2012/02/16 - 2012/02/16
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mistralさん
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千葉県いすみ市にある田園の美術館(いすみ市郷土資料館)をご存知ですか?新聞の片隅に、今年の干支である辰にちなんで、タイトルにあるような展示が開催されるという記事を見つけて気になっていました。
水をつかさどる龍は農業の守り神で、崇敬と畏れの対象だったため、寺社建築や水墨画に数多く残っていると記事にはありました。
波の伊八の作品や,龍が描かれた屏風などが展示されているとのこと。
雪の降り出しそうな空模様のなか,いすみ市に行ってきました。
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美術館の端正なアプローチです。
内部は写真の撮影が可能でしたので,いくつかをご紹介したいと思います。 -
片口「呑龍」(どんりゅう)と酒盃。 伊藤祐嗣作
平成23年 個人蔵 -
内側は錫引き仕上げ。
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「金銅竜門五鈷鈴」14世紀 行元寺蔵
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初代 伊八 神輿彫刻
「波に龍」「飛龍」ほか
いすみ市 部田(へた)熊野神社 文政7(1824)年
棟札に記された文政7年は伊八の没年(享年73歳)とされている。 -
初代伊八は本名を武志伊八朗伸由(1751〜1824)といい鴨川市の生まれです。73歳で亡くなるまで多くの欄間彫刻を残しました。特に後述の行元寺の彫刻から「波を彫らせては天下一」と言われ、「波の伊八」として知られるようになりました。
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神輿の4面にびっしりと彫刻がほどこされています。欄間彫刻は上のほうにありますので、これ程間近に彫刻をみる機会は少ないと思われます。
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金具の繊細なデザインにも注目ください。
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想像上の動物である龍をこんな風に躍動感あふれる形として表わした伊八の感性は、現代においても通用するものと思われました。
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初代 伊八 欄間彫刻
「波に鯉」 文化年間 (19世紀)
個人蔵
作風から初代伊八50代以降の制作と考えられる。 -
今にも画面から飛び出しそうな鯉の様子。
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欄間彫刻 「波雲に龍」 年代不詳 栄真寺蔵
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龍の頭部の拡大
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初代 伊八 欄間彫刻 「波に龍三態」
長南町 称念寺本堂 文政6(1823)年 伊八72才の作
写真の展示 -
初代 伊八 向背彫刻 「龍」
いすみ市 飯綱寺本堂 寛政8(1796)年 伊八45才の作
石橋 武氏撮影写真の展示
そのほか、石橋氏撮影の伊八の龍の欄間彫刻の作品写真が多数展示されていました。 -
伊八の彫刻の見られる寺社一覧です。
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雲龍図 狩野即誉 筆 (芝愛宕下狩野家6代の絵師)
江戸時代 末期
個人蔵 -
帰途、行元寺(ぎょうがんじ)の案内板を見つけ、案内されるままに車を走らせました。行元寺といえば、波の伊八として知られるようになった、武志伊八朗の有名な波の欄間彫刻のあるお寺です。
行元寺は山号を東頭山と称し、849年、慈覚大師によって開山、東国最初であることから東頭山の名があるとのことです。徳川家の庇護のもと10万石の処遇を受け、学問寺として末寺100ヶ寺、芸術や文化向上に貢献されてきたお寺とのことです。学僧の亮運は、天海とともに家康の信頼を集め、後には上野寛永寺学頭となって家光の師となったことで特に知られているとあります。 -
参道には立て看板もあって、期待が高まります。 しかし予約もないし,内部の見学は難しそうなのでお参りだけでもしていこうと向かいました。
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堂々とした山門の様子です。
