2012/11/27 - 2012/11/27
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SUR SHANGHAIさん
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この日は、カスバ街道(10号線)上の街ティネリールを去って、更に南のザゴラを目指す日。
ザゴラは、かつてはマリ王国の都トンブクトゥとの交易中継地だった町。
懸案だったその道筋も、ティネリールのレストラン・ラ・カスバのスタッフに道路情報をもらって一安心。
ちょいと早目にティネリールを出て、焦らず急がずザゴラの街を目指します。
その道筋ではどんな景色に出会うだろう。
表紙の画像は、ザゴラ近くのドラア谷の集落で出逢った女性。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- その他
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
今日は、カスバ街道(10号線)上の街ティネリールを去る日。
これはティネリールでの宿になったオテル・サグロから見下ろした街やトドラ川流域のオアシスの様子。
カスバ街道の街と言うイメージとは違って、市街地中心部は随分新しくて大きいのが分かると思います。
ティネリールからはトドラ渓谷、ダデス渓谷に行けて楽しめたけれど、心残りなのは街の中を歩けなかったこと。
ティネリールにもメディナ(旧市街)があるようだし、トドラ川流域のオアシスもこの通りきれいなので、街歩きがお好きな方はお時間を取って行ってみては? -
今日の目的地は、カスバ街道(10号線)にあるティネリールから見て南西部にあるザゴラ。
う〜ん、ティネリールあたりから、一本南にある12号線に出る道があればいいんだけど、手持ちの地図には細〜い道しか描いていない。
これだとちょいと不安よね。
1993年にカスバ街道(10号線)あたりを訪れた時にも、その後でザゴラに行ったよね。あの時の道筋はどうだっただろう。
一旦ワルザザートへ戻ってから9号線を南下して行ったんじゃなかっただろうか。
…と、昨日までは思っていたんですが、昨日の夕食を摂ったレストラン・ラ・カスバのスタッフが朗報を。
ティネリール近くから12号線のALNIFという町まで行く道は、今では舗装済なんだそう。
で、そのアドヴァイスに従って行くことに。
ティネリール市街地を貫くムハンマド5世通りを東外れまで来ると、昨日行ったトドラ渓谷への分岐点があるんですが、今日はそちらには曲がらず、まずは東のエルラシディア方向(画像右手)へ。 -
さて、ティネリールのレストラン・ラ・カスバのおにいちゃんが言っていたように、カスバ街道(10号線)を東のエルラシディア方向へ約10km。
と、そこには果たして、12号線上のALNIFやTAZARINEの町の名が出た標識が!
ALNIFまでは45kmだって。
あとは12号線を辿って9号線に出れば、ザゴラまで楽勝だあっ!
ヤタ───v(-∀-)v───♪
レストラン・ラ・カスバのおにいちゃん、サンキュ──ヾ(*'∀`*)ノ──♪
あとは、道の状態が気になるけど、今では舗装済みって言ってたよね。 -
ティネリール近郊から12号線のALNIFの町へ向かう道。
気付いた限りでは、何号線なのか標識にも出ていなかったのでお許しを。
この通り、簡単ながら舗装が出来た道でした。
じゃ、まずはALNIFの町へ向かって南へまっしぐら。 -
ティネリール近郊から12号線のALNIFへ向かう道。
一層乾いた大地が広がって、徐々にサハラのはじっこが近づいて来た雰囲気。
そんな景色の所々にこんな井戸が。
ここではちょっと車を降りて見に行ってみましたが、中はカラカラ。
小石を投げてみても、水の音は無し。 -
ティネリール近郊から12号線のALNIFへ向かう道。
乾いた風景の中、黒い装束の女性がポツリと歩いて行くシュールな風景。 -
お、ここが12号線上の町ALNIFか。
