2013/06/04 - 2013/06/04
443位(同エリア777件中)
ベームさん
13日目、6/4(火)。
いよいよドナウ川の流域に入ってきました。
今日の予定はノイブルクから日帰りでケルハイムという町に行き、ドナウ川の遊覧船に乗りヴェルテンブルク修道院に行き、修道院付属教会を見て修道院で作っているビールを飲んで良い気持ちになり、帰りにインゴルシュタットを散策しノイブルクに戻る、というものでした。
ところが連日の雨と川の増水です。かすかな希望を持ちながら駄目もとの気持ちで鉄道とバスを乗り継いでドナウ川の船着場に行ってみると船着場は水没していました。とほほ・・・、ああやっぱり。
気を取り直しケルハイムの町を歩きました。街中、川沿いとも日本の大雨時のような警戒態勢は見られません。
ケルハイム:レーゲンスブルクの少し西にある人口1万6千人の小さな町。しかし866年に文献に表れている古い町です。1180~1908年までずっとヴィッテルスバッハ家の統治下にありました。
マイン川とドナウ川を結ぶマイン・ドナウ運河のドナウ川側の起点です。
写真はケルハイムの老舗ブランド、シュナイダー・ヴァイセのビール。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ノイブルク~ケルハイム~インゴルシュタット~ノイブルク。
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ノイブルク駅。
ノイブルク7:04発AG、ザール(ドナウ)駅でバスに乗換え、ケルハイムセントラル8:28着。 -
ノイブルク駅のホーム間の移動は堂々と線路を渡ります。
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AG/Agilisの車両。
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車内のトイレ。
綺麗です。 -
ザール(ドナウ)駅。
ここでバスに乗換えヴェールトプラッツ・ツェントルム・ケルハイムという長ったらしいバス停まで。
ミニバスの運転手、客と話しながらの運転で踏切の一旦停止もしない。ドイツのバスの運転手は煙草を吸ったりラジオを聴いたり携帯で話したり客と話したり、バス停で土地の人と冗談を言い合ったりポロシャツにジーンズか半パンツ、とにかく規律が有るのか緩んでいるのか。 -
その長ったらしい名前のバスターミナル。
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ドナウの船乗り場に行ってみると、
道路は無くなり、 -
船着場はなんと水没しているではありませんか。
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昨日のニュースでドナウ川が氾濫しているというのに、ひょっとしたら船が運航しているかもなんて考えた方がおかしいですよね。
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ドナウ川。
ヴェルテンブルク修道院のビールはきれいさっぱり諦めました。ケルハイム観光に切り替えます。 -
ドナウ川。
ケルハイムにもおいしいビールがあります。
ヴァイセスブラオハウスという1607年創業のバイエルンで存在する最古のヴァイスビア醸造所があるのです。 -
ヴィッテルスバッハシュロス。
ドナウ川沿いに少し歩きました。 -
バイエルン国王マキシミリアン2世。
1811~1864年。ノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世の父。 -
代々ヴィッテルスバッハ家の居城。
バイエルン公ルートヴィヒ1世生誕地。1200年頃の公爵で、後のバイエルン国王ルートヴィヒ1世とは違います。
1173~1231年。 -
町の入り口ドナウ塔。
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ドナウ塔。
13世紀中頃。 -
オットーカペレ。
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オットーカペレ。
バイエルン公オットー2世により、この場所で1231年暗殺された父ルートヴィヒ1世公の記念のため建てられた。 -
オットーカペレ。
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町を南北に走るドナウ通り。
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新市庁舎。1912年。
ドナウ通りとルートヴィヒ通りが交差するところにあります。 -
新市庁舎の壁画。
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旧市庁舎。
当初1548年、1824年再建。 -
新・旧市庁舎はルートヴィヒ通りに隣り合って建っています。
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町を東西に走るルートヴィヒ通り。
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バイエルン国王ルートヴィヒ1世。
バイエルン公ルートヴィヒ1世がいたりバイエルン国王ルートヴィヒ1世がいたりややこしいです。いずれにしても長年ヴィッテルスバッハ家の統治下にあったため今もこの町でヴィッテルスバッハ家は敬愛されているようです。 -
ルートヴィヒ通り。
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ビール醸造所ヴァイセスブラオハウスです。
壁に「1607年、バイエルンで最も古いヴァイスビーア醸造所」と書いてあります。 -
ヴァイセスブラオハウスのレストラン。
後ほどここで昼にしました。 -
製造しているビールのメニュー。
アルコールに弱いので何種類も飲めません。 -
アルカーデンハウス。
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マリア・ヒンメルファート/聖母被昇天教会。
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聖母被昇天教会。
15世紀。 -
聖母被昇天教会。
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以下聖母被昇天教会です。
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ポケットにねじ込んでいた帽子をここで落としたようです。後で気が付き小さな町ですので引き返すと帽子はポツンと祭壇の前に転がっていました。この帽子は後日別の教会でまた落としてしまい、結局とわの別れとなりました。
