2013/03/23 - 2013/03/23
276位(同エリア516件中)
滝山氏照さん
青龍山・最勝寺(さいしょうじ、埼玉県入間郡越生町)は本尊は十一面観世音菩薩で修羅界(争いのある世の中)を救う仏像で、かつては「西照寺」と呼ばれていたそうです。
建久4年(1193)源頼朝がときがわ町の慈光寺に叔父を訪ねる途中、乗っている馬がひずめを鳴らして止まったので、則使大名であった家来の児玉雲大夫(こだま・うんだゆう)に命じて稲荷さまを見つけ、稲荷さまのお告げを感じて戦勝祈念の寺として創建したと伝えられています。
明治41年大火災で本堂を焼失、上谷の常願寺を移築しています。本堂左手の大御堂には釈迦如来、阿弥陀仏、四天王像が安置されています。
2022年9月18日追記
境内に建っている説明板には次のように紹介されています。
『 最勝寺 越生町堂山
最勝寺は建久4年(1193)、源頼朝が、崇敬していた慈光寺(ときがわ町)参詣路の要所に位置する当地に、家臣の児玉雲太夫に命じて建立させたと伝えられている。最勝寺東方の字堀之内に「児玉雲太夫の墓」と呼ばれている五輪塔があり、塔下からは中世常滑焼の蔵骨器が見つかっている。
江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」に、「青龍山と号す、新義真言宗、今市村法恩寺の末山なり、往古は天台宗にて西照寺と書きたるよし」と、かつて堀之内にあった大御堂の西方に当たるため西照寺と称し、東方には東福寺という寺があったことが記されている。堂山の地名の起こりとされる大御堂は、現在は最勝寺の境内にあり、平安仏の木造釈迦如来像と四天王像、鎌倉仏の木造阿弥陀如来像が安置されている。
元禄13年(1700)建立の山門のたもとにある、大日如来と六地蔵が彫られた石仏は、近くの辻から移設されたもので、「石志かう 左あまてら」の文字が、慈光寺と子の権現(飯能市の天龍寺=通称あまてら)の方角を示している。
また、朝夕の時を告げている梵鐘は昭和51年の鋳造で、「どこ堂山の最勝寺」で始まる、一円の地名を織り込んだ、古くから伝わる童謡が刻まれている。
越生町教育委員会 』
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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最勝寺・参道
寺標「真言宗智山派青龍山最勝寺」を確認して参道を進みます。 -
源頼朝祈願所・石碑
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最勝寺縁起・説明板
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最勝寺・山門
山門の横にある六地蔵はかつては都幾川の慈光寺道と飯能の子の権現参拝路との三叉路に在ったもので巡礼者にとって道しるべとなっています。 -
最勝寺・境内
境内にはしだれ梅をはじめ紅梅・白梅が咲き乱れます。自分が訪問した時期は既に見頃を過ぎておりました。 -
最勝寺・本堂
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最勝寺・鐘楼
梵鐘は昭和51年の鋳造で、「どこ当山の最勝寺は」で始まる近隣の地名を織り込んだ童歌が刻みこまれているそうです。 -
最勝寺・大御堂
釈迦如来、阿弥陀仏、四天王像が安置されています。 -
田代三喜 記念碑
田代三喜(たしろさんき、1465〜1537)は父の業を継ぐため医術に志し、長享元年(1487)、医学研修の為明にわたり12年後に帰国、その後古河公方足利成氏(あしかがしげうじ)の招請を受けています。関東各地に名医である評判がたち、武家から民間まで医療を尽くし、医学の聖人とまで慕われていました。 -
田代三喜・説明板
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越生梅林
自分が訪問した時は既に盛りを過ぎておりました。 -
越生梅林
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越生梅林
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