2007/11/29 - 2007/12/06
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ペコちゃんさん
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第3編はポルトガルです。
ポルトガルはユーラシア大陸最西端の国家であり、かつてはヨーロッパ主導の大航海時代の先駆者ともなりました。
そのため、ヨーロッパで最初に海路で中国や日本など東アジアとの接触を持った国でもあります。
面積は、韓国・ハンガリーや日本でいえば北海道+四国より少し狭い国で、人口は1,068万人です。
古代から中世にかけては、イベリア半島全体が同じような歴史や戦争の状況でしたが、1096年に領土を分割し、現在のポルトガルの原型が生まれました。
その後、エンリケ航海王子(1394~1460)の時に海外進出が本格化し、大航海時代が始まりました。
ポルトガルの探検家は、モロッコや西アフリカの沿岸部を攻略しながらアフリカ大陸を西回りに南下し、アフリカ大陸南端の喜望峰を回り、東進は更に進み、1498年にはヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達しています。
また、1500年にブラジルを「発見」し、ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化が進みました。
16世紀初めには東南アジアへ進出し、1543年、種子島へポルトガル商人が漂着して鉄砲が伝来し、1549年にはフランシスコ・ザビエルが日本を訪れてキリスト教布教活動を始め、その後、織田信長らの庇護のもと両国間で南蛮貿易を開始しています。
このようなことから、合羽・金平糖・天ぷら・びーどろ・カステラ等々、ポルトガルから来た言葉が、今でも日本語で使われています。
日本と、直接交渉を最初に持ったヨーロッパの国家であるポルトガルは、一度訪れてみたい国でした。
写真は、リスボンのジェロニモス修道院です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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セビリアから国境を越えて、4時間半でポルトガル最初の街「エヴォラ」に到着。
スペイン国境に近いエヴォラは人口が57千人で、ローマ帝国時代からこの地方の中心地として栄え、ルネサンスの時代には大学も置かれた学芸の都でもあります。
1584年には、伊東マンショらの天正遣欧少年使節も立ち寄りました。
トイレ・ストップで利用したトイレの屋根の上には、放し飼いの孔雀が・・・ -
エヴォラの旧市街は、1986年に「エヴォラ歴史地区」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
これは、16世紀初期に建てられた「サン・フランシスコ教会」。 -
主祭壇は18世紀に大理石で造られたもの。
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アズレージョに囲まれた礼拝堂。
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ポルトガル独特のタイル・青いアズレージョで彩られた、美しい部屋。
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パイプオルガン。
教会に隣接する人骨堂は、壁面が5000体もの人骨で埋め尽くされているそうですが、気味が悪いので私たちはパス・・・16世紀にフランシスコ会の修道士によって造られた瞑想の場だそうです。 -
旧市街の先に見えるのは「エヴォラ大聖堂」。
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最初の建物は1184年から1204年にかけ建てられ、その後の増改築により、現在の大聖堂になりました。
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バロックの礼拝堂を背景にした、本堂。
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1584年9月にここを訪れた天正遺欧少年使節団は、大司教に歓待されてこの町に1週間ほど滞在・・・伊東マンショと千々石ミゲルの2人は、このパイプオルガンを演奏したといいます。
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「ディアナ神殿」・・・2世紀末に造られたローマ時代のディアナ神殿の遺跡には、14本のコリント式円柱が残っています。
「ディアナ」とは「月の女神」の事で、ここは彼女に捧げられた神殿・・・イベリア半島に現在残っているローマ神殿の中では、一番保存状態が良好です。 -
ジラルド広場とカテドラルとを結ぶ「10月5日通り」・・・この道は、この町のメインストリートの一つと成っており、道の両側にはホテルやレストラン、カフェ、お土産屋などの商店が並んでおります。
12月なので、通りにはクリスマス・イルミネーションが飾られています。 -
ポルトガル特産のコルクの土産・・・コルクガシの樹皮から作るコルクは、ワインボトルの栓だけでなく、弾力性を活かしていろんなものに加工されています。
ポルトガルは全世界の生産量の約52%、次いでスペインが29.5%と、イベリア半島の両国で8割以上を占めています。 -
夕暮れの「ジラルド広場」・・・ジラルド広場はこの町の中心となる広場で、1165年にイスラム勢力を追放した英雄・ジラルドを記念して、この名前が付けられました。
スペインと同様、イスラムに支配されたポルトガルは、13世紀中頃にはイスラム勢力を駆逐し、レコンキスタが完了しました。 -
広場の噴水は憩いの場所。
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エヴォラ観光の後、2時間ほどでリスボンに到着し、このレストランで夕食。
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メニューは、ポルトガル名物のイワシのグリル。
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<6日目>
リスボンのマリオットに連泊です。
リスボンの人口は54万人・・・起伏に富んだ丘陵地帯に広がるリスボンは「7つの丘の街」とも呼ばれ、市街地には坂や階段、複雑な路地などが数多く存在するため、街には路面電車やケーブルカーが所狭しと走っています。 -
朝食も、Good!
