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■鳥取・兵庫・岐阜・京都・滋賀 1800km車旅<br /> 恒例の暑い、熱ーい^^;;夏の車旅〜♪<br /><br />▼伊根の舟屋/京都府与謝郡 WEBサイトより。<br /> 丹後半島の東端に位置する伊根町では、船のガレージを舟屋と呼んでいます。<br /> 周囲5kmの湾に沿って230軒あまりの舟屋が立ち並ぶ風景は壮観で、全国的にも大変珍しいものです。<br /> 舟屋は、母屋から道路を挟んで海際に建てられ、1階には船揚場、物置、作業場があり、出漁の準備、漁具の手入れ、魚干物の乾場や農産物の置き場等と幅広く活用されています。2階は生活の場、客室、民宿等に活用されています。<br /> 海面すれすれに建てられた舟屋は全国でも大変珍しく、その景観は伊根町独特の詩情を漂わせています。<br /> また、映画「男はつらいよ」「釣りバカ日誌」、ドラマ「ええにょぼ」の撮影が行われ、平成17年には漁村として初の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。<br /><br />▼金引の滝/京都府宮津市<br />金引の滝は高さ約40メートル、幅約20メートルで、一年中豊かな水量を誇る美しい滝です。<br /> 水は左右に流れて落ち、右側は「男滝」、左側は「女滝」と呼ばれています。下流の「白龍」、「臥龍」の滝とともに「金引の滝」と総称されています。<br /><br />▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /> 若狭ではいつの頃からか小浜を中心に「京は遠ても十八里」と言われており、与謝蕪村(1716〜1783)が「夏山や 通ひなれたる 若狭人」(1776年の句)と詠んでもいるように若狭と京都はきわめて深い関係にありました。<br /> 「若狭街道」は、大陸文化の玄関としての小浜から若狭町(旧上中町)の日笠を通り、熊川を経て、滋賀県高島市朽木(旧朽木村)を越え、大原八瀬より京都への道を言います。<br /> 熊川宿(くまがわ)は福井県三方上中郡若狭町にある若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場です。<br /> 若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。<br /><br />≪2日目≫<br />▼余部橋梁鉄橋資料館/兵庫県美方郡<br />▼鎧駅/兵庫県美方郡<br />▼はさかり岩/兵庫県豊岡市<br />▼城崎温泉/兵庫県豊岡市<br />▼海と星の見える公園/京都府宮津市<br />▼道の駅「舟屋の里伊根」/京都府与謝郡<br />▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br />▼金引の滝/京都府宮津市<br />▼若狭鯖街道「熊川宿」/福井県三方上中郡<br />≪3日目≫つづく・・<br /><br />【手記】<br /> 最近は、ど〜うも体力が不足がち、すぐにバテてしまいます。この異常な暑さもあり、すぐにホテルへチェックインしてしまいます。<br /> 前はホント暑さには強かったんですけど、かってのように旅での走行距離が出なくなっております。車旅、大好き人間なんですけどね〜。<br /> 今回は、昨年、タイヤのパンクで周れなかった「伊根の舟屋」を訪問しましたが…遊覧船乗り場は車が多い、多い・・・。<br />

Solitary Journey [1235] 海面すれすれに建てられた船のガレージ‘伊根の舟屋’<丹後半島&金引の滝&熊川宿>京都府与謝郡

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2013/08/10 - 2013/08/10

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MechaGodzillaⅢ&703

MechaGodzillaⅢ&703さん

■鳥取・兵庫・岐阜・京都・滋賀 1800km車旅
 恒例の暑い、熱ーい^^;;夏の車旅〜♪

▼伊根の舟屋/京都府与謝郡 WEBサイトより。
 丹後半島の東端に位置する伊根町では、船のガレージを舟屋と呼んでいます。
 周囲5kmの湾に沿って230軒あまりの舟屋が立ち並ぶ風景は壮観で、全国的にも大変珍しいものです。
 舟屋は、母屋から道路を挟んで海際に建てられ、1階には船揚場、物置、作業場があり、出漁の準備、漁具の手入れ、魚干物の乾場や農産物の置き場等と幅広く活用されています。2階は生活の場、客室、民宿等に活用されています。
 海面すれすれに建てられた舟屋は全国でも大変珍しく、その景観は伊根町独特の詩情を漂わせています。
 また、映画「男はつらいよ」「釣りバカ日誌」、ドラマ「ええにょぼ」の撮影が行われ、平成17年には漁村として初の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

