2013/04/28 - 2013/04/28
10位(同エリア21件中)
ニッキーさん
シュノンソー城を後にして、午後はシャンボール城の見学です。
シャンボール城は1519年、当時弱冠24歳のフランソワ1世が建設を始めた城です。フランソワ1世はイタリアのルネサンス建築をフランスへ取り入れたことでも知られる王様。この城も従来のフランス様式にイタリアルネサンス様式をミックスして建てられています。
もともと狩猟用の離宮として建てられたものですが、幅156メートル、奥行き117メートル、高さ56メートルの巨大さ。77の階段、365の暖炉、440の部屋を有する壮大な規模のお城です。フランソワ1世はこの城の完成を見ることなく死去。シャンボール城を現在の姿に整えたのは、息子のアンリ2世と、ルイ14世の2人だということです。
ここでは1時間ほどの見学時間をもらって自由に見て回ります。シュノンソー城がこぢんまりしたお城でざっと全部見られたのに対し、シャンボール城は桁違いに広くて複雑な作り。ロワール渓谷最大の城と言われるだけのことはあります。見学は一筋縄では行きません。
見学のメインとなる主塔は、中央の二重らせん階段を中心に東西南北対称。これ、迷う原因です。どの部屋を見てどの部屋を見ていないのか、どの塔を見てどの塔を見ていないのか、まあ、迷う迷う。時間ぎりぎりまで駆けずり回りましたが、見残しがいっぱい出てしまいました。
帰ってから調べてみたら、「王の居室」と「フランソワ1世の住居」を見損ねたようです。
なんてこと!その2か所ってシャンボール城見学の目玉じゃないですか〜(泣)。
私たち、はっきり言って迷子になったに近いと思います。入ってみたらさっき見た部屋、そんなことが2度ほどあって、肝心の「王の居室」をすでに見たと勘違いしてしまったのです。
私たちが見学して写真を撮った部屋はいったい何だったのでしょう。オーディオガイドを借りなかったので、いまだにあやふやです。
とにかく最後に優美な外観の写真を撮って、ツアーの集合時刻ぎりぎりに駐車場へ駆けつけました。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
旅行のスケジュール
1日目 4月25日(木) 夜、成田発
2日目 4月26日(金) 早朝、パリ着
バスでルーアンへ移動
ルーアン観光
エトルタへ移動
アルセーヌ・ルパンの家見学
ガレットとクレープの昼食
エトルタの海岸観光
バスで移動してモン・サン・ミッシェル対岸のホテルに宿泊
夕食後、夕暮れのモン・サン・ミッシェル
3日目 4月27日(土) 朝のモン・サン・ミッシェル
モン・サン・ミッシェル修道院観光
オムレツ他の昼食
午後、バスで移動してトゥールに宿泊
4日目 4月28日(日) ロワール地方古城観光
アンボワーズ城外観
シュノンソー城見学
シュノンソー城敷地内のレストラン「オランジュリー」にて昼食
★シャンボール城見学
夕方、シャルトル大聖堂見学
バスで移動、パリ泊
5日目 4月29日(月) ルーヴル美術館
車窓からパリ市内観光
セーヌ河岸沿いのレストラン「ル・ビストロ・パリジャン」にて昼食
午後フリータイムを利用して
オペラ・ガルニエ
サント・シャペル
ノートルダム寺院
バトー・パリジャンでセーヌ川クルーズ
6日目 4月30日(火) ヴェルサイユ宮殿観光
午後、フリータイムを利用して
オルセー美術館
凱旋門
7日目 5月1日(祝) ジヴェルニーのモネの家と庭園
午後フリータイムを利用して
サクレクール寺院
夜遅くパリ発
8日目 5月2日(木) 夕方、成田着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
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-
シュノンソー城を出てバスでしばらく走ると、ロワール川の向こうに別のお城が見えました。
このお城はショーモン・シュル・ロワール城。
アンリ2世の死後、カトリーヌ・ド・メディシスがシュノンソー城の代わりにディアーヌ・ド・ポワティエに与えたのが、このショーモン城です。
