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文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建した。浅井長政・久政は天正元年(1573年)、小谷城で自刃している。開山は浅井氏の庶流にあたる比叡山の僧成伯法印である。その後、元和5年(1619年)、火災により焼失。元和7年(1621年)、淀殿の妹である徳川秀忠の正室・崇源院(江)の願により再興された。以後、徳川氏の菩提所となった。もと天台宗で第二次大戦後に浄土真宗遣迎院派に改宗した

伏見城で家康天下取りの捨石となって切腹した鳥居元忠の血天井がある養源院

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2013/04/06 - 2013/04/06

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吉備津彦

吉備津彦さん

文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建した。浅井長政・久政は天正元年(1573年)、小谷城で自刃している。開山は浅井氏の庶流にあたる比叡山の僧成伯法印である。その後、元和5年(1619年)、火災により焼失。元和7年(1621年)、淀殿の妹である徳川秀忠の正室・崇源院(江)の願により再興された。以後、徳川氏の菩提所となった。もと天台宗で第二次大戦後に浄土真宗遣迎院派に改宗した

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
タクシー 新幹線 徒歩
  • 関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同様の血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもある。

    イチオシ

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    関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同様の血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもある。

    養源院 寺・神社・教会

    伏見城で家康天下取りの捨石となって切腹した鳥居元忠の血天井がある養源院 by 吉備津彦さん
  • 本堂は、元和5年(1619年)に破却された秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされる。左右と正面の廊下の天井は血天井として知られる。

    本堂は、元和5年(1619年)に破却された秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされる。左右と正面の廊下の天井は血天井として知られる。

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