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ピマーイ遺跡<br />(英文パンフレットよりの紹介 適宜訳しましたが、一部意訳などあります)<br /><br />ピマーイ遺跡公園は、ナコンラチャシマー(コラート)の東北60kmに位置するTambol Nai Muangにあり、1000年前には、タイで最も重要なマハーヤナ仏教寺院の1つであった。<br /><br />(背景)<br />ヒンピマーイ寺院は、タイの中で最も大きくて重要な宗教の聖地である。<br />この寺は、11−12世紀に建立され、13世紀まで建設が続いた。ピマーイの古代都市は現代のピマーイの町の中に位置している。<br />古い町の壁は565mx1030mの長方形の形をしている。<br />町の北と東は、ムン川からひかれてきた堀に囲まれ、南にはケム川が流れ、西にはチャカラート川が流れてムン川に合流している。<br />ピマーイはVimaya(内壁の南方入り口の扉の枠に刻まれた碑文で後世発見された)と同じ言葉である。この碑文は、Kamrateng Chakata Vimayaの名前にて述べてあり、1108年にKamrateng Chakata Senapati Trilokayavijayaと呼ばれた聖なる像についても話題にしている。このようにピマーイは古代クメール王国から続く古い都市であり、その社会共同体は今につづいている。<br /><br />ピマーイの地理的な点、肥沃な土壌があることで、多くの人々がこの地に住んでいた。タイ王国 文化省芸術局は、1936年に古代ピマーイとしを文化的遺跡に登録して、再建することを計画した。主な修復は、タイとフランスの共同プロジェクトとして、1964−69年の間になされ、中心の寺院はAnastylosis(崩壊した材料を組み合わせて各々のブロックを元の場所に戻す修復方法)の技術を用いて再建された。さらに文化省はピマーイにある古代の遺跡を継続的に修復することとした。そして、ピマーイ遺跡公園のプロジェクトが組織され、公園は、1989年4月12日にシリントーン マハ―・チャクリ王女列席のもとに開園した。<br /><br />(City Wall and Gates)<br />都市の壁は土を盛り上げて作られており、ラテライトでできた丸い門が、南、西、北にある。その中でも南門は勝利の門と呼ばれる最も典型的な門で、アンコールの方角を向いている。古代の道王道がこの門を出て続いている。古代、この道はアンコールからピマーイまでの道として利用されていた。<br /><br />(The Nang Sa Phom)<br />南門を出てまっすぐいくと、Nang Sa Phomがある。そこは古代の荷揚げ場である。十字形でラテライトでできている。3つの階段があり、すべての面の角には柱の穴と多数の焼き粘土の破片がある。この構造物は、700mx1700mのバライ(貯水池)に隣接しており、中央にはWat Khok(ワットコーク)と呼ばれる建造物がある。<br /><br />(Kuti Rishi : the hermit&#39;s dwelling)<br />Kuti Rishiは都市壁の外にある、古代の建造物。<br />ジャヤバルマン7世の時代 Arokayasala(病院)として建設されたものであろう。プラカーン寺の碑文によると13世紀、ジャヤバルマン7世は102の病院をアンコール王国に建てたとされている。<br /><br />(Ancient Ponds)<br />市壁の内部には、水を供給するための池がある。<br />今ではSra kaew、Sra Phlung、Sra Khwanと呼ばれている。<br />市壁の外には、東にSra Phleng、西にSla Bohdと呼ばれる池がある。<br /><br />(The Meru Bhramathat)<br />これは、レンガでできたチェディーで、市壁内の小高い土手にある。<br />その名前は、Nang OrapimとThao Pajitと呼ばれる民話から由来しており、Bhramathat王を火葬した場所と言われている。建立された時期は正確には不明で、アユタヤ時代後期と考えられている。<br /><br />ピマーイ遺跡公園の中の古代遺跡・モニュメントについて。<br />(Phlab Phla)<br />長方形のKhlang Ngernと呼ばれる建物が、神殿に続くナーガ橋の西にある。建物のある場所は、王様や貴族が儀式を行うために飾り付けをした場所、行列を準備する場所として使用された。1968年の発掘と修復の後に、沢山の考古学的遺物が発見された。その中には、聖なる像、装飾物、銅のコインなどがあった。Khlang Ngernは、お金を貯蔵しておく場所という意味があり、コインが発見されたので、この様によばれた。<br /><br />(Naga Bridge)<br />ナーガ(神話の蛇)の橋は砂岩でできたテラスであり、Gopuraと呼ばれる湾曲した道路(寺院の南壁に位置する)に続いている。ナーガ橋は、十字形をしていて、4mx31.7mの大きさである。ナーガの体は、橋の欄干となっていて、7つの頭をもち、からかさ状の首を持つコブラからアレンジされている。<br />橋は、寺院の中の神聖な場所に立ち入るための最初の通過点で、天(ヒンドゥー教や仏教で信じられている世界)と地上をつなぐものとして表現されている。<br /><br />(Arched Gateways and Kamphaeng Kaew)<br />湾曲した通路(Gopuraと呼ばれる)が、Kamphaeng Kaew(外壁)の4方向の中央にある。北と南の門は壁の中央にあり、東と西のものは、少し北側に位置している。