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島国出身なので、国境にはあこがれた。<br />ヨルダンでも、国境が見えると聞くと<br />休みには行って見たくなる。<br />その国境を越えて隣国に行くことは<br />業務上許されていないのでただながめるだけ。<br /><br />一部の人間の支配欲と利権欲の象徴で、<br />多くの場合そのためにややこしい思いをするのは通過する大多数の人たち。<br />地球の上からは見えない(毛利さんが宇宙からつぶやいたのも印象的)。<br /><br />人類がもう一歩進化すれば、いや、人間の考え次第で国境という概念はなくなるかもしれないのに。<br />「境界線争い」のある間は無理かな?<br />今はヒトの動きを管理する関所だからなくさないだろうな。<br /><br />原風景となっているのは、<br />小学校の時の国語か道徳の教科書にあった物語。<br />「2つの隣り合った国が戦争をしている。その国境を守るそれぞれの兵士。<br />銃を構えて敵対するが、登板で一人ずつ任務に就いているうちに<br />会話が生まれ、仲良くなっていく」というもの<br />道徳だったらどんな落としどころだったのかよく覚えていないけれど。<br />国家の意向と人間のきもちのギャップ、<br />敵対していても話してみれば関係は変わる、戦争の無意味さみたいなものを漠然と感じ取った。<br /><br />アドリア海を北上する旅では、国境越えを体験できる楽しみがあった。<br />バスに乗っていると、10分ほどボスニアヘルツエゴビナ領内を通過する。<br /><br />国境事務所の係官が乗車してきてパスポートをチェックし、おわり。<br />あっという間だった。そして10分後にはもう一つゲートがあったが、少し徐行してスルー。<br /><br />ただ、このあとボスニアのモスタルに立ち寄るので、もう一度ボスニアに入国する。<br />この時は、出国の時にやはりパスポートのチェックがあり、<br />ボスニア入国の時には全員のパスポートが集められ持って行かれた。<br />クロ、ボス両国民と思われる人たちはパスポートじゃなくて身分証明でOK。<br /><br />待ってる間にきょろきょろしてみたが、2つの国の間には草原と林が広がっているだけで、見た目そのラインはわからない。<br />でもきっとあるいちゃいけないだろうな、まだ地雷が完全にとりのぞかれたというわけではないらしい。<br /><br />ほどなく返してもらったが、国境事務所が道路の一方にしかないので出入国の車が離合できず<br />2つの国で初のラッシュにあい、30分ほど待たされることになった。<br />やはりパスポートにスタンプはなかった。<br /><br />終わってしまえばあっけなかったなあ。<br />そしてややこしいな。<br />ボスニアに入ったのにパスポートにはその証拠はない。  <br /><br />ipod touchとか最新機器は持ってない。<br />モスタルのガイドブックも持ってない。<br /><br />しかし、戦火の跡は見ておきたいし、行けそうだと判断し<br />アドリア海を離れ、立ち寄ることにした。<br /><br />バスを降りると、アジア人は自分ともうひとり、<br />パリで仕事を終え、陸路で日本に帰宅途中の女性2人だけ。<br /><br />この人は、最新機器を使いこなし、陸路をこの後、トルコ、中東に向けるか<br />北上してロシア、中央アジア経由で帰るか迷ってるという、旅の達人。<br /><br />次のバスの時刻を調べていたら、彼女はいつのまにかいなくなってて、<br />たったひとり。<br />さあ、ホテルまで誰かに聞かなきゃ、全く情報がない。<br />グーグルでこの国は全く地図を載せていない。<br /><br />すると、カフェにいたお兄ちゃんが<br />「どこへ行くんだ?」と聞いてきた。<br />まあ、アラビーみたい。<br /><br />なんとかたどり着いたホテルは、家族経営の小ぢんまりしたもの。<br />水のある風景に飢えていたので、リバーヴューに喜んだ。