1994/11/15 - 1994/12/06
112位(同エリア473件中)
コージ☆さん
ウィーンに滞在中に,2回ほどヨーロッパの一部を訪ねる小旅行をしました(ウィーンを出発して,ウィーンに戻ってくるというものです)。リュックサックを背負って,長距離移動は鉄道,宿泊はユースホステルか安宿でした。日程は特に決めておらず,その街が気に入れば何日か滞在するという気まぐれな旅でした。
今回は,ヘルマン・ヘッセ(特に「車輪の下」)が好きだったので,ヘッセが生まれたカルフや作品にゆかりのある街(マウルブロン,テュービンゲン,シュトゥットゥガルト)を訪ねました。
他に,ハイデルベルク,カールスルーエ,オーバーアマガウ,ミュンヘン(2度目)にも立ち寄りました。
【第2回ヨーロッパ小旅行~行程】
ウィーン→(ドイツ~ミュンヘン→フュッセン・ホーエンシュヴァンガウ→アウクスブルク)→(フランス~パリ→ヴェルサイユ)→(スイス~ツェルマット・マッターホルン)→(ドイツ~ハイデルベルク→マウルブロン→カールスルーエ→カルフ→テュービンゲン→シュトゥットゥガルト→ミュンヘン→オーバーアマガウ)→ウィーン
(お断り)
当時はデジカメなど一般的ではなく,フィルムで撮った写真をデジタル化している最中ですので,写真は少しずつアップします。あしからずm(__)m
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
【カルフ】
ヘッセの生地で,シュヴァルツヴァルト(黒い森)にある小さな街です。
観光客は少なかったです。
写真はカルフの駅から街を眺めた様子。 -
【カルフ】〜マルクト広場
左から3番目の建物がヘッセの生家
いかにもドイツという街並みで,住んでみたくなります。 -
【カルフ】〜マルクト広場
ここの2階にヘッセ一家が住んでいました。 -
【カルフ】〜マルクト広場
生家のプレート -
【カルフ】〜マルクト広場
広場の噴水もヘッセ…。
この街は,ヘッセで“街おこし”をしているようです。 -
【カルフ】
ナゴルト川に架かる橋の上にあるニコラウス礼拝堂,ヘッセの作品にも登場します。
ヘッセも,この橋を幾度となく渡ったんだなあと考えると感慨深いです。 -
【マウルブロン】の修道院
ヘッセが14歳の時に入学した神学校で,もちろん“全寮制”です。
ヘッセは,牧師になるというエリート・コースからはずれ,この学校を脱走・中退して詩人・作家となります。脱走の経緯については,車輪の下に詳しく描かれています。
小さな駅からバスに乗って,辺りには何もない村で下車します。
修道院自体は,広い敷地と立派な建物が並んでいます。 -
【マウルブロン】の修道院
回廊にある礼拝堂(中に噴水があります)です。
ロマネスクの回廊と中庭が,落ち着いたたたずまいで本当に美しいです。春だったら,もっと素晴らしいでしょう。
ここでなら勉学に励めそうですが,ヘッセは中退してしまいます。やはり,詩人は他の人とは違う感性があったのでしょう…。 -
【テュービンゲン】
この街は大学都市ですが,川や池や森に囲まれ自然が豊かです。
日本の“学生街”とは大違いです。 -
【テュービンゲン】
ネッカー川
丸く黄色い塔に,ヘッセが尊敬する詩人ヘルダーリンが住んでいました。 -
【テュービンゲン】
ヘッセもこよなく愛したプラターネン・アレー
ここを散策すると,誰でも“詩人”になれそうな気がしてしまいました。 -
【テュービンゲン】
広場
あまり日本の観光客が来る街ではないですが,パン屋さんで,ここに住んでいるという日本の方に声をかけられました。 -
【テュービンゲン】
ヘッセが見習いとして勤めていたヘッケンハウアー書店
広場に面していて,当時も営業中でした。 -
【テュービンゲン】
書店の2階がヘッセの仕事場だったそうです。
ここでヘッセの詩集などを買いました。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- jijidarumaさん 2018/09/11 18:54:13
- ヘッセとカルフの町
- コージ☆さん、
こんばんは。お立ち寄りとご投票ありがとうございました。
黒い森は何度か走りましたが、最近ではもう11年前になる2007年にカルフを訪れました。その時の旅日記から抜粋したものです。
「ノーベル賞作家ヘルマン・ヘッセの作品“車輪の下”“青春はうるわし”など昔々に読んだが、内容はもう覚えていない。多分、本箱の片隅にまだ置いてあるのだろうが、昨年の旅で行ったWetzlarヴェッツラーでの、ゲーテの“若きウエルテルの悩み”ほどには私の中に残っていないのだ。
ヘッセは85年の人生を殆ど他郷に過ごしたせいか、『私の知っている町の中で最も美しいのは、シュヴァーベン地方の黒い森の小さな歴史ある町、ナゴルト川沿いのカルフである』と故郷を称えている。
ところが、故郷の人達には若い時の印象が残っていて、一種の困り者として見られていたらしい。当時はヘッセを“町の誇り”として歓迎する人は少なかったそうだ。
ヘッセの愛したナゴルト川は深い緑色した清流で、町の真中を流れている。ニコラウス橋から眺める風情は昔のままのように思われた。」
2007年にはニコラウス橋の上にヘッセの像が立っていましたが、1994年のお写真を拝見すると、像はありませんね。
jijidaruma
- コージ☆さん からの返信 2018/09/11 21:50:00
- ヘッセと車輪の下
- jijidarumaさん こんばんは
ご丁寧にメッセージありがとうございます!
カルフは,ヘッセの作品に大きな影響を残した故郷なので,できるなら再訪したいと思っています
御投票いただいた旅行記のことは,すっかり忘れてました
でも,車輪の下は大好きで数年に一回は読み返してます
橋の上にヘッセ像が建ったのは,わたしのようなミーハーな観光客が行ったせいかもしれませんねー
コージ☆
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