▼金引の滝/京都府宮津市
金引の滝は高さ約40メートル、幅約20メートルで、一年中豊かな水量を誇る美しい滝です。
 水は左右に流れて落ち、右側は「男滝」、左側は「女滝」と呼ばれています。下流の「白龍」、「臥龍」の滝とともに「金引の滝」と総称されています。

▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡
 若狭ではいつの頃からか小浜を中心に「京は遠ても十八里」と言われており、与謝蕪村(1716〜1783)が「夏山や 通ひなれたる 若狭人」(1776年の句)と詠んでもいるように若狭と京都はきわめて深い関係にありました。
 「若狭街道」は、大陸文化の玄関としての小浜から若狭町(旧上中町)の日笠を通り、熊川を経て、滋賀県高島市朽木(旧朽木村)を越え、大原八瀬より京都への道を言います。
 熊川宿(くまがわ)は福井県三方上中郡若狭町にある若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場です。
 若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。

≪2日目≫
▼余部橋梁鉄橋資料館/兵庫県美方郡
▼鎧駅/兵庫県美方郡
▼はさかり岩/兵庫県豊岡市
▼城崎温泉/兵庫県豊岡市
▼海と星の見える公園/京都府宮津市
▼道の駅「舟屋の里伊根」/京都府与謝郡
▼伊根の舟屋/京都府与謝郡
▼金引の滝/京都府宮津市
▼若狭鯖街道「熊川宿」/福井県三方上中郡
≪3日目≫つづく・・

【手記】
 最近は、ど〜うも体力が不足がち、すぐにバテてしまいます。この異常な暑さもあり、すぐにホテルへチェックインしてしまいます。
 前はホント暑さには強かったんですけど、かってのように旅での走行距離が出なくなっております。車旅、大好き人間なんですけどね〜。
 今回は、昨年、タイヤのパンクで周れなかった「伊根の舟屋」を訪問しましたが…遊覧船乗り場は車が多い、多い・・・。

同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
自家用車

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  • ■恒例の暑い、熱ーい^^;;夏の車旅〜♪<br /><br />▼海と星の見える公園/京都府宮津市<br /> 城崎から丹後半島へやってきました。<br /> ここは丹後の里山にある公園です。

    ■恒例の暑い、熱ーい^^;;夏の車旅〜♪

    ▼海と星の見える公園/京都府宮津市
     城崎から丹後半島へやってきました。
     ここは丹後の里山にある公園です。

  • ▼海と星の見える公園/京都府宮津市<br /><br /> 日本海や宮津湾が見渡せるとのことで寄り道しました。

    ▼海と星の見える公園/京都府宮津市

     日本海や宮津湾が見渡せるとのことで寄り道しました。

  • ▼道の駅「舟屋の里伊根」/京都府与謝郡<br /><br /> 道の駅は宮津湾の高台に位置します。車が多いので一番下の駐車場へ誘導されました。<br /> ここから歩いて登って行きます。<br /> ヘッホヘッホ (^^;;)アヅイ・・・

    ▼道の駅「舟屋の里伊根」/京都府与謝郡

     道の駅は宮津湾の高台に位置します。車が多いので一番下の駐車場へ誘導されました。
     ここから歩いて登って行きます。
     ヘッホヘッホ (^^;;)アヅイ・・・

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br /> 舟屋群が見えてきました。<br /> 丹後半島の東端に位置する伊根町では、船のガレージを舟屋と呼んでいます。<br />

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

     舟屋群が見えてきました。
     丹後半島の東端に位置する伊根町では、船のガレージを舟屋と呼んでいます。

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br /> 周囲5kmの湾に沿って230軒あまりの舟屋が立ち並ぶ風景は壮観で、全国的にも大変珍しいものです。<br /> 

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

     周囲5kmの湾に沿って230軒あまりの舟屋が立ち並ぶ風景は壮観で、全国的にも大変珍しいものです。
     

  • ▼道の駅「舟屋の里伊根」<br /><br /> 道の駅は伊根湾がみわたせる小高い丘の上にあります。

    ▼道の駅「舟屋の里伊根」

     道の駅は伊根湾がみわたせる小高い丘の上にあります。

  • ▼道の駅「舟屋の里伊根」<br /><br /> お食事処の他にお土産店やラウンジ・観光案内所があります。

    ▼道の駅「舟屋の里伊根」

     お食事処の他にお土産店やラウンジ・観光案内所があります。

  • ▼道の駅「舟屋の里伊根」<br /><br /> 「展望台」です。<br /> あらーっ、ここからでは遠すぎてよく見えないよ。<br /> 

    ▼道の駅「舟屋の里伊根」

     「展望台」です。
     あらーっ、ここからでは遠すぎてよく見えないよ。
     

  • ▼道の駅「舟屋の里伊根」<br /><br /> いい景観です。NHKドラマ「ええにょぼ」でも舞台となりました。

    ▼道の駅「舟屋の里伊根」

     いい景観です。NHKドラマ「ええにょぼ」でも舞台となりました。

  • ▼道の駅「舟屋の里伊根」<br /><br /> お土産物は海の幸がいっぱい。

    ▼道の駅「舟屋の里伊根」

     お土産物は海の幸がいっぱい。

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br /> 近くで見たいので来た道を引き返し舟屋近くへ移動します。<br /> アヅーイ;;;

