2012/12/05 - 2012/12/12
423位(同エリア2403件中)
ペコちゃんさん
- ペコちゃんさんTOP
- 旅行記407冊
- クチコミ106件
- Q&A回答1件
- 622,731アクセス
- フォロワー21人
南ドイツは一度行ったことがありますが、見どころが多いドイツの良さは、1回では十分にはわかりません。
もう一度、ドイツの観光とクリスマスマーケットの両方を楽しもうと思って、2012年12月に8日間のツアーに夫婦で行って来ました。
このツアーは行く先々の観光地(10か所)でクリスマスマーケットに行き、そこでは、1時間位のフリータイムがあり、街の中心地を十分に楽しむ事が出来ました。
時節柄、参加者は15名と少なく、ベンツの大型バスでゆったりと観光し、寒い国は寒い時期こそ味があるナー、と実感できるツアーでした。
ドイツは殆どの町でクリスマスマーケットを開いており、11月下旬からクリスマスまでの1か月間を、市民の皆さんはマーケットに繰り出してグリューワインを飲んだりして楽しんでいます。
クリスマスツリーなどの飾り付けは、日本と違ってクリスマス当日に行うそうです。
国民の7割がキリスト教徒のドイツは、カトリックとプロテスタントが半々ですが、カトリックが多い南部に対して宗教改革のマルティン・ルターを産んだ北部はプロテスタントが多数だそうです。
写真は、ワイマールで見たクリスマス定番の「レープクーヘン」(蜂蜜などを使ったクッキーのようなケーキ)です・・・どの町のクリスマスマーケットでも見かけました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
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今回のドイツの旅は8日間ですが
フランクフルト ⇒ アイゼナハ ⇒ ワイマール ⇒ ライプツィヒ ⇒ モーリッツブルク ⇒ マイセン ⇒ ドレスデン ⇒ ポツダム ⇒ ベルリン ⇒ シュヴェリーン ⇒ ヴィスマール ⇒ リューベック ⇒ ブレーメン ⇒ リューネブルク ⇒ ハンブルク
と、東ドイツ~北ドイツの14の都市を回るツアーです。 -
<1日目>
成田に前泊し、10時25分発フランクフルト行のルフトハンザ直行便で12時間半のフライトです。
前回の旅行では、ドイツの食事は「要、改善」でしたが、今回の機内食は「良好」の評価で、ツアー中の食事に期待が持てそうでした。
(上:すき焼き、下:チキン) -
フランクフルト空港に午後到着。
フランクフルトには雪がありませんが、少し走ると周りは白銀の世界・・・その中を、今夜の宿泊地・アイゼナハに向かいます。 -
途中のドライブインでトイレストップ。
左側の自販機のような機械に70セント入れてトイレを使用・・・この時のチケットで50セントの買い物が出来るので、トイレ代は差し引き20セント。
慣れないこのシステムに、ツアーのメンバーは大騒ぎでした。
欧米では殆どのトイレが有料なので、旅行に行くと日本の良さをしみじみ感じます。 -
今日はアイゼナハにある「ペンタホテル」に宿泊。
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ペンタホテルの317号室から、明日観光するヴァルトブルク城がライトアップされて綺麗に見えました。
明日への期待が高まります。 -
冷えると思ったら、さすが冬のドイツ・・・夜中に雪になり、10~20センチほど積もりました。
ただ、サラサラした粉雪タイプなので、旅行には支障がない感じです。
やっぱり雪がなくては、ドイツの冬の旅の気分が出ません。 -
<2日目>
朝、起きてみると、各部屋の入口にサンタさんのチョコが置いてあります。
” えっ!なんで? ” ・・・後で聞いてみると、12月6日は聖ニコラウス・デー。
そしてこの日は、ニコラウスが子供たちにプレゼントをもって来てくれる日なんだって?!!!
