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東武東上線武蔵嵐山駅から徒歩約50分、積善寺(しゃくぜんじ)の後背地にある関東管領山内上杉氏もしくはその重臣が築城したと伝えられる杉山城(すぎやまじょう、埼玉県比企郡嵐山町)を訪問しました。<br /><br />当該城に設置の説明板には下記のごとく言及されています。<br /><br />「この城は戦国時代の築城と推定される典型的な山城です。総面積は八ヘクタ?ルに及び、山の高低差を利用して巧みに郭(くるわ)を理想的に配置しています。まさに自然の要害と呼ぶにふさわしい埼玉県でも屈指の名城と評価されています。<br /><br />現存する以降の保存状態も非常に良く、複雑に入り組んだ土塁や堀によって構成される城構えには当時の高度な築城技術が偲ばれます。<br />「馬出し」(うまだし)や「枡形」(ますがた)の塁線を屈曲させて構える「横矢掛り」の多用は、その典型とされるものです。また、城の立地についても北方に越畑城、高見城と連絡し、西方全体に鎌倉街道を見下ろすという絶好の条件を備えています。当時の社会情勢から判断して松山城と鉢形城とを繋ぐ軍事上の重要拠点の一つであったと考えられます。<br /><br />築城年代や城主名簿に不明な点も多いですが、地元では松山城主上田氏の家臣、杉山(庄)主水の居城と伝えられています。<br />平成13年3月    嵐山町教育委員会」<br /><br /><br /><br />また埼玉県比企郡嵐山町パンフレットには次のような説明があります。<br /><br />「杉山城跡は高度な築城技術であることから後北条氏の城として広く認識されていましたが、学術的な裏付けはありませんでした。そこで嵐山町が平成14年から18年にかけて5次の学術発掘調査を実施しました。<br /><br />その結果として城跡の年代が15世紀末から16世紀前半であり、小田原北条氏の時代ではなく、関東覇権を巡り山内・扇谷の両上杉氏と古河公方方による三つ巴の抗争が繰り広げられていた中で山内上杉氏により築城されたことがわかりました。(一部抜粋)」

武蔵嵐山 関東覇権を巡って古河公方足利氏と対峙する関東管領上杉氏が築城し多様な防御施設を施し中世城郭のモデルにふさわしい『杉山城』訪問

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2012/11/18 - 2012/11/18

147位(同エリア254件中)

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87

滝山氏照

滝山氏照さん

東武東上線武蔵嵐山駅から徒歩約50分、積善寺(しゃくぜんじ)の後背地にある関東管領山内上杉氏もしくはその重臣が築城したと伝えられる杉山城(すぎやまじょう、埼玉県比企郡嵐山町)を訪問しました。

当該城に設置の説明板には下記のごとく言及されています。

「この城は戦国時代の築城と推定される典型的な山城です。総面積は八ヘクタ?ルに及び、山の高低差を利用して巧みに郭(くるわ)を理想的に配置しています。まさに自然の要害と呼ぶにふさわしい埼玉県でも屈指の名城と評価されています。

現存する以降の保存状態も非常に良く、複雑に入り組んだ土塁や堀によって構成される城構えには当時の高度な築城技術が偲ばれます。
「馬出し」(うまだし)や「枡形」(ますがた)の塁線を屈曲させて構える「横矢掛り」の多用は、その典型とされるものです。また、城の立地についても北方に越畑城、高見城と連絡し、西方全体に鎌倉街道を見下ろすという絶好の条件を備えています。当時の社会情勢から判断して松山城と鉢形城とを繋ぐ軍事上の重要拠点の一つであったと考えられます。

築城年代や城主名簿に不明な点も多いですが、地元では松山城主上田氏の家臣、杉山(庄)主水の居城と伝えられています。
平成13年3月    嵐山町教育委員会」



また埼玉県比企郡嵐山町パンフレットには次のような説明があります。

「杉山城跡は高度な築城技術であることから後北条氏の城として広く認識されていましたが、学術的な裏付けはありませんでした。そこで嵐山町が平成14年から18年にかけて5次の学術発掘調査を実施しました。