Kamphaeng Kaew構造の基本は十字形であり、Kamphaeng Kaewから古代都市の内部への道は神の住む天国への入り口と信じられている。<br /><br />(Passage Way)<br />砂岩でできた通路が、外壁の南門から内壁の南門(Rabieng Khotと呼ばれる主塔の周りを取り囲むもの)まで続いている。通路は周りの平面より1m高くなっていて、多くの屋根瓦のかけらや焼きレンガが見つかっている。このことよりこの通路は、木の柱で支えられていたタイル屋根で覆われていたのであろうと考えられている。<br /><br />(Bannalai)<br />内壁と外壁の間の内庭には砂岩でできた長方形の建物が2つある。<br />Bannalaiと呼ばれるこの建物は高床で、多くの長い部屋に区切りされている。四角い柱痕が残っているので、木の屋根(瓦で覆われた)があったのであろう。Bannalaiは、神聖な聖典をおさめる経蔵と考えられている。<br /><br />(Basins)<br />外の内庭の角に1つため池がある。ため池周囲は、砂岩で縁取りされている。柱や壁、扉の枠と言ったものが発掘により発見されたので、この場所は以前にお寺として使用されていたと考えられている。ため池は、寺院を建てるためのものであった。これらの寺とため池は、アユタヤ時代からのものであろう。<br /><br />(Arched Gateways and Rabieng Khot)<br />中央塔を取り囲むようにして高い砂岩の壁がある。それは、Kamphaeng Kaewに似て、4面から通路にのびている。各々の門(入り口)は、市の門と聖地の門を結ぶ線上に位置している。南通路で、重要な発見(クメール時代の碑文が扉の枠に刻まれていた)がなされた。碑文には1108年−1112年の間に聖像が作られて、都市が成立したこと、Dharanindravaraman1世の名前や高貴な人の名前が刻まれていた。<br /><br />(The Principal Tower)<br />内部の中庭に聖地の最も大切なもの 主塔がある。<br />これは、11−12世紀に砂岩でつくられており、クメールの他の宗教建築と異なり、南を向いている(クメール建築は東を向いている)。<br />塔は、Mandapa(前室)とDhaty(寺院)の2つからなる。様々な彫刻で飾られ、破風とインテル(まぐさ石)がある。彫刻の主題は、ラーマーヤナ、仏教の話から引用されている。南側の彫刻は踊るシヴァ神である。<br />主塔の内部には、Garbhagrha室と呼ばれる部屋がある。この部屋には、神聖な神が祭ってあった。北東の角部屋には聖水の導管があり、Somasutraと呼ばれるその導管により床から外部に水を流している。<br /><br />(Ho Brahm)<br />Ho BrahmもしくはBrahman神殿と呼ばれる建物は砂岩とラテライトで、赤石Prangとして同じ基礎に建てられた。1954年に、7体の砂岩でできたシヴァリンガが神殿の中で発見された。このことから、この場所はヒンドゥー教の宗教儀式を行う場所として利用されていたことがわかった。しかし建物の位置と形からは、本来この建物は教典をおさめた経蔵 Bannalai だったと考えられている。<br /><br />(Prang Hin Daeng)<br />主塔の右側に位置する赤石の塔であり、13世紀に建立された。北の扉の枠には砂岩でできたインテル(まぐさ石)があり、猪を狩るクリシュナの姿が彫刻されている。そのほか、西、東、南側の扉枠は、クメールの古典的様式で柱のと飾り付けがなされている。<br /><br />(Prang Bhramathat)<br />主塔の南東に位置するラテライトの塔で四方形の入り口があり、十字形のポーチをもつ。塔の内部には2つの彫像がある。1つは砂岩でできた足をくんで座る男性の像であり、これはジャヤバルマン7世(民話では、Thao Brahmathatと呼ばれている)と考えられている。もう1つの砂岩の彫像はひざまずく女性の像である。その像の東部と腕は壊れてなくなっている。女性は、Jayarajathevi女王(Nang orapimと民話で呼ばれている)と考えられている。これらの2つの彫像は、ピマーイ国立博物館に展示されている。<br /><br />(Building Base)<br />主塔の東側には四方形の砂岩でできた建物跡がある。8.15m四方であり、70センチの高さのものである。四方形の穴が床の中央にあり、北と南の端には大きな穴がある。建造物の主塔に面した側面には、四方形のバルコニーが広がっている。これは何か儀式の際に利用された舞台と考えられている。<br /><br /><br />7/15日曜日の日程<br />コラート ブリラム周辺の遺跡観光。<br />車チャーター(ホテルで手配:ホテルタクシー 1日3500THB)。<br />朝食後、コラートより遠い遺跡から訪問。<br />パノムルン遺跡(入場100Bt)、<br />ムアンタム遺跡(入場100Bt)。<br />昼食後、<br />ピマーイ遺跡公園(入場100Bt)。<br />ピマーイ国立博物館(入場100Bt)。<br />パノムワン遺跡(入場なし)。<br /><br />コラートバスターミナルまでタクシーで。<br />ボー・コー・ソー・ガウ(旧バスターミナル)からバンコクへバス移動。<br />(バス 220THB 4列シート)。<br />モーチットマイ バスターミナルからモーチットまで モーターサイ60THB。<br />パヤタイからBTSでアソークまで 40THB<br />古式マッサージ、ピンクのカオマンガイ。<br />スワンナプーム国際空港へ タクシーで(チップと高速道路込みで400THB)。