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

     近くで見たいので来た道を引き返し舟屋近くへ移動します。
     アヅーイ;;;

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br /> 伊根湾

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

     伊根湾

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br />・伊根湾めぐり乗り場<br /> 駐車場は満車。車と人が多い、多い・・・。<br />

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

    ・伊根湾めぐり乗り場
     駐車場は満車。車と人が多い、多い・・・。

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br />・伊根湾めぐり乗り場<br /> 車が多いので、運転席から撮っています。<br /> 遊覧船に乗ろうと思ったのですが、時間がかかるそうなのでパスしました。<br /> 甘かった・・・。

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

    ・伊根湾めぐり乗り場
     車が多いので、運転席から撮っています。
     遊覧船に乗ろうと思ったのですが、時間がかかるそうなのでパスしました。
     甘かった・・・。

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br /> と言うことで、今回は適当に路駐して、素早く写真を撮って逃げて行くことで精一杯でした。<br />

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

     と言うことで、今回は適当に路駐して、素早く写真を撮って逃げて行くことで精一杯でした。

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br /> 次回(いつじゃ〜^^)は、近くに宿泊して時間を考えて訪れようと思いました。

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

     次回(いつじゃ〜^^)は、近くに宿泊して時間を考えて訪れようと思いました。

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br /> 舟屋は、母屋から道路を挟んで海際に建てられ、1階には船揚場、物置、作業場があり、出漁の準備、漁具の手入れ、魚干物の乾場や農産物の置き場等と幅広く活用されています。

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

     舟屋は、母屋から道路を挟んで海際に建てられ、1階には船揚場、物置、作業場があり、出漁の準備、漁具の手入れ、魚干物の乾場や農産物の置き場等と幅広く活用されています。

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br /> 2階は生活の場、客室、民宿等に活用されています。<br /> 

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

     2階は生活の場、客室、民宿等に活用されています。
     

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br /> 海面すれすれに建てられた舟屋は全国でも大変珍しく、その景観は伊根町独特の詩情を漂わせています。<br /> 

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

     海面すれすれに建てられた舟屋は全国でも大変珍しく、その景観は伊根町独特の詩情を漂わせています。
     

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br /> また、映画「男はつらいよ」「釣りバカ日誌」、ドラマ「ええにょぼ」の撮影が行われ、平成17年には漁村として初の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。<br />

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

     また、映画「男はつらいよ」「釣りバカ日誌」、ドラマ「ええにょぼ」の撮影が行われ、平成17年には漁村として初の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

  • ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡<br /><br />  男はつらいよ第29作「寅次郎あじさいの恋」では、石田あゆみさんがマドンナでした。

    ▼伊根の舟屋/京都府与謝郡

      男はつらいよ第29作「寅次郎あじさいの恋」では、石田あゆみさんがマドンナでした。

  • ▼天橋立/京都府与謝郡<br /><br /> 傘松公園側リフト乗り場

    ▼天橋立/京都府与謝郡

     傘松公園側リフト乗り場

  • ▼天橋立/京都府与謝郡<br /><br /> 天橋立の松並木<br />

    ▼天橋立/京都府与謝郡

     天橋立の松並木

  • ▼天橋立/京都府与謝郡<br /><br /> 2004年03月訪問時の写真(ビューランド側から)<br /> 妻といっしょに訪れてから9年と5か月の月日が流れました。

    ▼天橋立/京都府与謝郡

     2004年03月訪問時の写真(ビューランド側から)
     妻といっしょに訪れてから9年と5か月の月日が流れました。

  • ▼金引の滝/京都府宮津市<br /><br /> 看板があったので行ってみることに。<br /> その都度、気が向いたところへ向かう、これが車旅の醍醐味です。

