2012/09/16 - 2012/09/23
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けちゃたびたび(NaokoSaimi)さん
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9/22(土)ロシア最終日は、サンクトペテルブルク郊外のツァールスコエ・セローにあるエカテリーナ宮殿に行きました。女帝エリザヴェータとエカテリーナ2世によって完成され、2世紀の間皇帝の夏の住まいとして使用された豪華絢爛な宮殿。見所は「琥珀の間」に「絵画の間」。こういう、ある意味行き過ぎた贅の尽くし方が、積年の民の怒りを買って、ロシア革命につながったのだろうと思わずにはいられません。が、確かに見事です。
しかしエカテリーナ宮殿は第二次世界大戦の折、ドイツ軍の侵攻にあい900日も包囲され餓死と凍死で人口の1/3をも失ったサンクトペテルブルクの歴史の証人という一面も持っています。サンクトの郊外に位置するこの宮殿はドイツ軍に占領され、破壊されました。琥珀の間の琥珀はすべて持ち出され、2点の装飾品を除いて行方は未だ知れません。現在展示されているすべての部屋の内装は、戦後復元されたものなのです。
先のサンクトの旅行記では帝政ロシアの栄光に思いを馳せましたが、今回はロシア革命から第二次世界大戦を振り返ってみました。
エカテリーナ宮殿のサイト とても良いサイトです
http://eng.tzar.ru/museums/palaces/c_atherine
- 旅行の満足度
- 4.0
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9/22(土)、ロシア最終日となりました。この日の朝は寒かった。サンクト郊外のエカテリーナ宮殿を観光し、サンクトの飛行場、モスクワにて乗り換えて帰国という忙しい一日です。エカテリーナ宮殿に行く前に、アレクサンドル・ネフスキー大修道院によりました。
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1240年ネヴァ川の戦いでスウェーデンに勝利したアレクサンドル・ネフスキー公(1219-63)を祀るため、ピョートル大帝が1710年に創立した修道院。
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朝でしたので、ミサがとりおこなわれていました。
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その隣にあるチフヴィン墓地。門番の猫?
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チフヴィン墓地は18世紀から19世紀に活躍した文化人・芸術家が多く眠る墓地。これはドストエフスキーの墓。
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こちらはチャイコフスキーの墓。
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ムソルグスキーの墓。
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ここに眠るロシアの著名人、ガイドさんに沢山説明して頂いたのですが、正直よくわからず・・。ガイドブックにはこのように書いてあります。
クルーロフ、ジェコフスキー、カラムジンなど文学者、作曲家のリムスキー・コルサコフ。
また通りを面してラザレフ墓地があり、こちらにはヴォロニーヒン、ロッシなどの建築家、科学者ロモノーソフなどの墓がある。また、プーシキンの奥さんの墓もこちらにありました。夫とべつべつ? -
サンクトから南に25キロ、ドライブして到着したツァールスコエ・セロー(皇帝の村)にあるのが、2世紀の間皇帝の夏の住まいとして使用されたエカテリーナ宮殿です。
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今のロシアで最も多い観光客は中国から。ここエカテリーナ宮殿も中国の観光客で溢れかえっています。入口近くにブラスバンドの人たちがいましたが、おそらく中国国歌か何かを演奏したとたん、中国人が大はしゃぎ。指揮をするおじさん続出。大声で歌ってとてもうるさい。
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最初の宮殿は1724年、ピョートル大帝の妻エカテリーナ1世のために建設。その後、二人の娘である女帝エリザヴェータによって1752年からバロック様式の宮殿に改築。その後、エカテリーナ2世によってクラシック様式の改装が行われた。
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華やかな水色と白に金色の装飾。外壁の長さは300メートルある。
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宮殿の中は靴にカバーをして入ります。左側の女性がサンクトのガイドさん。彼女とても気が強く、私達3人の後ろにいた中国人の団体が、行儀悪く私達を抜かして歩こうとした折一喝、ものすごくうるさくしていた時に一喝、叱りつけてました。私の方がびびりました。
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建物中央の階段をあがり2階へ行きます。
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階段には中国の壺が。
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階段の上、東側の窓には目覚める天使の像があります。
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大広間。金が金が金が眩しい。しかしこの宮殿、第二次世界大戦の折、ドイツ軍に占領され、破壊、略奪にあい、ぼろぼろに崩れたものを、修復したもの。18世紀からあるには綺麗すぎるのは、そういうわけだったのです。
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The Antechambers(控えの間)。
帝政ロシアの崩壊から第二次世界大戦までのロシアの歴史を自分のメモのためにざくっとおさらい。
1905年
日露戦争に敗北
第一次ロシア革命(血の日曜日事件、戦艦ポチョムキンの反乱、十月宣言)
1914年
第一次世界大戦勃発 サンクトペテルグルク→ペトログラード改名
1917年
第二次ロシア革命(二月革命、ニコライ2世退位、レーニンの4月テーゼ、ケレンスキー内閣、レーニン・ボリシェヴィキの十月革命とソビエト大会)
ペトログラード→レニングラード改名
1922年
ロシア内戦の終了、ソビエト連邦の設立
1924年〜
レーニン死去、スターリン時代(〜1953年)、1928年第一次五カ年計画(コルホーズ、ソフホーズの農業政策と工業強化)、1936年スターリン憲法、大粛清
1939年
フィンランド侵攻し国際連盟から追放、第二次世界大戦勃発、ドイツとポーランド分割、1941年独ソ不可侵条約を破りドイツ/ナチスがソ連に侵攻、大祖国戦争(独ソ戦争)開戦による連合国軍入り、1942年スターリングラード戦で勝利、1945年ソ・英・米ヤルタ会談、ソ連ベルリン入城しドイツ無条件降伏、ソ連日本に宣戦布告一週間後に日本ポツダム宣言受諾
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ナチスによるサンクトペテルブルク(当時レニングラード)の包囲の悲劇はあまり知らなかっただけにガイドさんの熱弁はかなりの衝撃でした。