こちらも美しいお城です。
もっともディアーヌはここには長くは住まず、アネという所へ移り住んでそこで亡くなっています。 -
これはショーモン城の写真を撮る私。
反対側の座席に座っていた夫がショーモン城を狙った写真にたまたま自分が写っていたので、使わせてもらいました。
私、横着して片手で撮ってますね〜。
いつもこんなもんです。 -
これは途中見えたブロワの街です。
「ブロワ城が見えますよー」って添乗員さんが言うから、どれがブロワ城なのかもわからず、とにかく写真だけ撮りました。 -
後で調べてみたら、尖塔の立つ建物はサン・ニコラ教会。
サンニコラ教会の後ろの建物がブロワ城です。 -
朝見たアンボワーズ城やこのブロワ城はただのお金持ちの館ではありません。
フランソワ1世など実際に何人かの王様が住んでいた本物のお城なんです。
ディアーヌ・ド・ポワティエからシュノンソー城を取り返したカトリーヌ・ド・メディシスも最後はここで亡くなっています。 -
どーんと存在感のあるのはサン・ルイ大聖堂。
対岸から見ると、この建物が一番目立ってました。 -
ブロワを過ぎるとまた田舎の景色。
畑の中に橋のようなもの。
何かと思ったら、水道橋です。 -
またお城のような建物があります。
「フランスの庭園」とも言われるこの地、いったい今いくつぐらいの城が残っているのでしょう?
シャンボール城のショップで買って来た「ロワールの城 日本語版」には大小54の城が載っていました。
想像を遥かに超えています。
ちなみにこの本、写真集としては最高のできばえなんですけど、日本語が意味を成しておらず、読み解くにはかなりの読解力と想像力を必要とします。 -
午後2時、シャンボール城の駐車場着。
歩いてお城へ向かいます。
見えて来ました〜!
おぉ〜、これこれ。
私が憧れていた写真どおりのシャンボール城です! -
正面から見ると、ポコッと膨らんだ塔が4か所にあって、シャンボール城のファサードを優雅に見せています。
この塔のうち真ん中二つの塔の後ろに四角い主塔があります。
後でわかったことですが、奥行きがあるのは真ん中二つの塔の間だけ。
両端の翼棟は厚みがなく、塔をつなぐ回廊になっているだけなんです。
1階部分だけは奥へ建物が延びて中庭を囲んでいます。
後で平面図で説明しますね。 -
装飾された煙突やつけ柱が美しいです。
ここ、暖炉が365あるということで、煙突もその数あるそうですよ。 -
建物の前にはお堀というか池がありますね。
ところで、見学者入口はこちら側ではなく反対側になります。 -
歩いて反対側へやって来ました。
こちらは南側。
フランス国旗が立っているところが見学者入口です。
入場した所で一旦解散。
1時間強、自由に見学します。 -
もらったパンフレットの平面図です。
建物はこんな風になっています。
これは1階平面図。
今、図の下側(南)にいます。
さっき4つの塔をつないだファサードを見ていたのは、この図の上(北)の方から見ていた訳です。
ファサードの両翼の建物には厚みがないと言ったのはこういうことです。
1階だけは中庭を囲む建物があります。
南側の中央部分から入場、一旦中庭を通り主塔へ入ります。
主塔の中央には二重らせん階段が屋上まで延びています。
各階には階段を中心に十字の形にホールがあり、部屋をつないでいます。
主塔の4隅には塔があり、さらに翼棟の端にも塔があるという複雑な作りです。
設計には、フランソワ1世がイタリアから招いたレオナルド・ダ・ヴィンチも関わったのではないかと言われています。
もっともダ・ヴィンチは着工の4カ月前にこの地で亡くなっているのですけれどね。
色がついている部分が見学できる部屋になります。 -
これは2階平面図です。
歴代国王の居室ということで、2階がメインの見学ポイントになります。
ここから上の平面図は省略しますが、屋上テラスにも上ることができます。 -
主塔へ入るとさっそく正面に有名な二重らせん階段。
この階段は2本のらせん階段が互いに交差しないように配置されていて、それぞれの階段を通る人は決してすれ違うことがないというもの。
