2011/05/22 - 2011/05/24
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deracineさん
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♪こよなく晴れた青空を悲しと思うせつなさよ、、、
子供の頃よく耳にした「長崎の鐘」の冒頭の一節です
長崎県立医大の永井隆博士が書いた同名の本をもとに戦後間もないころ作られ大ヒットした曲です
この鐘とは浦上天主堂の鐘楼にあったアンジェラスの鐘のことで、原爆の直撃を受けましたが奇跡的に残存し未曽有の原爆惨禍から立ち上がろうとした長崎の人々を朝な夕なに励ましたとのことです
東日本大震災、それに伴う福島原発事故で日本中が打ちひしがれているとき、ふとこの懐かしい曲のことが頭に浮かび急に「長崎の鐘」の音を聞きたくなりました
事前に博士の書かれた「長崎の鐘」を読み「大人の修学旅行」をする気持ちで原爆の惨禍から見事に復興した長崎の街をじっくりと見学してきました
長崎の街は江戸時代唯一外国に開かれた「異国情緒にあふれた街」という縦糸と未曽有の原爆惨禍から見事に立ち直った「祈りの町」という横糸で織られた布に例えられるかもしれません
今回の後編では未曽有の原爆惨禍を乗り越え平和で美しい「祈りの街」に変身した長崎の姿を紹介したいと思います
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1945年8月9日午前11時2分 一発の新型爆弾が長崎上空で炸裂し罪無き長崎市民を地獄に突き落とした
広島に続き投下された原爆だ
この原爆の爆心地、いわゆるグランド・ゼロを訪れた
周辺のホテルのドギツイ表示が少し気になるが今日も多くの修学旅行生が訪れていた -
爆心地には移設された旧浦上天主堂の遺構が展示されている
旧浦上天主堂は東洋一の規模で1914年完成したが原爆の直撃を受け一部を残し全壊した
広島の原爆ドームのように遺構を保存する動きもあったが最終的には現在の形に決定された
それにしても無辜の多くのキリスト教徒を無慈悲に殺戮するとは -
再建された新しい浦上天主堂(正式には浦上教会 Urakami Cathedral)
1959年に完成
右塔には長崎の鐘のモデルとなったアンジェラスの鐘が設置されていて毎日3回(5:30、12:00及び18:00)鳴らされる -
天主堂前には破壊された天使の像などが展示されている
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原爆によって吹き飛ばされた鐘楼の一部が今でも保存されている
被爆時のままに保存されている唯一の旧天主堂本体の遺構 -
天主堂内部は両側にはめ込まれたカラフルなステンドグラスのおかげで明るかった
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「長崎の鐘」の著者永井隆博士が晩年暮らした如己堂
自らも被爆しつつも献身的に被爆者の救助、医療活動を行ったが白血病に冒される -
庭には一重のバラが可憐な花を咲かせていた
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永井隆(1908年〜1951年)は1928年長崎医科大学(現長崎大学医学部)に入学
隠れキリシタンだった下宿先の一人娘・緑と結婚、自身も入信する
大学では放射線医学を専攻した
1945年8月9日 爆心地から700mしか離れていない長崎医大診療室で被爆するも救護活動に奔走する -
三日後の8月11日やっと帰宅するが台所跡で骨片だけの状態となった妻・緑の遺骸を発見する
遺体のそばには焼け焦げた彼女のロザリオが残されていた(写真)
♪召されて妻は 天国へ 別れてひとり 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの 鎖に白き わが涙、、、 -
♪こころの罪を うちあけて 更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも 気高く白き マリア様
家の中をよく見ると白い小さなマリア像があった -
修学旅行生で混雑する原爆資料館にも足を伸ばし原子力のことをいろいろ勉強した
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エントランス近くに展示されていた平和の祈りの作品
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よく見ると折鶴で折鶴の絵が描かれていた
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原爆の投下状況を説明するジオラマ
原爆投下の第一目標は小倉だったが当日同市上空は雲がかかっていたため第二目標の長崎に変更された
しかも本来の投下目標(三菱・長崎造船所?)より北にずれて投下、浦上地区を直撃することになってしまった
原爆の人的被害は当時の長崎市の人口は約24万人に対し
死者73,884人、負傷者74,909人 と甚大だった -
これが長崎に投下された原爆・ファットマンのレプリカ
ウラン235を使用した広島型とは異なりプルトニウムを使用し威力は広島型の1.5倍だった
特に女子学生が熱心にメモを取りつつ見学していたのが印象的だった -
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原爆の熱線で一瞬にして焼け焦げた死体
目をそむけたくなるような残酷な写真だが原爆の悲惨さから目をそらすわけにはいかない -
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永井博士が書いた「長崎の鐘」 1949年1月に出版された
当時日本はGHQによる占領下にあり、GHQによるマニラ大虐殺の記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に出版が許可されされ空前のベストセラーとなった -
平和公園にある平和記念像(北村西望作)
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平和公園では毎年8月9日に平和祈念式典が行われる
その際原爆が投下された11:02に犠牲者を弔うためこの鐘が鳴らされる -
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鐘の音に励まされ廃墟から見事に復興した長崎の町
その夜景は日本三大夜景のひとつとしても知られている
鑑賞スポットはいくつかあるが中でも360度の視界が楽しめる稲佐山が特に有名
幸い繁華街のホテルから稲佐山麓のロープウェイ乗り場まで無料バスが出ていたのでこれを利用した -
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山頂にある展望台からは遠くの島々が見渡せた
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ここにも修学旅行生が大勢押し寄せていた
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暗くなるにつれて街の明かりが輝きだした
斜面の上の方まで伸びた街明かりと青いハーバーライトが美しい光のハーモニーを競演していた -
どういう教育効果があるのか不明だがこの展望台にも修学旅行生が大挙押し寄せて陽気に走り回っていた
灯火管制など知らない平和な時代に生まれてきた彼ら
長崎で平和の尊さを学んでほしいものだ -
古くから港町として発展してきた長崎は新しいもの好きだ
日本で初めて導入された珍しい斜行エレベーターでホテルから歩いていける夜景スポット「グラバースカイロード」も行ってみた -
斜行エレベーターの傾斜は約31度、5階分をノンストップで1分16秒で上がる
その後通常のエレベータで3階分上り外に出るとそこはもう絶景のスカイロード -
展望台(のようなものはなく、単に歩道と欄干があるだけだが)には案内図があった
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一番アジア大陸に近い天然の良港として発展した長崎
平地が少ないというハンディを丘陵地を開発するという手法で克服したおかげで斜面の上の方まで住宅地が延びている
手前には大浦天主堂の尖塔が見えた -
夜になると青いハーバーライトやオレンジの街灯が点灯、降り出した雨によって濡れた道路に街灯が反射していた
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こちらはグラバー園対岸の稲佐山の昼の光景
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♪長崎は今日も雨だった、、、、
雨に打たれながらグラバースカイロードから撮った夜景
稲佐山頂上は雲に隠れていたが時折赤い航空標識灯が雲の切れ間から見えた -
もうひとつ夜景スポットとして有名な鍋冠山にも足を伸ばしたが、、、、
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あいにくの雨で視界不良
晴れていればグラバースカイロードより高い位置にあるので更に見事な夜景が見られたのに残念だ
写真は頂上の展望台 -
長崎みやげに買った本場 ?砂屋のカステラ
めでたい「蝙蝠」のマークがついている -
出島のみやげショップで買った長崎の本
できれば平戸にもいつか行って見たいと思った
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