週末旅行 タイ東北部のクメール遺跡を尋ねて その5 ピマーイ遺跡公園(遺跡のパンフレットに則して)。

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2012/07/13 - 2012/07/16

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週末旅行者

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ピマーイ遺跡
(英文パンフレットよりの紹介 適宜訳しましたが、一部意訳などあります)

ピマーイ遺跡公園は、ナコンラチャシマー(コラート)の東北60kmに位置するTambol Nai Muangにあり、1000年前には、タイで最も重要なマハーヤナ仏教寺院の1つであった。

(背景)
ヒンピマーイ寺院は、タイの中で最も大きくて重要な宗教の聖地である。
この寺は、11−12世紀に建立され、13世紀まで建設が続いた。ピマーイの古代都市は現代のピマーイの町の中に位置している。
古い町の壁は565mx1030mの長方形の形をしている。
町の北と東は、ムン川からひかれてきた堀に囲まれ、南にはケム川が流れ、西にはチャカラート川が流れてムン川に合流している。
ピマーイはVimaya(内壁の南方入り口の扉の枠に刻まれた碑文で後世発見された)と同じ言葉である。この碑文は、Kamrateng Chakata Vimayaの名前にて述べてあり、1108年にKamrateng Chakata Senapati Trilokayavijayaと呼ばれた聖なる像についても話題にしている。このようにピマーイは古代クメール王国から続く古い都市であり、その社会共同体は今につづいている。

ピマーイの地理的な点、肥沃な土壌があることで、多くの人々がこの地に住んでいた。タイ王国 文化省芸術局は、1936年に古代ピマーイとしを文化的遺跡に登録して、再建することを計画した。主な修復は、タイとフランスの共同プロジェクトとして、1964−69年の間になされ、中心の寺院はAnastylosis(崩壊した材料を組み合わせて各々のブロックを元の場所に戻す修復方法)の技術を用いて再建された。さらに文化省はピマーイにある古代の遺跡を継続的に修復することとした。そして、ピマーイ遺跡公園のプロジェクトが組織され、公園は、1989年4月12日にシリントーン マハ―・チャクリ王女列席のもとに開園した。

(City Wall and Gates)
都市の壁は土を盛り上げて作られており、ラテライトでできた丸い門が、南、西、北にある。その中でも南門は勝利の門と呼ばれる最も典型的な門で、アンコールの方角を向いている。古代の道王道がこの門を出て続いている。古代、この道はアンコールからピマーイまでの道として利用されていた。

(The Nang Sa Phom)
南門を出てまっすぐいくと、Nang Sa Phomがある。そこは古代の荷揚げ場である。十字形でラテライトでできている。3つの階段があり、すべての面の角には柱の穴と多数の焼き粘土の破片がある。この構造物は、700mx1700mのバライ(貯水池)に隣接しており、中央にはWat Khok(ワットコーク)と呼ばれる建造物がある。

(Kuti Rishi : the hermit's dwelling)
Kuti Rishiは都市壁の外にある、古代の建造物。
ジャヤバルマン7世の時代 Arokayasala(病院)として建設されたものであろう。プラカーン寺の碑文によると13世紀、ジャヤバルマン7世は102の病院をアンコール王国に建てたとされている。

(Ancient Ponds)
市壁の内部には、水を供給するための池がある。
今ではSra kaew、Sra Phlung、Sra Khwanと呼ばれている。
市壁の外には、東にSra Phleng、西にSla Bohdと呼ばれる池がある。

(The Meru Bhramathat)
これは、レンガでできたチェディーで、市壁内の小高い土手にある。
その名前は、Nang OrapimとThao Pajitと呼ばれる民話から由来しており、Bhramathat王を火葬した場所と言われている。建立された時期は正確には不明で、アユタヤ時代後期と考えられている。