もう一方の階段との間に壁があるため、パッと見二重かどうかわかりませんね。
この階段はお城の3階を貫いて屋上の頂塔まで延びています。
私たちはまず屋上テラスへ上ってみることにしました。 -
上ってみると、とても緩やかな階段です。
壁にはところどころに隙間があり、もう一方の階段を行く人の姿がちらちら見えます。
来客に気づかれないように他の客を逃がすというような使い方はできそうもありません。 -
屋上テラスに出て来ました。
南側を見ると、1本のまっすぐな道。
遠くに森が広がっています。
シャンボール城は現在は国有地となっています。
敷地は森、池、小川、平原を含む5440ヘクタール。
これはパリ市の大きさに匹敵するそうです。
桁違いの広さですね。
周囲32キロメートルの広大な土地は野生動物の保護地域になっています。 -
これがど真ん中にある頂塔です。
二重らせん階段はこの下にあります。 -
屋上テラスはさらに上に延びる建物が林立していて、とても複雑な造り。
屋上全体が見通せる作りではありません。
かくれんぼをしたら、面白いですよ。
でも夜間に来たら、絶対怖いです。 -
屋上テラスの通路は四方の塔の周りにも延びています。
意外に狭い通路です。 -
フランソワ1世の火トカゲの紋章がここにも。
-
これは北側の眺め。
おー、こっちもまっすぐな道。
南側と同じような眺めですが、こちらには池(お堀?)があります。
シャンボール城は狩猟用の離宮として建てられた城。
王の居城ではありませんから、当時、周囲には何もありません。
王が狩猟に来る際は大変だったそうです。
まず従者が先回りし準備を整えます。
王がやって来る時は大臣や政府の役人、王妃や王族、従者などが王に従います。
キャラバンのような一隊を成して、長持、寝台、タペストリー、芸術品、書物、テーブルやイス、ぜいたく品など、王、宮廷、政府の私的公的生活を確保するために必要なものすべてを運びました。
組み立て式の家具も使ったようです。 -
商人の荷車があらゆる道を通って到着。
日頃はわずかな役人しかいない村が突然食事を賄い娯楽も提供する都市のようになったと言います。 -
そして再び宮廷が去ってしまうと、人のいなくなった巨大な城は魔法にかけられたように長い眠りについたのです。
フランソワ1世が32年間の在位中シャンボールで過ごした日数はわずか72日。
ルイ14世は在位中に9回滞在。
18世紀には城主らが住んだものの、その年数はわずか12年。
19世紀の城主シャンボール伯爵に至っては城を手に入れて死去するまでの62年間に城に滞在したのはたった3日間だったと言います。
贅沢というかもったいない〜。 -
3階へ降りて来ました。
二重らせん階段を中心に十字の形のホールがあります。
天井の彫刻はアルファベットの「F」と火トカゲが交互に繰り返されています。
Fはフランソワ1世の頭文字。
火トカゲはフランソワ1世の紋章です。 -
中庭をのぞいてみます。
こちらは王の翼棟を見たところ。
らせん階段や、建物の外側に沿った通路などが見えます。
何度も言いますが、とにかく複雑な作りです。 -
主塔には、さらに4隅に円型の塔状の建物がついています。
円型の塔に外通路がついているので、最初はおもしろくて、一つ一つ丁寧にそういう所を通ってみました。
先が見えない曲がった通路。
先へ行くと部屋があることもあり、立ち入り禁止になっていることもあります。
とにかく複雑な作りで、私たち、このお城の見学は一筋縄では行かないことにようやく気づきました。
建物には柔らかい石灰岩が使用されています。
それがシャンボール城を白く見せているのでしょうが、柔らかい故に落書きも。 -
3階は狩猟と自然の博物館になっています。
狩猟にまつわるタペストリーを展示した部屋。 -
狩猟用の離宮として造られたシャンボール城は狩の場面とは切り離せませんよね。
暖炉は各部屋にあります。 -
3階の一部では現代アートの展覧会をやっていました。
-
西の翼棟へつながる回廊にはシカの角が展示されていました。
シカは狩の獲物だったのでしょう。
3階はだいたい見たので2階へ下ります。 -
ホールにあったもの。これは何だと思いますか?