<br />新しくて見晴らしもよく大満足。<br />スタッフのテルくんも<br />いち早く地図を持ってきて、<br />主要観光スポット、ジモッティがいくレストラン、モール、はてはマックの情報まで懇切丁寧に教えてくれた。<br />日本のアニメの大ファンで、naruto、 one pieceが好きという。<br /><br />「なぜドブロブニクに行きたいと思ったの?」と尋ねられたので、<br />キキの話をしたら、<br />「知ってる、知ってる。見たよ」<br /><br />「明日の朝食は何がいい?」<br />「何があるの?あるものでいいよ。」といいながら<br />「お肉はほとんど食べないんだ。パンに、野菜と果物、チーズ、卵くらいあるといいけど」<br />とちゃっかり注文しちゃう。<br />「わかった。卵はどうやって食べる?」<br />「うん、ゆで卵!」<br /><br />翌日びっくりしたのは、料理したママが注文通り全部持ってきてくれたこと。<br />特に果物はかごに山盛り。<br />少し遅めに<br />「ごめんね、卵忘れてたわ。」<br /><br />申し訳なかったのは、他のテーブルに<br />卵、チーズ、サラダ、果物はなかったこと。<br />隣りの親子が言った。<br />「子どもがなかなかパンを食べないの。そのチーズ分けてくれる?」<br /><br />こんな日もあるよね。グッドラックはこの日で使い果たしたかも? <br /><br /><br />橋のたもとのお土産の積まれたわきに「Don&#39;t Forget」と彫られた石碑が、まず目に飛び込んできた。<br />丸い石の石畳は、多くの人が歩いているので、つるつるで滑りやすい。<br />多くの観光客とすれ違いながら、橋まできたときに、<br />ちょうど夕日が沈むころだった。<br /><br />かなり大きな弧を描いてネトレヴァ川にかかるスタリ・モストの石橋は、<br />オスマントルコの建造で、旧ユーゴスラビアの内戦で破壊され、<br />その後10年足らずで修復された。<br /><br />元々、セルビア(セルビア正教)、クロアチア(カトリック)、ボシュニャ(イスラム)が共生していた場所で、<br />旧ユーゴスラビアの内戦のときは<br />独立反対のセルビア人と、独立推進のクロアチア+ボシュニャが戦った。<br /><br />橋のたもとにある小さな博物館は、戦時写真を展示していた。<br />子どもが銃を持つ姿は耐えられない。<br />多くの人が家族の犠牲を経験した。<br /><br />日本ではルワンダの内戦のときと同じように<br />少ししか報道されなかった。<br /><br /><br />あのとき、人類は歴史(ユダヤ人へのホロコースト)に学ばないんだと、強烈に感じたのを覚えている。<br /><br />街には、モスクと教会が共存。<br />アンマンと同じ。<br />そうやって何百年もやってこれたのに。<br /><br />テルくんは当時10歳。<br />戦争の話を少し話し始めたところで、お客さんが来て中断した。<br />もう少し聞きたかった。もしかしたら、触れてほしくなかったかも?<br />家族経営のホテルに父親はいない。<br /><br />ここでも、街歩き。<br />クロアチア以上に砲弾をあびた後の建物が残っている。<br />白い十字架と白い三日月の木の墓碑の並ぶ墓地が、町のあちこちに。<br />そして各家には地下室があった。 <br /><br />アジア人は珍しいらしく、視線を浴びる。<br />朝一で人の少ないスタリ・モストを再び訪れたら、一緒に写真を撮ってと頼まれた。<br /> <br />時計バンドが壊れたので、時計屋さんを探し交換。<br />言葉はほとんど通じなかったけれど、問題なし。<br />ただ、ヨーロッパ人サイズのバンドは大きすぎて、<br />おじさんはバンドに4個も新たに穴を開けなければいけなかった。<br /><br />●次はスプリトを訪ねます<br />http://4travel.jp/traveler/scomitcheese/album/10765506/<br />