ピマーイ遺跡公園の中の古代遺跡・モニュメントについて。
(Phlab Phla)
長方形のKhlang Ngernと呼ばれる建物が、神殿に続くナーガ橋の西にある。建物のある場所は、王様や貴族が儀式を行うために飾り付けをした場所、行列を準備する場所として使用された。1968年の発掘と修復の後に、沢山の考古学的遺物が発見された。その中には、聖なる像、装飾物、銅のコインなどがあった。Khlang Ngernは、お金を貯蔵しておく場所という意味があり、コインが発見されたので、この様によばれた。

(Naga Bridge)
ナーガ(神話の蛇)の橋は砂岩でできたテラスであり、Gopuraと呼ばれる湾曲した道路(寺院の南壁に位置する)に続いている。ナーガ橋は、十字形をしていて、4mx31.7mの大きさである。ナーガの体は、橋の欄干となっていて、7つの頭をもち、からかさ状の首を持つコブラからアレンジされている。
橋は、寺院の中の神聖な場所に立ち入るための最初の通過点で、天(ヒンドゥー教や仏教で信じられている世界)と地上をつなぐものとして表現されている。

(Arched Gateways and Kamphaeng Kaew)
湾曲した通路(Gopuraと呼ばれる)が、Kamphaeng Kaew(外壁)の4方向の中央にある。北と南の門は壁の中央にあり、東と西のものは、少し北側に位置している。Kamphaeng Kaew構造の基本は十字形であり、Kamphaeng Kaewから古代都市の内部への道は神の住む天国への入り口と信じられている。

(Passage Way)
砂岩でできた通路が、外壁の南門から内壁の南門(Rabieng Khotと呼ばれる主塔の周りを取り囲むもの)まで続いている。通路は周りの平面より1m高くなっていて、多くの屋根瓦のかけらや焼きレンガが見つかっている。このことよりこの通路は、木の柱で支えられていたタイル屋根で覆われていたのであろうと考えられている。

(Bannalai)
内壁と外壁の間の内庭には砂岩でできた長方形の建物が2つある。
Bannalaiと呼ばれるこの建物は高床で、多くの長い部屋に区切りされている。四角い柱痕が残っているので、木の屋根(瓦で覆われた)があったのであろう。Bannalaiは、神聖な聖典をおさめる経蔵と考えられている。

(Basins)
外の内庭の角に1つため池がある。ため池周囲は、砂岩で縁取りされている。柱や壁、扉の枠と言ったものが発掘により発見されたので、この場所は以前にお寺として使用されていたと考えられている。ため池は、寺院を建てるためのものであった。これらの寺とため池は、アユタヤ時代からのものであろう。

(Arched Gateways and Rabieng Khot)
中央塔を取り囲むようにして高い砂岩の壁がある。それは、Kamphaeng Kaewに似て、4面から通路にのびている。各々の門(入り口)は、市の門と聖地の門を結ぶ線上に位置している。南通路で、重要な発見(クメール時代の碑文が扉の枠に刻まれていた)がなされた。碑文には1108年−1112年の間に聖像が作られて、都市が成立したこと、Dharanindravaraman1世の名前や高貴な人の名前が刻まれていた。

(The Principal Tower)
内部の中庭に聖地の最も大切なもの 主塔がある。
これは、11−12世紀に砂岩でつくられており、クメールの他の宗教建築と異なり、南を向いている(クメール建築は東を向いている)。
塔は、Mandapa(前室)とDhaty(寺院)の2つからなる。様々な彫刻で飾られ、破風とインテル(まぐさ石)がある。彫刻の主題は、ラーマーヤナ、仏教の話から引用されている。南側の彫刻は踊るシヴァ神である。
主塔の内部には、Garbhagrha室と呼ばれる部屋がある。この部屋には、神聖な神が祭ってあった。北東の角部屋には聖水の導管があり、Somasutraと呼ばれるその導管により床から外部に水を流している。

(Ho Brahm)
Ho BrahmもしくはBrahman神殿と呼ばれる建物は砂岩とラテライトで、赤石Prangとして同じ基礎に建てられた。1954年に、7体の砂岩でできたシヴァリンガが神殿の中で発見された。このことから、この場所はヒンドゥー教の宗教儀式を行う場所として利用されていたことがわかった。しかし建物の位置と形からは、本来この建物は教典をおさめた経蔵 Bannalai だったと考えられている。

(Prang Hin Daeng)
主塔の右側に位置する赤石の塔であり、13世紀に建立された。北の扉の枠には砂岩でできたインテル(まぐさ石)があり、猪を狩るクリシュナの姿が彫刻されている。そのほか、西、東、南側の扉枠は、クメールの古典的様式で柱のと飾り付けがなされている。