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リスボンの観光に出かける途中、車窓から見えた「アグアス・リブレス水道橋」・・・これはローマ時代のものではなく、18世紀のジョアン5世治世下に20年かけて建設された、世界で最も高い石造りのアーチだそうです。
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観光スポットの駐車場の近くにある複葉水上飛行機のレプリカ・・・これは、飛行機による大西洋横断の記念の像です。
1922年に2人のポルトガル人パイロットが、ポルトガルからブラジルまでの南大西洋横断飛行に成功しました。
3月30日にリスボンを出発してから、6月5日に最終目的地のリオデジャネイロに到着し、7500kmを80日間で飛行したそうです。
リンドバーグの北大西洋横断飛行より5年も前の事です。 -
「ベレンの塔」・・・1515~21年に、ヴァスコ・ダ・ガマの世界一周の偉業を記念してマヌエル1世によって作られました。
テージョ川の船の出入りを監視するのが目的の要塞で、1階は満潮時には水に浸される牢獄となっており、2階には大砲が設置され、3階以上は王族の居室になっています。 -
ベレンの塔の近くにあるテージョ川のヨット・ハーバー。
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「発見のモニュメント」・・・52mの高さのコンクリート製で、ポルトガルで開催された1940年の国際博覧会の象徴として制作されましたが、最初に作られた記念碑はもろい素材で制作されたため、エンリケ航海王子没後500年の記念行事として1960年にコンクリートで再度制作されました。
正面から見ると十字架の形をしており、横から見ると、船の舳先に見えます。 -
塔の彫像群の先頭に立つのは、大航海時代にポルトガルを先導したエンリケ航海王子で、当時の探検家・芸術家・科学者・地図制作者・宣教師らなど、総勢33名のポルトガル人が船の左右に並んでいます。
3人目はインド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマ、手に輪の様なものを持っている5人目が世界一周のマゼランで、右から2番目がフランシスコ・ザビエルです。 -
「発見のモニュメント」の手前の石畳には、1960年に南アフリカ共和国から贈呈された大きな世界地図のモザイク画があり、ポルトガルが世界各地を発見した年が記されています。
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もちろん、日本も描かれていて、ポルトガル人が種子島に漂着した1543年ではなく、ポルトガル船が豊後に漂着した「1541」と記されています・・・でも、何だか変な形の日本です。
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バルトロメウ・ディアスが、アフリカ大陸南端の喜望峰に到達したのは、1488年。
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発見のモニュメントを後にし、パステル・デ・ナタ(リスボン銘菓エッグタルト)の元祖のお店「パステイス・デ・ベレン」へ。
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パステル・デ・ナタは、元々はジェロニモス修道院発祥のお菓子です。
1820年の自由主義革命により修道院が閉鎖され、多くの修道士・修道女が追放され、生きる糧として修道院から伝えられたレシピでお菓子を売り出したところ、大評判となり、1837年にパステイス・デ・ベレンを創業しました。
今でも昔からのレシピを守っているのだとか。 -
ポルトガルのスイーツといえば、円形のパイ生地にカスタードクリームがたっぷり詰まったエッグタルト・・・その中でも「パスティス・デ・ベレン」のエッグタルトは、秘蔵のレシピに基づいて作られる別格品。
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近くのお土産屋さんで、鶏の置物を買いました。
私は酉年生まれなので、旅行に行った時は鶏グッズをよく買います。
これは、ポルトガルの伝説にある、奇跡・幸せを運んでくれる幸福のシンボル「ガロ(雄鶏)」です。
<お話し> スペインの聖地サンチャゴ・コンポステーラに向かう巡礼が、この町を通りがかった時に無実の罪を着せられてしまいました。
巡礼は縛り首にされる事になりましたが、刑を執行される前に裁判官の家へ連れて行って欲しいと頼みました。
食事中の裁判官の家を訪れた巡礼は、テーブルの上の鶏の丸焼きを指さし、「私が無実であると言う証拠に、刑が執行される時、その雄鶏が鳴くだろう」と言いました。
果たして、その巡礼の刑がまさに執行されようとした時、こんがりと焼けた雄鶏は皿の上にすっくと立ち上がると、「コケコッコー」と高らかな雄叫びを上げたのです。
無事釈放された巡礼が再びこの町を訪れた時、聖母マリアとサンチャゴに感謝を捧げる十字架を建てたのでした。 -
