2007/11/29 - 2007/12/06
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ペコちゃんさん
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第2編は、スペイン南部の街(コルドバ・グラナダ・ミハス・セビリア)です。
地中海に近いこれらの街は、700年におよぶイスラム支配の影響が色濃く残り、それがまた他の街と違う魅力を感じさせます。
写真は、アルハンブラ宮殿のアラヤネスのパティオ(天人花の中庭)とコマーレスの塔です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
スペインツアー3日目は、午前中にトレドとコンスエグラの風車を見学し、シエラ・モレナ山脈を越えてバスは「コルドバ」に着きました。
イスラム教徒のイベリア半島征服により、756年に成立した後ウマイヤ朝の首都となったコルドバは、トレドと並んで西方イスラム文化の中心地として発展し、10世紀には世界最大の人口を持つ都市でした。
その後、キリスト教勢力によるレコンキスタの進展により、1236年にカスティーリャ王国のフェルナンド3世が征服しました。
今の人口は33万人です。 -
これは「アルボラフィアの大水車」・・・グアダルキビール川の水を汲み上げて、アルカサルの宮殿に給水するための施設で、ムーア人の利水技術の高さを示しています。
グアダルキビール川は、スペインで5番目の川で、西に流れて大西洋に注いでいます。 -
「ローマ橋」・・・グアダルキビール川にかかる橋の1つで、ローマ時代に築かれました。
2000年もの間、コルドバの歴史を見守り続けてきましたが、その間の戦争や暴動の度に壊され、また改修されるというパターンを繰り返してきました。 -
メスキータ南に位置する「プエンテ門」・・・かつてアラブの城壁の一部でしたが、1571年、エルナン・ルイス3世によってルネッサンス様式で改修され、その後1928年には、内装の修復も行われました。
今もまた修復工事をしています。 -
「サン・ラファエル記念の像」・・・1871年に完成した大理石で造られた塔で、プエンテ門のそばにあります。
サン・ラファエルはコルドバの守護神で、ペストから町を救ったという言い伝えがあります。 -
コルドバは、古代ローマ時代にはこの地方の首都で、現在でもローマ寺院やローマ橋などの遺跡が遺されています。
石畳と馬車・・・まさにヨーロッパの風景です。 -
メスキータの通りの街路樹は、何と、食べても美味しくないオレンジ・・・オレンジの木を街路樹にするとは、さすがスペインです。
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バイクに乗ったお巡りさん。
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スペイン語でモスクという意味の「メスキータ」の正式な名称は「聖マリア大聖堂」・・・785年にイスラム教の寺院として建設されましたが、カトリック教徒が権力をにぎった1236年からは内部に礼拝堂を設けたり、カテドラルが新設されて、メスキータはイスラム教とキリスト教という2つの宗教が同居する、世にも珍しい建物。
モスクのミナレット(尖塔)として建てられた93mのこの塔は、キリスト教徒により鐘がつけられ、鐘楼となりました。 -
オレンジの中庭から見たミナレット・・・コルドバの街のシンボルになっています。
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礼拝の間にある『円柱の森』のアーチ群・・・854本の円柱が林立し、赤レンガと白い石を組み合わせた馬蹄型の二重のアーチで天井を支えています。
他の寺院にはない美しさと荘厳さは、本当に見事! -
柱は各地から集められたローマ神殿の大理石柱などが再利用されています。
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「ミフラブ」・・・メッカの方向を示す壁のくぼみ(目印)は、イスラム人にとって最も重要な場所です。
当時の技術が凝縮された精緻な細工であり、アラベスク模様やモザイクで飾られ、コーランの一部も刻まれています。 -
「マクスラ」・・・マクスラはミフラブを強調する空間で、高窓から光が差し込む高いドームになっています。
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ミフラブの天井を支える梁。
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イスラム建築の中に違和感を感じさせるキリスト教の礼拝堂。
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大聖堂建立のために、もともと1056本あった二重アーチの円柱は850本までに減らされ、大きな祭壇やパイプオルガンを備えた絢爛豪華な礼拝堂などが造られました。
これはマヨール礼拝堂。 -
広いので何台かのパイプオルガンが設置されています。
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モスクには絶対にないステンドグラスのバラ窓があります。
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ミフラブの左手にある「聖体顕示台」・・・16世紀のもので、年に一度行われている「聖体祭」の宗教行列では、街中に担ぎ出されるそうです。