5日の夜から6日の朝の間に、チョコレートを玄関前に置いておく訳です。
聖ニコラウスの形のチョコレート、ちょっとしたプチプレゼントです。
何ともステキな習慣じゃないですか・・・嬉しかったです。 -
パンをはじめ、美味しい朝食です・・・これからも、朝食が楽しみになりそう。
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アイゼナハの観光スタート。
ドイツのほぼ真ん中にあるアイゼナハは、人口が4万3千人・・・工業都市としての顔もあり、オペル社の自動車工場があります。
街中の " H ” マークは、バス停。 -
宗教改革を主導したルター(Martin Luther、1483~1546)が学生時代に住んでいた家・・・1498~1501年までラテン語学生として、この家に下宿していたそうで、今は博物館になっています。
この建物は、アイゼナハで最も古い木組み建築の家屋の一つでもあるため、伝統的な建築物としても注目されています。 -
ルターの家がある広場に面した家・・・ドイツらしい木組みの家に雪が積もって、冬のドイツのムード満点!
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ルターの家の向かいにある建物。
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壁にあるキリスト像・・・どことなくユーモラスなキリスト様。
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街灯の飾り・・・以前、行ったドイツのリューデスハイムにも鉄製の素敵な看板が沢山ありましたが、ドイツのアイアン芸術は素晴らしいですね。
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街中にあるクリスマスマーケットの、小さなクリスマスタワー・・・夜になったら、大勢の人で賑わうことでしょう。
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近代音楽の父・バッハ(Johann Sebastian Bach)の記念館・博物館。
バッハは1685年、アイゼナハで代々音楽を職業とした一族の一家に末子として生まれました。
その生家は既にありませんが、この記念館は600年以上前に建てられたバッハの一族の家を利用して、当時の寝室や台所などを復元しています。
また、バッハの時代のバイオリンやトランペット、オルガンなどの楽器が展示されていて、一定時間ごとに生演奏も行われています。
朝早かったため、開館してなくて見学できませんでした・・・残念! -
雪を被ったバッハ像。
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雪の山道をバスで登り、ヴァルトブルク城へ到着。
これは城の隣にあるホテル・・・こんなホテルにも泊まってみたかったな~。 -
由緒ある城ですが、今まで知りませんでした。
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1999年に世界遺産に登録された「ヴァルトブルク城」・・・複数の建物が異なる時代に建造されており、最古の城門は12世紀の建築物です。
ヘルマン1世(1190~1216)の時代に城内で歌合戦が行われたことで知られ、「ヴァルトブルクの歌合戦」という歌集がまとめられました。
宗教改革を行ったマルティン・ルターが城に隠れ住み、「新訳聖書」を翻訳した部屋もあります。
また、リヒャルト・ワーグナー(1813~1883)の歌劇『タンホイザー』の舞台にもなっています。 -
ヴァルトブルク城は1067年、テューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーが山頂を見て「待て(wart)、汝、我が城(burg)となれ」と叫び建築を命じたことに由来するとされています。
城門から入場。 -
城内の壁画。
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鮮やかなシャンデリア。
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色彩で囲まれた窓。
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城内の説明は、案内のおじさんが持っている日本語のカセットテープで。
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美しい壁画。
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「タンホイザー」の歌合戦のフレスコ画。
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柱の土台には、獅子が刻まれています。
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壁画の修復作業をしていました。
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歌合戦が開かれた「祝宴の間」・・・中世には恋愛詩人達が歌合戦を繰り広げたそうです。
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両サイドの座席・・・仕切りの肘掛けには、猫やニワトリなどの彫刻が。
