2013/03/29 - 2013/03/29
52位(同エリア85件中)
滝山氏照さん
JR外房線上総一ノ宮駅から徒歩約15分の一宮城(いちのみやじょう、千葉県長生郡一宮町)を訪問しました。
当該城郭は戦国時代を中心とする中世期における動静がいまいち不鮮明で、その為歴史的に知識が乏しくよく理解できない地域として自分の印象です。
ただ感覚的には館山城を本拠とし勢力拡大によって久留里城或いは大多喜城などの上総を領有していた里見氏または里見氏の影響下に置かれた国人(地域領主)の支配下に置かれたとの認識はあります。
現地説明板には次の通り紹介されています。
「一宮町指定文化財
記念物史跡 一宮城址
昭和62年(1987年)3月25日指定
一宮城は天然の地形を利用した標高約30mの台地上にある要害の山城。築城時期は南北朝時代から16世紀とされるが詳細は不明。通称「城山」と呼ばれ、周辺には守護神として寺院や神社が配置され、城に関する地名(城之内、追手、院内、陣屋、櫓前など)も残っている。
一宮城については、永禄5年(1562)9月に一宮城主内藤久長が館山城主里見美頼、万木城主土岐頼春、大多喜城主正木盛賢らに攻められ落城、或は同年7月に一宮城主糟谷大炊助が勝浦城主正木時忠・時通親子に攻撃され数ケ月後に落城、また永禄8年2月から6月頃に落城と諸説あり史実は判然としない。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城した房総の48ケ城の中で一宮城も本多忠勝ら数万の軍勢に攻められ再び落城した。
文禄元年(1592)、本多忠勝の支配する大多喜領となった後、領主の変遷を経て明歴3年(1657)には脇坂淡路守安元、また文政9年(1826)には加納遠江守久禱によって陣屋が造られたが、明治維新によって取り壊された。
平成12年2月
一宮町教育委員会 」
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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