1941年、フィンランドの反撃にあっていたソ連は、ドイツの侵攻にもあい、8月にレニングラードはナチス軍により補給線をほぼ絶たれ孤立した。そこから900日におよぶ悲惨な包囲戦となる。市民が300万人以上いたレニングラードに食料は1ヶ月分くらいしかなく、燃料もなくなり、冬になる頃には街は凍死と飢餓の地獄と化した。街の北側にある湖が氷結してようやく物資が届くようになり、夏場は湖底にパイプラインを通して命綱とした。脱出した市民もいたものの、ソ連の公式発表で死者は67万人、通説としては110万人が死亡したと言われている。街の1/3が犠牲になったということだ。第二次世界大戦で日本本土での死者数を上回る数となる。 -
サンクトペテルブルクの郊外にあるエカテリーナ宮殿はドイツの包囲網の外に位置していた。宮殿の美術品や装飾品の多くを急遽疎開させたものの、とうてい間に合うわけはなく、破壊と略奪で多くが消失・散逸した。この写真の金の装飾で一部茶色いところが、第二次世界大戦前のオリジナルの装飾だという。
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The Arabesque Hall(アラベスク・ホール)。
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The Cavaliers’ Dining-Room
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西側の窓には眠れる天使。
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The White State Dining-Room
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19世紀のマイセンの飾り物。
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The Crimson Pilaster Room (真紅の柱の部屋)
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The Green Pilaster Room (緑の柱の部屋)
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The Portrait Hallにある女帝エリザヴェータの衣装を再現したもの。
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女帝エリザヴェータの肖像。
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エカテリーナ2世。
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The Amber Room (琥珀の間)。宮殿最大の見所。こちらは撮影禁止だったので、ネットから写真をもってきました。壁一面が琥珀におおわれた豪華絢爛な部屋。1716年にプロイセンの王よりピョートル大帝に贈られた琥珀の装飾が基本になり、エリザヴェータやエカテリーナ2世により完成された。19世紀には3度改修が加えられた。
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壁の装飾、絵画の額縁も琥珀、色も黄色いものから、こげ茶や朱色の琥珀まで組み合わされ息を飲む見事さ。18世紀の当時「世界の7不思議」に付け加えられ「8th wonder of the world」と称された。
第二次世界大戦のドイツ軍侵略の折、この部屋の琥珀はその繊細さゆえに、疎開させることができず、結局すべてがドイツに持ち去られた。一時期ドイツで展示されていたが1944年に散逸し以後何度の探索にもかかわらず発見されなかった。
ソ連時代の1979年に部屋の復元が決定され、24年をかけて2003年に公開された。2000年にドイツでオリジナルのチェストと、フィレンツェのモザイク画が発見され返還された。
ピョートル大帝以後のサンクトの歴史を物語る部屋です。 -
The Picture Hall (絵画の間)。壁がすべて絵画という部屋。真ん中にあるのはストーブ(ペチカ)です。
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エリザヴェータによって買い集められた絵画を贅沢にもタペストリーのように組み合わせて並べ壁紙にしたという、宮殿屈指の見ごたえのある部屋。額に入れず絵を飾る・・行き過ぎの感がある贅沢です。
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ペチカのタイル。
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The Green Dining-Room (緑の食堂)
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The Waiter's Room (給仕の間)
全部で29の部屋が修復され公開されているようですが、こうしてみると、半分くらいしか見て回っていなかったようです。
しかし、どの部屋も豪華で、帝政ロシアの女帝たちが、どれほど贅沢三昧を尽くしていたか、恐ろしいものがあります。 -
Catherina Park(エカテリーナ公園)を散策しました。四角い池の向こうの黄色い建物はお風呂。
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大きな池の端にはGrotto(岩屋)があり
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その中では、素晴らしい反響を利用し男性合唱団の方々が歌っています。
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整然とした庭の奥にはエルミタージュ(隠れ家)もあります。ここのエルミタージュは隠れ家並みのサイズ。ここでごく親しい人と食事会を催す時に、召使の姿が目に触れないように、テーブルごと上げ下げする仕組みが施されているそうです。すごい。
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エカテリーナ公園から見た、エカテリーナ宮殿。
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北棟にある礼拝堂の金の玉ねぎ。
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エカテリーナ宮殿の全景写真をネットから。緑が映える華麗な水色と金色の宮殿はまた、第二次世界大戦の悲惨な歴史の証人でもありました。
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宮殿の庭で色々な種類のロシアのパンを広げ、各国の観光客に食べてもらって、どの国の人がどのパンが好きか聞いている・・という学生さんたちでした。いくつか食べてみましたが、私はどれもあまり好きじゃなかった。ごめんなさい。
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ロシア最後の食事は、シベリア風水餃子と言われるペリメニ。サワークリームをたっぷりかけていただきます。これにてロシアの旅は終了。ガイドさんにお願いして、スーパーに寄ってもらい、スモークサーモンをお土産用に購入。というのも、どこで食べてもロシアのスモークサーモンは肉厚で美味しかったからです。
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サンクトペテルブルクの空港を17:25に出発し18:45モスクワ着、20:00モスクワ発 SU262便で9時間20分、9/23の10:20に成田に到着しました。美術に触れ、ボリショイバレエを楽しみつつ、ロシア正教会やサンクトの宮殿ではロシアの数奇な歴史を考えさせられる、そんな旅行でした。
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