、次々と新聞が創刊され、東京の近代ジャーナリズムが開幕した。「朝野新聞」は、1874年(明治7)に創刊され、社長の成島柳北、主筆の末広鉄腸らが新政府を辛辣に批評し、人気を博した。東京では1887年(明治20)までに150紙にのぼる新聞が発行されたが、それらが竣工したばかりの銀座煉瓦街に集まり、銀座はジャーナリズムの中心地となっていった。
江戸東京博物館では、この頃の銀座煉瓦街における代表的な建物である朝野新聞社の社屋を実物大で復元している。模型の復元年代は明治10年代であるが、当時、とりわけ銀座4丁目の交差点には、「朝野新聞」「曙新聞」「東京横浜毎日新聞」という代表的な政論新聞が社屋を構え、自由民権運動の高揚にともなって、互いに論陣を張っていた。なお、朝野新聞社の社屋は後に改築されて服部時計店となり、現在は和光となっている。 -
「朝野新聞社」
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「朝野新聞社」
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「リンタク」
戦後のガソリン不足の頃、都会の乗り物とし流行しました。昭和63年ごろまで皇居の周辺を走っていました。 -
「ダルマ自転車」
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むかしの暮らしを体験できる体験コーナーです。
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「鹿鳴館」
鹿鳴館は、英国人技師ジョサイア・コンドルの設計によるもので、1883年(明治16)11月、欧化政策のシンボルとして、現在の日比谷の一角に落成した。模型の復元年代は1885年(明治18)11月、天長節の夜会を設定している。フランス瓦で葺いたマンサード屋根、アーチの連続するファサードなど、ヨーロッパの建築様式が見られる。ただし、2階の両翼に設けられたベランダには、徳利状の独立柱、手摺りに施された透かし彫りなど、イスラム建築の影響が見られ、この非ヨーロッパ的な装飾も鹿鳴館の欠かすことのできない特徴といえる。 -
「鹿鳴館」
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「鹿鳴館」
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「鹿鳴館」
15分毎位に屋根が後ろにスライドして舞踏会の様子が上から見れます。係りの人が説明してくれます。 -
「ニコライ堂」
現在の建物が残っているニコライ堂の模型です。ジョサイア・コンドルの設計です。 -
「ニコライ堂」
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「ニコライ堂」
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「ニコライ堂」
鹿鳴館の後はニコライ堂の横が開き中の様子が見れます。 -
「銀座煉瓦街」
現在の銀座4丁目の交差点を中心とした明治の銀座煉瓦街の復元模型である。
銀座煉瓦街は、1872年(明治5)2月の築地一帯を焼き尽くした大火の後、近代国家にふさわしい街づくりとして、明治新政府によって計画、建設された。その目的は、新橋ステーションから築地居留地や諸官庁を結ぶ銀座地域に、煉瓦造りの耐火建築を施し、道路を拡張・改良することにあった。設計はイギリス人のウォートルス、建設は大蔵省建設局が担当し、翌年に完成した。しかし竣工当初は、高額な家賃のため入居を希望する者が少なく空き家が目立った。やがて、朝野新聞や曙新聞などの新聞社が次々に社屋を構えるようになり、銀座はジャーナリズムの中心地となっていった。 -
「銀座煉瓦街」
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「銀座煉瓦街」
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「銀座煉瓦街」
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「銀座煉瓦街」
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「銀座煉瓦街」
人などはあまり動きませんがスポットライトがあたったり当時の様子の説明があります。 -
「銀座煉瓦街」
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「第一国立銀行」
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「第一国立銀行」
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「日本で最初の電話ボックス」
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「日本で最初の電話ボックス」
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「電気館」
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「電気館」
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「電気館」
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「凌雲閣(十二階)」
「十二階」の名で親しまれた凌雲閣は、英国人の技師ウィリアム・K・バルトンの設計による展望塔で、1890年(明治23)浅草公園六区の北側に落成した。東京の名所を撮影した写真や絵葉書にも登場し、関東大震災で倒壊するまで浅草のシンボルとして多くの人々でにぎわった。
塔の高さには諸説あるが、開業当時は220尺(約67m)と報じられた。10階までは八角形の総煉瓦造り、11・12階は木造で、頂上には避雷針が立てられ、11階部分には2基のアーク灯が取り付けられていた。内部には演芸場や世界各国の産物を売る店、美術陳列場などがあり、11・12階の展望所には眺望を楽しむための望遠鏡が備えられた。凌雲閣に登った観客は、東京市街のパノラマだけでなく、陳列された珍しい品々を眺めて、日本各地、世界各国を巡るような楽しさを味わった。
凌雲閣の呼び物の一つに日本初のエレベーターがあった。エレベーターは開業時には1階から8階までを運転していたが、故障が頻発したために半年で中止され、再開されたのは1914年(大正3)のことだった。
凌雲閣は、1923年(大正12)の関東大震災で8階部分から折れて炎上し、2次被害を防ぐため、残りの残骸部も爆破された。 -
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「花やしきのチラシ」
浅草の花やしきで行われていた興行のチラシ -
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ガソリン給油器
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「下町の庶民住宅」
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「下町の庶民住宅」
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「和洋折衷住宅」
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「和洋折衷住宅」
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「戦時下の住まい」
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「ダットサン・トラック G222型」
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「軽自動車 スバル360」
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「軽自動車 スバル360」
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「昭和30年代の企業キャラクター」
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2013年9月20日に2020年オリンピックが東京に決まりました。そのため9月14日(土)〜10月20日(日)まで第2企画展示室でオリンピックがやってくるという企画展をやっていました。常設展料金のみで見られます。
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今からおよそ50年前に東京で行われた第18回大会の展示が行われています。
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「会報オリンピック」
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「聖火ランナー用ランニング」
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「東京オリンピック日本代表選手公式ブレザー」
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「東京オリンピック日本代表選手公式ブレザー」
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「東京オリンピック日本代表選手公式ブレザー 紙箱」
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「東京オリンピック・パラリンピック招致公式ポスター アスリート」
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2020年のオリンピックが東京に決まったことを伝える号外の新聞
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1階のミュージアムショップ
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江戸東京博物館はかなり見ごたえがあったので2時間位は見たほうがよさそうです。これに特別展も見たりすると3時間くらい必要かもしれません。中秋の名月から2日たちましたが月が綺麗に見えました。
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★おまけ
2013年9月19日2013年の中秋の名月(十五夜)です。中秋の名月は9月にある満月の日と思ってましたがそうではないそうです。中秋の名月の当日に満月が見られるのは今年を逃すと次は2021年になるそうです。今年は天気もよく綺麗に満月が見れました。次に見れるのはオリンピック後です。
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