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この絵は13世紀にレコンキスタを完了させた時を描いた絵で、フェルナンド3世が中央に立ち、膝まづいているのがイスラムの人々・・・王様の背後にあるのがメスキータだそうです。
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メスキータの北側にある「ユダヤ人街」は、元々ユダヤ人が住んでいた街でしたが、レコンキスタ(キリスト教国によるイベリア半島再征服運動)終了後、ユダヤ人は追放され、その後、現在のような街になりました。
街は細い道が迷路のように走り、軒先には花の小鉢が飾られています。 -
ユダヤ人街の東端の入口にある『花の小路』。
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花で飾られた中庭。
もっと素敵なパティオを想像していたのですが、何だか白い壁に虫がしがみついているように見え、私の好みではありません・・・もっと工夫すれば良いのに・・・季節柄、花の種類が限られているのでしょうか。 -
コルドバ観光の後、2時間半でグラナダに着きました。
今日の宿泊は「グラン ホテル ルナ デ グラナダ 」です。
ホテル前の公園の向かいにはスーパーなどがあり、ショッピングに行きました。 -
夕食はホテルのレストランで。
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<4日目>
今日の観光は、この旅行で一番楽しみにしていた「アルハンブラ宮殿」からスタートです。
学生時代、京都に住んでいましたが、そのころ民放のラジオのリクエスト番組に「アルハンブラ宮殿の思い出」をリクエストし、取り上げられたことを思い出します。
その時は、まさか私がここに来ることが出来るなんて、夢にも思っていませんでした。 -
8世紀にイベリア半島に進出したイスラム勢力は、コルドバなどでイスラム文化を花開かせましたが、その象徴的な建物がアルハンブラ宮殿です。
宮殿はグラナダを見下ろす丘の上に築かれており、異なる時代に建てられた様々な建築物の複合体になっています。
宮殿と呼ばれていますが、城塞の性質も備えており、その中に住宅・官庁・軍隊・厩舎・モスク・学校・浴場・墓地・庭園といった様々な建物や施設があります。 -
アルハンブラとは「赤い城」という意味で、グラナダ陥落後、街のモスクは破壊されましたが、アルハンブラ宮殿が完全に破壊されることはありませんでした。
イスラム芸術の最高傑作と言われ、世界遺産でもあるこの美しい建物を見学しようとする人が絶えないので、30分ごとに入場時間を決めて入場制限を行っています。
ここから、13世紀に建てられた夏の離宮・へネラリーフェへ・・・プロムナードは糸杉の面白い刈り込みから始まります。 -
映画「シザーハンズ」を思い出す、見事にカットされた庭園。
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宮殿の住人(?)
この後も公園で見かけたこのネコちゃんに、心優しい添乗員さんは持っていたキャット・フードをあげていました。
「えっ! 優しい! 日本から持って来たんですか?」
「いいえ、スペインのネコちゃんには、スペインのキャットフードあげなくちゃ」
「本当?」 -
「アセキアの中庭」。
アルハンブラ宮殿は噴水や池が多数造られており、これらは敷地の高低差を利用して配置されており、イスラムの土木水準の高さを伺わせます。
シエラ・ネバダ山脈から引かれた雪解け水は途絶えることなくこの庭園を潤しています。 -
反対側から「アセキアの中庭」をもう1枚。
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「メスアールの間」・・・法廷として使われていた部屋で、別名「裁きの間」。
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「ヘネラリーフェ」とはアラビア語で「天の楽園」という意味で、天国にあるという水の庭園のイメージを形にしたものとされています。
王の避暑のための離宮として使われていました。 -
アラベスク模様の石の床。
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アルハンブラ宮殿は、軍事施設があるこの「アルカサバ」、王たちの生活の場であった「王宮」、王の別荘がある「ヘネラリフェ」の3つに大きく分けられます。
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ここにも噴水が。
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ヘネラリーフェから朝日を浴びるアルハンブラ宮殿が見えます。
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アルハンブラの中では最初に造られたのがこのアルカサバ(砦)。
右側は「アルバイシン」地区の街並み。 -
アルバイシンには、イスラム教徒によって築かれたグラナダ最古の町家並みが残り、世界遺産に指定されています。
白壁の家が多いのは日光を反射させるためで、これにより室内温度の上昇を防いでいます。
城郭都市としての防御機能を果たすために、迷路のように入り組んだ道になっています。 -
通り沿いから見える塔。
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見所の「ライオンの中庭」は修復工事中で、1頭だけ展示されていました・・・これは残念!