その結果として城跡の年代が15世紀末から16世紀前半であり、小田原北条氏の時代ではなく、関東覇権を巡り山内・扇谷の両上杉氏と古河公方方による三つ巴の抗争が繰り広げられていた中で山内上杉氏により築城されたことがわかりました。(一部抜粋)」

交通手段
私鉄 徒歩
  • 杉山城跡遠景

    杉山城跡遠景

  • 積善寺石標<br /><br />まず積善寺を目指します。<br /><br />

    積善寺石標

    まず積善寺を目指します。

  • 積善寺<br /><br />杉山城跡大手口案内板が確認できます。<br /><br />

    積善寺

    杉山城跡大手口案内板が確認できます。

  • 積善寺本堂<br /><br />本尊は「阿弥陀如来」で役小角(えんのおづぬ)という修験道者が創建、時代は下り応永18年(1411)に比企氏、小高氏が檀家となった時期もありましたがその後荒廃してしまいますが伯耆国大山寺の祐源(ゆうげん)という僧侶により当寺の再興を果たします。

    積善寺本堂

    本尊は「阿弥陀如来」で役小角(えんのおづぬ)という修験道者が創建、時代は下り応永18年(1411)に比企氏、小高氏が檀家となった時期もありましたがその後荒廃してしまいますが伯耆国大山寺の祐源(ゆうげん)という僧侶により当寺の再興を果たします。

  • 本堂扁額<br /><br />山号「福王山」の扁額が掲載されています。

    本堂扁額

    山号「福王山」の扁額が掲載されています。

  • 杉山城跡大手道

    杉山城跡大手道

  • 出郭<br /><br />大手の前に配置された郭で、この郭と大手の間に溝が掘られていたことが発掘調査で判り、敵が大手に直線的に進入できない仕組みとなっています。

    出郭

    大手の前に配置された郭で、この郭と大手の間に溝が掘られていたことが発掘調査で判り、敵が大手に直線的に進入できない仕組みとなっています。

  • 出郭説明板

    出郭説明板

  • 大手口周辺

    大手口周辺

  • 大手口説明板

    大手口説明板

  • 大手口周辺<br /><br />大手道は左折の鈎型となっており、土塁に築かれた櫓から矢が射られ進入者を攻撃することができます。

    大手口周辺

    大手道は左折の鈎型となっており、土塁に築かれた櫓から矢が射られ進入者を攻撃することができます。

  • 大手口説明板

    大手口説明板

  • 外郭周辺

    外郭周辺

  • 外郭と馬出郭周辺<br /><br />手前の外郭から馬出郭に渡る方法として「木橋」が設置されていました。木橋は敵の進入の際はすぐ外せる「引き橋」タイプだったようです。

    外郭と馬出郭周辺

    手前の外郭から馬出郭に渡る方法として「木橋」が設置されていました。木橋は敵の進入の際はすぐ外せる「引き橋」タイプだったようです。

  • 木橋説明板

    木橋説明板

  • 馬出郭<br /><br />馬出郭は虎口前方に配置され空堀で区画された小規模の郭で、攻撃の際には一気に攻めだすために兵士を招集、守る際には敵の攻撃から虎口を守る為に兵士の援護する役割をします。

    馬出郭

    馬出郭は虎口前方に配置され空堀で区画された小規模の郭で、攻撃の際には一気に攻めだすために兵士を招集、守る際には敵の攻撃から虎口を守る為に兵士の援護する役割をします。

  • 馬出郭

    馬出郭

  • 馬出郭説明板

    馬出郭説明板

  • 土橋<br /><br />馬出郭と南三の郭を繋ぐ土橋が走り、左右は深い空堀となっています。

    土橋

    馬出郭と南三の郭を繋ぐ土橋が走り、左右は深い空堀となっています。

  • 空堀<br /><br />土橋から左の空堀を望みます。

    空堀

    土橋から左の空堀を望みます。

  • 空堀<br /><br />土橋から右の空堀を望みます。

    空堀

    土橋から右の空堀を望みます。

  • 南三の郭周辺

    南三の郭周辺

  • 食い違い虎口<br /><br />南三の郭と南二の郭とを繋ぐ食い違い虎口が見えます。

    食い違い虎口

    南三の郭と南二の郭とを繋ぐ食い違い虎口が見えます。

  • 南三の郭案内板

    南三の郭案内板

  • 南三の郭 西虎口説明板<br /><br />土橋を経て右折すると井戸跡に途中には竪堀を確認でき、左折すると馬出郭に戻り途中には南三の郭の屏風状に造られた土塁を見ることができます。

