2013/08/10 - 2013/08/14
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■鳥取・兵庫・岐阜・京都・滋賀 1800km車旅
恒例の暑い、熱ーい^^;;夏の車旅〜♪
▼浮御堂
近江八景の一つ「堅田の落雁」でよく知られた堅田の浮御堂は、平安時代の高僧、恵心僧都(えしんそうず)源信が琵琶湖の湖上安全と衆生済度を祈願して建立しました。
▼湖族の郷資料館
「湖族の郷資料館」は浮御堂の近くにあり、歴史上特筆される堅田の歴史、文化を築いた堅田衆をはじめとする堅田ゆかりの先人の足跡をたどる資料等が展示されています。
「文学と堅田」、「堅田の変遷」、「豪族の民具」、「芭蕉と堅田の門人たち」、「志賀廼家淡海」等、テーマ毎に資料展示されています。「湖族」とは、司馬遼太郎さんが使った語です。
▼西教寺
西教寺は正しくは、 天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺といいます。聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。
≪4日目≫
▼国友鉄砲の里資料館/滋賀県長浜市
▼小谷城跡/滋賀県長浜市
▼道の駅「湖北みずどりステーション」/滋賀県長浜市
▼賤ヶ岳リフト/滋賀県長浜市
▼賤ヶ岳合戦場跡/滋賀県長浜市
▼満月寺浮御堂/滋賀県大津市
▼湖族の里資料館/滋賀県大津市
▼西教寺/滋賀県大津市
▼日吉大社/滋賀県大津市
≪5日目≫へつづく・・・
【手記】
長浜市観光のあと、琵琶湖西岸の想い出深い場所を中心に訪問してきました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
-
■琵琶湖西岸走行中
夏の車旅〜♪
暑い中、動き回るので疲れます。
滋賀県長浜市から大津市の「満月寺浮御堂」へ向かっています。 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
・龍宮造りの門
お久しぶりです。
近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂(うきみどう)は、寺名を海門山満月寺といいます。 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
・厄除け開運十二支
平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したといわれています。 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
左手には聖観音堂があります。
重要文化財の聖観音座像を安置しています。 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
受付を過ぎると、目の前には樹齢500年という松がそびえ、その向こうには琵琶湖と浮御堂が見えます。 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
浮御堂へは境内から架かっている橋を渡って行くことができます。 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
・近江八景 堅田落雁
雁が列をなして優雅に舞い降りる、湖に浮かぶ浮御堂が描かれた「堅田落雁(かたたのらくがん)」 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
・琵琶湖大橋
琵琶湖の北湖と南湖を分ける最狭部の西岸が浮御堂がある堅田の地で、今は琵琶湖大橋で対岸の湖東と結ばれています。 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
1000体の阿弥陀仏を安置して、千本仏堂と名付けられています。 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
京都に近い堅田の地は、古より湖上交通の要地として栄えました。 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
そのため、平安時代に比叡山の恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が湖上安全を祈願し、自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで建立したのが浮御堂の始まりといわれ、正式名は海門山満月寺といいます。 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
現在の浮御堂は昭和12年に再建されたもの。昭和57年にも修理が施され、往時の情緒をそのままに残しています。 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
樹齢約500年といわれる老松 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
海門山満月寺 -
■満月寺浮御堂/滋賀県大津市
下部は漆喰(しつくい)で塗り固め、中央にアーチ型の通路があけてあります。 -
■湖族の郷資料館/滋賀県大津市
浮御堂から「湖族の郷資料館」へ歩いていきました。 -
■湖族の郷資料館
湖族の郷資料館は、浮御堂から歩いて2〜3分のところにあります。
「湖族」とは、司馬遼太郎さんが使った語です。 -
■湖族の郷資料館
湖族の郷資料館は、堅田町の歴史や生活、文化に関する資料を展示する資料館です。 -
■湖族の郷資料館
中世の琵琶湖では、湖上権を握った「湖族」が繁栄を極めました。湖族とは瀬戸内でいう水軍にあたるもので、水先案内人、運送業、漁業、造船業などでなりわいを立てました。 -
■湖族の郷資料館
水先案内では、米100俵につき1俵を要求し、断ると船を襲い略奪を働いたといいます。 -
■湖族の郷資料館
湖族は「堅田衆」と呼ばれ堅田千軒という自治体をもって繁栄しました。 -
■湖族の郷資料館
資料館2階から満月寺浮御堂方向を写 -
■湖族の郷資料館
湖族というと海賊のようなイメージもあるので、地元では、湖族より堅田衆の方が良いのではないかとの意見もあるらしいです。 -
■湖族の郷資料館
館内には湖族を中心に大津周辺の歴史の変遷をパネルなどで解説し、民具や文化に関する資料などを展示しています。 -
■湖族の郷資料館
中世の堅田はその立地条件から湖上の自由通行権を持ち、また湖上を往来する船の湖上通行承認権を持つなど、絶大な権力を持っていました。 -
■湖族の郷資料館
これら堅田の住民を堅田湖族と呼び、町は自治組織化されていました。
堅田を支配していたのが堅田三豪族の刀禰(とね)家、居初(いそめ)家、小月家でした。 -
■湖族の郷資料館
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■湖族の郷資料館
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■西教寺/滋賀県大津市
・総門
ところ変わって、想い出ふかい西教寺へやってきました。総門は坂本城城門を移築したものだそうです。 -
■西教寺/滋賀県大津市
西教寺は正しくは、天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺といいます。聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。 -
■西教寺/滋賀県大津市
その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになりました。 -
■西教寺/滋賀県大津市
・宗祖大師殿唐門
鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が畢生の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、その後百有余年を経た文明18年(1486)に真盛上人が入寺されるに至り、堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされました。 -
■西教寺/滋賀県大津市
・宗祖大師殿唐門
以来全国に約四百余りの末寺を有する総本山となりました。 -
■西教寺/滋賀県大津市
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■西教寺/滋賀県大津市
この位置は妻が紅葉鑑賞で訪れたときに撮っていた写真が残っている想い出ある所です。 -
■西教寺/滋賀県大津市
9年前の写真です。 -
■西教寺/滋賀県大津市
・鐘楼 -
■西教寺/滋賀県大津市
・本堂
総欅入母屋造。江戸時代 元文4年(1739)に上棟落成。用材は紀州徳川家からの寄進、正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇はすべて欅の素木造で江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています。
ご本尊は、重要文化財の丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されています。 -
■西教寺/滋賀県大津市
・戦国武将に仕えた人達の墓 -
■西教寺/滋賀県大津市
・明智光秀と一族の墓 HPより
元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちの際、当寺も災禍を被りました。
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■西教寺/滋賀県大津市
その直後に築かれた坂本城の城主となったのが明智光秀でした。光秀は西教寺の檀徒となり、復興に大きく力を注ぎました。 -
■西教寺/滋賀県大津市
総門は坂本城城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は陣鐘です。
天正10年にこの世を去った光秀は6年前に亡くなった内室熙子や一族の墓とともに祠られています。 -
■西教寺/滋賀県大津市
斜光さす石段 -
■西教寺/滋賀県大津市
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■日吉大社/滋賀県大津市
日吉大社は、滋賀県大津市坂本にある神社で全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社です。 -
■日吉大社/滋賀県大津市
ここも想い出があるもんで立ち寄ってみました。 -
■日吉大社/滋賀県大津市
夏の車旅、4日目が終了です。
大津市のホテル泊。明日は京都市内へ。
THE END.
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