陶器にいろいろな風景が描かれた豪華なものです。
タンスじゃありませんよー。
これはサックス元帥のファイアンス陶器製のストーブです。
サイドに薪をくべる鉄のドアがありました。
後で調べるとサックス元帥はフランスの最高位軍人で、18世紀にこの城の城主だった人物です。
ルイ15世からこの城を譲り受けて豪華な祝宴を催したそうです(パンフレットより)。 -
2階にはルイ14世が滞在した「王の居室」、フランソワ1世が滞在した「フランソワ1世の住居」、「18世紀の部屋」、「シャンボール伯爵の記念館」など見どころがぎっしり。
ところが、ガイドさんもいないしオーディオガイドも借りなかったので、ここからはどの部屋を回ったのか何を見たのかよくわからないまま回ることになってしまいました。
この肖像画はルイ14世?
自信がありません。
間違いがありましたら、他のところも含めてどうかご指摘お願いします。
<(_ _)>
追記:
ねいちゃさんが調べて教えてくださいました。
この人物はルイ13世の弟、オルレアン公ガストンだそうです。
髪型(カツラ?)からルイ14世かなと思ってしまっていました。
ねいちゃん、ありがとうございました。 -
これは下に書いてあったのでわかりました。
ルイ14世の胸像です。
昨日の夜、添乗員さんから話がありました
「シャンボール城は自由観光になります。ぜひ予習をしておいてください」
私たち、昨夜は1時間以上もトゥールの街歩きをしていたので、予習は何もしていませんでした。
まあ、たとえ予習したとしても、実際ここへ来てみないとこのお城の複雑さはわからなかったことでしょうけど。 -
これはおそらく「18世紀の部屋」の一部屋だと思います。
ドレッサーがあるので、女性の部屋ですね。 -
シャンボール城は、18世紀には当時城主であったスタニスラス・レクチンスキー(ルイ15世の義父)やサックス元帥の友人・愛人、シャンボールの総督らが住んだこともあったということです。
人が居住したのはわずか12年ほどだったと言いますが、そういった部屋を再現したものだと思います。 -
とても美しい女性。
ラ・レーヌ、 マダム・エリザベートと書いてあります。
正確には
LA REINE, C'EST MOI
Madame Elisabeth
1792年6月20日と日付が入っていますが、どなたかわかりません。
追記:
これもねいちゃさんから教えていただきました。
マダム・エリザベートはルイ16世の妹さんだと。
エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス(1764年 〜1794年)− ルイ16世の妹。マダム・エリザベートと呼ばれた。フランス革命の際は兄夫婦と行動を共にし、1794年に処刑された。
さらに追記:この後調べてみました。
マダム・エリザベートは大変愛情深い人で、兄嫁のマリー・アントワネットやその子供たちにも愛情を示していたと言います。
LA REINE, C'EST MOI. は「王妃、それは私です」の意味。
群集が「王妃を出せ」とチュイルリー宮殿へ押しかけた際、マリー・アントワネットをかばって「私が王妃です」と言ったという話があります。
この作品はその逸話を石像にしたものなのでしょう。 -
西の翼棟の先にあった礼拝堂。
フランソワ1世の命で建設が始まり、ルイ14世の時にようやく完成したもの。
ヴェルサイユの建築家、マンサールが完成させたと言いますが、華美なところはありません。 -
窓ガラスの一枚をアップで。
-
再び主塔へ戻って見学。
ここもおそらく「18世紀の部屋」の一部屋だと思います。
ファブリックが可愛らしい寝台。
天蓋が二重になっているのは、防寒対策のためだと考えられます。 -
ここは冬は相当寒かったようです。
大きな城も、居住するとなると快適に生活できるよう防寒対策を施さなければなりません。
一部屋を小さく区切り、ベッドは窪みに取りつけられ、天井も低く作り変えられたと言います。 -
3階のガラーンとした展示室に比べ、2階は人が住むスペースとして改装されたのがわかります。
この部屋なんか、ずいぶん居心地が良さそうです。 -
家具、調度類はフランス革命で略奪されたため、主に復元したものをおいているのだそうです。
-
ルイ14世の王妃マリー・テレーズが滞在したという「王妃の寝室」です。
