2012/11/01 - 2012/11/01
573位(同エリア792件中)
滝山氏照さん
その昔朝廷の命により国造(くにのみやつこ)が当時の印旛国と呼ばれていた当地に派遣されます。
国造に「多」姓を持つ一族が就任し、歴代の国造が麻賀多神社を祀っていたとの話が伝えられています。
江戸時代には小見川から転封してきた土井利勝(どい・としかつ、1573~1644)が徳川家康の命を受け、東西に延びる高台の西端に江戸侵入を防ぐ為佐倉城を完成させます。
麻賀多神社は佐倉城築城を機に城の大手門に近接している事から、佐倉藩総鎮守の神として崇められ、利勝以降の歴代藩主からも同様に崇敬を受けることになります。
現社殿は天保14年(1843)、後に老中首座となる堀田正睦(ほった・まさよし、1810~1864)により改築されたものです。ついでながら正睦は折からのぺりー来航を発端とする日米友好通商条約調印の勅許を朝廷に伺うも了承得られず、また将軍家定が病に倒れ将軍継嗣問題で混沌としている中、老中に就任した井伊直弼(いい・なおすけ、1815~1860)により老中罷免されます。政治生命を断たれた正睦は自ら家督を息子に譲り隠居する事になります。
明治時代では廃城となった佐倉城跡は陸軍歩兵第二連隊の駐屯地となり、麻賀多神社は武勇長久を祈念する神社として駐屯地の兵士たちに崇められることになります。
2022年8月22日追記
千葉県神社名鑑によれば下記のようにそ紹介されています。
『 佐倉麻が賀多神社の由緒
佐倉の総鎮守で、はじめは上代この地方に移り住んだ多氏族の氏神としてまrつられる。その後、時代が下って慶長年間、神社の西方に佐倉嬢が築かれてからは城地鎮護の神としても代々の藩主や家臣にあつく崇敬され、社殿の度々の造営や神鏡・太刀など宝物類の寄進が続いた。現在の社殿は天保14年、幕府老中首座を務めた堀田正睦公の再建になり社宝の甲冑「紫裾濃胴丸」(県指定重要文化財)は最後の藩主堀田正倫公の奉納するところである。』
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
9