2012/10/22 - 2012/10/22
202位(同エリア261件中)
滝山氏照さん
JR常磐線石岡駅下車北西に徒歩で約15分常陸国分寺を訪問しました。
天平13年(741)聖武天皇は折からの病疫流行で人々の生命が失われる状況を鑑み仏の力を借りて国家安定のため全国66国ごとに国分寺及び国分尼寺の建立を命じます。
常陸国分寺は国府中の石岡に天平15年(743)着工し天平勝宝4年(752)完成をみます。寺域は東西約270m、南北約240mの広さで、敷地には金堂・講堂・中門・仁王門・回廊・七重の塔等が配置され全国でも屈指の規模を誇っていました。
また国分寺の位置関係では、現国分寺は往時の国分寺の西側に相当、従い往時の国分寺領域は更に東側に及んで現国道355号を越えるところに至っています。
その後弘仁11年(820)並びに天慶2年(920)に兵火にあい焼失しましたが再建、戦国時代では天正19年(1591)府中を本拠とする大掾氏は常陸北部の佐竹氏の攻撃を受けて再び焼失します。
江戸時代には徳川家康から寺領30石の安堵を受け、また元禄期には本堂の再建ありましたが明治41年には大火により焼失します。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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常陸国分寺址説明板
正式には「金光明四天王護国之寺」、寺院には20名~30名の僧が常住して仏教の中心的な立場として国家安寧を祈念していました。 -
イチオシ
常陸国分寺址石標
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常陸国分寺址参道
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常陸国分寺中門址
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国分寺参道
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薬師堂
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扁額
「薬師如来」常陸国分寺とあります。 -
参道
薬師堂から振返りますと長い参道が確認できます。 -
国分寺金堂址
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扇歌堂
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都都逸坊千歌堂説明
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扇歌堂
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「扇歌堂の由来」説明板
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旧千手院山門
かつては千手院と呼ばれる社寺がありましたが、大正8年(1919)に国分寺と統合し、本堂の前に配置されている茅葺屋根の門は、千手院から移築された山門です。 -
旧千手院山門彫刻
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旧千手院山門説明
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本堂
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国分寺講堂址
説教や経典の講義が行われていました。
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