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ルターが匿われて住んでいた部屋・・・質素なこの部屋で、新約聖書をドイツ語に翻訳しました。
ルターが悪魔に投げつけたインクの跡が今でも残っているそうですが、分かりませんでした。 -
ルターの肖像画。
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城も良かったけれど、この雪景色も、なかなかの眺めです。
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観光後、アイゼナハで白身魚のランチ。
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レストランの男子トイレの扉にあった注意プレート・・・ ” 男の子も、しゃがんでしましょう!! ”
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2番目の観光は「ワイマール」・・・フランツ・リストの家の前にあるカール・アウグストの像。
1776年、君主カール・アウグストがゲーテ(1749~1832)を行政官として招き、そこにシラー(1759~1805)が加わり、ドイツ文化の一大拠点となった街で、現在の人口は6万5千人。
第一次大戦後の1919年に国民劇場で憲法制定会議を行い、ここで制定された憲法がワイマール憲法です。
この憲法に基づいた1919~1933年までのドイツ共和国をワイマール共和国と呼びました。 -
「ゲーテの家」・・・文豪ゲーテは1782年からここに住み、 ” もっと光を ” の言葉を残して、1832年に亡くなりました。
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1907年に再建された「国民劇場」の前に建つ「ゲーテとシラーの像」・・・「ファウスト」を生み出したゲーテと「ウィリアム・テル」の作者として知られるシラーは、互いに固い友情で結ばれていました。
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「ワイマール城美術館」・・・クラーナハのコレクションで有名な美術館です。
15世紀に建てられたお城でしたが、18世紀の後半に火事で大部分が焼失し、1803年に再建されました。
その再建にはゲーテが関わっています。 -
ルターと親交があった画家・クラーナハの家。
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1696年創業の名門ホテル「エレファント」・・・かつて、このホテルのバルコニーからヒトラーが演説をし、またトーマス・マンに愛されていた、という歴史があります。
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ワイマールの市庁舎と、その前に前に広がるクリスマスマーケット。
昼間でも結構賑わっています。 -
「レープクーヘン」・・・蜂蜜たっぷりの生地に、シナモン・グローブ・コリアンダーなどの香料を入れ、円形や四角に焼き上げたクッキー。
アイシングやチョコレートでコーティングしてあり、飾りとして楽しんだ後、食べるそうですが、この色と甘そうな感じ・・・食べるのは、ちょっと勇気がいるかも(?) -
スーパーに立ち寄り、早速、女子はお買い物!
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街の飾り付けも、おしゃれ!
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サンタさんも、ヨイショ!
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クリスマスの可愛い飾り。
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「アンペルマン・ショップ」・・・アンペルマンとは旧東ドイツの信号機で使われていた人のマークで、小さな男の子がモチーフとなっています。
西ドイツとの統合に伴って、西ドイツと同じ大人のマークを使った信号機が使われる予定でしたが、可愛らしいデザインに親しんでいた市民が「アンペルマンを救え」という運動を起こし、 アンペルマンのマークは現在も使われています。
アンペルマンのマークは、ステッカーやマグカップにも使われており、旧東ドイツ各地のお土産として喜ばれています。 -
ドライバーのピーターさんはチェコ人で、1.93mの大男。
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3番目の観光は「ライプツィヒ」・・・人口は52万人の大きな町です。
中部ドイツのザクセン選帝候国の中でも、ライプツィヒは首都ドレスデンと並んで特に重要な都市として繁栄していました。
もともと南北・東西の交易路の交差点に位置するという好条件を生かして商業都市として発展し、豪華な商館や私邸や公共建築物が次々と建てられ、街の様子を一層豪華なものにしていきました。
このライプツィヒにある「聖トーマス教会」は、1723年から1750年にかけて、バッハがオルガン奏者兼音楽監督を務めたことで知られる教会です。
今回の旅行では入場観光にはなっていませんが、どうしても中を見たいと思っていました。 -
教会のそばには、アイゼナハに次いで、2つ目のバッハ像・・・1908年に彫刻家カール・ゼフナーが制作した像です。
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トイレタイムで教会近くのトイレにツアー仲間が行っている間に 急いで単独行動!