次男がここを訪れた時、このライオンの噴水の前で、笑って写真撮っていました。
一人旅だったので、どなたか見学中の人にでもシャッターを押してもらったのでしょう。
私も、同じここで、笑って写真撮りたかったのに~ -
「アラヤネスのパティオ」(天人花の中庭)・・・背後に高さ50mのコマレスの塔が聳え、池が見事な水鏡となっています。
アラヤネスとは、池の両側に植えられている天人花のことで、池の両側の建物には4つの部屋があり、王の4人の正室の部屋でした。 -
観光後、グラナダの中華レストランで昼食。
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昼食後、2時間ほどで白い村「ミハス」に着きました。
コスタ・デル・ソルを見下ろす標高428mにあって、人口が7万5千人。
白壁とレンガ色の屋根という典型的なアンダルシアの家々が建ち並び、コスタ・デル・ソルの山の中腹に点在する村々は、ヨーロッパ各地の富裕層の別荘地です。
イギリスのサッカー選手・ベッカムも、ここに別荘があるとか・・・「パパ! 私ここに住みたい!!」 -
サン・セバスチャン通り・・・白い村・ミハスを代表する風景。
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白い漆喰の壁に、花の鉢で飾られた美しい街並みです。
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現地のガイドさんと。
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細い路地のカフェテラスでは、12月というのに、元気な半袖の人達。
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どの通りも、絵になる風景です。
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太陽に輝く白い家と真っ青な空を眺めていると、改めて「スペインに来たのだ!」という思いが増します。
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白壁の家が密集しているミハスの街並み。
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” ママー、おへそが出てるよ~! ”
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公園のような広場には、綺麗な花が・・・
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穏やかな地中海も望めます。
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世界一小さいと言われるミハスの闘牛場。
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お洒落なカフェテラスの海の向こうは、アフリカ大陸・・・いつか、モロッコにも行ってみたい・・・
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ミハス観光の後、セビリアに向かう途中、綺麗な夕日が・・・
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夜は、楽しみにしていたフラメンコ・ディナー・ショー。
会場の「エル・パラシオ・アンダルス」は、500人収容可能という大きなタブラオで、ステージに幕もあり古い劇場のような雰囲気です。 -
フラメンコの原点は、南部のアンダルシアで生まれた大衆芸能・・・15世紀頃、東方から流浪してきたジプシーたちが、アンダルシアに辿り着いて定住し、地元の民謡を自分たち流にアレンジしたのが始まりで、歌(カンテ)と踊り(バイレ)、ギターの伴奏(トケ)が一体となって、踊りながら手を打ち、足を踏み鳴らす激しい動きが特徴です。
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以前、日本でクリスティーナ・オヨスの舞台を観て感動したことがありますが、フラメンコの本場で観る舞台も迫力があり、素晴らしいディナー・ショーでした。
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<5日目>
セビリアの観光は「スペイン広場」からスタート・・・1929年の万国博覧会(イベロ・アメリカ博覧会)の会場として造られた広場です。
全体が見事な半円形を描いており、この建物の広場側にはスペイン各県を紹介する絵が色鮮やかなタイルで描かれています。 -
この絵は首都のマドリッド。
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これは、カタルーニャ地方のバルセロナ県の西隣の「レリダ県」。
各都市のタイル絵の手前には、地図も描かれています。 -
これは、南はポルトガルに接し、西は大西洋に面している「ポンテベドラ県」
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この橋は、欄干の柱から手すりまで、全て陶器 !!