(Prang Bhramathat)
主塔の南東に位置するラテライトの塔で四方形の入り口があり、十字形のポーチをもつ。塔の内部には2つの彫像がある。1つは砂岩でできた足をくんで座る男性の像であり、これはジャヤバルマン7世(民話では、Thao Brahmathatと呼ばれている)と考えられている。もう1つの砂岩の彫像はひざまずく女性の像である。その像の東部と腕は壊れてなくなっている。女性は、Jayarajathevi女王(Nang orapimと民話で呼ばれている)と考えられている。これらの2つの彫像は、ピマーイ国立博物館に展示されている。

(Building Base)
主塔の東側には四方形の砂岩でできた建物跡がある。8.15m四方であり、70センチの高さのものである。四方形の穴が床の中央にあり、北と南の端には大きな穴がある。建造物の主塔に面した側面には、四方形のバルコニーが広がっている。これは何か儀式の際に利用された舞台と考えられている。


7/15日曜日の日程
コラート ブリラム周辺の遺跡観光。
車チャーター(ホテルで手配:ホテルタクシー 1日3500THB)。
朝食後、コラートより遠い遺跡から訪問。
パノムルン遺跡(入場100Bt)、
ムアンタム遺跡(入場100Bt)。
昼食後、
ピマーイ遺跡公園(入場100Bt)。
ピマーイ国立博物館(入場100Bt)。
パノムワン遺跡(入場なし)。

コラートバスターミナルまでタクシーで。
ボー・コー・ソー・ガウ(旧バスターミナル)からバンコクへバス移動。
(バス 220THB 4列シート)。
モーチットマイ バスターミナルからモーチットまで モーターサイ60THB。
パヤタイからBTSでアソークまで 40THB
古式マッサージ、ピンクのカオマンガイ。
スワンナプーム国際空港へ タクシーで(チップと高速道路込みで400THB)。

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  • さて、ピマーイの遺跡の前の通りまでやってきました。<br />暑い暑い昼下がり。

    さて、ピマーイの遺跡の前の通りまでやってきました。
    暑い暑い昼下がり。

  • ちょうど、おしゃれなカフェがあり、ドライバーさんもあそこのお店はどう?と薦めてくれたので入ってみます。

    ちょうど、おしゃれなカフェがあり、ドライバーさんもあそこのお店はどう?と薦めてくれたので入ってみます。

  • エスプレッソとトーストを頼んで、昼食にします。

    エスプレッソとトーストを頼んで、昼食にします。

  • ピマーイ遺跡公園。

    ピマーイ遺跡公園。

  • 門を入って、左の方に遺跡がみえてきました。

    門を入って、左の方に遺跡がみえてきました。

  • でもまずはこちらの管理棟で、入場券を購入します。

    でもまずはこちらの管理棟で、入場券を購入します。

  • 入場券と遺跡のパンフレットをもらいました。

    入場券と遺跡のパンフレットをもらいました。

  • 通路を歩いて、こちら。<br />(Phlab Phla)<br />長方形のKhlang Ngernと呼ばれる建物が、神殿に続くナーガ橋の西にある。建物のある場所は、王様や貴族が儀式を行うために飾り付けをした場所、行列を準備する場所として使用された。1968年の発掘と修復の後に、沢山の考古学的遺物が発見された。その中には、聖なる像、装飾物、銅のコインなどがあった。Khlang Ngernは、お金を貯蔵しておく場所という意味があり、コインが発見されたので、この様によばれた。

    通路を歩いて、こちら。
    (Phlab Phla)
    長方形のKhlang Ngernと呼ばれる建物が、神殿に続くナーガ橋の西にある。建物のある場所は、王様や貴族が儀式を行うために飾り付けをした場所、行列を準備する場所として使用された。1968年の発掘と修復の後に、沢山の考古学的遺物が発見された。その中には、聖なる像、装飾物、銅のコインなどがあった。Khlang Ngernは、お金を貯蔵しておく場所という意味があり、コインが発見されたので、この様によばれた。

  • 内部はこのように、壁と廊下になっています。

    内部はこのように、壁と廊下になっています。

  • 通路にもどり、正面にナーガ橋。

    通路にもどり、正面にナーガ橋。

  • (Naga Bridge)<br />ナーガ(神話の蛇)の橋は砂岩でできたテラスであり、Gopuraと呼ばれる湾曲した道路(寺院の南壁に位置する)に続いている。ナーガ橋は、十字形をしていて、4mx31.7mの大きさである。ナーガの体は、橋の欄干となっていて、7つの頭をもち、からかさ状の首を持つコブラからアレンジされている。<br />橋は、寺院の中の神聖な場所に立ち入るための最初の通過点で、天(ヒンドゥー教や仏教で信じられている世界)と地上をつなぐものとして表現されている。