ティネリールの宿のオテル・サグロを出てきたのが9時だったから、ここまで1時間10分。
ここから先は、右(西)に行っても左(東)に行っても12号線。
ザゴラを目指すSUR SHANGHAI一行は、右へ曲がりま〜す。
このALNIFからザゴラまでは172km。
まだ午前中だから、ゆっくり行っても大丈夫だね。
●注: ザゴラのアルファベットの綴りは統一されていないようで、ZAGORAだったり、ZAGOURAだったりします。
この画像の標識ではZAGOURA。混乱に要注意。
ついでに言うと、ZAGOURAの上に出ている12号線上の町のTAZARINEも、TAZZARINEと書かれることもありました。 -
12号線上の町ALNIFは小さい町だった。
すぐにもう町外れで、それまでの制限速度60kmはここから先は解除。
それよりも、ボロボロの車体のタクシーを取り締まってもらいたい気がするけど…。
(;^ω^)
そうそう、12号線も簡単ながら舗装は出来ていましたよ。 -
ALNIFから12号線を西に進む。
岩石砂漠が道の両脇にどこまでも続く景色。
そしてその真っ只中にポツリと息づいている一本の木。
木も一人だと寂しいかな。 -
12号線上にも小さい町が点在。
そのうちの一つの町を通り過ぎたら、道行く車を高みの見物している子がいた。
SUR SHANGHAIは子どもの頃、夜汽車が町を出て行く線路の響きが遠くなるのを聞きながら、いつか遠い旅に出たいと空想していたっけ。
この子たちも行過ぎる車を眺めては、いつかどこか遠くへ行ってみたいと思っているのかも。 -
12号線のALNIFの町の近郊は乾いて荒れ果てた岩石砂漠。
道筋にはキャンプや宿泊施設、化石や鉱物のお土産屋さんがポツポツあるくらいで、人々は何を生業にして暮らしているんだろうかと思うほど。
ヤギやラクダの放牧も、このあたりでは見かけなかったような気がする。 -
ALNIFの町から西へと続く12号線。岩石砂漠がどこまでも着いて来る。
そんな景色の向こうに忽然と現れた岩山。
この道は初めて通るのに、あの岩山はどこかで見た覚えがある…。
う〜ん、どこだったっけ。(−−〆)
…としばらくもだえ苦しんで思い出したのは、チュニジアの首都チュニス近郊の海岸から見た島だった。
ウソでしょ〜! どうしてここに同じ形の山が、と思うほど瓜二つ。
そのチュニス近郊の旅行記はこちら。
★春のチュニジア ?? −チュニス近郊 ラフ・ラフの海辺へ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10061888/ -
イチオシ
今度は、土漠の中に真っ赤な車が出現。
一瞬、Σ(・ω・ノ)ノえっ! これは幻か?
よく見ると、向こうの岩山の上に通信設備があるから、定期的に巡回点検している車が山を下りて来たところなんでしょうね、きっと。
そう納得したあともやけにシュールな光景。 -
12号線沿いの町は、これからどう変わって行くんだろうと思う気配あり。
町を貫く道沿いや町外れを中心に、工事中の所が多かったですよ。 -
さて、12号線上の町TAZARINE到着。
ここに着いたのは、ティネリールの宿を出てから2時間10分足らず。
TAZARINEは12号線沿いではちょい大き目の町で、この画像のゲート奥には市場も立ってました。
観光客が立ち寄る町ではないんですが、道沿いのカフェで一休みして行きます。 -
同行者Bさんは、観光客のいないローカルの人だらけの場所は苦手らしい。
みんな、物珍しそうにこっちを見て行くからね。
ミント・ティー休憩の後はそそくさと去ることに。
SUR SHANGHAIはこのTAZARINEの町の市場も見てみたかったけどな…。
ま、いいか。これから行くザゴラには大きい市場が出るようだし。
で、道端のお店前にいたベルベル人らしき親子連れをパチリ。
お子さん、可愛いですね。 (*^。^*)
それにしても、おんぶの仕方って万国共通なんだ〜。 -
TAZARINEの町の市場で買い物を済ませたお客さんや荷物を乗せる車。
ひょっとして、近郊の村々からお買い物シャトル・バスが出ているとか?