「プレイバッハ」で有名なジャック・ルーシェ・トリオの演奏会が、2004年7月にこの教会で開催され、成功を収めました。 -
主祭壇など教会の中は、美しいステンドグラスが飾られています。
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祭壇の前にあるバッハの墓・・・1950年にここに移葬されてきたそうです。
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プロテスタント・ルター派の教会なので、ルターのステンドグラスもあります。
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バッハのステンドグラス。
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ハンブルクで生まれ、ライプツィヒで1847年に38歳の若さで死去したメンデルスゾーンのステンドグラス。
メンデルスゾーンはゲヴァントハウス管弦楽団を率いて、当教会で『交響曲第2番「讃歌」』を初演し、またバッハの音楽を今日の評価へと蘇らせました。 -
マルクト広場にある、1557年に完成した旧市庁舎前のクリスマスマーケット。
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この辺りは街の中心部ですが、街全体がクリスマスマーケットのよう・・・雪が降っても、ライプツィヒの夜は賑わっています。
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友達と飲んでたお兄さんと一緒にパチリ・・・手に持ってるカップからは、美味しそうなワインの香りがしていました。
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このお店で、上にぶら下がっている風鈴のような鐘と足長のサンタさんを買いました。
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飲んだり食べたり、皆さん、楽しんでますねー・・・とても楽しそうでした!
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今日の夕食は、ゲーテや森鴎外も通った、1525年創業の「アウアーバッハス・ケラー」。
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入口にあるファウストとメフィストテレスの像。
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地下にある店に入ると、広いレストランも、ほぼ満席。
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店内には、いくつかの壁画が描かれています。
これは、ファウストの壁画。 -
この壁画には、右側に森鴎外が・・・鴎外はライプツィヒ大学に留学し、ホフマン教授のもと、医学の研究に精を出しましたが、ビールが大好きで、このレストランによく通ったそうです。
1885年12月に訪れた際に、ファウストを翻訳することを決心し、その後、日本最初の翻訳を出版・・・アウアーバッハス・ケラーはこの偉業を称えて、2009年に幅3m余りの森鴎外の壁画を描きました。 -
メインは肉料理。
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夕食後、バスでホテルに向かう途中に見かけた「ライプツィヒ中央駅」。
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今日の宿泊は「ラマダ ホテル ライプチヒ」。
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<3日目>
朝、ホテルの玄関を出ると、見事な朝景色・・・かなり、冷え込んでいます。 -
美味しかった朝食。
手前のパンは「キュルビスケルン・ブロートヒェン」・・・カボチャの種など雑穀が入ったパンで、仄かな甘みと香ばしさが特徴の美味しいパンです。 -
ラマダホテルのフロント。
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8時にホテルを出発して、雪景色を見ながら進むと、風力発電機があちこちに・・・2022年までに原発廃止を決めたドイツでは、多くの風力発電機を設置しています。
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途中のドライブインに立ち寄ると、ここにも風力発電機。
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4番目の観光は「モーリッツブルク城」。
ドレスデン近郊の森の中、水に囲まれた左右対称の美しいバロック様式宮殿で、16世紀にザクセン大公・モーリッツの狩猟用の館として建設されました。 -
絵葉書のようなモーリッツブルク城の写真。
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正面の窓には、クリスマスのカウントダウン・カレンダーが。
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城内に入ると、アウグスト強王の鹿角のコレクションなどが展示されています。
趣味悪い!・・・ ” こんなに鹿を殺さなくても良いのに ”
見ていた同じツアーの女性達も「鹿がかわいそう! こんなに鹿の首ばかりで気持ち悪い?」・・・全く、同感。 -
バスの駐車場の所で見かけた家・・・人間の眼のような窓は、笑ってるようにしか見えません。
日本では「何これ珍百景」に、こんな家が出てました。 -
レースニッツグルンド鉄道のSLで、モーリッツブルク駅からラーデボイル西駅まで30分の列車旅。
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不思議なことに、日本人以外の乗客はいません。
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5番目の観光地「マイセン」は人口2万8千人の工業都市で、佐賀県・有田町と姉妹都市です。
このレストランで昼食。 -
ビールを飲みながら、ミートボールのランチ。
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店内の飾り付けも素敵です。