初めての陸路国境越え★クロアチア→ボスニアヘルツェゴビナ②

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2012/07/05 - 2012/07/06

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scomitcheese

scomitcheeseさん

島国出身なので、国境にはあこがれた。
ヨルダンでも、国境が見えると聞くと
休みには行って見たくなる。
その国境を越えて隣国に行くことは
業務上許されていないのでただながめるだけ。

一部の人間の支配欲と利権欲の象徴で、
多くの場合そのためにややこしい思いをするのは通過する大多数の人たち。
地球の上からは見えない(毛利さんが宇宙からつぶやいたのも印象的)。

人類がもう一歩進化すれば、いや、人間の考え次第で国境という概念はなくなるかもしれないのに。
「境界線争い」のある間は無理かな?
今はヒトの動きを管理する関所だからなくさないだろうな。

原風景となっているのは、
小学校の時の国語か道徳の教科書にあった物語。
「2つの隣り合った国が戦争をしている。その国境を守るそれぞれの兵士。
銃を構えて敵対するが、登板で一人ずつ任務に就いているうちに
会話が生まれ、仲良くなっていく」というもの
道徳だったらどんな落としどころだったのかよく覚えていないけれど。
国家の意向と人間のきもちのギャップ、
敵対していても話してみれば関係は変わる、戦争の無意味さみたいなものを漠然と感じ取った。

アドリア海を北上する旅では、国境越えを体験できる楽しみがあった。
バスに乗っていると、10分ほどボスニアヘルツエゴビナ領内を通過する。

国境事務所の係官が乗車してきてパスポートをチェックし、おわり。
あっという間だった。そして10分後にはもう一つゲートがあったが、少し徐行してスルー。

ただ、このあとボスニアのモスタルに立ち寄るので、もう一度ボスニアに入国する。
この時は、出国の時にやはりパスポートのチェックがあり、
ボスニア入国の時には全員のパスポートが集められ持って行かれた。
クロ、ボス両国民と思われる人たちはパスポートじゃなくて身分証明でOK。

待ってる間にきょろきょろしてみたが、2つの国の間には草原と林が広がっているだけで、見た目そのラインはわからない。
でもきっとあるいちゃいけないだろうな、まだ地雷が完全にとりのぞかれたというわけではないらしい。

ほどなく返してもらったが、国境事務所が道路の一方にしかないので出入国の車が離合できず
2つの国で初のラッシュにあい、30分ほど待たされることになった。
やはりパスポートにスタンプはなかった。

終わってしまえばあっけなかったなあ。
そしてややこしいな。
ボスニアに入ったのにパスポートにはその証拠はない。  

ipod touchとか最新機器は持ってない。
モスタルのガイドブックも持ってない。

しかし、戦火の跡は見ておきたいし、行けそうだと判断し
アドリア海を離れ、立ち寄ることにした。

バスを降りると、アジア人は自分ともうひとり、
パリで仕事を終え、陸路で日本に帰宅途中の女性2人だけ。

この人は、最新機器を使いこなし、陸路をこの後、トルコ、中東に向けるか
北上してロシア、中央アジア経由で帰るか迷ってるという、旅の達人。

次のバスの時刻を調べていたら、彼女はいつのまにかいなくなってて、
たったひとり。
さあ、ホテルまで誰かに聞かなきゃ、全く情報がない。
グーグルでこの国は全く地図を載せていない。

すると、カフェにいたお兄ちゃんが
「どこへ行くんだ?」と聞いてきた。
まあ、アラビーみたい。

なんとかたどり着いたホテルは、家族経営の小ぢんまりしたもの。
水のある風景に飢えていたので、リバーヴューに喜んだ。
新しくて見晴らしもよく大満足。
スタッフのテルくんも
いち早く地図を持ってきて、
主要観光スポット、ジモッティがいくレストラン、モール、はてはマックの情報まで懇切丁寧に教えてくれた。
日本のアニメの大ファンで、naruto、 one pieceが好きという。

「なぜドブロブニクに行きたいと思ったの?」と尋ねられたので、
キキの話をしたら、
「知ってる、知ってる。見たよ」

「明日の朝食は何がいい?」
「何があるの?あるものでいいよ。」といいながら
「お肉はほとんど食べないんだ。パンに、野菜と果物、チーズ、卵くらいあるといいけど」
とちゃっかり注文しちゃう。
「わかった。卵はどうやって食べる?」
「うん、ゆで卵!」

翌日びっくりしたのは、料理したママが注文通り全部持ってきてくれたこと。
特に果物はかごに山盛り。
少し遅めに
「ごめんね、卵忘れてたわ。」

申し訳なかったのは、他のテーブルに
卵、チーズ、サラダ、果物はなかったこと。
隣りの親子が言った。
「子どもがなかなかパンを食べないの。そのチーズ分けてくれる?」

こんな日もあるよね。グッドラックはこの日で使い果たしたかも?