    (Naga Bridge)
    ナーガ(神話の蛇)の橋は砂岩でできたテラスであり、Gopuraと呼ばれる湾曲した道路(寺院の南壁に位置する)に続いている。ナーガ橋は、十字形をしていて、4mx31.7mの大きさである。ナーガの体は、橋の欄干となっていて、7つの頭をもち、からかさ状の首を持つコブラからアレンジされている。
    橋は、寺院の中の神聖な場所に立ち入るための最初の通過点で、天(ヒンドゥー教や仏教で信じられている世界)と地上をつなぐものとして表現されている。

  • (Arched Gateways and Kamphaeng Kaew)<br />湾曲した通路(Gopuraと呼ばれる)が、Kamphaeng Kaew(外壁)の4方向の中央にある。北と南の門は壁の中央にあり、東と西のものは、少し北側に位置している。Kamphaeng Kaew構造の基本は十字形であり、Kamphaeng Kaewから古代都市の内部への道は神の住む天国への入り口と信じられている。

    (Arched Gateways and Kamphaeng Kaew)
    湾曲した通路(Gopuraと呼ばれる)が、Kamphaeng Kaew(外壁)の4方向の中央にある。北と南の門は壁の中央にあり、東と西のものは、少し北側に位置している。Kamphaeng Kaew構造の基本は十字形であり、Kamphaeng Kaewから古代都市の内部への道は神の住む天国への入り口と信じられている。

  • (Passage Way)<br />砂岩でできた通路が、外壁の南門から内壁の南門(Rabieng Khotと呼ばれる主塔の周りを取り囲むもの)まで続いている。通路は周りの平面より1m高くなっていて、多くの屋根瓦のかけらや焼きレンガが見つかっている。このことよりこの通路は、木の柱で支えられていたタイル屋根で覆われていたのであろうと考えられている。

    (Passage Way)
    砂岩でできた通路が、外壁の南門から内壁の南門(Rabieng Khotと呼ばれる主塔の周りを取り囲むもの)まで続いている。通路は周りの平面より1m高くなっていて、多くの屋根瓦のかけらや焼きレンガが見つかっている。このことよりこの通路は、木の柱で支えられていたタイル屋根で覆われていたのであろうと考えられている。

  • 正面に主塔などがみえてきました。

    正面に主塔などがみえてきました。

  • (Arched Gateways and Rabieng Khot)<br />中央塔を取り囲むようにして高い砂岩の壁がある。それは、Kamphaeng Kaewに似て、4面から通路にのびている。各々の門(入り口)は、市の門と聖地の門を結ぶ線上に位置している。南通路で、重要な発見(クメール時代の碑文が扉の枠に刻まれていた)がなされた。碑文には1108年−1112年の間に聖像が作られて、都市が成立したこと、Dharanindravaraman1世の名前や高貴な人の名前が刻まれていた。

    (Arched Gateways and Rabieng Khot)
    中央塔を取り囲むようにして高い砂岩の壁がある。それは、Kamphaeng Kaewに似て、4面から通路にのびている。各々の門(入り口)は、市の門と聖地の門を結ぶ線上に位置している。南通路で、重要な発見(クメール時代の碑文が扉の枠に刻まれていた)がなされた。碑文には1108年−1112年の間に聖像が作られて、都市が成立したこと、Dharanindravaraman1世の名前や高貴な人の名前が刻まれていた。

  • まぐさ石。<br />すすけていますが、戦火の火災などの影響でしょうか。

    まぐさ石。
    すすけていますが、戦火の火災などの影響でしょうか。

  • 回廊です

    回廊です

  • 内部はこの様に鉄骨で支えられて、崩壊するのを防止してあります。

    内部はこの様に鉄骨で支えられて、崩壊するのを防止してあります。

  • 柱には行者の像が彫られています。<br />足を交差して座る像。

    柱には行者の像が彫られています。
    足を交差して座る像。

  • 柱にきざまれた碑文です。<br />プラスチックの板で被覆してあります。<br /><br />(パンフレットより)<br />1108年−1112年の間に聖像が作られて、都市が成立したこと、Dharanindravaraman1世の名前や高貴な人の名前が刻まれていた。

    柱にきざまれた碑文です。
    プラスチックの板で被覆してあります。

    (パンフレットより)
    1108年−1112年の間に聖像が作られて、都市が成立したこと、Dharanindravaraman1世の名前や高貴な人の名前が刻まれていた。