私も旅行から帰ったら、クリスマスの飾りを用意しなくちゃ! -
マイセンの街を流れるエルベ川は、チェコ北部からドイツ東部を北へ流れ、ハンブルクの近くで北海に注ぎ、ヨーロッパでは14番目に長い河です。
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橋の先に見える「アルブレヒト城」・・・15世紀に建てられた後期ゴシック様式の城で、1710~1864年には城内にマイセンの磁器工場がありました。
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東ドイツでは、あちこちで見られる「アンぺルマン」の歩行者用信号機がマイセンにもありました。
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マイセン磁器工場(マイセンハウス)を見学します。
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歴代のマイセンの「双剣マーク」・・・このマークの形で、いつ頃の作品か分かります。
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店内には綺麗な明かりが・・・
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製造工程の実演を見学。
下の写真は、仕上げの工程。 -
ショップにはマイセンの磁器がズラリ・・・でも、コーヒーカップでも5万円ほどするので、気軽には買えません。
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せめて博物館で素晴らしい作品を鑑賞。
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名品の数々。
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マイセンからドレスデンに向かう途中の夕景色。
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「百塔の都」とうたわれた6番目の観光地、ドレスデンに到着。
ドレスデンはザクセン州の州都で、人口が52万5千人、州の商工業・交通・教育・文化の中心地です。
1945年2月の空襲で市の中心部が壊滅したこの街も、今は昔通りの姿に復元されています。
これは、1985年に再建が完了した「ゼンパーオペラ」。 -
「ツヴィンガー宮殿」にある「アルテ・マイスター」の絵画館は必見なので、フリータイムの時に駆け足で見てきました。
チケット売り場の人から「もう、閉館の時間が迫っているので、あまり時間がないですよ」と言われましたが、私達は、ラファエロの「システィーナのマドンナ」やフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」など、何点か見られれば良いので、駆け込みました。 -
写真は不可でしたが、大満足です。
10分で名画を見て、5分でお土産を買い、大急ぎで集合場所に駆けつけました・・・今回の旅行中、一番忙しかった出来事です。
ロビーで、記念にパチリ。 -
ラファエロ「システィーナのマドンナ」・・・このマドンナの優しい顔に魅せられた鴎外は、何度も通ったそうです。
(写真はHPより) -
絵画館のグッズ売り場で、天使がデザインされたバッグと眼鏡ケースを買いました・・・この天使が、たまらなくカワイイ!
サイゼリアにも、この絵はありますが・・・ -
フェルメール「窓辺で手紙を読む女」
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ジョルジョーネ「眠れるヴィーナス」
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短時間でしたが、心に残る素晴らしい絵画を鑑賞出来ました。
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大聖堂(旧宮廷教会)。
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ドレスデン城。
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第2次世界大戦末期の空襲で、殆どの歴史的建造物が破壊されたドレスデンの街ですが、奇跡的に戦災を逃れたのが、約20センチ四方のマイセン焼きタイルにドレスデンの歴史的人物を描いた「君主の行列」。
ヨーロッパ最古の武芸競技場だった「シュタルホーフ」の外壁に施された作品の大きさは、何と幅102m、高さ10.5mの壁画・・・2万5千枚のタイルを使い、1123年から1904年までの歴代35名のザクセン君主に加え、時代を彩った芸術家など総勢93名を描いています。
行列の中央は、ツヴィンガー宮殿を建てたアウグスト強王。 -
ドイツの代表的なクリスマスのお菓子「シュトレン」・・・この店で買いましたが、結構重いものです。
ツアーの間、添乗員さんから何度も ” シュトレンはドレスデンが有名ですよ ” と言われたたので、買わないわけにはいきません。 -
ドイツ最古と言われるドレスデンのクリスマスマーケットには、世界最大のクリスマスタワーがあります。
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「フラウエン(聖母)教会」・・・1743年に建築され、1945年2月13日の空襲で廃墟と化しましたが、1993年1月に再建が始まり、2005年に復元しました。
教会から回収された8,500を越えるオリジナルの石を選別し、石を三次元的に動かすことが出来るコンピューター画像化プログラムの機能を活用して、約3,800個が再建時に利用されたそうです。 -
建物の横には、ルターの像が。
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中に入ると、ミサが始まるところでした。
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建物の内部も見事に復元されていました。
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天井画。
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ドレスデンからケムニッツに向かい、宿泊する「アンバーホテル」ホテルで夕食・・・ドイツビールは、ウマい!