↑ 冗談です。 (。・w・。) ププッ -
12号線上のTAZARINEの町外れには、この後9号線経由でザゴラやワルザザートへ向かう標識が。
この道で行くとザゴラまでは137km。
実は、この翌日知ったんですが、この分岐点には2012年11月下旬、まだ標識の出ていないザゴラ直通の道もありました。
ただし、この時は未舗装。そのうちに舗装が出来れば、新しく標識も出るんだと思います。
どうしてこの道の存在を知ったかというと、翌日ザゴラからマアミドに向かう時に道を間違えて、このTAZARINEに戻って来てしまったからなんです。(;^ω^)
このTAZARINE ⇔ ザゴラ間の道については、別編の旅行記でご紹介します。 -
この日は、上に出した画像の標識の通り、まずは12号線で9号線に出てからザゴラを目指します。
ここはまだ、TAZARINEの町を出たばかりの12号線。
前を行くSKYGOという赤い三輪小型トラックの健気にトコトコ走る様子が可愛い。(^◇^)
後の荷台に乗っているおじさんのジュラバ(フード付きコート)も赤かったら、赤頭巾ちゃん。
灰色だったらネズミ男。 …と言ったら失礼ですね。<(_ _)> -
ここでモロッコの交通標識を二つ。
まずは、やはり土地柄ラクダが多いので、ラクダに注意の標識。
この標識に出ているラクダは、コブが一つのヒトコブラクダ。
ヒトコブラクダとフタコブラクダには見かけの違いだけではなく相違点がいくつかあって、西アジアから北アフリカに分布しているのはヒトコブラクダ。
フタコブラクダは中央アジアに分布しているんだそう。
あ、そういえば、中国のシルクロードで見たラクダはどこでもフタコブだった。
これからラクダの絵を描く時には、どこのラクダなのか気を付けて描かなくっちゃ。
更なる違いを見てみたい方は、下記のウィキペディアのラクダについてのページでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%80
下の画像は、≪安全ベルトを締めましょう≫を示したお手製的標識。
それでも、言わんとすることが一目瞭然。 -
ラクダの標識を見たから、という言う訳ではありませんが、12号線を行くラクダ飼いのおにいちゃんとラクダの群れに遭遇。
あ、標識の絵のとおり、みんなヒトコブラクダだ! と再認識。
なんだか、ヒトコブラクダの方がフタコブラクダよりスラリとした体型のように見えるけど、これは気のせい? -
12号線を行く土地の女性たち。
彼女たちもベルベル人なんだろうか。
ベルベル人の名の由来はギリシア語の≪バルバロイ(訳の分からない言葉を話す者)≫から来ているんだそうですが、そのベルベル人も多くのグループに分かれているようです。
その中でも、これまでにSUR SHANGHAIがよく聞いた部族名はトアレグ族。
そのトアレグ族についてもSUR SHANGHAIはよく分からないので、下記のウィキペディアのベルベル人のページでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E4%BA%BA -
こ、この速度制限標識の置き方は! ( ̄m ̄*)
80、60、20がこんなに矢継ぎ早に置いてあったら、却って危ないでしょ! -
12号線上のこの町の名は見落としてしまった…。
ここも工事中の場所多し。
下段の画像のつるはしを担いだおじさん、その民族衣装だと仕事し辛くないですか〜?
インドでは、工事現場の女性労働者が木綿のサリーを着ていて、動きにくそうだし、足元も危なそうと思ったことがある。
着物時代の日本だと、働く女性の裾まくりなんてあったようだけど、インドもモロッコもそれはご法度? -
12号線も町が途切れた部分は、広々とした景色。
このおじさんはノマド(遊牧民)?
白地に縦縞のジュラバ(フード付きコート)が粋!