セビリアは、人口70万を抱えるスペイン4番目の都市で、オペラ「カルメン」や、「セビリアの理髪師」「フィガロの結婚」などの舞台になった街でもあります。
8世紀よりイスラム勢力の支配下に入り、セビーリャ王国として栄えましたが、レコンキスタの進展により、1248年にカスティーリャ王国のフェルナンド3世に征服され、以降はカスティーリャ王国の主要都市として発展し、大航海時代には、新大陸の発見とともに交易港として栄えました。
1992年には、セビリア万博も開催されています。 -
セビリアの大聖堂に向かう途中にあるムリーリョ公園に「コロンブス記念塔」が建っています。(ムリーリョ:1617~1682、セビリア生まれの画家)
2本の柱の中ほどにはコロンブスが乗船したサンタ・マリア号が飾られ、船の舳先は新大陸(アメリカ)を向いて、柱の上の台座にはコロンブスの偉業を称えるようにライオンの雄姿があります。 -
柱の基部にはコロンブスのレリーフ。
セビリアは、コロンブスがイザベル女王の資金援助を得て、新航路探索へ出発した地です。 -
広い公園には・・・
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オレンジや、ガジュマルのような木があり・・・
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ジョギングを楽しむ人もいます。
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この公園を抜けると、サンタ・クルス街(旧ユダヤ人街)がありました。
1248年にキリスト教徒がここを攻略した後に、フェルナンド3世がこの辺りにユダヤ人を住まわせたそうです。
ユダヤ人が追放された後に住宅化され、現在に至っています。 -
セビリア随一の観光名所である大聖堂とヒラルダの塔およびアルカサルがあるのがサンタ・クルス地区。
大聖堂とアルカサルへはバスで行けないので、ムリーリョ公園から細く入り組んだ石畳のサンタ・クルス街の路地を通って行きます。 -
ツアー一行の後を、ギターのお兄さんが・・・
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チップをあげて ” ハイ、ポーズ ”
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スペインの焼き物は、情熱的で鮮やかな色合いです。
この店でお土産をゲット・・・隣の奥様達は、お釣りで揉めていました。 -
アルカサルのライオン門・・・セビリアのアルカサルは、スペイン王室の宮殿です。
14世紀、ペドロ1世により、イスラム時代の宮殿の跡地にムデハル様式で建設が始められたもので、グラナダのアルハンブラ宮殿を意識した構造になっています。
また、15世紀から16世紀にも増築されたため、ゴシックやルネサンスなどの様式も混在しています。 -
大聖堂とアルカサルの間にあるトリウンフォ広場からの眺め。
カテドラルの右側はヒラルダの塔。 -
トリウンフォ広場にあるマリア像の塔。
後ろに見えるのは「インディアス古文書館」・・・もともとは1572年に商品取引所として建てられました。
現在は古文書館として、新大陸発見や征服についての資料が保存されているそうです。 -
広場にある「司教館」・・・大聖堂の高位聖職者が暮らす家だそうです。
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大聖堂はセビリアを代表する建築物・寺院で、しかもスペイン最大のカテドラル・・・キリスト教の教会では、ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ大規模な寺院です。
大聖堂は1401年、モスクの跡地に建設が始まり、約120年後の1519年に完成しました。
奥行116m・幅76mという幅広の形は、モスクの名残だそうです。
市内のどこからでも見える右側のヒラルダの塔は、モスクのミナレットと鐘楼が融合した特異な形をしています。 -
高さ98mのヒラルダの塔は、12世紀末にイスラム教徒によりモスクのミナレットとして建設されましたが、16世紀、キリスト教徒により鐘楼が付け加えられました。
下から見れば小さく見える塔の先端に、高さ4m、重さ1288kgのブロンズの女神像があり、風を受けるとブロンズ像が回転して風向を示すことから、ヒラルダ(風見鶏)の塔と呼ばれています。 -
中庭のオレンジの木を見ながら大聖堂へ向かいます。
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ゴシック様式の門の前で迎えてくれるのは、ヒラルディーヨと呼ばれる「信仰の勝利像」・・・右手に盾、左手に椰子の葉を持った女神像で、ヒラルダの塔にある像と同じデザインです。
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聖堂に入ってすぐの所にある「コロンブスの墓」・・・アメリカ大陸を発見したコロンブスの遺体はここに安置されています。