    南三の郭 西虎口説明板

    土橋を経て右折すると井戸跡に途中には竪堀を確認でき、左折すると馬出郭に戻り途中には南三の郭の屏風状に造られた土塁を見ることができます。

  • 土橋<br /><br />土橋を渡って右折して帯郭(細長い区画)に向かいます。

    土橋

    土橋を渡って右折して帯郭(細長い区画)に向かいます。

  • 竪堀<br /><br />帯郭から南西に落ちる方向に沿って大きな竪堀が構築され、これにより敵の横方向への動きを困難にさせます。

    竪堀

    帯郭から南西に落ちる方向に沿って大きな竪堀が構築され、これにより敵の横方向への動きを困難にさせます。

  • 帯郭周辺<br /><br />休憩ベンチが設置されています。

    帯郭周辺

    休憩ベンチが設置されています。

  • 井戸跡<br /><br />城跡内で確認されている井戸跡はここだけです。

    井戸跡

    城跡内で確認されている井戸跡はここだけです。

  • 石蓋<br /><br />蓋の石はおそらく築城中に掘り出されたものと思われます。蓋がしてあるのは廃城の際、敵方に使用されないようにしたものと思われます。

    石蓋

    蓋の石はおそらく築城中に掘り出されたものと思われます。蓋がしてあるのは廃城の際、敵方に使用されないようにしたものと思われます。

  • 井戸跡説明板

    井戸跡説明板

  • 南三の郭と空堀<br /><br />左側には南三の郭が屏風状に右側の低めの土塁の間に空堀が走っています。

    南三の郭と空堀

    左側には南三の郭が屏風状に右側の低めの土塁の間に空堀が走っています。

  • 屏風折(びょうぶおり)<br /><br />南三の郭が左から屏風状に張り出し、堀底から見ると高い屏風となり南三の郭が見えないようになっています。

    屏風折(びょうぶおり)

    南三の郭が左から屏風状に張り出し、堀底から見ると高い屏風となり南三の郭が見えないようになっています。

  • 食い違い虎口<br /><br />南三の郭と南二の郭を繋ぐ虎口は食い違いとなっています。敵が進入する際に直線で進入できないように土塁を平行にずらして防御し、方向転換をさせ行動を制限させるように工夫が見られます。

    食い違い虎口

    南三の郭と南二の郭を繋ぐ虎口は食い違いとなっています。敵が進入する際に直線で進入できないように土塁を平行にずらして防御し、方向転換をさせ行動を制限させるように工夫が見られます。