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<4日目>
「アンバーホテル」の外に出てみると、今朝は快晴ですが、早朝は寒い! -
こじんまりしたホテルですが、朝食もGOOD・・・窓側には、静かに朝食を楽しむドイツ人の老カップル。
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7時半にホテルを出発し、ポツダムへ・・・バスの温度計を見ると、今朝は、何とマイナス13度!!
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綺麗な北海道的風景・・・快晴の雪景色で、それほど寒くは感じませんでした。
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途中のバスの中、メンバーの殆どの人がウトウト眠ってましたが、私は、旅行中はバスで原則として寝ません・・・外の景色をずっと見ていました。
突然現れた霧氷の美しさに、「わーっ!、綺麗!」と、大声で叫ぶと、その声で何人かの人が起きて、バスの外の景色を一緒に堪能・・・後で「教えて下さってありがとう」と、感謝されました。 -
途中で寄ったドライブインのトイレの壁に、こんなタイルが・・・
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ドイツ人も、結構ユーモアがあるんですね。
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7番目の観光地「ポツダム」は、人口が14万人の都市です。
到着後、この立派な建物の左側にあるレストラン「ラーツケラー」で昼食。 -
店のカウンターには、読書中のサンタさんの人形が・・・何てユーモラスなんでしょうか、ついサンタさんに声かけたくなります。
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広い店内・・・お店のインテリアが素敵です。
壁にある鹿の飾りが音楽と共に首を動かし、ドイツ語の挨拶と歌で歓迎してくれました。 -
今日のビールは「ベルリナー・ヴァイセ」・・・ベルリンだけで作られる、酵母で発酵させた酸っぱいビールで、赤は木苺、緑はヴァルトマイスターという植物のシロップを加えており、ストローで飲みますが、味の方は(?)
赤と緑のビールに加え、黄色い服のツアー仲間にモデルになってもらいました・・・まるで、信号です! -
ランチのメニューはロールキャベツ。
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昼食後、サンスーシー宮殿に向かって、市内を走っている時に見かけた「ポツダム映画博物館」・・・1685年に建てられた、ポツダムでは一番古い建物。
ポツダムは戦前、「嘆きの天使」などの名作映画が多く撮影された場所であり、マレーネ・ディートリッヒなどが活躍しました。 -
これはプロテスタントの「聖ニコラス教会」。
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ポツダム中央駅に立ち寄り、トイレ・ストップ。
本当は、さきほどのレストランで済ませる予定が、トイレは長蛇の列で、出来なかった人がいたので、急遽、中央駅のトイレを借用。 -
駅構内の大きなクリスマス・ツリー・・・駅の中を見ることが出来て、ラッキー!
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ベルリンを中心に、あちこちで見られた芸術作品(?)