-
この後、「王の居室」と書かれたプレートが掛かる入口にやって来ましたが、「ここはさっき見たよね」とスルーしてしまいました。
が、実際はまだ見ていなかったのです。
なんと残念なことを〜。
それに気づいたのは帰国してから。
家に帰ってショップで買った「ロワールの城 日本語版」のシャンボール城のページを見てみると、私たちが見たこともない豪華な部屋の写真が載っていました。
ルイ14世が滞在したという部屋。
豪華な儀式用の寝台と壁の装飾、家具。
えっ、私たち、こんな部屋見てないし〜。
私たちが見たと勘違いしてスルーした部屋こそ、まさにその部屋だったのです。
あぁー、またやってしまいました。(-_-;)
主塔は東西南北対称で方角がわからなくなります。
おまけに部屋がたくさんあるので、どの部屋を見てどの部屋を見ていないのか、わからなくなるのです。
私たちも方向感覚をすっかり失っていたようです。
大ショックです(涙)。 -
ルイ16世の肖像画。
-
そしてこれはマリー・アントワネットです。
私、もう一度行くチャンスがあるなら、次は迷わない自信があります。
立ち直りが早いです(笑)。
今頃自信を持っても遅いんですけどね。 -
「シャンボール伯の誕生(1820年)」。
2階翼棟には「フランソワ1世の住居」があったのですが、そこまでは手が回らず、行くのを断念しました。
馬車を展示した「馬車の間」へも行く時間がありませんでした。
エルメス社製の馬具一式を搭載したシャンボール伯爵の馬車というのが展示されていたはずなんですが。
私たち、屋上と3階を丁寧に探検し過ぎました。
これから行く人へのアドバイス。
・屋上テラスは必見。
・時間がない場合、3階と1階はパスしてでも2階をしっかり見ましょう。翼棟もお忘れなく。 -
見残した部屋も多いまま、ショップをのぞいて手早く「ロワールの城 日本語版」を買い、無料トイレを借りてから外へ出て来ました。
集合時刻が迫っているけど、最後に外観だけはしっかり見ておきたい。
まずは南側から。 -
外観写真はうーんと離れないと全体が入りません。
もっとバック、もっとバック。
ずんずん後ろに下がって、ようやくこの辺りからなら全体が入ります。
新婚旅行のHさんご夫妻とはよく写真を撮り合いっこしていました。
ご主人が良いカメラをお持ちで、モンサンミッシェルの夜景などiPadに移したのを見せてもらったら完璧な写真で、うーん羨ましい〜。
そのHさんご夫妻とここでも一緒になったので、撮り合いっこ。
完璧な写真を撮られる旦那さまだけに、撮ってあげるの緊張するんですよね、新婚旅行だし。
ボケてるとか切れてるとかは、私、しょっちゅうなんで。
うまく撮れてるかな?
と言いながら、自分用に撮ったこの写真もちょっと端が切れてます。
道路の隅っこから撮ったから、道が左右対称じゃないし。 -
少し近づいて。
屋根が賑やかですね〜。 -
さ、もう行かないと。
広いお城。
写真を撮りつつ戻るなら、駐車場まで10分はみておいた方がいいでしょう。
とその時、「写真を撮っていただけませんか?」
日本人女性とフランス人男性のカップルから写真を頼まれました。
内心、困ったなー、時間が押してるんだけどなーと思いながら、そこは私も大人。
「いいですよ」
快く引き受けました。 -
さ、時間がありません。
急いで戻らなければ。
Hさんご夫妻は先を行っています。
時間を気にしながらも、最後、ぎりぎりまで粘ってこの写真を。
この期に及んでまだ写真を撮るか〜、夫は呆れ顔。
でも、憧れのシャンボール城、この写真を撮っておかなきゃ、悔やんでも悔やみきれない〜。
シャンボール城はやっぱりこちら側の眺めが一番です〜。 -
イチオシ
小走りでバスへ。
添乗員さんがバスの前で「大丈夫。走らなくていいですよー」って待っててくれました。
Hさんご夫婦がまずバスに到着。
私たちはビリでした。
ぎりぎりセーフ。
シャンボール城は桁違いの規模と複雑さ。
時間には余裕を持っての見学をお勧めします。
さ、次はシャルトル大聖堂へ。
大聖堂では今日夕方5時半からミサが行われる予定だそうです。
ミサが始まると入場できなくなるので、なんとかその前に入りたいと添乗員さん。
「皆さんにすばらしいステンドグラスを見ていただきたいんです」と。
私たち、ステンドグラスは見ることができるのか?