橋のたもとのお土産の積まれたわきに「Don't Forget」と彫られた石碑が、まず目に飛び込んできた。
丸い石の石畳は、多くの人が歩いているので、つるつるで滑りやすい。
多くの観光客とすれ違いながら、橋まできたときに、
ちょうど夕日が沈むころだった。

かなり大きな弧を描いてネトレヴァ川にかかるスタリ・モストの石橋は、
オスマントルコの建造で、旧ユーゴスラビアの内戦で破壊され、
その後10年足らずで修復された。

元々、セルビア(セルビア正教)、クロアチア(カトリック)、ボシュニャ(イスラム)が共生していた場所で、
旧ユーゴスラビアの内戦のときは
独立反対のセルビア人と、独立推進のクロアチア+ボシュニャが戦った。

橋のたもとにある小さな博物館は、戦時写真を展示していた。
子どもが銃を持つ姿は耐えられない。
多くの人が家族の犠牲を経験した。

日本ではルワンダの内戦のときと同じように
少ししか報道されなかった。


あのとき、人類は歴史(ユダヤ人へのホロコースト)に学ばないんだと、強烈に感じたのを覚えている。

街には、モスクと教会が共存。
アンマンと同じ。
そうやって何百年もやってこれたのに。

テルくんは当時10歳。
戦争の話を少し話し始めたところで、お客さんが来て中断した。
もう少し聞きたかった。もしかしたら、触れてほしくなかったかも?
家族経営のホテルに父親はいない。

ここでも、街歩き。
クロアチア以上に砲弾をあびた後の建物が残っている。
白い十字架と白い三日月の木の墓碑の並ぶ墓地が、町のあちこちに。
そして各家には地下室があった。 

アジア人は珍しいらしく、視線を浴びる。
朝一で人の少ないスタリ・モストを再び訪れたら、一緒に写真を撮ってと頼まれた。
 
時計バンドが壊れたので、時計屋さんを探し交換。
言葉はほとんど通じなかったけれど、問題なし。
ただ、ヨーロッパ人サイズのバンドは大きすぎて、
おじさんはバンドに4個も新たに穴を開けなければいけなかった。

●次はスプリトを訪ねます
http://4travel.jp/traveler/scomitcheese/album/10765506/

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
5.0
グルメ
2.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩

PR

  • 渡るための橋というより、要塞だったにちがいないスタリ・モスト。<br /><br />渡りにくいこと!坂は急だし、階段状だし、長い間人が歩いたからでしょう、石はつるつるに摩耗しています。<br /><br />参拝客の多いお寺の石段のようです。

    渡るための橋というより、要塞だったにちがいないスタリ・モスト。

    渡りにくいこと!坂は急だし、階段状だし、長い間人が歩いたからでしょう、石はつるつるに摩耗しています。

    参拝客の多いお寺の石段のようです。

  • 橋のたもとの石碑

    橋のたもとの石碑

  • ここもすべりますから、ご用心

    ここもすべりますから、ご用心

  • 山頂の十字架、モスクのミナレット、そして建物の砲弾あとが、<br />1枚の写真に収まりました。

    山頂の十字架、モスクのミナレット、そして建物の砲弾あとが、
    1枚の写真に収まりました。

  • 川のこちら側はムスリム地区

    川のこちら側はムスリム地区

  • あちら側はクリスチャン地区

    あちら側はクリスチャン地区

  • そしておびただしい砲弾<br />

    そしておびただしい砲弾

  • 街の中心地、あちこちに墓地がある

    街の中心地、あちこちに墓地がある

  • 悲しい歴史を忘れないために、そのままにしてあるのかな

    悲しい歴史を忘れないために、そのままにしてあるのかな

  • 立ち尽くす女性の写真〜美術館で

    立ち尽くす女性の写真〜美術館で

  • 子どもが武器を持つことが一番悲しい

    子どもが武器を持つことが一番悲しい

  • ほっとするな、わんちゃんの昼寝

    ほっとするな、わんちゃんの昼寝

  • モスタル-スプリト(クロアチア)間のバスのターミナル事務所。<br />当日でないとバスのチケットは買えなかった。<br /><br />ボスニアに悪いけれど、1日の滞在なので両替をしなかった。<br />クロアチアのクーナが使えた。お釣りはボスニアのマルカでもらった。<br />バスのチケットを買うときは、大きなお札しかなくて申し訳なかった。<br /><br />青空市場ではマルカでないと売ってくれない人もいたが、クーナを受け取る人もいたので、その人次第ってところかな。

    モスタル-スプリト(クロアチア)間のバスのターミナル事務所。
    当日でないとバスのチケットは買えなかった。

    ボスニアに悪いけれど、1日の滞在なので両替をしなかった。
    クロアチアのクーナが使えた。お釣りはボスニアのマルカでもらった。
    バスのチケットを買うときは、大きなお札しかなくて申し訳なかった。

    青空市場ではマルカでないと売ってくれない人もいたが、クーナを受け取る人もいたので、その人次第ってところかな。

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