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サンスーシー宮殿の入口にある歴史的風車・・・1791年に建造され、1945年に火災で全焼しましたが、1993年に再建。
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宮殿の入口で、フルートを吹くおじさん。
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ポツダム市街の西に広がる、広大なサンスーシー公園の北東部に建つロココ様式の「サンスーシー宮殿」・・・プロイセンのフリードリヒ2世(1712~1786)が夏の離宮として建設。
1階建てで、部屋数も12室という小さな宮殿ですが、フリードリヒ2世はここを離宮ではなく居城として利用しました。
中央に「楕円の間」、両端に「円形の間」があるほか、西に大きな風車小屋がある庭園があります。
「サンスーシー」とは「憂いがない」という意味のフランス語。 -
宮殿の前でガイドさんの説明を聞きます。
夏には、宮殿前の庭園も綺麗な花で一杯でしょう。 -
1747年に宮殿を建てたフリードリヒ2世(大王)の墓・・・何故か、ジャガイモが沢山お供えしてありました。
実は、大王はジャガイモ普及に尽力しましたが、本人はジャガイモを一切口にせず、好んだのは、イタリア料理ポレンタ(トウモロコシがゆ)だとか・・・ -
宮殿の裏側の回廊。
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宮殿の横にある温室。
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次は「ツェツィリエンホフ宮殿」・・・1919年にプロイセン王国最後の王・ヴィルヘルム2世が築城し、1945年のポツダム会談の会場にもなった宮殿です。
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宮殿の中庭。
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潜水艦を想わせるインテリアの部屋。
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調度品も立派です。
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オランダ製デルフト焼きの暖炉と灰皿。
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第二次世界大戦末期の1945年7月、アメリカ・イギリス・ソ連の三国首脳が日本とドイツの戦後処理で会談した「ポツダム会談」で使われたテーブル。
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ポツダム会談の写真。
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第2次世界大戦に関連する写真が掲示されています。
これは、上が広島、下が長崎に投下された原子爆弾の写真。 -
ポツダム会談の各国首脳・・・アトリー(英)、トルーマン(米)、スターリン(露)。
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ポツダム会談に先立ち、1945年2月に開催された「ヤルタ会談」・・・イタリアは既に降伏し、ドイツの降伏も近いと想定され、チャーチル(英)ルーズべルト(米)スターリン (露)の三国首脳が戦後処理に関する会談を、ロシアのクリミア半島にある保養地・ヤルタで行った時の写真です。
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見学の後は、ポツダムのクリスマス・マーケットへ・・・正面はニコライ教会。
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美味しそうなパンケーキの店や、面白い人形を飾ったハンバーガーの店など、観るだけでも楽しくなります。
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8番目の観光は、首都「ベルリン」・・・人口が350万人の大都会で、東京および津和野(ベルリンにも留学した鴎外との縁)と姉妹都市になっています。
これは、1873年に建てられた67mの戦勝記念塔「ジーゲスゾイレ」。
多くの国と国境を接しているヨーロッパの国々は、昔から戦争が絶えませんでした。 -
ここの信号を渡ると、いよいよ「ブランデングブルク門」。
交差点にベルリンの壁の説明看板がありました。 -
ベルリンはかつて星型要塞に囲まれた城郭都市でしたが、1734年にプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は要塞の廃止を命じ、その代わりに市街地全体を大きく取り囲むようにベルリン税関壁が設けられました。
そして、いくつかの税関門が設けられましが、ブランデングブルク門は1791年にフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の命で造られた門です。 -
門の上にある勝利の女神と4頭立ての馬車「カドリガ」。
1806年にナポレオンが持ち去りましたが、1814年に戻されました。 -
古代ギリシャ風に設計された、本当に立派な門です。