どんな住居でどういう暮らしをしているんだろう。 -
さ、12号線が9号線と出会った。
9号線は、今回の旅の出だしにアトラス山脈を越えた道。
ここでは、右(北)に行くとワルザザートやマラケシュ方向。
左(南)に行くとザゴラやマアミド方向。
ザゴラを目指すSUR SHANGHAIたちは、もちろん左に曲がりました。
今朝、カスバ街道(10号線)上のティネリールを出たのが9時。
その後ALNIF経由で12号線をやって来て、この分岐点を通過したのは12時40分頃。 -
ワルザザートから南のザゴラへ向かう部分の9号線は、ドラア川が作りだしたドラア谷に沿った道。
景色のいい場所を見つけたので一休み。
谷と言っても、これまでに見てきたトドラ渓谷やダデス渓谷の谷とは違って、ドラア谷の谷間はこんなに広くなっています。
このドラア谷には今昔のカスバもオアシスも多数。 -
上に出した画像の景色を見るために車を停めた場所にはモロッコの国旗が翻っていた。
モロッコの国旗の地色の赤は預言者モハメッドを表わし、中央の緑色の五芒星は≪スレイマンの印章≫と言って、国家の安泰や国民への加護を願う印なのだそう。
現代のこの国旗のほか、時代別・用途別のモロッコ国旗が次のウィキペディアのページで見られますよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97 -
ザゴラに向かって南下して行く9号線。
9号線はマラケシュやワルザザートをも結ぶ幹線道路。
舗装の状態は、今日通ってきた道に比べるとスムーズで、センターラインもあり。 -
ザゴラには夕暮れまでに十分な余裕を持って到着できそう。
ちょっとドラア谷の向こう側に行ってみようか。
…とやって来たドラア川沿いのオアシス。やっぱりここでもナツメヤシの栽培が多いみたい。
ドラア川にはあちこちに車も通れる橋も架かっていて、9号線からちょっと脇道に入ると川向こうへ行ける場所もあり。
探してみては? -
SUR SHANGHAIたちがやって来たドラア谷の川向こうには、崩れかけた民家が並ぶ集落があった。
SUR SHANGHAIはこういう場所を歩いてみるのが好き。
Bさんも誘ったのに、観光地ではない場所はお嫌ということで、旦那と車に残してちょいと歩いてみました。
崩落した壁の合間から見える塔だけがきれいなのは、穀物倉庫として現役だから? -
ドラア谷の川向こうの村。
この塀で囲まれた日干し煉瓦の建物は何だろう?
要塞化された邸宅のカスバにしては随分小さい。ひょっとして墓所?
と、向こう側から、学生らしき少年が自転車で現れた。
一瞬、『何でこんな所にアジア人が?』という表情になったあと、フランス語で「サバ!(^◇^)」
SUR SHANGHAIも負けずに「サバ!ヽ(^o^)丿」 -
イチオシ
同じくドラア谷の川向こうの村。
自転車に乗った少年とすれ違った場所からすぐそばの民家前で遊んでいた子が二人。
兄妹、なのかな? ものおじせずにSUR SHANGHAIに笑いかけてくれた。
男の子はハンサム君。
女の子のヘア・スタイルが、パンク歌手のようでもあり、漫画の中の感電した人の頭のようでもあり。
とっても個性的! v(`ゝω・´)キャピィ☆ -
イチオシ
SUR SHANGHAIと、上に出した画像の2人の子と笑いあっていると、民家から出て来た女性が小さく「サバ!」の挨拶。
随分若く見えるけど、この子たちのお母さん? う〜ん、違うよね。
それとも親戚のお姉さん?
撮ってもいい?という素振りと一緒にカメラを向けても拒否反応は無かったので、彼女の写真もパチリ!
