2012/09/20 - 2012/09/20
238位(同エリア592件中)
くまゆさん
2日目の後半です。
熊野本宮大社をお参りした後、かつて本宮大社があった、大斎原(おおゆのはら)に行きました。
大斎原は3つの川の合流点の中州にあり、1889年の水害で社殿が流出し、現在の場所に移転するまで、熊野本宮大社があった場所です。
現在はパワースポットとして人気があるそうです。
夕方になっていたので、大鳥居の写真もこのようなものになってしまいました。
宿は、川湯温泉に泊まりました。
川湯温泉って、川のそばにあるだけだと思っていたら、ホントに本当に、河原に露天風呂があるんですね!
混浴ですが、タオルドレスのようなものを着たまま入れるので、大丈夫です。
夜は怖かったので、明け方に入りました。
感動しました!
いろいろなホームページからコピペしただけで、読みにくいです。
手抜きですみません。 m(__)m
旅程(→は、電車や車での移動 ⇒は、徒歩)
1日目:新大阪→日根野駅→慈尊院⇒丹生官省符神社→丹生都比売神社→花坂⇒(町石道1時間)⇒車道出合→高野大門→奥の院口⇒(1.5時間)⇒奥の院前→宿坊
2日目:宿→壇上伽藍⇒金剛峯寺→龍神→本宮→発心門王子⇒(熊野古道3時間)⇒熊野本宮大社⇒大斎原→川湯温泉
3日目:宿→熊野速玉大社→神倉神社→大門坂→那智大社・青岸渡寺→那智の滝→紀伊勝浦駅→新大阪
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
中野さんは車を移動させているので、4人で大斎原に向かいます。
(16:45) -
大鳥居が見えてきました。
-
*****
熊野本宮観光協会ホームページ
http://www.hongu.jp/kumanokodo/hongu-taisya/
熊野は古くから人々の熱い信仰に支えられた聖地であり、『伊勢へ七度、熊野へ三度』とさえ言われている。
本宮の地に神が祀られたのは、今からおよそ2000年前、第10代崇神天皇の世といわれているから、ずいぶん昔のことである。
(続く) -
熊野詣が盛んであったのが、平安時代の中期から鎌倉時代にかけてであると伝えられている。
延喜7(907)年、宇多法皇以来、法皇上皇の御幸も盛んで白河上皇の9度、鳥羽上皇の21度、後白河上皇の34度、後鳥羽上皇の28度と多くを数えたが、弘安4(1281)年、3月、亀山上皇の御幸をもって終結をつげている。
(続く) -
江戸時代に入って、元和5(1619)年、紀州藩主徳川頼宜が熊野三山の復興に力を入れ、再び「蟻の熊野詣」の最盛期を迎えることができたとある。
言うまでもなく、身分や階級を問わない多くの人々が熊野にあこがれ、救いを求め、甦りを願って異郷とも思える山深いこの地を目指したのです。
* * * * *
熊野は、甦り・よみがえり・再生を願う地なのですね。 -
大斎原・大鳥居
高さ:34m
幅 :42m
日本最大の鳥居です
真ん中に金色のヤタガラスが光っています。 -
* * * * *
「み熊野ねっと」
http://www.mikumano.net/nyumon/kumano.html
「熊野」という地名が何を意味していたのか、その語源ははっきりとはわかっていません。様々な説があります。
・「クマ」は古語で「カミ」を意味し、「神のいます所」の意とする説
・「クマ」は「こもる」の意で、「樹木が鬱蒼と隠りなす所」の意とする説
・「クマ」は「こもる」の意で、「神が隠る所」の意とする説
・「クマ」は「こもる」の意で、「死者の霊魂が隠る所」の意とする説
・「クマ」は「隅(くま=すみ)」の意で、都から見て「辺境の地」の意とする説
・「クマ」を「影」の意とする説
・「クマ」を「曲(くま)」の意とする説
どの説を取るにしろ、熊野には開けた明るいイメージはありません。木々が鬱蒼と茂る、陽のあまり当たらない未開の地というイメージ。
(続く) -
( 来た道を振り返って )
* * * * *
実際、熊野三千六百峰といわれ、ほとんどが山林に覆われ、平地はほとんどなく、山からいきなり海になるような地形の所が多い熊野は、人が農耕をして暮らすには不便な場所でした。
その山がちの地形により人間の手による開発を免れていた熊野は、ほぼ全域をシイやカシなどの日の光を照り返す木々を主とした照葉樹林に覆われていました。
大和地方の都人から見たら、熊野は山のはるか彼方にある辺境の地であって、大和とはまるで違う異界としてイメージされたに違いありません。
大和地方の人々は熊野を死者の国(死後の世界)に近しい場所と考えていたようです。
熊野には以前から死者の国としてのイメージが与えられていたので、のちに浄土信仰が盛んになったときに、熊野は、やはり死者の国である「浄土」と結びつけられたのでしょう。
(続く) -
( 杉並木の向こうに、広い野原があります。 )
* * * * *
神仏習合や浄土信仰の隆盛により、本宮は阿弥陀如来の西方極楽浄土、新宮は薬師如来の東方浄瑠璃浄土、那智は千手観音の南方補陀落(ふだらく)浄土の地であると考えられ、熊野は全体として現世にある「浄土」の地とみなされるようになりました。
