2012/09/10 - 2012/09/10
82位(同エリア231件中)
滝山氏照さん
水戸街道土浦宿(つちうらじゅく)は土浦藩の城下町で、南門から城郭の東(霞ヶ浦側)を廻り北門に至る約1500mの距離で、街道には商家が建ち並び水戸街道の宿場の中でも水戸に次ぐ宿場町として繁栄した宿場でありました。
現在の旧水戸街道は「中城通」と呼ばれ、土浦城南門跡、東光寺・等覚寺等の社寺があり、更には歴史を感じさせる商店等が軒を連ねています。
土浦は霞ヶ浦に面している事から歴史的に水運にも恵まれています。
つまり江戸時代の都市化に伴い、利根川や霞ヶ浦沿いの町では大量の物資を運ぶため水運が活発化します。
土浦については享保12年(1727)、藩の支援を得て川口河岸が整備され、周辺から醤油・穀物・薪や炭・木材が集められ江戸に運ばれ、帰路には塩・酒・小間物・呉服などが土浦に送られてきました。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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旧水戸街道周辺地図
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東光寺参道
曹洞宗東光寺は慶長12年(1607)に心庵春伝によって創建されています。当付近は土浦城南門の左右に沿って土塁が構築されて、その遺構が一部墓地の南東隅に見られています。 -
東光寺瑠璃光殿
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東光寺瑠璃光殿石標
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長谷川金太夫翁墓
乃木稀典将軍の外祖父の墓所が在ります。 -
法堂
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東光寺本堂
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東光寺扁額
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辻元順(つじげんじゅん)墓所
説明では享和3年(1803)茨城県安吾村(現岩間町)医師岡本元隆の息子として出生、土浦藩医辻益順の養子となり天保3年(1832)に藩に仕えます。
後に和歌山藩医華岡青洲に外科を学び、土浦に帰っては藩主の侍医を勤め、また産科を兼ねて医療に貢献しました。 -
辻元順墓石標
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土浦城南門跡
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土浦城南門跡周辺
この辺りが土浦城南門があり、枡形状の防御設備がありました。 -
等覚寺(とうかくじ)全景
前身は常陸藤沢にあった藤沢山三教閣極楽寺で、慶長10年(1605)に現在地に移転、寺号を蓮光山正定聚院(しょうじょうじゅいん)等覚寺と改めます。 -
銅鐘楼
常陸三古鐘のひとつに数えられる銅鐘(国指定重要文化財)があります。 -
銅鐘石碑
説明では建永年間(1206〜1207)に小田氏の遠祖八田知家が旧極楽寺に寄進した経緯があり、これが関東に現存する最古の梵鐘と言われています。 -
等覚寺本堂
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旧城下町道
所々に枡形が見られさすがに土浦城下町の雰囲気を残しています。 -
水戸街道と土浦宿街並み
水戸街道は慶長9年(1604)に整備された五街道に次ぐ重要な街道で土浦城下を南から東(霞ヶ浦)側を廻って北上します。 -
水戸街道の一部
旧水戸街道が現在では「中城通」で道路の周辺には貴重な歴史的遺産が見られます。 -
矢口家住宅
旧水戸街道に面した店蔵(主屋・向かって右)及び袖蔵(向かって左)が嘉永2年(1849)、元蔵(店蔵・袖蔵の奥)が慶応年間(1865〜1867)の建築で県内に現存する土蔵造りの商家建築では貴重な建物であります。(説明板) -
旧水戸街道と土蔵
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イチオシ
まちかど蔵(山口家)
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寺子屋跡
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商家風景
東日本大震災の影響を受けて土壁が崩れています。 -
旧水戸街道
現代的な建物に対し昔ながらの懐かしい商家がしっかり時を刻んでいるのがよく伝わります。
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