    ▼金引の滝/京都府宮津市

     看板があったので行ってみることに。
     その都度、気が向いたところへ向かう、これが車旅の醍醐味です。

  • ▼金引の滝/京都府宮津市<br /><br /> 駐車場が満車でたいへんでしたが、そこは4駆の強み、普通車が入れないようなところに上がって駐車〜♪ ^^)<br /> ワンちゃん こんちわー。

    ▼金引の滝/京都府宮津市

     駐車場が満車でたいへんでしたが、そこは4駆の強み、普通車が入れないようなところに上がって駐車〜♪ ^^)
     ワンちゃん こんちわー。

  • ▼金引の滝/京都府宮津市<br /><br /> 沢沿いに5分ほど歩いて「白龍」「臥龍」の滝へ着きました。

    ▼金引の滝/京都府宮津市

     沢沿いに5分ほど歩いて「白龍」「臥龍」の滝へ着きました。

  • ▼金引の滝/京都府宮津市<br /><br /> 上流の金引の滝は高さ約40メートル、幅約20メートルで、一年中豊かな水量を誇る美しい滝です。<br />

    ▼金引の滝/京都府宮津市

     上流の金引の滝は高さ約40メートル、幅約20メートルで、一年中豊かな水量を誇る美しい滝です。

  • ▼金引の滝/京都府宮津市<br /><br /> 水は左右に流れて落ち、右側は「男滝」、左側は「女滝」と呼ばれています。<br /> 水遊びは気持ちよさそう〜。わたくしも入りたかった。

    ▼金引の滝/京都府宮津市

     水は左右に流れて落ち、右側は「男滝」、左側は「女滝」と呼ばれています。
     水遊びは気持ちよさそう〜。わたくしも入りたかった。

  • ▼金引の滝/京都府宮津市<br /><br /> 涼しいですねー。

    ▼金引の滝/京都府宮津市

     涼しいですねー。

  • ▼金引の滝/京都府宮津市<br /><br /> 手持ちでピンボケばかり。旅行中の観光写真はいい加減になりがちです。ハハ・・

    ▼金引の滝/京都府宮津市

     手持ちでピンボケばかり。旅行中の観光写真はいい加減になりがちです。ハハ・・

  • ▼宮津天橋立IC<br /><br /> 綾部宮津道路〜舞鶴若狭自動車道→小浜市→熊川宿へ向かいます。<br /> 

    ▼宮津天橋立IC

     綾部宮津道路〜舞鶴若狭自動車道→小浜市→熊川宿へ向かいます。
     

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 熊川宿へ到着

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     熊川宿へ到着

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 熊川宿は福井県三方上中郡若狭町にある若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場です。<br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     熊川宿は福井県三方上中郡若狭町にある若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場です。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 若狭ではいつの頃からか小浜を中心に「京は遠ても十八里」と言われており、与謝蕪村(1716〜1783)が「夏山や 通ひなれたる 若狭人」(1776年の句)と詠んでもいるように若狭と京都はきわめて深い関係にありました。<br /><br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     若狭ではいつの頃からか小浜を中心に「京は遠ても十八里」と言われており、与謝蕪村(1716〜1783)が「夏山や 通ひなれたる 若狭人」(1776年の句)と詠んでもいるように若狭と京都はきわめて深い関係にありました。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 若狭をほぼ東西に走る「丹後街道」は、東は越前敦賀、西は丹後の舞鶴あるいは宮津までの幹線道路でした。<br /><br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     若狭をほぼ東西に走る「丹後街道」は、東は越前敦賀、西は丹後の舞鶴あるいは宮津までの幹線道路でした。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 「若狭街道」は、大陸文化の玄関としての小浜から若狭町(旧上中町)の日笠を通り、熊川を経て、滋賀県高島市朽木(旧朽木村)を越え、大原八瀬より京都への道を言います。

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     「若狭街道」は、大陸文化の玄関としての小浜から若狭町(旧上中町)の日笠を通り、熊川を経て、滋賀県高島市朽木(旧朽木村)を越え、大原八瀬より京都への道を言います。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> しかし、より正確に言うならば、小浜から日笠までは「丹後街道」であって、日笠から京への道を「若狭街道」と言うべきかも知れません。<br /><br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     しかし、より正確に言うならば、小浜から日笠までは「丹後街道」であって、日笠から京への道を「若狭街道」と言うべきかも知れません。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 「鯖街道」もいつの頃からかこの呼び方をされていますが、熊川の古い文書には由来となるはずの若狭湾の鯖とわかる記載は見当たりません。<br /><br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     「鯖街道」もいつの頃からかこの呼び方をされていますが、熊川の古い文書には由来となるはずの若狭湾の鯖とわかる記載は見当たりません。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> しかし、18世紀後半になって若狭湾で多種類の海産物に混じり大量の鯖が水揚げされるようになった事や小浜の『森田宗太郎家文書』によれば宝暦(1751〜63)以後、若狭の海で鯖が大量に漁獲され、これを京都の人々が大衆魚として広く庶民が賞味し、また祭礼にも欠く事が出来なかったためだ、とも考えられます。<br /><br /> 