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山門は近年修復が行われていて鮮やかな色彩となって聳え立っていました。
彫刻にはラピスラズリ(群青色)、孔雀石(緑)、水銀朱(赤)が、柱や外壁には丹に水銀朱(朱色)が使われて修復されたとのことで、莫大な費用がかかったようでした。 -
本堂と書院が見えてきました。本堂入口の扉は少しの隙間が開いているだけでしたので,入って良いものやら迷いながらウロウロしていました。その気配を聞きつけて下さったのか,ご住職が書院の方から出てきてくださいました。丁度ひと組の方のご案内をされている最中だったようで,一緒にご説明をうかがうことができました。一人でこんな雪の日に!と驚かれたご様子でした。
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長年伊八について研究されてきたご住職、市原淳田師のご説明はすばらしいものでした。
また最近「北斎の南総行脚」 副題として‘堤 等琳、波の伊八を慕って’という本を出版されたご住職のお話をうかがい、かつて伊八と北斎がこの地で出会ったというお話もなるほどとうなずけるものがありました。 -
伊八の影響をうけた北斎の名作「神奈川沖浪裏図」がやがてゴッホやクローデルの波に影響を与え、ドビッシーの交響曲にまで及んでいったというお話には思わず聞き惚れました。
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1806年北斎は堤 等琳の画を慕って、いすみ市岬町にある飯綱権現を訪れたようです。そこで等琳の天井画や伊八の彫刻を見たとされています。等琳の弟子であった等隋と北斎の交流は知られておりますので、等隋の描いていた行元寺書院の杉戸絵の「老梅に白鷹」、またやはり制作中であった伊八の波の欄間彫刻も目にしたはずです。
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伊八は行元寺住職から波図彫刻を中心として欄間制作の依頼をうけていました。般若心経の中の色即是空・空即是色の「空」を波で表現するように。この世に形あるものすべては波のように消えていく。だから一瞬一瞬を大事に生きることというメッセージを波にたくして彫刻を彫るようにと。伊八の波は、浪裏を下から覗き、浪の背を上から見下ろすという複数の視点で彫っており、更に写実、遠近法も駆使している。どんなにか北斎は驚いたことでしょう。
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ご住職のご説明は書院から本堂へと移りました。
本堂欄間に「宝永3年彫物大工高松又八郎邦教」の銘があることから一大発見と驚かれました。幻の名工とされる高松又八は江戸では徳川家御用の彫物師であり、江戸城改修工事の際、彫り物棟梁として活躍、上野寛永寺の4・5代家綱・綱吉の廟、芝増上寺に6代家宣の廟に彫り物を残しましたが、戦災により消失してしまったため、行元寺以外には他の作品の存在は確認されていないとのこと。 -
欄間彫刻「牡丹に錦鶏」
以前は欄間彫刻のことなど世間ではあまり注目を集めなかったけれども、つい前の日もバスで三台、見学の団体があった・・・とご住職はおっしゃられました。長い間、お寺の文化財の研究をされてこられたに違いないご住職の感慨が伝わってきました。 -
日本一の大きさとされる葵紋。東照宮にもこの大きさの葵紋は見られないとのことでした。
アップしました写真、説明文は行元寺のパンフレット、ご住職・市原師による「北斎の南総行脚」などの著書から引用させていただきました。
当日は後半は私一人の為にお寒い中ご説明いただき、また、後で知りましたが、平日の見学は予約の団体のみとお寺のパンフには書かれているにもかかわらず、快くご案内いただきましたことを感謝申し上げます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- わんぱく大将さん 2014/04/07 02:11:21
- 素晴らしい芸術
- mistralさん
素晴らしい芸術は、今のように情報入手が困難でない時代以前から、影響され、影響し、とライバルの向上心を盛り上げたことと思います。
そこからまさしく飛び出てくるようです。
大将
- mistralさん からの返信 2014/04/10 09:38:48
- RE: 素晴らしい芸術
- 大将さん
コメントをありがとうございます。
今朝は初夏のような陽気です。
寒暖の差が激しくて、日本の穏やかな四季の移り変わりが
なくなりつつあります。
洋の東西を問わず、心に響く芸術に出会うと
ハッとさせられます。
またそこには、それを育んできた人々がいるということ
なんでしょうね。
そういう出会いに感謝です。
mistral
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