棺を担いでいる4人の人物は、当時のイベリア半島にあったレオン・カスティーリャ・アラゴン・ナバーラ王国の国王・・・コロンブスがどれほどの英雄だったかが窺えますね。 -
コロンブスの墓の反対側の身廊中央には円形のステンドグラスがはめ込まれ、巨大な王冠や聖母マリア像などが置かれた豪華な銀の祭壇があります。
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銀の祭壇に向かって右側に、鉄柵に囲まれた内陣の中に光輝く黄金の祭壇衝立(レタベル)があります。
高さ20m・幅13mもの大きな飾り壁・・・その輝きに目が眩みそう! -
中央祭壇に飾られたこの輝く衝立・・・仕切り格子の間に、キリストやマリアの生涯など聖書の45場面を繊細な彫刻で表しています。
16世紀の職人・バルトロメス父子らの手により、構想から完成までに80年もの歳月を要した超大作・・・黄金衝立に用いられた金銀は、コロンブスが発見した新大陸で発掘されたものだそうです。 -
聖杯室の正面に飾られたゴヤの「聖フスタと聖ルフィーナ」・・・二人はセビリア出身の陶工姉妹で、ローマ司祭に命じられた異教礼拝のための供物制作を拒んだため殉教した3世紀の陶工職人。
聖フスタの足元には異教への抵抗を象徴をする壊れた古代ローマの女神像が、聖ルフィーナの足元にはスペインの象徴・獅子(ライオン)が従順に足を舐める姿が描かれています。
1504年の大地震で倒れかかったヒラルダの塔を救ったという伝承から、二人の後ろにはヒラルダの塔が描かれています。 -
美しい漆喰装飾が施された聖具室の真っ白な壁・・・一面に展示された絵画や壁の彫刻は、まるで美術館のよう。
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バラ窓のステンドグラス。
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壁にあるステンドグラスも見事です。
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ヒラルダの塔を描いたステンドグラス。
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聖書の場面のステンドグラス。
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大聖堂のパイプオルガン。
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ムリーリョの祭壇画『サン・アントニオの礼拝』。
甘美な聖母像や、愛らしい子どもの絵で知られるムリーリョは、スペイン絵画の黄金期の17世紀を代表する画家です。 -
聖堂内の見学が終わり、時間があったのでヒラルダの塔へチャレンジ。
鐘楼と言えば細い階段をクルクルと登るイメージですが、モスクのミナレットを改修したこの塔の中は、騎馬で登れるように設計された当時のままのなだらかなスロープになっています。 -
塔の内部は螺旋状の坂道で、道幅も広いので、私にも何とか登れました。
鐘楼には28個の鐘があり、1764年に設置された鐘は、今でも現役で時を告げ続けるスペイン最古の時計・・・耳元で鳴ったら、大変! -
70mの高さの展望台からは、セビリアの美しい街並みが一望でき、何とも爽快!・・・これは東方向の市街。
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南方向の市街・・・トリウンフォ広場を挟んだ大聖堂の向かいには、アルカサルの宮殿が見えます。
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右が大聖堂の中心部。
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昼食のレストランは「エル・パティオ・セビリャーノ」・・・夜はフラメンコのディナーショーをやっているレストランです。
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タパス(小皿料理)を食べました。
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奥の建物がレストラン、手前は「マエストランサ闘牛場」。
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セビリアは闘牛の本場としても有名。
マエストランサ闘牛場の前には、勇ましい闘牛士の銅像が建っています。 -
昼食後、バスでセビリアの街を走っていると、カルメンの像が見えました。
かつてはこの辺りにビゼーのオペラ「カルメン」の舞台となった旧王立タバコ工場がありましたが、現在はセビージャ大学になっています。
昼食の後は、いよいよポルトガルに向かいます。
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