路上駐車の件でしょうか、お巡りさんが若者と何か話しています。
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これから、ジェロニモス修道院の観光です。
修道院前の道路には、リスボン名物の路面電車が走っています。 -
「ジェロニモス修道院」はマヌエル様式の最高傑作ともいわれ、大航海時代の富を注ぎ込んで建築されました。
マヌエル様式とは、マヌエル1世統治期(1495~1521)に行われたゴシック建築様式で、大航海時代の繁栄を思わせる壮麗な作風が特徴です。 -
ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓とエンリケ航海王子の偉業を称え、1502年にマヌエル1世によって着工され、1511年に回廊など大部分が完成したものの、最終的な完成には300年ほどかかりました。
その建築資金は、最初バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われたそうです。 -
これは修道院の正門(南門)・・・修道院に付属する「サンタ・マリア教会」の入口です。
聖母マリアを讃える教会ですが、1584年に天正遣欧少年使節団がここを訪れ、あまりの壮麗さに驚いたそうです。 -
ファサードには、イエス・キリストを抱く聖母マリア像を中心部に、それを囲むように24人の聖人が配置されています。
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見事な彫刻が施された西門・・・ここからサンタマリア教会へ入って行きます。
上部のレリーフには、左から「受胎告知・キリストの降誕・東方三博士の来訪」の三場面が表わされており、門の左脇には祈りを捧げるマヌエル1世と守護聖人・ヒエロニムスの姿が、右脇にはマヌエル1世の後妻である王妃マリアの姿があります。 -
見学に来た子供達も、ちゃんと並んでいます。
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石造りの重厚な内部・・・ヤシの木をモチーフとした支柱が天井へと伸びています。
多分、新航路で見た南の国のヤシの印象が強かったのでしょう。 -
奥に進むと主礼拝堂があり、その後ろに5枚の飾り板・・・左上には十字架を背負うキリストの絵があり、5枚でキリストの生涯を描いているとのこと。
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ヴァスコ・ダ・ガマの石棺・・・礼拝堂の手前、左側に安置されています。
ガマは、ヨーロッパからアフリカ南岸を経て、インドへの航路をヨーロッパ人として初めて発見した人物・・・1497年、4隻の艦隊でリスボンから出発し、約10か月かけてインドに辿りつきましたが、出発時の147名のうち、帰国した者は僅か55名でした。
棺をよく見ると、真ん中に帆船、周りにはインドからもたらされたコショウの実の模様や植物が彫られています。 -
堂内には見事なステンドグラスの数々・・・
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かつて食堂だった部屋に掲げられた聖ジェロニモスの絵・・・ジェロニモス=聖ヒエロニムスは4世紀に聖書をラテン語訳した聖職者ですが、ライオンの足に刺さった棘を抜いたという伝説があり、この絵にもライオンが一緒に描かれています。
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この修道院の最大の見どころは、中庭を囲む55m四方の「回廊」・・・石灰岩の柱やアーチに細密な彫刻が施されています。
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回廊にあるライオンの噴水。
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バスの車窓からの眺め・・・これは、現在、大統領官邸として使われているベレン宮殿の門。
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テージョ川に架かる「4月25日橋」・・・リスボンとテージョ川対岸のアルマダとを結ぶ長さ2,277 mの吊り橋で、上段が6車線の道路、下段が複線の鉄道となっています。
1966年に開通し、当初は、当時のポルトガルの独裁者アントニオ・サラザールに因みサラザール橋と呼ばれていましたが、1974年4月25日のカーネーション革命の後、この名前に改称されました。 -
街路樹のジャカランダには、花が少し咲いていました。
この花は、南アフリカが有名ですが、満開の時に観たいものです。
日本にもジャカランダが咲く所があると分かり、昨年、夫と熱海まで見に行きました。
お宮の松がある海岸通りに街路樹として植えられていますが、その中の一本は、ポルトガル・カスカイス市との姉妹都市提携を記念して植えたものです。 -
「コメルシオ広場」・・・『貿易広場』という意味。
1755年11月1日、ジョゼ1世の時代にリスボン地震が起こり、津波と大火でリスボン市内の大半が瓦礫の山と化したそうです。
