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 小学校の遠足以来、訪ねたことがなかった法隆寺界隈をウォーキングしました。法隆寺はユネスコの世界文化遺産に姫路城とともに日本ではじめて登録されました。法隆寺は推古天皇の時代に聖徳太子により創建されました。飛鳥時代を初めとする各時代の貴重な建造物・宝物が広大な敷地に散在し、今日に伝えられています。その法隆寺の西院伽藍の各建物を見学し、東院伽藍にある夢殿を見学、そして隣接地の聖徳太子の御母ゆかりの中宮寺へ、そこから約1km北の法輪寺へ、さらに東へ0.6kmの法起寺へと足を延ばしました。三塔とは、法隆寺五重塔、法輪寺三重塔、法起寺三重塔を言います。JR法輪寺駅から約5kmの散策ですが、法隆寺前の観光協会にはレンタサイクルがあります。周辺には見どころがまだまだ有りますが、時間の関係上これで帰路につきました。<br /> 写真は法隆寺夢殿です。

斑鳩三塔めぐり/奈良県・斑鳩町

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2012/11/22 - 2012/11/22

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ひま人

ひま人さん

 小学校の遠足以来、訪ねたことがなかった法隆寺界隈をウォーキングしました。法隆寺はユネスコの世界文化遺産に姫路城とともに日本ではじめて登録されました。法隆寺は推古天皇の時代に聖徳太子により創建されました。飛鳥時代を初めとする各時代の貴重な建造物・宝物が広大な敷地に散在し、今日に伝えられています。その法隆寺の西院伽藍の各建物を見学し、東院伽藍にある夢殿を見学、そして隣接地の聖徳太子の御母ゆかりの中宮寺へ、そこから約1km北の法輪寺へ、さらに東へ0.6kmの法起寺へと足を延ばしました。三塔とは、法隆寺五重塔、法輪寺三重塔、法起寺三重塔を言います。JR法輪寺駅から約5kmの散策ですが、法隆寺前の観光協会にはレンタサイクルがあります。周辺には見どころがまだまだ有りますが、時間の関係上これで帰路につきました。
 写真は法隆寺夢殿です。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩

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  •  法隆寺南大門(室町時代)、法隆寺の玄関に当たるこの門は、永亨10年(1438年)に再建されたものです。

     法隆寺南大門(室町時代)、法隆寺の玄関に当たるこの門は、永亨10年(1438年)に再建されたものです。

  •  法隆寺世界文化遺産登録記念石碑。現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とする東院伽藍に分けられています。広さ約18万7千平方mの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒を連ね、たくさんの宝物類が伝来しています。国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190点、点数にして2300余点に及んでいます。<br /> このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、特に1993年12月には世界文化遺産に日本として初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。

     法隆寺世界文化遺産登録記念石碑。現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とする東院伽藍に分けられています。広さ約18万7千平方mの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒を連ね、たくさんの宝物類が伝来しています。国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190点、点数にして2300余点に及んでいます。
     このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、特に1993年12月には世界文化遺産に日本として初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。

  •  法隆寺金堂(飛鳥時代)。法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です。威風堂々としたこの建物の中には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、大師の父君用明天皇のために造られた金銅薬師如来像(飛鳥時代)、母君穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために造られた金銅阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)、等が安置されいます。

     法隆寺金堂(飛鳥時代)。法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です。威風堂々としたこの建物の中には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、大師の父君用明天皇のために造られた金銅薬師如来像(飛鳥時代)、母君穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために造られた金銅阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)、等が安置されいます。

  •  法隆寺五重塔(飛鳥時代)、塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院においては最も重要な建物とされています。高さは約32.5mで、わが国最古の五重塔として知られています。

     法隆寺五重塔(飛鳥時代)、塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院においては最も重要な建物とされています。高さは約32.5mで、わが国最古の五重塔として知られています。

  •  法隆寺大講堂(平安時代)、このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、鐘楼とともに延長3年(925年)に落雷によって焼失しました。正暦元年(990年)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に造られています。

     法隆寺大講堂(平安時代)、このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、鐘楼とともに延長3年(925年)に落雷によって焼失しました。正暦元年(990年)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に造られています。

  •  法隆寺聖霊院(鎌倉時代)、東西の回廊の外側には、それぞれ東室・西室という南北に細長い建物があります。それらは僧侶の住居であり僧房と呼んでいます。鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。

     法隆寺聖霊院(鎌倉時代)、東西の回廊の外側には、それぞれ東室・西室という南北に細長い建物があります。それらは僧侶の住居であり僧房と呼んでいます。鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。

  •  聖霊院前の鏡池の辺に建つ「正岡子規の句碑」です。有名な”柿食えば鐘がなるなり法隆寺”です。但し、一説によれば、法隆寺で詠んだのでなく東大寺で詠んだということです。

     聖霊院前の鏡池の辺に建つ「正岡子規の句碑」です。有名な”柿食えば鐘がなるなり法隆寺”です。但し、一説によれば、法隆寺で詠んだのでなく東大寺で詠んだということです。

  •  法隆寺東大門。大宝蔵院を出て夢殿へ向かう途中に建っているこの門は、珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つです。

     法隆寺東大門。大宝蔵院を出て夢殿へ向かう途中に建っているこの門は、珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つです。