微笑みの中に、一抹の憂いなのか困惑なのか、微妙な表情が入り混じってエキゾチック。
「メルシィ。 (*^。^*)」
このあと車に戻って行ったら、同行者の一人のBさんが「あの子たちの写真撮ったでしょ!ずるい!」だって。(;^ω^)
え〜、Bさん、それはないでしょ。一緒に来ればよかったのに。
●注: いつもこんな具合に地元の人とのちょっとした出会いがあるといいですが、同じドラア谷の村でも写真を撮っているSUR SHANGHAIたちを見ると、遠くからでも怒りの表情と動作をあらわに示す人たちもいました。
写真を撮る時には配慮と注意が必要だと思います。 -
さて、ドラア谷の集落を去って、SUR SHANGHAI一行はザゴラへと更に前進。
ここでモロッコの車道でよく見かける、目的地までの距離を示した標石についての説明を少し。
モロッコでは、看板式になった標識のほかに、これらの画像に出ているのと同じ形の標石が車道脇に立っているのをよく見かけます。
高さは膝ほどもありませんが、赤と白に塗り分けてあるので結構目立ちます。
これは9号線上で見かけた標石で、片面にはザゴラまでの距離、もう片面にはアグデス(ザゴラとワルザザートの間の町)までの距離が書いてあります。
車道に向いた面には9号線の≪9≫の数字。
その下に568という数字が出ていますが、これは何の数字なのか不明。
9号線は、カサブランカ−マラケシュ−ワルザザート−ザゴラ−マアミドを結んでいる幹線道路。
その総延長距離数が568kmという意味かと思い、グーグルマップで調べてみましたが、662kmという答でした。
ただ、ザゴラ−マアミド間の100kmほどの区間の9号線は、近年になってから舗装整備がされたばかりのようなので、568はそれを差し引いた9号線の総延長距離数なのかも。
間違っていたらお許しを。<(_ _)> -
上に出した標石のそばは小高い見晴らしのいい場所になっていて、幅の広いドラア谷周辺の風景がよく見えた。
う〜ん、谷って言うより、山と山の間が広い河原やオアシスになってるって感じだよね。
なんでドラア谷って名付けたんだろ。
このドラア川の源は、北のアトラス山脈。
ワルザザートからザゴラ、マアミドを経由して、さらにその南のサハラ砂漠まで流れ込む川だったんだそうですが、今では常時水流があるのはマアミド手前まで。そこから先はワジ(涸れ川)になっています。
かつてはワニも生息している位、水量が多かったというのがウソのよう。
ひょっとして、谷間がこんなに広いのは、その頃の川幅の名残なのかも?
下段の画像は、ドラア川の上流方向(北)を見た様子。 -
そのドラア川を見下ろす位置にあったのは、日干し煉瓦造りの塔。
こういう昔の塔や小さい砦は、モロッコのあちこちで遺跡になって残っているのをよく見かけます。
敵の侵入を見張る物見台にもなっていたんでしょうね。
9号線脇にあったこの塔も、今では上部が崩れ去ってがらんどう。
ここは物見の塔というより、ドラア川の水位変化を見守るための観測所だったのかな。 -
日干し煉瓦造りの塔脇には、こんな人工的な窪みがあった。
(o'ω'o)?