ジョゼ1世の宰相・ポンバル侯は、ポルトガル繁栄の時代を取り戻すべく積極的な都市再建を進め、この場所にあった宮殿は再建されず、広場が整備されました。
中央は、ジョゼ1世騎馬像。 -
右側の塔のような建物は、サンタ・ジュスタのエレベータ。
1902年に完成し、リフトは高さ45mで、2台のエレベータの篭は木製で、1台におよそ24人が乗れます。 -
1873年(明治6年)に開通したリスボンの路面電車・・・日本では、前年に新橋~横浜で初の鉄道が開通したばかりの頃です。
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「ポンバル侯爵広場」・・・真ん中に建つのは、ポルトガルを代表する政治家、ポンバル侯爵。
1755年の大地震のあとに行われたリスボン再建計画をはじめ、政治、経済、教育など多くの分野で改革を行い、近代ポルトガルの礎を築いた人物です。 -
「エドゥアルド7世公園」・・・1902年にイギリス王エドワード7世がリスボンを訪問したことを記念して造営されたフランス式庭園。
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ポンバル侯爵広場に隣接しています。
先ほど、バスの車窓から見たポンバル侯爵像が遠くに見えます。 -
広い公園には、こんな彫刻が幾つか置かれていました・・・これはコロンビアの芸術家フェルナンド・ボテロの作です。
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エドゥアルド7世公園に隣接したレストラン「Botequim Do Rei」で昼食。
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昼食のメニューは、タコのリゾットに、ビールはポルトガルで最も有名なブランド「SUPER BOCK」。
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” 綺麗な奥さん、もう少しリゾット如何ですか? ”
” アラ、お上手ネ! ” -
午後はフリータイムなので、オプションで「ロカ岬とシントラ観光」へ。
ここを訪れた次男からも、ロカ岬は良かったので、是非訪れるよう勧められており、また、シントラ宮殿のアズレージョも観たかったのです。
この「シントラ宮殿」は14世紀にジョアン1世によって建てられた、かつての王家の夏の離宮で、1910年まで使われていました。
宮殿前の広場には、巨大なクリスマス・ツリーが・・・ -
宮殿のシンボルである巨大な円錐形の煙突・・・これは宮殿の調理場の煙突で、部屋の天井が煙突に成っており、どこで火を使っても煙が上に逃げる様になってます。
高さ33mで、2本の煙突は街のランドマークともいえる存在です。 -
宮殿から7~8世紀頃にムーア人が築城した「ムーアの城跡」が見えます。
シントラを望む丘の上にあり、現在は廃墟となっていますが、僅かに残る城壁が、かつての栄華をしのばせます。
写真の煙は、広場で売っていた焼き栗の煙。 -
ムーアの城跡から見ると、宮殿の全景が見えます。(絵葉書より)
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16世紀に天正少年使節が接見した客間の「白鳥の間」。
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白鳥の間には、天井には27羽の白鳥が描かれていて、それぞれ違ったポーズを取っています。
ただの白鳥ではなくて、王冠を首に架けているというのも、さすが宮殿らしい雰囲気です。 -
「鵲(かささぎ)の間」・・・イスラム風の幾何学文様の部屋で、王の執務室でした。
夏の王宮ですが、中央に暖炉があります。 -
天井に描かれた鵲(カササギ)。
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「ドン・セバスティアンの部屋」・・・24歳で戦死した16世紀のポルトガル王、ドン・セバスティアン(1554~1578)のベッドが置かれ、周りは葡萄の葉が描かれた立体的なアズレージョが飾られています。
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淡い色彩でブドウの蔓と葉の模様が描かれたアズレージョ。
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豪華な調度品です。
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これも・・・
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「ジュリオ・セザル(ユリウス・カエサル)の間」・・・フランドル製のゴブラン織りタペストリーに、シーザーが織り込まれています。
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王宮のハイライトは「紋章の間」・・・壁一面にアズレージョ(装飾タイル)が!
