2012/07/15 - 2012/07/15
3003位(同エリア3583件中)
ふろすとさん
2人の史跡を辿る旅は、東山から御所周辺へ。会津から京都へ出てきた八重が勤務した女紅場(公立女学校)跡と、2人が暮らした、当時では超モダンな家を訪ねました。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- タクシー 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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公立女学校としては、東京に次いで建てられた京都の女紅場(にょこうば)跡へやってきました。八重はここの寮母になり、礼法なども教えていたようです。
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ここは河原町丸太町ですが、当時は九条家の屋敷跡だったそうです。昨日から今朝に書けての大雨で、鴨川がかなり増水しています。
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そこから少し歩き、御所の隣にある新島襄旧邸へ。ここは昔から観光地ですが、毎日は開館していません。
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アメリカに密出国して10年間暮らした新島襄の家は、やはり洋風建築です。1878(明治11)年に建てられました。
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コロニアル・スタイルという、当時アメリカで発達していた建築様式です。
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イチオシ
東側の応接間。椅子・テーブルは当時のままです。教室・職員室・会議室・教会の集会室など多目的に使われていたようです。
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食堂
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勝海舟が揮毫した「六然の書」。勝海舟は新島襄とも、八重の兄・山本覚馬とも交流がありました。
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襄の死後、八重は1階洋間を改造して茶室「寂中庵」を作りました。茶道にも熱心で、教授の資格も持っていました。
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新島襄の書斎。机は当時のままです。
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同志社の学生達は、この書斎を、図書館のように自由に利用したと言われています。
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ここも応接間のようです。
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土間ではない、板張りの台所。
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広々としていて現代的です。奧にあるのは井戸で、水汲みのために家の外に出る必要はありません。
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近代的流し台の隣にあるのはおくどさん(竈)。八重も料理をしましたが、夫婦に加えて新島襄の両親なども暮らし、生徒や来客も多い家なのでメイドさんもちゃんといました。
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2階の寝室にはベッドが置かれていました。
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今は畳敷きの部屋もありますが、当時は全て板敷きであったと言われています。
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2階のバルコニー。御所の隣とはとても思えません。
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イチオシ
2階の居間
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隣は新島会館です。オーケストラが練習しているようでした。
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