熊野が広くその名を知られるようになるのは、院政期、上皇や女院による熊野御幸(くまのごこう)が行われるようになってからです。
院政期、熊野御幸がほぼ年中行事と化すほど、上皇たちは熊野信仰に熱を入れました。このことにより熊野は浄土信仰の日本第一の大霊験所として地位を確立したのです。
* * * * * -
暗くなってからの写真ですみませんが、左の木の手前の白いものが祠です。
* * * * *
熊野本宮観光協会ホームページ
http://www.hongu.jp/kumanokodo/hongu-taisya/ooyunohara/
熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。
(続く) -
( 旧社鳥瞰絵図 )
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。
(続く)
* * * * *
川を歩いて渡って水垢離をした?!? すごい… -
( 熊野座神社水害前の写真 )
ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に移築しました。
(続く)
-
かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。
* * * * *
これがその祠ですね。 -
祀られている神々
-
一遍上人 爪書名号碑(つめがきめいごうひ)
一遍上人が熊野詣の際、路傍の石に「南無阿弥陀仏」の名号を爪で刻んだものと伝えられる碑があります。
なぜここに一遍上人の碑があるのかと疑問を持つ方は、下を読んでください。 -
* * * * *
「み熊野ねっと」
武士の世となり、院政が衰え、熊野御幸は衰退していきましたが、熊野信仰は衰えませんでした。上皇たちは来なくなりましたが、今度は武士や庶民による熊野詣が盛んになります。
室町時代以降、「蟻の熊野詣」と、蟻が餌と巣の間を行列を作って行き来する様にたとえられるほどに、大勢の人々が列をなして熊野を詣でるようになったのです。
この熊野信仰の隆盛には、一遍上人(1239〜89)を開祖とする時衆(じしゅう。のちに時宗)という浄土教系の鎌倉新仏教の念仏聖たちの働きがありました。
時衆の念仏聖たちは熊野を特別な聖地と考え、それまで皇族や貴族などの上流階級のものであった熊野信仰を庶民にまで広めていったのです。
このように浄土信仰の日本第一の大霊験所として栄えた熊野は、やがて神仏の権威の衰退や浄土信仰の衰退とともに衰えていったのでした。
* * * * *
なるほど… それにしても、なんてシュールな「南無阿弥陀仏」!! -
大斎原を出て、川湯温泉に向かいます。
川のこちら側に車が停めてありました。
遠くに大鳥居が見えます。 -
さすがに大きいです!
-
中野さんの車
-
川湯温泉です。
-
今晩の宿、大村屋
(5:30) -
部屋
狭いですが、なんとか… -
夕食 (普通でした)
本当に河原に露天風呂があると聞き、若いSさんは夕食前に行きましたが、暗くて怖いので私たちは朝行くことにしました。
朝も入れるかと宿のご主人に聞くと、
「8時までなら、いいけど… その後は掃除するからなぁ」
普通は夜行くんでしょうかねぇ。
でも、結果として、朝の方が正解でした。 -
翌朝6時ごろ、朝もやの中をお風呂に行きます。
向こう岸の、茶色っぽい衝立の所がお風呂だそうです。 -
-
誰かいます。
よかった、女の子です。
昨晩行ったSさんに混浴の様子を聞いたところ、「女の人が先にいれば、大丈夫ですよ」とのことでした。
確かに、男性が後には入りにくいでしょうね。 -
向こう岸には温泉宿が並びます。
-
足湯をしているこの可愛いお二人、ブログに写真の許可はもらったんですけど、隠した方がいいでしょうか…
やり方を忘れてしまった。 (;一_一) -
写真を撮っているのは、一緒に行ったTさんです。
こういうタオルドレスを貸してくれます。
屋久島の平内海中温泉は、すっぽんぽんで混浴露天風呂だったんですけど、ここは大丈夫です。
でも、平内海中温泉、最高ですよ。
よかったら、見てください(また宣伝…)
http://4travel.jp/traveler/kumayu/album/10235370/ -
これで掃除するんですかね。
-
向こう岸に対しては、一応衝立はありますが、ほんの形だけです。
衝立に浴衣を掛けておきますが、ここでタオルドレスを脱いで浴衣に着替えるのは、超難しいです。
若いTさんは諦めて着替えないで帰って、寒かったと言っていました。
おばさんの私は、もちろん着替えて一足先に帰りました。 -
この階段を降りるのが、かなり怖いです。
夜は、懐中電灯を持っても、よほど気をつけないと危ないですよね。
こちらから見れば、フルに見えますよね!
若い3人はまだおしゃべりしています。 -
宿側に渡ってから、振り返りました。
随分明るくなってきました。 (6:30) -
出発は8時ですが、その少し前に、こんな景色が見れました!
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