アズレージョは、ペルシャ人から工芸を習得したムーア人が、スペインを経由してポルトガルにもたらしました。 -
ドーム型の天井の中心には王家の紋章、その周囲には8人の王子・王女の紋章があり、さらにその周囲には72人の家臣の紋章が描かれています。
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狩猟の光景を描いた白と青のアズレージョ。
左では小熊を捕らえているようすが、右には王妃と思われる人も同行させている様子が描かれています。 -
左の木陰では子どもと母親のような人が、中央では円を描いて踊っている様子が、右側には楽師たちが演奏している様子が、そして画面奥の方では狩りをしている人達が遠近法で描かれています。
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鹿を追って、宮殿に戻ってきた様子が描かれています。
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獲物をしとめた様子が描かれています。
こんな素晴らしいアズレージョを観ることが出来て、ポルトガルまで来た甲斐がありました。 -
ずらりと横一列に並ぶ昔のコンロ・・・昔の家の台所にあったカマドを思い出します。
この調理場の天井が、あの巨大煙突です。 -
宮殿のシンボル・煙突を下から見上げた様子・・・33mもの高さですが、当時は肉を焼いたりしていたでしょうから、かなり汚れがあったのではと思います。
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シントラ宮殿の後は、ユーラシア大陸・最西端の「ロカ岬」へ。(写真はHPより)
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次男は、最初に訪れたフランスで、日本から持参した大事なガイドブックをなくしましたが、携帯電話もパソコンも今の様に普及していない頃なので、たった一人で、いろんな人から情報を得ながら旅をして、ここに辿り着いたんだなと思うと、18年前の若かった次男の姿が眼に浮かび、感動で涙が出ました。
心細かったろうに、よく頑張ったなと思いました。 -
ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの『ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar comeca)』を刻んだ石碑が立っています・・・18年前の息子と同じポーズで!
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岬周辺は風が強いため、高木が生育せず草原化しており、多肉質植物の「シュラオン」の群生が、地面を這うように一面を覆っていました。
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大西洋!!
この海のずっと向こうにはアメリカ大陸があるんだね。 -
高さ144mの火成岩の断崖が大西洋に突き出たロカ岬・・・こんな断崖絶壁に波が打ち寄せている光景を見ると、ユーラシア大陸の最西端に来たことを実感します!
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<7日目>
ホテルの部屋から、昨日のアグアス・リブレス水道橋が見えました。 -
マリオットのロビーにも、クリスマス・ツリーがありました。
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リスボンのポルテラ空港にも、クリスマス・デコレーションが。
ここで、トラブル発生!・・・チェック・インでスーツケースを預けたら ” Too HEAVY! ” ・・・慌てて荷物を入れ替えました。
7時40分発のエールフランスでパリに行き・・・ -
CDGから成田へ12時間のフライトです。
ドゴール空港も、クリスマス・モード・・・カトリックとイスラムの融合を感じたイベリア半島の旅でした。
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