その様子はまた次回に。
(美しき北フランス<7>シャルトル大聖堂編に続く)
http://4travel.jp/traveler/amber637/album/10774545/
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この旅行記へのコメント (5)
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- サウスピーチさん 2013/07/04 04:18:39
- すごく詳しく分かりました〜@シャンボール城
- ニッキーさん、こんにちは! やっとシャンボールに辿り着きました。 いや〜、色々と学びましたよ♪
> 後でわかったことですが、奥行きがあるのは真ん中二つの塔の間だけ。
> 両端の翼棟は厚みがなく、塔をつなぐ回廊になっているだけなんです。
こういうことって行って実際に行って見ないと分からないことですね。 私もいまいちよく分かっていませんでした。
平面図を載せて下さって、更に分かりやすかったです。 なるほど〜。
> 敷地は森、池、小川、平原を含む5440ヘクタール。
> これはパリ市の大きさに匹敵するそうです。
この広さも全く知らず。 そんなに広大な敷地だなんて、もうびっくりしました。
ベルサイユ宮殿の5倍以上ありますね・・・。 ベルサイユ宮殿に行った時は、「ちょっと広すぎかな・・・。」などと
どこから目線かも分からないような感想を持ちましたが(笑)、上には上があるもんです。
まあ、シャンボール城は狩猟用に建てられたとのことなので、居住のお城であるベルサイユ宮殿と比べること自体
間違っているのでしょうけど。
それにしても、シャンボール城が実際に住居として使われた日数の短いこと!
これも今回のびっくり情報でした。 まあ、周りには何もないので、生活品一式(しかも王族が生活するに値する品々)
を持っての行列の大移動、どれだけ凄かったのか、実際に見てみたかったです。
> マダム・エリザベートの、LA REINE, C'EST MOI. は「王妃、それは私です」の意味。 群集が「王妃を出せ」と
> チュイルリー宮殿へ押しかけた際、マリー・アントワネットをかばって「私が王妃です」と言ったという話があります。
そんな話があったんですか・・・。 何か、ぐっときますね。
マリー・アントワネットが処刑される直前に最後に書いた手紙は、彼女宛でしたよね。
とても優しく、民衆に対しても慈悲深い人であり、でも芯の一本通ったような気位の高い方だったようです。
縁談もたくさんあったにもかかわらず、国王である兄とフランス王国を支えることを選び、
革命中にも他の兄たちのように国外へ逃げることもせず。 もしマリー・アントワネットが彼女のような性格であったなら、
歴史は違ったかもしれませんね・・・。
> ルイ14世の王妃マリー・テレーズが滞在したという「王妃の寝室」です。
王妃の部屋がブルーが基調になっているのは珍しいですね。 強く印象に残りました。
それと・・・。 「王の居室」の件は残念でしたね。 まあ、初めて行く場所だし、ガイドさんもいないし、時間も限られている。
こういう広い場所ではしょうがないですけど、入り口まで行ってたのに、ご自分の早とちりで見逃したのは
さぞ悔しいでしょうね! (><) まあ、私なんてこんなエピソードはいくらでもありますけど。 (←威張ってどうする? 笑)
次回行く機会があれば、真っ先に行くのはこの部屋、でしょう?(笑)
> この期に及んでまだ写真を撮るか〜、夫は呆れ顔。
これはね〜、本当によく分かります! 旦那様も写真は撮られるようなので(バスの中の写真の件)、
多少はニッキーさんの気持ちはお分かりになるかもしれませんが、やっぱり急いでいる時はね〜。(笑)
でも、焦りながらも、ここだけは! もう一枚だけ! という気持ちってあります!