  • 主塔(The Principal Tower)<br />内部の中庭に聖地の最も大切なもの 主塔がある。<br />これは、11−12世紀に砂岩でつくられており、クメールの他の宗教建築と異なり、南を向いている(クメール建築は東を向いている)。<br />塔は、Mandapa(前室)とDhaty(寺院)の2つからなる。様々な彫刻で飾られ、破風とインテル(まぐさ石)がある。彫刻の主題は、ラーマーヤナ、仏教の話から引用されている。南側の彫刻は踊るシヴァ神である。<br />主塔の内部には、Garbhagrha室と呼ばれる部屋がある。この部屋には、神聖な神が祭ってあった。北東の角部屋には聖水の導管があり、Somasutraと呼ばれるその導管により床から外部に水を流している。

    主塔(The Principal Tower)
    内部の中庭に聖地の最も大切なもの 主塔がある。
    これは、11−12世紀に砂岩でつくられており、クメールの他の宗教建築と異なり、南を向いている(クメール建築は東を向いている)。
    塔は、Mandapa(前室)とDhaty(寺院)の2つからなる。様々な彫刻で飾られ、破風とインテル(まぐさ石)がある。彫刻の主題は、ラーマーヤナ、仏教の話から引用されている。南側の彫刻は踊るシヴァ神である。
    主塔の内部には、Garbhagrha室と呼ばれる部屋がある。この部屋には、神聖な神が祭ってあった。北東の角部屋には聖水の導管があり、Somasutraと呼ばれるその導管により床から外部に水を流している。

  • Principal towerに、手前の階段を登って入ってみます。<br />入り口のまぐさ石は消失し、破風は踊るシヴァ神でしょうか。

    Principal towerに、手前の階段を登って入ってみます。
    入り口のまぐさ石は消失し、破風は踊るシヴァ神でしょうか。

  • 入り口の柱の彫刻が興味深く、片方ずつカメラにおさめてきました。<br />踊るVajrasattvaの像とのことです。

    入り口の柱の彫刻が興味深く、片方ずつカメラにおさめてきました。
    踊るVajrasattvaの像とのことです。

  • こちらも。

    こちらも。

  • 主塔内部の彫刻です。<br />天井を見上げて鑑賞します。

    主塔内部の彫刻です。
    天井を見上げて鑑賞します。

  • 修復されたまぐさ石の数々。

    修復されたまぐさ石の数々。

  • 内部の彫像です。<br />七頭ナーガを背に仏像が置かれています。

    内部の彫像です。
    七頭ナーガを背に仏像が置かれています。

  • ヨニ。

    ヨニ。

  • 主塔の外から。

    主塔の外から。

  • 破風

    破風

  • まぐさ石。<br />踊るシヴァ神。

    まぐさ石。
    踊るシヴァ神。

  • 主塔の外壁。

    主塔の外壁。

  • 主塔の外壁の破風

    主塔の外壁の破風

  • 主塔の壁。<br />土台部分の彫刻です。

    主塔の壁。
    土台部分の彫刻です。

  • 上方です。

    上方です。

  • まぐさ石。

    まぐさ石。

  • 破風

    破風

  • (Prang Bhramathat)<br />主塔の南東に位置するラテライトの塔で四方形の入り口があり、十字形のポーチをもつ。塔の内部には2つの彫像がある。1つは砂岩でできた足をくんで座る男性の像であり、これはジャヤバルマン7世(民話では、Thao Brahmathatと呼ばれている)と考えられている。もう1つの砂岩の彫像はひざまずく女性の像である。その像の東部と腕は壊れてなくなっている。女性は、Jayarajathevi女王(Nang orapimと民話で呼ばれている)と考えられている。これらの2つの彫像は、ピマーイ国立美術館に展示されている。

    (Prang Bhramathat)
    主塔の南東に位置するラテライトの塔で四方形の入り口があり、十字形のポーチをもつ。塔の内部には2つの彫像がある。1つは砂岩でできた足をくんで座る男性の像であり、これはジャヤバルマン7世(民話では、Thao Brahmathatと呼ばれている)と考えられている。もう1つの砂岩の彫像はひざまずく女性の像である。その像の東部と腕は壊れてなくなっている。女性は、Jayarajathevi女王(Nang orapimと民話で呼ばれている)と考えられている。これらの2つの彫像は、ピマーイ国立美術館に展示されている。

  • 内部の彫像。<br />ジャヤバルマン7世(民話では、Thao Brahmathatと呼ばれている)と考えられています。<br />本物は博物館にありました。<br />

    内部の彫像。
    ジャヤバルマン7世(民話では、Thao Brahmathatと呼ばれている)と考えられています。
    本物は博物館にありました。

  • (Ho Brahm)<br />手前の低い建物です。<br /><br />Ho BrahmもしくはBrahman神殿と呼ばれる建物は砂岩とラテライトで、赤石Prangとして同じ基礎に建てられた。1954年に、7体の砂岩でできたシヴァリンガが神殿の中で発見された。このことから、この場所はヒンドゥー教の宗教儀式を行う場所として利用されていたことがわかった。しかし建物の位置と形からは、本来この建物は教典をおさめた経蔵 Bannalai だったと考えられている。<br />

