2013/01/01 - 2013/01/02
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■年末年始の車旅最終記
〜和布刈神社&関門海峡〜
やっと最後の旅行記(15冊目)が完成しました。ちょっとおそすぎたかな?よろしくー。最後に想い出深い和布刈神社へ立ち寄って今回の車旅を終了しました。
※アップし忘れの旅行記です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
-
■北九州空港連絡道路
年末年始の北九州車旅最終日です。
今頃アップ?はい、忘れていました。 -
■和布刈公園
福岡県北九州市門司区和布刈地区にあり、公園内には展望台、ノーフォーク広場、門司城跡などがあります。 -
■和布刈公園
最後に想い出深い和布刈神社へ立ち寄って今回の車旅を終了しました。 -
■和布刈公園
懐かしい地、36年前の想い出が蘇ります。 -
■和布刈公園
関門橋 -
■和布刈公園
展望台へ上がってきました。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
-
■和布刈公園
関門橋を望む -
■和布刈公園
関門橋を望む -
■和布刈公園
関門橋を望む -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
元暦2年(1185)の壇ノ浦の合戦が行われ、平家は滅亡しました。
治承4年(1180)に源頼朝・頼政らが平家打倒の兵をあげて以来5年、平家・源氏の最終決戦で、この時の船の数が平家500艘、源氏700艘といいますので、死者の数は5000人を優に越すのではないかと思われます。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
戦闘は朝6時頃から始まります。
当初は海戦に慣れた平家がもう後が無い必死さも手伝って押しておりましたが、昼頃潮が速くなりだすと平家と源氏の船がいたるところで接触。接近戦になって源氏は次第に挽回し始めます。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
また、当初平家方はわざと、いかにも貴人が乗っていそうに見える目立つ船をおとりにし、実際の要人は小さな船に乗せるという目くらまし戦法をとっていましたが、これも時間が立つにつれバレてしまい、源氏はターゲットを間違えないようになってきました。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
源氏が少しずつ挽回していくと平家方から源氏方へ裏切る者も相次ぎました。そうして戦局はわずか1時間ほどで逆転してしまいます。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
午後になると平家の者たちは敗戦を認識し、源氏の手にとらえられる前に死を選ぼうとします。経盛と教盛、資盛と有盛、なども手をつないで一緒に水の中へ消えて行きました。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
御座船では二位尼(平清盛の妻で安徳天皇の祖母時子)がまだ8歳の天皇を抱き三種の神器を身につけて入水しました。
つづいて建礼門院(安徳天皇の母で清盛と時子の娘、徳子)も飛び込んだのですが、彼女は衣服に飛んできた矢が刺さって沈めずにいた所を源氏の武将に引き上げられてしまいました。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
源氏は安徳天皇がいるにも関わらず後白河法王との合議により京都で既に擁立していた新天皇(後鳥羽天皇)の地位を正統のものと天下に主張する為、三種の神器の捜索を必死に行いました。
-
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
しかし、勾玉と鏡は見つかったものの草薙剣は発見できませんでした。そのため以後草薙剣は清涼殿昼御座の剣で代用することになります。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
日本のオカルティストたちの中には、ここで剣が皇室の手から失われたことが、以後、剣の象徴である武士たちに政権を取られてしまったことを表していると指摘する人が多くあります。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
一説では鏡は別の女官が持って飛び込もうとしていたところを源氏の兵に抱き留められたとも。勾玉は波間に浮かんでいたのですぐに引き上げられたらしい。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
なお草薙剣の本体はそもそも熱田神宮にあり、安徳天皇が帯同していたのはその分霊です。
同様に鏡の本体は伊勢神宮です。皇居に本体があるのは勾玉だけで、京都が首都であった時にはこの3つの神器の所在地がほぼ正三角形を構成していました。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
あと少しの所で死にそこねた建礼門院はまだ29歳の若さでしたが尼となり、それから30年間の余生を京都大原寂光院で送りることになりました。
そこには後白河法王も気遣って訪問して、彼女を励ましました。 -
■和布刈公園
・壇ノ浦合戦(1185)絵図
激戦の地壇ノ浦ではその後、漁師は正座して釣りをするようになったといいます。その下に安徳天皇が眠っているからです。 -
■和布刈公園
関門橋を望む -
■和布刈公園
関門橋下へ下りてきました。ここも想い出ふかい地なのです。 -
■和布刈公園
関門橋下レストラン 36年前に入ったことがあります。 -
■和布刈(めかり)神社
壇ノ浦の合戦前夜に平家一門が勝利祈願をしたと伝えられる九州最北端の1800年の歴史をもつ神社です。 -
■和布刈神社
ここで撮った36年前の妻の写真が残っています。
涙そうそうです。 -
■和布刈神社
わかめを刈り取って、御神前に供える神事があるそうです。
ワカメ(和布)を刈る=和布刈
お正月です。露店も少し出ていました。 -
■和布刈神社
おまえも初詣かい? -
■和布刈神社
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■和布刈神社
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■和布刈神社
風が強い。
和布刈神社境内から見た航海の難所、壇之浦。
対岸は山口県下関市。 -
■和布刈神社
拝殿 -
■和布刈神社
9歳って言われてたかな? さよなら〜 -
■和布刈神社
年末年始の車旅 ≪ 完 ≫
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