うちは、夫は写真は撮らない人なので、いつも待たせてばかり。 しかも、今回は毎日極寒の中。
よくぞ最後まで怒らずに(呆れてはいましたがw)ついて来てくれたと、感謝・感謝です。
旅行の最後の方で、ドイツで5人の家族旅行をしたのですが、歩くのはみんなバラバラ。
先を行っていた私が夫に、「みんな遅いねぇ〜。」と言ったとたん、「何を言っているのだ!
俺はこれを毎日2週間以上ずーっとやってきたんだぞ!」とチクリと言われてしまいました〜w
はい、ご尤もです!(爆)
では、また! (大変長くなってすみませ〜ん!)
サウスピーチ :)
- ニッキーさん からの返信 2013/07/05 00:12:35
- RE: 予想外のシャンボール城
- シャンボール城には予想をみごとに裏切られました。
広さはわかります。敷地内に森があるんですから。
でも、あのファサード。てっきりあの形のまま奥行きのある直方体だと思ったら、両翼は回廊だけ。両側は衝立のような建物だったんです。そしてあんなに立派なお城なのに、使用された期間の短いこと。もったいない。
王の居室(ルイ14世滞在の部屋)、フランソワ1世の住居を見逃したのはめちゃ悔しいです〜。でもファサードの写真が撮れたからもういいんです。最後の写真こそ、私にとってはシャンボール城へ行ったら何としてでも撮っておきたい写真だったんです。ファサードの写真を逃したらもっと悔しかったと思います。
うちは最近夫も写真を撮り始めたので、なんと私が待っていることもあるんですよ〜。相手を待たせる割合は主観的には4対1ぐらいの感じ。客観的に見ると9対1かも。はい、私が9です(笑)。
でもまあ、夫も基本しっかり観光したい派なんで、あっちも見てみようなんて言ったりします。もちろん私は大賛成。
ただ、あるシーンを見たい撮りたいっていうこだわりは私の方が断然強いと思います。昔集めた切り抜きどおりのシャンボール城とか、コッツウォルズ、バイブリーのスワンホテルはジグソーパズルどおりの角度から見たい、なんていう。
人と同じ写真を撮るのはおもしろくない、人と違った写真を撮ってこそ個性が生きるという考えもあります。カメラ教室ではそんなことも言われますが、私にとって旅とは憧れ地図を埋めること。まずは代表的なワンシーンが見たい撮りたいです。そこでついつい粘って待たせてしまうことがあるんです。
> マリー・アントワネットが処刑される直前に最後に書いた手紙は、彼女宛でしたよね。
そうなんです。サウスピーチさんならきっとよくご存じだろうなと思っていました。先週借りて来たベルばらにも登場してたけど、実は私はマダム・エリザベートのことはほとんど知りませんでした。ねいちゃさんに教えていただいて調べてみたら、マリー・アントワネットが処刑の前にエリザベートに宛てた手紙(結局本人に届けられることはなかったんですってね)やアントワネットの娘のマリー・テレーズが叔母のエリザベートのことを書いた文章などが出て来て、彼女の素晴らしさに感動しました。
兄のルイ16世からヴェルサイユの近くに領地と屋敷をもらい、とても喜んで毎日馬で通っていた話、領民からも慕われていた話など、知れば知るほど彼女の人柄が偲ばれて、私が見たピンクのエリザベートさんが素敵に見えて来ます。あの像の作者も、マダム・エリザベートの温かさや毅然とした生き方に共感してあの像を彫りあげたのでしょうね。
シャンボール城では私もずいぶん新しいことを知りました。買って来た「ロワールの城 日本語版」も苦労して読み解きました。完全に日本語で書いてあって漢字の間違いもないのに、読んでもほとんど意味がわからないってどういうこと?ネットの自動翻訳と同じですね。
ニッキー
-
- ねいちゃさん 2013/06/14 16:31:50
- ぼんそわーる♪
- 第4弾ですね、シャンポールですねぇー。
ロワールのお城の中では、私はココが好き。
外観がもう、まさしく「ヨーロッパの城」そのもの。
入りたかったなぁ・・・。
平面図なんかも掲載していただいて
ものすごく分かりやすかったです。
そうかぁーそうなっていたのかーと関心。。。
真ん中の二重螺旋階段だけはどうしても見たかった。
15分だけでもいいから、入りたかったです。
ま、15分だけだとそれはそれで文句言うんですが・・・(笑)
「王の居室」「フランソワ1世の住居」
やっちゃいましたかぁー!