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     しかし、18世紀後半になって若狭湾で多種類の海産物に混じり大量の鯖が水揚げされるようになった事や小浜の『森田宗太郎家文書』によれば宝暦(1751〜63)以後、若狭の海で鯖が大量に漁獲され、これを京都の人々が大衆魚として広く庶民が賞味し、また祭礼にも欠く事が出来なかったためだ、とも考えられます。

     

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> これらが運ばれた道は幾通りもありましたが、鯖の運ばれた道の総称が「鯖街道」であると言っても良いでしょう。<br /><br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     これらが運ばれた道は幾通りもありましたが、鯖の運ばれた道の総称が「鯖街道」であると言っても良いでしょう。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 中世以降は熊川・朽木経由の「若狭街道」こそが輸送量の多い「鯖街道」の名に最も相応しい道であったことは確かです。<br /><br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     中世以降は熊川・朽木経由の「若狭街道」こそが輸送量の多い「鯖街道」の名に最も相応しい道であったことは確かです。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br />・WEBサイトより<br /> 熊川は、もともと戸数40ほどの小さな寒村であったという事です。室町時代に、戦略上の要地として足利将軍直属の武士、沼田氏が山城を構えたところであり、今もその遺構を確認する事が出来ます。<br /><br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

    ・WEBサイトより
     熊川は、もともと戸数40ほどの小さな寒村であったという事です。室町時代に、戦略上の要地として足利将軍直属の武士、沼田氏が山城を構えたところであり、今もその遺構を確認する事が出来ます。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> さらに、豊臣秀吉の相婿(実際は再従姉妹の夫)でもあり秀吉に重用された浅野長吉(長政)が、 小浜城主になった時に交通・軍事の要衝として、熊川に対し天象17年(1589)に諸役免除の布告を発し、この地の特別の発展を図ったのです。<br /><br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     さらに、豊臣秀吉の相婿(実際は再従姉妹の夫)でもあり秀吉に重用された浅野長吉(長政)が、 小浜城主になった時に交通・軍事の要衝として、熊川に対し天象17年(1589)に諸役免除の布告を発し、この地の特別の発展を図ったのです。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 以来、若狭代々の領主は、この政策を受け継ぎ熊川は江戸時代を通じて近江国境に接する宿場町として大いに繁栄していきました。

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     以来、若狭代々の領主は、この政策を受け継ぎ熊川は江戸時代を通じて近江国境に接する宿場町として大いに繁栄していきました。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 江戸時代初期から中期にかけて、熊川宿の戸数は200戸を越えていたようですが、現在では100戸ほどになっています。<br /> <br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     江戸時代初期から中期にかけて、熊川宿の戸数は200戸を越えていたようですが、現在では100戸ほどになっています。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> また熊川の東方の集落大杉は、熊川が人馬継ぎたてを主とし資金の賃借、人足・馬方の出入りなど諸般の仕事をした問屋を基盤にしていたのとは異なり、農家からなる集落です。<br /><br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     また熊川の東方の集落大杉は、熊川が人馬継ぎたてを主とし資金の賃借、人足・馬方の出入りなど諸般の仕事をした問屋を基盤にしていたのとは異なり、農家からなる集落です。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 熊川よりも前に開けたという言い伝えがあり、元弘年間(1331〜33)鎌倉時代末には、関所が設けられて往来を監視したと『熊川村誌』に記されています。<br /> <br />

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     熊川よりも前に開けたという言い伝えがあり、元弘年間(1331〜33)鎌倉時代末には、関所が設けられて往来を監視したと『熊川村誌』に記されています。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 観光客はパラパラ、訪れる人が少ない静かな宿場町でした。

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     観光客はパラパラ、訪れる人が少ない静かな宿場町でした。

  • ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡<br /><br /> 2日目が終了。今日はチカレタビー。<br /> 琵琶湖の北岸をまわって、一気に岐阜のホテルまで走って行きました。<br /><br /><br /><br />  それでは、また〜。  THE END.

    ▼鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡

     2日目が終了。今日はチカレタビー。
     琵琶湖の北岸をまわって、一気に岐阜のホテルまで走って行きました。



      それでは、また〜。  THE END.

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