昔はここに付属の建物もあって、この窪みはその設備の一つだったんだろうか。
何なのか興味津々。 -
さらにドラア谷をザゴラ方向へ。
あ、この河原では、土地の女性たちがドラア川の水でお洗濯。
アジアと同じように、モロッコでも川は人々の暮らしの拠り所になっているのがよく分かる風景だあ。
日本の昔話の「…おばあさんは川へ洗濯に行きました。」のくだりを思い出す。 -
ザゴラまでもう少し、の9号線。
あ、あの岩山の上の砦(?)は、1993年に来た時にも見た覚えがある!! -
久しぶりに戻って来たザゴラ。
市街地部分が随分広がって、新築の建物が道路脇にずらり。
ただ、これまでの町々でも見て来たように、ここでも実際に新しい家屋に居住している人は少ないみたい。
ガラ〜ンとした印象。
この後は市街地中心部に入って、予約したホテルへ。
ザゴラの市街地の様子は、別編でご紹介します。 -
ここが予約して行ったザゴラでの宿、Fibule Du Draa Kasbah D'hotes。
こぢんまりとしたカスバ風のモロッカン・スタイルの宿で、市街地中心部からは2kmほど離れたドラア川の向こう側にあります。
所在地: VILLAGE AMEZROU ザゴラ市内からドラア川を渡る道が、マアミド方面へと分かれる手前にあります。
Fibule Du Draa Kasbah D'hotesは創業20年越えで、ザゴラでは歴史あるホテル。
市内から見て川向こうには、ここ以外にもカスバ風のホテルが新しく続々出来ていて、レンタカーで行く方にお勧めです。
上段の画像がその正面入口。
正面に向かって左手に回り込んで行くと、下段の画像のように別の入口とその奥に駐車場があります。
画像左奥に見えている塀に囲まれた場所がホテルの駐車場。
ガードマンさん付きでした。 -
Fibule Du Draa Kasbah D'hotes1階のフロント前通路。
エスニックな色合いとインテリア。
昔の写真なども飾ってあって、ちょっとした民俗博物館的雰囲気。
乾いた気候の土地柄、実際にはもっと埃っぽい感じなんですが、お掃除係りのおねえさんが拭き掃除を終えたすぐ後はツルツルピカピカ。 -
このFibule Du Draa Kasbah D'hotesにはエレベーターはありません。
同行者の一人Bさんは傘寿のお年頃の女性で脚に故障ありなので、2階のお部屋へ。
SUR SHANGHAIとその旦那は3階にお部屋をもらって、3階へと続く階段を上り始めた刹那、突然湧いてきたのは、「あ!! この階段、前にも見たことがある。」という既視感。
単なるデジャヴかと思いつつお部屋に入ると…、 -
…お、この感じにも見覚えがあるような…。 (o'ω'o)?
創業20年越えのFibule Du Draa Kasbah D'hotesのお部屋や浴室は、この通りシンプルな造りと設備ですが…、 -
…プール側に面した明るいお部屋を取ると、窓からの眺めよし。
で、この窓からの眺めで、電撃に打たれたかのように思い出した!!
「ここ、1993年にザゴラに来た時にも泊まった所だよ!」
「うん、このプール、憶えてる!」と旦那。
わ〜、(◎◇◎) 2人とも、予約した時にもさっき着いた時にも気付かなかった。
Fibule Du Draa Kasbah D'hotesは、1993年には飛び込みで泊まってお気に入りになった宿だったんだ〜。 -
前日、ダデス渓谷からティネリールの街に戻った時には雨がぱらついてちょっと寒い位になったのに、この日のザゴラでは晴れ。
11月末だとさすがに泳ぎたいほどの気温にはならないけれど、Fibule Du Draa Kasbah D'hotesのプールサイドで遅めのお茶と昼食を摂ることに。
あ、このプールサイド、懐かしい!!(^◇^)
え〜と、もう3時を回ったね。
今朝、ティネリールを出たのが9時だったから、途中の休憩や寄り道を含めて6時間の道のりだったね。 -
Fibule Du Draa Kasbah D'hotesのお部屋のキーホルダーは、木製の≪ファティマの手≫。
ファティマは、マホメットの4女で、社会奉仕に尽力した女性。
そのファティマの手を象ったお守りは、幸福を呼ぶ魔除けとしてアクセサリーになったり、ドアノッカーになっていてあちこちで見かけます。
お土産屋さんでよく見かけるのは、金属製のキーホルダー。
この≪ファティマの手≫の上に取り付けてあるのも何かのシンボルなんだと思うんですが、何なのか聞くのを忘れてました。(−−〆)
ホテルの正面玄関にも描いてあったのになあ。 -