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ピエタ。
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ピエタの下段、聖母の死。
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ゲッセマネの祈り。
死を覚悟して神に祈るキリストと寝込んでいるペテロ、ヨハネ、ヤコブ。 -
キリストは3度起こしましたが3度眠ってしまいます。一人はごろんと寝転がっています。しょうのない弟子たちです。
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エラスムス塔。
14世紀。 -
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1803年までエラスムス教会があった。
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小奇麗な家。
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蚤の市。
マティアス・クラウスガッセ。 -
アルトミュール塔。
13世紀中頃。 -
アルトミュール塔。
マイン・ドナウ運河の袂です。 -
アルトミュール通り。
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マイン・ドナウ運河に弧を描いて架かる橋。
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ぐるっと半円形をして運河を跨いでいます。
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マイン・ドナウ運河。
工事期間1921~1992年。
バンベルクからケルハイムまで171キロ。これによりマイン川とドナウ川が結ばれ、ということは北海からライン川、マイン川、運河、ドナウ川を経由黒海まで繋がったのです。 -
対岸の武道(BUDO)アカデミー、ヘルスアンドフィットネスセンター。
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橋の上から。
ベフライウンクスハレ:解放記念堂。ナポレオンからの解放記念にルートヴィヒ1世が建立。1842~1863年。 -
橋の袂の”私は誰でしょう」。
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私は誰でしょう?。
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聖マチアス教会。
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聖マチアス教会
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聖マチアス教会。
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ルートヴィヒ通りと突き当りのミッテル塔。
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ミッテル塔。
14世紀。 -
ベフライウンクスハレ。
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アルターカナル・ハーフェン。
ルートヴィヒ1世が1843年に開通させたルートヴィヒ・ドナウ・マイン運河の名残です。 -
ルートヴィヒ1世が造った運河は狭く船を馬で曳いたりしていた。第2次世界大戦で破壊されたこともあり1950年廃止されました。
ちゃんとクレーンも倉庫もあります。
ルートヴィヒ1世は踊り子ローラ・モンテスと浮名を流して王位を失うなど問題も多かった国王ですが、行政的には随分業績を残したのです。芸術を奨励しミュンヘンを今のような芸術・文化都市に創りあげたのも、ドイツ最初の鉄道をニュルンベルク・フュルト間に走らせたのもルートヴィヒ1世でした。 -
それに代わって1992年に完成したのが今のマイン・ドナウ運河です。
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ルートヴィヒ・ドナウ・マイン運河。
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裁判所。
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ミヒャエル教会/オルガン博物館。
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ミヒャエル教会。
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可動橋。
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可動橋。
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可動橋。
ルートヴィヒ・ドナウ・マイン運河に架かっています。 -
可動橋の下のルートヴィヒ・ドナウ・マイン運河。
この先でドナウ川に繋がっていたのでしょう。 -
シュタットクネヒト通り。
左シュタットクネヒト塔/市の治安官塔?。
右シュライファー塔/研ぎ師の塔?。 -
シュタットクネヒト塔。
市壁の防御塔・監獄として使われた。 -
シュライファー塔。
1486年。
1931年、都市750年に際し第1次世界大戦の犠牲者の記念碑として捧げられた。 -
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先ほど見たヴァイセスブラオハウスに戻り伝統のシュナイダー・ヴァイセ、小麦の白ビールをいただきました。
ここの醸造所は1607年来バイエルンの小麦だけを使ってヴァイスビーアを造り続けています。
味は、正直のところ他のビールと変わらなかった気がします。 -
客は私一人。
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バス停でザール(ドナウ)行のバスを待っていると定期便でしょうか、だれも乗っていない観光ミニバスがにょろにょろとやって来ました。
ヴェルテンブルクへ行けなかったので予定を変更して歩いた町でしたがいい町でした、 -
インゴルシュタットに寄ってノイブルクに帰りました。
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