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門の広場には、観光客相手のナチス軍が・・・
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広場に面した迎賓館的名門ホテル「アドロン」。
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次は「ベルリンの壁」を見学。
西ベルリンへ脱出する東ドイツ人が増加したため、1961年8月13日に東西ベルリンの境界線をすべて封鎖して造られた壁で、周囲は155km、最高4.1mの高さがありました。
今回の旅行で、一番見てみたかったものの一つでした。
ドラマチックな何かを期待していた訳ではなく、もっと心に響いてくるものがあるかなと、思っていましたが、壁はそこにただ静かに存在していました。
長男から頼まれていた、ベルリンの壁の「かけら」も記念に買えたし、マー、良しとしましょう。 -
ベルリンは1701年にプロイセン王国の都となって以降、ナチス・ドイツ政権が1945年5月8日に崩壊するまで、ドイツの首都でした。
これは、第二次大戦後、英・仏・米・ソの4カ国によって分割統治された旧ベルリンの地図。 -
1989年に、民主化を求めた東ベルリン市民により、壁は壊されましたが、何箇所か見学できる壁が残されています。
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ブランデンブルク門の近くにある「ホロコースト記念碑」・・・ホロコースト(ナチス・ドイツがユダヤ人などに対して行った大量虐殺 )で殺された犠牲者のための記念碑です。
約2万平方mの敷地に、2,711基のコンクリート製の石碑が並んでいます。 -
次は、「ペルガモン博物館」に行きました。
ベルリンの南北を流れるシュプレー川の中州は、5つの博物館と美術館が建てられ「博物館島」と呼ばれています。
1930年に完成した中央の『コ』の建物がペルガモン博物館で、内部には巨大な遺跡がそっくりそのまま展示され、他の博物館にはない壮大なスケールです。 -
これは、ペルガモン(現・トルコのベルガマ)から発掘された「ゼウスの大祭壇(ペルガモンの大祭壇)」・・・古代ヘレニズム期のペルガモン王国で建設されたもので、祭壇の大きさに驚かされますが、当時の祭壇は3倍の規模。
ギリシャの神々と巨人たちとの戦いが祭壇装飾のテーマで、ゼウスが巨人たちと戦っている場面が祭壇に彫り込まれています。
1864年にカール・フーマンらが発見し、ドイツに持ち帰ったものだそうです。 -
「ミレトスの市場門」・・・ミレトスはトルコにあるギリシャの植民地だった町で、この門は城壁として129年に造られた大理石の門で、高さは17m、幅29m。
1909年に発掘されました。 -
「イシュタール門」・・・古代バビロニアで紀元前6世紀に建設された、高さ:14.7m、高さ15.7mの門で、青い彩釉煉瓦の壁に獣の体と鳥のような足、蛇のような首をもった想像上の動物・シリシュが描かれています。
旅行に来る前、この門の青レンガの美しさを楽しみにしていましたが、思った通りの青の迫力でした。 -
門の両脇にある釉薬煉瓦の装飾は王の間の外壁のファザードで、イシュタール門と同じ手法で造られています。
ここに描かれているのは、戦の女神・イシュタルを守る、聖なる動物のライオンです。 -
30mある行列通りの壁画・・・実際には180mも続く道路だったそうです。
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サムアル(ヒッタイト滅亡後、ユーフラテス川上流にアラム人が建国した小国家)の城門の所に展示されているライオン像。
主に古代ギリシャ、古代バビロニア、ヘレニズム期の古代建造物を館内に再現したペルガモン博物館ですが、出土した遺跡をベルリンに持ち帰って展示するとは、ね! -
今日の最後は、赤の市庁舎のクリスマスマーケット。
これまで立ち寄った街のクリスマスマーケットは1か所でしたが、首都ベルリンは何箇所もあります。 -
ここの目玉は、大観覧車とスケートリンク。
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スケートに興じるベルリン市民・・・奥の建物はベルリン市庁舎。
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クリスマスマーケットに隣接したマリエン教会と、東ドイツ時代の1969年に建てられた365mのテレビ塔。
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今日のホテルは「ホリデイ・イン」・・・回転ドアの真ん中にはサンタさんが飾られ、アンぺルマン君が、優しく「進め」と誘導してくれています。
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夕食はホテルのレストランで・・・ハヤシライスのような、柔らかい牛肉の煮込みでした。
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<5日目>
ホリデイ・インの朝食も ” GOOD! ” -
フロントの朝の風景・・・ドライバーのピーターさんもチェックアウト。
今日から、いよいよ北ドイツに入ります。
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