Fibule Du Draa Kasbah D'hotesのプールサイドで頼んだこの日の遅い昼食。
車での旅行中は車の中に飲み物や食料を持ち込んで、昼食のためにどこかに停まる事はしないSUR SHANGHAI一行。
この日はもう目的地に着いてしまって一安心だし、このホテルのプールサイドの雰囲気よし。
で、お茶休憩も兼ねて頼んだのは、細かく切ったトマト、ピーマン、タマネギがベースのモロッカン・サラダ。クミンの香りが効いたフレンチ・ドレッシング風のさっぱりしたドレッシングで和えてあります。
画像左下はレモン・チキンのタジン。
タジンは独特の形の土鍋で蒸し上げた料理の総称。
このほかにも野菜、ラム、ミートボールなどなどのタジンあり。
ここのレモン・チキンのタジンは、今回の旅行中では一番美味しかったですよ。
画像右下は、牛肉のブロシェット(串焼き)とフレンチ・フライ。
大きく焼いて切り分けたパンはどこでも付け合わせで出て来ます。
これを三人で分け合ったザゴラの午後。 -
Fibule Du Draa Kasbah D'hotesは小粒なホテルですが、屋内にも中庭にもお客がくつろげるモロッカン・スタイルのバー・ラウンジあり。
ここには画像がでていませんが、プールサイド脇にもテント風にあつらえたラウンジもありました。
その時々の気候・天候、そして気分に合わせて、くつろぐ場所を選んでみては?
朝食スペースを兼ねた食堂も、下段の画像2枚のように雰囲気よし。
そうそう、客室からのネット接続は出来ないんですが、中庭のラウンジと食堂では無料で接続可になっていました。
さてと、遅めのお昼も済んだ後は、ザゴラ山や夕日を見に出かけてみます。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ウェンディさん 2013/03/11 20:51:12
- 柔らかで控えめな笑顔
- SUR SHANGHAIさん こんにちは。そして、はじめまして。
ザゴラのドライブ旅行記を拝見しています。
表紙の女性の柔らかで控えめな笑顔がとても印象的ですね。そしてザゴラまでの道の景色。私が行った時とは1か月くらいしか異ならないのですが、私が見た景色とは異なるモロッコがいっぱい。SUR SHANGHAIさんの旅行記を見て、また行きたくなりました。
ところで、レンタカーでのドライブとのことですが、主要な町の出入り口にある検問所は何も問題はなかったですか?私が滞在中も、毎日のように道路には警察官が検問を張っていて、何か事件があったのかと思いましたが、モロッコでは検問は通常の光景だということでした。以前、同じアフリカのケニアで、軍隊の検問につかまり、運転手が外に連れ出され、銃を持った兵士に難癖をつけられて、ドライバーは渋々賄賂を払わされている光景を見ていたので、アフリカで検問というと、ちょっと過敏になってしまいます。
SUR SHANGHAIさんは、私が行きたいところに沢山旅されていますね。今年の夏はノルウェーにフィヨルドトレッキング!と考え、調べていたら、そこにもSUR SHANGHAIさんの旅行記が…。また、他の旅行記にもお邪魔させてください。
ウェンディ
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2013/03/13 08:52:38
- RE: 柔らかで控えめな笑顔
- ご訪問、ありがとうございます。
お返事が遅れて失礼しました〜。<(_ _)>
> ところで、レンタカーでのドライブとのことですが、主要な町の出入り口にある検問所は何も問題はなかったですか?
これが大有りだったんですよ。(−−〆)
別編に書いたのですが、走っている車の助手席から写真を撮っていた時に「私の写真を撮っただろう。」と停められたことが1回。
もう一つは、スピード違反で1回。
前者は、撮った写真の内容を見せて、事なきを得ました。
が!
スピード違反の方は、その場での罰金の支払い(領収書無し)の要求が。
事情のよく分からない土地のお巡りさんに逆らって重大トラブルになるのは避けたかったので応じましたが、後味は悪かったですね〜。
もし、応じていなかったら、どうなっていたのか…。 ((;゚ェ゚;))
それ以外はすばらしい旅が楽しめたので、懲りずに再訪を考えています。
ウェンディさんも、これからもいい旅ができますように。v(`ゝω・´)
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