  •  法隆寺夢殿(奈良時代)。東院伽藍の中心をなす八角円堂の建物です。天平11年(739年)頃に創建され、寛喜2年(1230年)に大修理をされました。聖徳太子の住まいであった「斑鳩の宮」の跡に、行真僧都(ぎょうしんそうず)が、太子の遺徳を偲び建てたのが上宮王院、その中心が夢殿です。内部には本尊の国宝救世観音像(聖徳太子等身の像と伝えられている)とともに、行信僧都と、平安時代初めに東院を修理した道詮律師(どうせんりっし)の座像があり、いずれも国宝に指定されています。

     法隆寺夢殿(奈良時代)。東院伽藍の中心をなす八角円堂の建物です。天平11年(739年)頃に創建され、寛喜2年(1230年)に大修理をされました。聖徳太子の住まいであった「斑鳩の宮」の跡に、行真僧都(ぎょうしんそうず)が、太子の遺徳を偲び建てたのが上宮王院、その中心が夢殿です。内部には本尊の国宝救世観音像(聖徳太子等身の像と伝えられている)とともに、行信僧都と、平安時代初めに東院を修理した道詮律師(どうせんりっし)の座像があり、いずれも国宝に指定されています。

  •  中宮寺本堂。中宮寺は現在の場所から東へ約500あまりの付近にあったが、室町時代に現在の夢殿の東に移りました。聖徳太子の母の穴穂部間人皇后のために建立したと伝えられています。室町時代に尊智女王が入寺以来、代々門跡尼が住職となり、その法灯が守られてきました。本堂には”三大微笑像”と言われる国宝の木造菩薩半跏像が安置されています。右足を左膝の上にかけ、、左手は右足首に添え、右手は肘を右膝の上について指先を軽く右頬に触れる形で座っている像で、この像の形を半跏思惟の相といい、もともとは弥勒菩薩として造立されたと思われています。<br /> 尚、過去に50円切手として発行されています。

     中宮寺本堂。中宮寺は現在の場所から東へ約500あまりの付近にあったが、室町時代に現在の夢殿の東に移りました。聖徳太子の母の穴穂部間人皇后のために建立したと伝えられています。室町時代に尊智女王が入寺以来、代々門跡尼が住職となり、その法灯が守られてきました。本堂には”三大微笑像”と言われる国宝の木造菩薩半跏像が安置されています。右足を左膝の上にかけ、、左手は右足首に添え、右手は肘を右膝の上について指先を軽く右頬に触れる形で座っている像で、この像の形を半跏思惟の相といい、もともとは弥勒菩薩として造立されたと思われています。
     尚、過去に50円切手として発行されています。

  •  中宮寺旧斑鳩御所。

     中宮寺旧斑鳩御所。

  •  法輪寺三重塔。創建については、一説には622年聖徳太子の子山背の大兄皇子と孫の由義王が建立したという説、もう一つは670年斑鳩寺の炎上後に百済の開法師・円明法師・下氷新物が合力して建立したという説です。創建当初の三重塔は、昭和19年(1944年)落雷により焼失し、現在の塔は昭和50年(1975年)に再建されたものです。

     法輪寺三重塔。創建については、一説には622年聖徳太子の子山背の大兄皇子と孫の由義王が建立したという説、もう一つは670年斑鳩寺の炎上後に百済の開法師・円明法師・下氷新物が合力して建立したという説です。創建当初の三重塔は、昭和19年(1944年)落雷により焼失し、現在の塔は昭和50年(1975年)に再建されたものです。

  •  法輪寺金堂。寺の本尊をまつるためのお堂で、宝暦11年(1761年)に再建されたものです。

     法輪寺金堂。寺の本尊をまつるためのお堂で、宝暦11年(1761年)に再建されたものです。

  •  法輪寺講堂。僧が勉強するためのお堂で、昭和35年(1960年)耐火耐震の収納庫として改築されたものです。<br /> 創建当初は法隆寺西院伽藍と同じ伽藍配置で、約3分の2の規模であることが、発掘の結果明らかになりました。平安時代の仏像、仏具が多数残っていることから、その頃が隆盛期であることが推測されます。

    法輪寺講堂。僧が勉強するためのお堂で、昭和35年(1960年)耐火耐震の収納庫として改築されたものです。
     創建当初は法隆寺西院伽藍と同じ伽藍配置で、約3分の2の規模であることが、発掘の結果明らかになりました。平安時代の仏像、仏具が多数残っていることから、その頃が隆盛期であることが推測されます。

  •  法起寺三重塔。一重の石壇上に建つ、三間四方三層、高さ23.9mで、慶雲3年(706年)に建立された我が国最古の三重塔であります。

     法起寺三重塔。一重の石壇上に建つ、三間四方三層、高さ23.9mで、慶雲3年(706年)に建立された我が国最古の三重塔であります。

  •  法起寺講堂。創建は、推古14年(606年)に聖徳太子が法華経を諸説されたという岡本宮を寺に改められたと伝えられ、法隆寺、四天王寺、中宮寺などとともに、太子御建立七ケ寺の一つに数えられています。

     法起寺講堂。創建は、推古14年(606年)に聖徳太子が法華経を諸説されたという岡本宮を寺に改められたと伝えられ、法隆寺、四天王寺、中宮寺などとともに、太子御建立七ケ寺の一つに数えられています。

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