  • 食い違い虎口説明板

    食い違い虎口説明板

  • 南二の郭

    南二の郭

  • 南二の郭<br /><br />案内板には直進は本郭、左折は井戸郭となっています。

    南二の郭

    案内板には直進は本郭、左折は井戸郭となっています。

  • 南二の郭からの展望

    南二の郭からの展望

  • 南二の郭 東虎口説明板

    南二の郭 東虎口説明板

  • 東虎口周辺<br /><br />東虎口から下がった平坦面の虎口受と本郭の東側にある帯郭とが木橋で連絡されていたと思われます。

    東虎口周辺

    東虎口から下がった平坦面の虎口受と本郭の東側にある帯郭とが木橋で連絡されていたと思われます。

  • 土塁<br /><br />外郭から続く土塁は帯郭となっており、その内側には空堀が施されています。

    土塁

    外郭から続く土塁は帯郭となっており、その内側には空堀が施されています。

  • 土塁<br /><br />東側は特に深くて急な2段の斜面に造られ敵の進入をしっかり防ぐ手立てが施されています。<br /><br />

    土塁

    東側は特に深くて急な2段の斜面に造られ敵の進入をしっかり防ぐ手立てが施されています。

  • 土塁<br /><br />斜面に造られた2段目の土塁が控えています。

    土塁

    斜面に造られた2段目の土塁が控えています。

  • 土塁(帯郭)説明板

    土塁(帯郭)説明板

  • 東二の郭周辺<br /><br />深い空堀が続きます。<br /><br /><br /><br />

    東二の郭周辺

    深い空堀が続きます。



  • 東二の郭周辺<br /><br />東二の郭の土塁が屏風折となっています。

    東二の郭周辺

    東二の郭の土塁が屏風折となっています。

  • 東二の郭周辺

    東二の郭周辺

  • 東二の郭周辺

    東二の郭周辺

  • 東二の郭周辺

    東二の郭周辺

  • 東二の郭説明板

    東二の郭説明板

  • 東二の郭

    東二の郭

  • 東二の郭

    東二の郭

  • 本郭<br /><br />杉山城跡石碑と共に説明板が建っています。

    本郭

    杉山城跡石碑と共に説明板が建っています。

  • 本郭全景

    本郭全景

  • 東虎口

    東虎口

  • 本郭 東虎口説明板

    本郭 東虎口説明板

  • 杉山城跡本郭<br /><br />石碑の背後は一層高い土塁となっており、櫓などが建っていたのかもしれません。

    杉山城跡本郭

    石碑の背後は一層高い土塁となっており、櫓などが建っていたのかもしれません。

  • 杉山城跡本郭説明板

    杉山城跡本郭説明板

  • 本郭

    本郭

  • 杉山城址石碑

    杉山城址石碑

  • 杉山城址石碑

    杉山城址石碑

  • 杉山城跡説明板

    杉山城跡説明板

  • 神祀堂

    神祀堂

  • 神祀堂内部

    神祀堂内部

  • 杉山城跡本郭

    杉山城跡本郭

  • 杉山城跡本郭<br /><br />本郭の周辺は高い土塁に囲まれています。

    杉山城跡本郭

    本郭の周辺は高い土塁に囲まれています。

  • 杉山城跡本郭<br /><br />ここでも土塁に囲まれています。

    杉山城跡本郭

    ここでも土塁に囲まれています。

  • 本郭土塁<br /><br />石碑の背後の土塁は土が大きく盛られています。

    本郭土塁

    石碑の背後の土塁は土が大きく盛られています。

  • 本郭土塁<br /><br />土塁トップの眼下には深い空堀が施されています。

    本郭土塁

    土塁トップの眼下には深い空堀が施されています。

  • 土塁と空堀<br /><br />本郭背後から見下ろしますと2段となっている土塁とその間には空堀が横たわっています。

    土塁と空堀

    本郭背後から見下ろしますと2段となっている土塁とその間には空堀が横たわっています。

  • 深い空堀<br /><br />本郭の土塁トップの北側に立ちますと深い堀底が確認できます。

    深い空堀

    本郭の土塁トップの北側に立ちますと深い堀底が確認できます。

  • 杉山城跡本郭周辺

    杉山城跡本郭周辺

  • 杉山城跡本郭<br /><br />本郭から北二の郭を望みます。

    杉山城跡本郭

    本郭から北二の郭を望みます。

  • 杉山城跡本郭<br /><br />本郭後背地の土塁は屏風折となっており、細長い空堀を経て北二の郭の土塁により寸断されています。

    杉山城跡本郭

    本郭後背地の土塁は屏風折となっており、細長い空堀を経て北二の郭の土塁により寸断されています。

  • 杉山城跡本郭北虎口

    杉山城跡本郭北虎口

  • 本郭北虎口周辺

    本郭北虎口周辺

  • 北虎口周辺

    北虎口周辺

  • 北二の郭方向<br /><br />細長く低い土塁を左に見ながら北二の郭に向かいます。

    北二の郭方向

    細長く低い土塁を左に見ながら北二の郭に向かいます。

  • 北二の郭

    北二の郭

  • 虎口<br /><br />北二の郭から北三の郭に繋がる虎口が確認できます。

    虎口

    北二の郭から北三の郭に繋がる虎口が確認できます。

  • 北三の郭土塁

    北三の郭土塁

  • 北三の郭周辺

    北三の郭周辺

  • 北三の郭周辺

    北三の郭周辺

  • 北三の郭周辺

    北三の郭周辺

  • 搦手口周辺

    搦手口周辺

  • 搦手口周辺

    搦手口周辺

  • 搦手口周辺

    搦手口周辺

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