毎回何かやらかしてしまうようですねー、それも外から見てる分
面白いんですけど、ご本人は残念ですよね。
でもまぁ旅行にはよくあることです。
立ち直りが早くてよかったー。(笑)
「この肖像画はルイ14世?」というのがありましたが
14世のイメージはなかったので調べてみました。
「シャンボール城/オルレアン公ガストンの肖像画」だそうです。
ここで見つけました。↓
http://search.ppsimages.co.jp/cgi-bin/search.cgi?rm=results&do_search=1&site=ContentSite&form_name=content_site&per_page=60&search_id=&content_site_entry_id=1838&keyword_and=svloire&keyword_photographer=&keyword_or=&keyword_not=
私的にはピング色の「ラ・レーヌ マダム・エリザベート」さんに
なんか魅せられてしまって・・・
1792年ってジャコバンの恐怖政治の頃だから、なんかお話があるのかもしれませんね。あとでちょっと調べてみようっと。
わかったらまたご連絡さしあげます。
やっぱり、シャンポールは美しいですねー。
終わりに「さぁ間に合うのか!こうご期待」みたいに
終わったので、なかなか引っ張りますね、待ち遠しいじゃないですか!(笑)
ではでは、首を長くしてお待ちいたします。 ねいちゃ
- ねいちゃさん からの返信 2013/06/14 17:19:10
- RE: ぼんそわーる♪
- 追伸です。
> 第4弾ですね
といいましたが、第6弾でした。4日目の間違い。
すいません。
> 1792年ってジャコバンの恐怖政治の頃だから、なんかお話があるのかもしれませんね。あとでちょっと調べてみようっと。
やっぱり、どっかで聞いた名前と思ったら
「マダム・エリザベート」はルイ16世の妹さんですよね。
兄夫婦とともにヴァレンヌ逃亡事件にからみ
最後は1794年に処刑されたお方です。
なかなか良い方だったみたいで。
1792/06/20はチュイルリー宮殿襲撃された日なので
それとエリザベートがどうからむのかは?
また調べましょう・・・こういうの好きなのです。
ではでは。 ねいちゃ
- ニッキーさん からの返信 2013/06/14 22:10:47
- RE: ありがとうございます〜
- わー、ねいちゃさん、調べてくださったんですね。
感謝感激雨あられです(古っ)。
参考URL見ました。
オルレアン公ガストン。
ルイ13世の弟さんなんですね。
髪型(カツラ?)から判断してルイ14世なのかな〜って思ってたんです。
教えていただきありがとうございました。
さっそく追記をアップさせていただきます。
それからマダム・エリザベートですが、ここに載っていました。
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ch%C3%A2teau_de_Chambord_-_La_Reine,_c'est_moi.JPG
<statue d'Elisabeth de France (1764-1794)>
ねいちゃさんのご推察どおり、ルイ16世の妹さんのようです。
「ラ・レーヌ マダム・エリザベート」は私が読めるところだけ読んだもので、旅行記には全文載せなかったんですが、実際には「 La Reine, c'est moi - Madame Elisabeth - 20 juin 1792」と書いてあり、フランス王家のフルール・ド・リスの紋章も台座に付いていたので、その線から調べました。
素敵な像ですよね。でもこの方、30歳で処刑されたんですね〜。
1792年の意味はわからずじまいです。
>ロワールのお城の中では、私はココが好き。
>外観がもう、まさしく「ヨーロッパの城」そのもの。
まさにヨーロッパのお城のイメージですよね。
シャンボール城は周りに何もない広い所にドーンと建っているのがいいですよね。
内部見学では失敗しちゃいましたけど、シャンボールの一番の魅力はあの外観だから、最後に全景がなんとか撮れて良かったです(ね、めげないでしょ?)。
ではまた何かありましたらよろしくお願いします。
ニッキー
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