    (Ho Brahm)
    手前の低い建物です。

    Ho BrahmもしくはBrahman神殿と呼ばれる建物は砂岩とラテライトで、赤石Prangとして同じ基礎に建てられた。1954年に、7体の砂岩でできたシヴァリンガが神殿の中で発見された。このことから、この場所はヒンドゥー教の宗教儀式を行う場所として利用されていたことがわかった。しかし建物の位置と形からは、本来この建物は教典をおさめた経蔵 Bannalai だったと考えられている。

  • (Prang Hin Daeng)<br />主塔の右側に位置する赤石の塔であり、13世紀に建立された。北の扉の枠には砂岩でできたインテル(まぐさ石)があり、猪を狩るクリシュナの姿が彫刻されている。そのほか、西、東、南側の扉枠は、クメールの古典的様式で柱のと飾り付けがなされている。

    (Prang Hin Daeng)
    主塔の右側に位置する赤石の塔であり、13世紀に建立された。北の扉の枠には砂岩でできたインテル(まぐさ石)があり、猪を狩るクリシュナの姿が彫刻されている。そのほか、西、東、南側の扉枠は、クメールの古典的様式で柱のと飾り付けがなされている。

  • Prang Hin Daeng内部に入ってみました。<br />床は砂地です。<br /><br />内部のヨニ。

    Prang Hin Daeng内部に入ってみました。
    床は砂地です。

    内部のヨニ。

  • 内部の天井。<br />すこしずつずらして石が積み重なっており天井を作っています。

    内部の天井。
    すこしずつずらして石が積み重なっており天井を作っています。

  • Building Base  芝生の上にある建物の基礎のような所です。<br />主塔の東側に位置します。<br /><br />(Building Base)<br />主塔の東側には四方形の砂岩でできた建物跡がある。8.15m四方であり、70センチの高さのものである。四方形の穴が床の中央にあり、北と南の端には大きな穴がある。建造物の主塔に面した側面には、四方形のバルコニーが広がっている。これは何か儀式の際に利用された舞台と考えられている。

    Building Base 芝生の上にある建物の基礎のような所です。
    主塔の東側に位置します。

    (Building Base)
    主塔の東側には四方形の砂岩でできた建物跡がある。8.15m四方であり、70センチの高さのものである。四方形の穴が床の中央にあり、北と南の端には大きな穴がある。建造物の主塔に面した側面には、四方形のバルコニーが広がっている。これは何か儀式の際に利用された舞台と考えられている。

  • 北側の外回廊から主塔を臨みます。<br />こちらからの眺めもいいですねー。<br />木陰で、とてものどかな景色。

    北側の外回廊から主塔を臨みます。
    こちらからの眺めもいいですねー。
    木陰で、とてものどかな景色。

  • 中庭の北側から主塔を。<br />きれいにみえますね。

    中庭の北側から主塔を。
    きれいにみえますね。

  • 北側には修復途中の建物がありました。<br />木陰があり、すこしたたずみました。<br /><br />ピマーイ、古い王道の終着点。

    北側には修復途中の建物がありました。
    木陰があり、すこしたたずみました。

    ピマーイ、古い王道の終着点。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • まほうのべるさん 2013/01/31 07:55:37
    遺跡にも興味が!
    おはようございます、週末旅行者さん。

    いつも訪問・投票有難うございます。

    クメール遺跡の旅行記がしばらくUPされなかったので
    丁寧に調べて旅行子を作成なさっているんだなとオモっ
    ていました。12月は何かと忙しいですしね。
    一気にUPされてちょっとビックリ1

    アンコールワットに行ってから興味がなかった遺跡の良さ
    も少しはわかってきて興味がでてきましたが、行っても行
    っても街歩きしたいところが減るどころか増える一方で遺
    跡やリゾート地にはまだまだ行けそうのもありません。

    byまほうのべる

    週末旅行者

    週末旅行者さん からの返信 2013/01/31 22:52:54
    こんばんは。
    まほうのべるさん、こんばんは。

    少し時間がとれたので、タイ東北部のクメール遺跡の旅行記、ようやく作成することができました。

    今回は、写真を選ぶのが大変でした。
    遺跡の塔や建物のことなど、少し忘れている部分もあり、順番などなど考えて、思い出して順序よく配置するのに一苦労でした。
    いつも順序よく撮影したいとおもっているのですが、ついついいらない写真、あとずさりしてこれもなどなどとってしまって、整理に時間がかかります。

    街歩きも楽しいですよね。
    僕は何かお題目がないと不安なので、遺跡や世界遺産に目が向いてしまうのだと思います。
    街歩き、シンガポールのチキンライス食べ歩きが目下はまっている街歩きでしょうか。

    風邪がはやっているようです。お気をつけくださいね。

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